2006年10月18日
中学2年生が自殺をした件について、考えること。
今回のいじめによる中2生の自殺の件に関して、連日、マスコミでも報道され、他人事とは思えず、ずっと考えています。
マスコミによる報道にも、正しい部分もあれば、おかしいなあと思う部分も持っています。また、母校がこのような形で全国的に報道されてしまったことにも驚いています。
僕が中学生の時には、三輪中学は、人権教育の推進校でした。
マスコミによる報道にも、正しい部分もあれば、おかしいなあと思う部分も持っています。また、母校がこのような形で全国的に報道されてしまったことにも驚いています。
僕が中学生の時には、三輪中学は、人権教育の推進校でした。
例えば「ゼッケン登校」という行事が年に二度ありました。
同和地区に住む生徒たちが、教員と一緒に、黄色いゼッケンをつけて、国道を通って学校に登校してくるのです。他の生徒たちは、ゼッケンをつけた生徒たちを学校で出迎えます。
ゼッケンには「差別をなくそう」とか「佐山事件の石川さんの再審請求を」といったスローガンが書かれていました。
どの友達が同和地区出身なのか、僕たちにはわかってしまうわけです。
では、どうして、こんなことをするのかと言えば、差別を決して許さないという態度をとれるようになるためです。
僕が「ゼッケン登校」の話をすると、このような行事は「寝た子を起こす」ことにつながるのではないか、ともよく言われます。
でも現に、同和地区の人たちに対する結婚差別や就職差別はなくなっていないわけです。徐々に減ってはいますけれど。
部落差別がいわれのない差別であることを正しく理解し、あらゆる差別を許さない態度を身につけおかないと、いざ、自分がせっぱ詰まった状況になったときに、差別をする側に回ったり、傍観者的な態度をとってしまう可能性が大きくなります。だから「ゼッケン登校」が行われていたのです。
「ゼッケン登校」は「すべての人に、自分が同和地区出身者だとカミングアウトすることを強制するのはいかがなものか」という問題点もあり、今では、母校では行われていないそうです。
友達の誰が同和地区に住んでいるのかがわかってしまったときのショックは大きかったです。
でも、すぐに教室に入って、同和教育の時間になるんです。
同和地区の生徒たちがプリントを作っていて、結婚差別や就職差別、部落差別の歴史などを説明します。泣きながら説明している友人もいれば、ふてくされたような顔をしている友人もいました。とにかく、つらいだろうなあと思いました。
でも、一方で、カッコイイなあとも思いました。まだ中学生なのに、社会的な問題についてよく考えていると思いました。学校の勉強以外のことを調べて発表できるなんて、すばらしいと思いました。
彼らのよさは、僕は知っている。彼らの心の痛みも、少しかもしれないけれど実感することができました。
当時、中学校は荒れていました。同和地区の生徒たちが、警察に補導される割合が大きかったり、成績も比較的によくない生徒が多かったです。当時も、高校進学率などではっきりと差がありました。でも、それは、同和地区の人たちが差別をされたり、劣悪な環境に住まされていたり、就職などでも差別があったからなんです。
学校の先生方は、夜や、土日などに、彼らのハンデを少しでも埋めるべく「学習会」を開いていました。僕も、彼らの劇を見に行ったことがありました。「渋染一揆」という、江戸時代に被差別部落の人たちが被った苦しみを描いた劇を友達たちが演じていて、それを見て、とても刺激を受けました。
また、学校では、部落差別だけではなく、他の人権についてもかなり突っ込んで学校で学んだり考えたりする機会がありました。
また、例えば自分の友人が、万引きや盗みをして警察に補導されたとしますね。そんなときに、やっていない生徒も先生から叱られるんです。
「お前、こいつらが、どうして盗みをしたかわかるか。こいつらの心の痛みがわかるか。自分だけよければ、それでいいと思うか」とよく問題提起をされたものです。
最初は(またか…とんだとばっちりだ)と思っていました。
ところが、これではいけないんだと思うようになりました。
