2006年10月13日

生きていくということは

 今日、友人が病気で亡くなっていたことを知りました。生きたいと思っている人が、若くして病気や事故で亡くなってしまうのは、とてもつらいことだと思います。
 月並みですが、自分のふがいなさを恥じると共に、これから懸命に生きていくことが、生きたくても生きられなかった人たちの無念を少しでもはらすことにつながるのだと思います。

 友人が亡くなっていたことを、ある人からのメールで知ったその日、知り合いの学校の生徒が、自殺したという話を聞きました。
 なぜ、14,5歳という若さで、自ら死を選ばなければならなかったのでしょうか。理由はわからないとのことです。

 

数年前に、知り合いのお子さんが、高校2年で命を絶ったことを聞いたときも「とても明るい子だった」と言われていました。学校でも、とても明るく、女の子からもとても人気のある生徒だったそうです。ところが、死体の服を脱がせてみると、たばこの吸い殻がたくさん押しつけられていたそうです。中学時代の友人とその仲間たちが、呼び出しては、暴力やいじめを繰り返していたそうです。親に心配をかけてはならないと、彼は自分に言い聞かせ、家では気丈に振る舞い、学校だけが唯一、明るく楽しく過ごせる場所だったそうです。だから、学校の級友たちも、教員たちも、誰一人として、彼の苦しみを察知できなかったそうです。
 この話を人から聞いたとき、どうしてろくでもない人たちのために、苦しみ、死ななければならないのかと思いました。死ぬくらい悩むのだったら、周囲に助けを求めていいはずです。助けてと言えないほど、きっと追い込まれているのです。こんなに苦しんでいる人の苦しみを、察知するのは、実はとても難しいことがあります。でも、何とかしなきゃならないですね。
 
 リストカットを繰り返している少女に、何と声をかけたらいいかわからなくて、うつ状態に陥っている母親に、私たちはどうアドバイスができるのでしょうか。
 
 リストカットをしている人は、リストカットを繰り返すことで、生きようとしている、といった話を、夜回り先生、水谷修さんから聞いたことがあります。
 このように苦しんでいる人に、病気などで生きたくても生きられない人もいる、と言ったところで、きちんと受け止めてくれるかどうか。

 先日「ヘレンケラーを知っていますか」という映画を観ました。
 目も見えず、耳も聞こえなくなった女性が、山口県で独りで住んでいます。周りの住人たちが「火事でも起こされたら、うちにも被害が及ぶ」と嘆願書を市に提出し、市は、新しい住宅に移ってくれと、その女性を説得しました。
 その新しい住居というのが、山の中で、周りには誰も人がいません。隔離されてしまったわけです。
 映画の中では、迷い込んだリストカットを繰り返している少年が、この女性と出会い、引きこもり状態から少しずつ脱していこうと決意していきます。このお婆さんに潮風を味合わせてあげるために、自転車の後ろにおばあさんを載せるための荷台を作り、自転車をこいで、海岸沿いまでおばあさんを連れて行くまでになるのです。

 そのような出会いがあって、生きていくことの大切さを実感できれば、リストカットをするのをやめるかもしれませんね。

 でも、一方で、先日の「土曜の夜はケータイ短歌」で、次のような印象的な場面がありました。
 電話をかけ、ラジオ番組に出演した青年は、もう七年くらいひきこもりが続いているのだと、告白していました。
 それに対して、ゲストの一人が「がんばろうと無理しないでいいから」と言っておられたのが印象的でした。

 だらだらでも、だらしなくても、人間は生きていけるものです。それが実感できれば、気持ちが楽になるのかもしれない、と思いました。

 支離滅裂なエントリー記事、読んで下さりありがとうございました。



Posted by Jun Rajini at 07:10│Comments(10)TrackBack(1)雑記録

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アルコール検知器販売【アルコール検知器】at 2006年10月13日 12:52
この記事へのコメント
私も高校時代に数人が自殺しています.また事故で亡くなったりもしています.自分を絶とうとしている者の心底をどうやって理解すればいいのか,理解するための方法でさえ浮かんできません.
Posted by Ritchie at 2006年10月14日 07:15
> 「がんばろうと無理しないでいいから」

