遺族を混乱させる・・・自分への言い訳かも
医療ミスを隠し続けてきた男性。「毎日、死亡した患者のめい福を祈っている」
食品表示や再生紙の古紙配合率偽装など消費者を欺く行為が世情を騒がせています。もし、自分の職場で反社会的な行為を目や耳にしたら、どうしますか?
「私は、医療ミスで患者が死亡したことをずっと隠して生きてきました」。こんな告白の電話を寄せた男性にお会いする機会があり、「泉」のみなさんと一度、こうした問題を考えてみたいと思いました。
男性は年齢のほど、還暦を少し過ぎた元病院職員。話は約15年前、関西の総合病院での出来事です。
「きみの目は節穴か」。ある朝出勤すると、頭部のエックス線写真を手に、院長が当直明けの若い医師を激しく責め立てていました。頭を下げたまま、「申し訳ありません」を繰り返す医師。その様子は起きた事態の重大さを示すに十分でした。
数時間前のこと。「転んで頭を打った」とやって来た60歳代の男性患者を、医師は「異常なし」と診断し、無処置で帰しました。しかし、ほどなく患者は路上で倒れているのが見つかり、そのまま亡くなります。
実は写真の側頭部には約10センチの骨折の線がくっきり写っていました。院長のしっ責はそのことが理由で、明らかな誤診でした。
ところが、遺族の求めで実施された司法解剖の所見に、男性は目を疑います。「頭がい骨骨折」という記載に続き、「最初の転倒時に骨折はなかった」と書き添えられていたのです。
もちろん、例のエックス線写真は病院から任意提出されていました。「医療界のかばい合いではないか」。男性はそう思うと、背筋に寒気をおぼえました。
遺族は、気持ちのやり場がなかったのでしょう。経過観察を怠ったとして、病院に葬儀料相当の支払いを求めてきました。それに対し、「葬式代で済むなら安いもの。看板に傷がつかないうちに」と、病院側はことを急ぎます。「異議申し立てを一切しない」。そう記した示談書に判をもらうのは、対応を命じられた男性の役目でした。「ご面倒をかけました」と頭を下げる遺族に、男性はかける言葉もありませんでした。
しばらくして、病院から顛末(てんまつ)について報告を受けた医師会の調査書が届きます。「マル秘」と刻印された書類には、「幸い、解剖では2回目の転倒が原因とされた。今後は留意を」と書かれていたそうです。
こうやって、ミスは闇に葬り去られました。
それから――。男性は遺族に真実を打ち明けようと何度も電話を手に取りました。しかしその都度、職を失う恐怖心でダイヤルできず、定年後も、『時計の針は戻らない。告白は、遺族を混乱させるだけ』と考え、ためらい続けているといいます。
「それも自分への言い訳かもしれない」。そう言って男性は自嘲(じちょう)しました。けれど、もし同様の立場に身を置いたら、〈組織のメンツ〉に打ち克(か)つ勇気が持てるものかどうか。みなさんなら、いかがでしょうか。
(2008年06月15日 読売新聞)