もちろん、突っ張っている友人たちのメンツも大切な部分もあります。でも、彼らの問題は、自分の問題でもあると考えることができるかどうかを問われているんです。
学校が荒れていたので、よく友人たちは授業を抜け出し、教員は生徒を追いかけ、自習になってしまうことがよくありました。勉強がわからなくなったら…と考えると困りました。
部活も忙しかったので、何とか時間を作って、勉強をしていました。それで、努力が実って、それまでの最高点を取ることができました。
部活の監督に定期考査の得点を報告しなければなりません。そこで、報告に行くと、
「お前、よくがんばったな」と言われた後、
「でも、自分だけよければそれでいいのか」と続くわけです。
そこで、同じ部の部員で、成績のよくない友人のために「勉強会」をしなければならない状況になりました。
同じ学年の友人に勉強を教えようとしても、なかなかうまくいかないこともあります。勉強がきらいなので、長続きしません。それに、勉強が嫌いで苦手な友人にわかるように教えるのも大変なことでした。
勉強を教えていると、どうやって説明すればいいのか考えたり、予習をしなければならなくなったので、人に説明できるくらいまで勉強するようになり、自分の成績もかえってよくなりました。
でも、教えてみてわかるんです。成績がいい人は、少し勉強をすれば、その成績を維持することができ、周りからも評価される。でも、苦手な人は、かなりがんばらないと成績は上がらず、さぼれば、どんどん下がっていってしまう。そして、周りからは、いい評価は得られない。こんな構造になっているのです。
僕はたまたま努力すればいい成績を得られている。でも、それは、たまたま幼少の時に本をたくさん読み聞かせてもらっていたり、裕福ではないけれど生活に苦労しない家庭に生まれたからなのだ、と。
友人の家に行けば、農業の手伝いをしていたり、家がとても古かったりしていることも実感しました。
自分だけがよければいい、という考え方では、自分の保身のために差別をする側にまわってしまったり、傍観者的な態度をとったりしてしまうという危険がある。
そのことがわかっただけでも、この中学校に通えてよかったと思いました。
だから、差別的な発言をする教員は、一人もいなかったんです。それどころか、今説明をしたように、人権教育がとても進んだ学校だったわけです。僕は、三輪中学で学べたことを内心、誇りに思ってきました。
ところが、今回のいじめによる自殺をした中学二年生の親は、僕たちと同じ世代です。また、いじめをした生徒の親も僕と同世代の人たちなんです。
つまり、徹底的に人権教育を受け、人の心の痛みがわかっているはずなのに、その子どもたちが陰湿ないじめをしてしまう。
また、母校で、差別的な発言をしているウケを狙った先生がいるらしい。僕は、この先生が特別に悪い先生だとは思えないんです。多くの学校で「似たような先生は一人や二人はいる」ということを、僕の知っている中学生や高校生は言います。
今回の事件が起こってしまった要因については、いくつか僕も考えています。
1 先生自体が忙しすぎて、ゆとりがなくなってしまったこと。
僕が学生だったころの先生は、とんでもない先生もいたけれど、今よりも圧倒的に「ゆとり」がありました。生徒たちと談笑したり、おせっかいを焼いたりする時間があったんです。いわゆる「ちくり」も女生徒を中心に、よくやっていました。
「お前、ちくったな」と言われれば「ちくられることをしたのが悪いったい」と言い返し、
「きさま~」と悪態をつけば、先生にまた「ちくる」。そして、先生は叱る…。この繰り返しで「お前にはかなわんな。それにしても度胸があるな」と見直すようになっていく…。そして、実は「ちくっている生徒」は、友人のことを見捨てていないから、友人だと思っているから「ちくってくれた」のだと気づくのです。
また「ちくるだけ」ではなく、その前に、直接、その友人に声を出して注意をするという行為がまずあったのです。
このような長い、長い、一見すると「堂々めぐり」を延々と繰り返していくうちに、生徒たちは成長をしていました。ゆとりがあったから、先生たちは、つきあっていられたわけです。