そう声をかけられたら、ありがたいでしょうね。
いつもいつも「頑張れ、頑張れ」と言われて&自分に言い聞かせているのは辛い。
でも辛くても生きなきゃ、と思うか、思わないか。
また同じ思うのも、「柳に風」なのか「真っ向勝負」なのか。
その分かれ目が、その人の性格か何なのかは、私も判りません。
私こそ、支離滅裂なコメントをすみませんでした。
Posted by もこ☆ at 2006年10月15日 01:37
>Ritchieさん、もこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
 高校時代に身近な人が亡くなってしまうことはとてもショックだったことでしょう。
 死のうとしている人も、そのそばにいる人も、自分以外の人の気持ちになることができにくくなっているような気がします。

 人がどういう状況で、何を求めているのか、いないのかって、理解するのは難しいですね。
 きつい言葉で叱咤、もしくは励ますことができる状況もあれば、そっとしておくことがいいこともありますよね。
 また、今置かれている状況から逃げ出しても、人間、生きていけるものだと思いますし、そう恥ずかしいことではないとも思います。ひきこもって、力を蓄える時間が必要な場合もありますね。

 僕は、小、中、高校共に途中から不登校になってひきこもっていた生徒を個人的に教えていたことがあります。不登校を繰り返し、このまま人と交わることができず、社会にも適応できないのではないかと不安がる彼に、僕は、大学の学問は好きなことをやっていいし、大学の学科が自分に合わなかったら、大学の授業を適当にさぼって、自分のやりたいことをたっぷり4年間やれる。だから、どこか大学に行くことを考えたら?、とアドバイスしました。
 彼が古本屋から「刑法各論」の分厚い本を買ってきて読み始めたときには驚きました。彼があまりに「死」という言葉に敏感に反応し、ゲームや映画の残虐な場面の話をよくするので、刑法の話をしたことがあったんです。
 「どんな犯罪を犯した人がどういう刑罰を科されるか知っておくと面白いよ」

 それから、彼は、ドラマを観て、手話に興味を持ち知り合いから本を借りて覚え始めました。大学の学科選びも「大学のレベルだけを考えるんじゃなくって、どんな先生がどのようなことを研究しているかを調べて、どの先生から学びたいのか考えた方がいいよ」と言いました。
 僕自身、法学部に入ったものの、ちっとも興味が持てなくて、サークル活動(英語会話研究部)ばかりやっていたのです。
 すると、彼は、インターネットや書店で調べまくって、志望校を決めました。すると、引きこもり状態でも、受験勉強をしようとする気になり、何とか合格しました。彼は、その後、大学の授業に出たり、好きな釣りをしたりと大学生活を満喫して、徐々にしっかりした人間になっていきました。
 だから、今日、明日が真っ暗な闇の状態のように思えても、あまり自分を追い込み過ぎなくてもいいと思うんです。
Posted by Jun Rajini at 2006年10月15日 03:49
自殺を考える人のことは、問題が大きすぎて上手く考えがまとまりませんが、何かにつまづいたり、悩んでいる人に色々考えを述べても、人ってそう簡単に理解してくれるわけではないし、まして、何かを言っているこちらがその人の本当の悩みを理解できようもないわけだから、あまり言葉は要らないのかも、と思ったりします。
けれど、「君が悩んでいることは、私もとても気になるし、何とかしたいんだよ。」という姿勢を見せ続けることが大切かな、と思います。
すぐに何とかなることではないから、ずっと長い時間をかけて、いつまでも見守っているよ、という態度ができることの最大かな、と。
何も言わなくていい、ということではないから、あまり的を得ていませんが、アドバイスするほうもあきらめたり、見放したりせず、見守る忍耐が必要、ってことが言いたいのかな。
Posted by Layla at 2006年10月15日 12:14
>「君が悩んでいることは、私もとても気になるし、何とかしたいんだよ。」という姿勢を見せ続けることが大切かな、と思います。

↑れいちゃんのこの姿勢は本当に大切なことよね。的をえたアドヴァイスなんてなかなかできないもの。他人の悩みって本当に理解するのは難しいです。私だったらこうするけど、あなたの人生だからねぇ、と相手からするとピンボケの返事しかできないわ。人それぞれ違うのでね。


彼女の死はお会いして無くてもショックです。まして一度でも親しく会って話をした人にはさぞショックでしたでしょう。
Posted by kuronekokotoshan at 2006年10月16日 08:32
>Laylaさん、ことしゃん、コメントありがとうございます。
 Laylaさんがおっしゃるような態度をとれる教員が生徒に一人でもいたら、心強いと思います。

 僕は、いじめで自殺してしまった中2生をからかっていたといわれる、元担任の先生のような先生は、珍しく特別な存在ではなく、けっこういると思っています。
 たまたま、それが生徒たちのいじめに火をつけなかったり、担当の生徒が自殺をしなかったりしただけのような気もするんです。

