「親日映画」はいかに作られたのか
【新刊】イ・ヨンジェ著『帝国日本の朝鮮映画』(現実文化研究)
本書のタイトルは『帝国日本の朝鮮映画』という中立的な表現を用いているが、実際には「植民地朝鮮の親日映画」とした方が正直ではないだろうか。著者は1940年から41年にかけて制作された『支援兵』『半島の春』『家なき天使』という3篇の映画を通じ、この時代の韓国映画が持つ植民地性について集中的に分析した。植民地時代の末期、このような映画を作らざるを得なかった、朝鮮の映画界のエリートたちの心理状態にスポットを当てた本書は、読者を複雑でわびしい気持ちにさせるものがある。
著者は林種国(イム・ジョングク)の『親日文学論』から方法論を借用している。日本の植民地時代の末期、朝鮮のエリートたちは自発的に「内鮮一体」を唱えることで、劣等感を拭い去ろうとしたというのだ。これは人的・物的な資源を確保する必要性を理由に、朝鮮を「外地」から「内地」に編入した日本の統治戦略によるものだった。論理的には「植民地」ではなく、日本の一つの「地方」になったというわけだ。朝鮮の知識人たちはこのとき、自らを苦しめてきた「植民地性からの脱却」という問題を解決するための突破口を見つけることになった。この時期に誕生した多くの「親日文学」と同じように、映画もまた親日的なものになっていった。結局、本書は自発的に作られた親日映画が無意識であることを突き止めた「告白録」ということになる。
『支援兵』について扱った章では、植民地としての無力感やうつ状態にさいなまれていた朝鮮の男たちが、いかにして自らの男性性を取り戻し、日本の支配に対する協力の主体となっていったかについて分析している。いわゆる「協力者」としての心情を分析したというわけだ。また、『半島の春』は、朝鮮総督府の主導により、「朝鮮映画株式会社」が設立されるまでの過程を描いたものだが、本書ではそこにおける「協力」のメカニズムが分かる。著者は月刊誌『キノ』の記者を7年間務め、現在は東京大大学院総合文化研究科の研究員として、表象文化論について研究している。
オ・スウン記者
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