 もっと教員にはゆとりが必要だと思います。
 あまりに忙しすぎて、休み時間に生徒が何をしているか、ほとんどわかっていないのだと思います。
 僕が中学生の頃は、ある先生がひどいことをしたとしても、生徒が相談をすることができる先生がいました。
 先生に話すと、対応はまちまちでした。
 「何もしてあげられなくて、ごめんね。でも、私はあなたが正しいと思うよ」
と言って下さったり、
 「そりゃあ、おかしいな。たぶん、あの先生、機嫌でも悪かったんだろ。とんだとばっちりだったな」
とか。

 いつも正しい先生は一人もいませんでした。
 時には、生徒の前で、先生たちが、お互いに「それは違う」と激しくやりあい始め、叱られていた生徒たちの方が、ぽかんとしたり、どっちが勝つのかなと面白そうに聞いていたりしていました。それでわかるんです。
 先生たちにも間違いがあるんだなあとか、真剣に僕たちのことを考えてくれているのだなあとか。

 荒れた学校だったので、生徒たちはよく問題を起こしていました。補導される生徒がよく出て、夜も先生たちは忙しかったのです。

 昨日の朝、「朝ズバ」という番組で、みのもんたさんが、おかしなことを言っていました。
 「先生には、日教組という組合があるんでしょ。いじめについてどうやって取り組んでいけばいいのか、真剣に話し合いをしなさい!」

 日教組の組織率は、現在すでに30%を切っています。
 職員会議でも、現場の教員同士が真剣に議論を行える環境ではなくなっているのです。

【引用】
「管理体制強化の中で、職員会議が軽視され、単なる連絡機関、諮問機関となってしまったような現実もままあります。文部省は、職員会議の性格について「職員会議は、決して校長の座にとって代わる最高の決議機関ではない。あくまでも補助機関である」(地方課法令研究会、新学校管理読本)と断定していますが、このような断定は、なんの法的根拠ももたないばかりか、憲法、教育基本法の精神を全く無視したものです」【引用終わり】

http://www.usiwakamaru.or.jp/~gifkyoso/kyoiku_data/q_and_a/answer/shokuinkaigi.htm

 ですから、教育行政や校長によるトップダウン方式を弱めていくことが求められていると思います。また、教員にはゆとりが必要です。
 多様な個性を持つ生徒を育てていくためには、教員自身が研鑽をすることはもちろん、生徒と接する時間が十分に取れるくらいのゆとりは必要だと思います。

 もし、このことを契機に「愛国心」や「公共の心」の涵養を強固に推し進めようとしたり「不適格教員」を見つけ出して、研修を行ったり配置転換をどんどんやっていったりするのでは、解決にはならず、一層学校は、生徒にとっても教員にとっても抑圧機関と化していくと思います。
Posted by Jun Rajini at 2006年10月17日 03:59
抑圧される人は
抑圧される人で
救われる

ろくでもない人は
ろくでもない人で
救われる

手首を切る人は
手首を切ることで
救われる

死を求める人は
死に行くことで
救われる?

語る人は
語りあうことで
救われる?

救いたい人は
救ってみることで
救われる?

だらりんとした人は
だらりんとしたままで
救われる。

今日も一日
だらりんとしている。
誰も救いに来なくて
いいみたい。
Posted by のしぱぱ at 2006年10月17日 05:01
 のしばばさん、こんばんは。
 この詩、のしばばさんの自作の詩でしょうか。とても示唆に富む詩で、リズムもあってとてもいいなあと思いました。のしばばさんも、福岡大会出場なさりますか。朗読とても楽しみにしています。
Posted by Jun Rajini at 2006年10月18日 03:08
いえ、出場はしないのです。
私まで出場してしまうと、
レフェリーも実行委員挨拶も、する人が居なくなってしまうので。

字面で書く詩は、ときどき書きますが、
朗読は、やったことがないのですよ。

21日、お会いできるのを楽しみにしています。
Posted by のしぱぱ at 2006年10月19日 22:01
 出場なさるときだけ、レフェリーを交代するわけにはいきませんか?
巌流島の高校生大会も、レフェリーが二人いましたよね。
僕も人前で朗読をしたことがないどころか、詩をつくったことすらほとんどなかったんです。
 のしばばさんのように、大会を運営して下さる人のご尽力があるからこそ、福岡でも大会が開かれるのだと感謝の気持ちです。
Posted by Jun Rajini at 2006年10月20日 00:46
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