今では、一日4~5時限の授業を持っている教員も少なくないと聞きます。
「先生、いつも忙しそうで、話しかけられる雰囲気じゃない」と僕の知り合いは言っていました。だから、そもそも、教員によほどの資質があっても、生徒の陰湿ないじめなどを発見することが相当難しくなっているという状況にあるのです。
2 教育行政や校長によるトップダウン方式が職員会議の実態となり、現場の教員による健全な議論が行われなくなってしまったこと。
などが、あげられると思います。
僕が周りの人たちと話し合っていると「とんでもない先生は、僕たちの世代にもいた」ということが話題になります。しかも「とんでもなさ」は当時の方がすごかったんです。
例えば、僕が小学生の頃、担任の先生に「生徒にムチにビニールテープを巻かせて、その後、そのムチで生徒を叩く先生」がいました。教員の機嫌が悪いと、ひとこと私語をしただけでも、ムチで叩かれていました。女王様みたいな格好をして座り、ちっとも授業をしてくれないので「授業をして下さい」と言うと「お前、生意気だな。こっちに来い」と言って、ムチにビニールテープを巻かせ、たたく。「前に倣い」の格好を20分以上させ続ける。やってみるとわかりますが、肩に激痛が走り、小学生なら、泣きます。それでも、ムチで叩いて「ほら、だれがやめていいといった!」と言って、同じ姿勢をとらされ続けるわけです。
または「私は、お前のことがすかん。帰れ!」と執拗に繰り返し、理由も特にないのに、ただ虫がすかない生徒だからといって、生徒を帰らせた先生もいました。この教員による「いじめ」は一月ほど続きました。生徒たちは、次第に怒りが増していって、先生に対して不満をぶちまけるわけですが、すると先生が、ムチでまたたたくという構造なのです。そしてしまいには「お前、いい友達をもってよかったな。オレはお前がすかんけれど、みんなが、この教室に、お前がいなきゃいかんというんだよ」と言うわけです。この女性の先生、確信犯的に、友人を見捨てない生徒を育てるためにやっているのかと半分思ってしまうくらいのセリフを堂々とおっしゃったのです。
もう、僕たちもその先生をあきれていたので、叩かれたときに「痛い!何で、悪くもないのに叩かれないかんとか」とへらず口を叩いては、また叩かれていました。みんなで、叩かれるようなことを言っては、席に着くと、また他の生徒が叩かれるようなへらず口を叩き、しまいには、先生の方が
「お前たち、私にずっと叩かせて、授業を進ませないようにしたいんやろ。そうはいかんぞ」と言われて、先生は授業を始め、僕たちは無言で、顔を見合わせながら(やった!作戦成功!)という顔をしたものです。
また、友人の小学校の時の担任の先生は、ちっとも授業をせずに、インドの話ばかりしていたので、そのクラスの生徒だけ勉強が苦手になったそうです。
しかし、このような「とんでもない先生」は、三輪中学にはひとりもいませんでした。
夜も補導をされる生徒がかなり多くて、とても忙しかっただろうと思います。でも、絶対に、生徒を見捨てないんです。ましてや、生徒たちに差別をするような発言をする先生は一人もいませんでした。
だから、今、気になるんです。
これほどの人権教育を受けて差別を憎むようになれていたのに、親になると、差別を許す子どもたちを育てていないのではないか。それに、同じ学校で、人権教育があまり行われなくなったのではないか。
僕には、戦争体験世代が、政界からいなくなっていくにつれて、戦争の悲惨さを知らない世代が、右傾化していくのとも、構造が似ている気がするんです。
長くなりました。読んで下さりありがとうございます。
同和地区に住む生徒たちが、教員と一緒に、黄色いゼッケンをつけて、国道を通って学校に登校してくるのです。他の生徒たちは、ゼッケンをつけた生徒たちを学校で出迎えます。
ゼッケンには「差別をなくそう」とか「佐山事件の石川さんの再審請求を」といったスローガンが書かれていました。
どの友達が同和地区出身なのか、僕たちにはわかってしまうわけです。
では、どうして、こんなことをするのかと言えば、差別を決して許さないという態度をとれるようになるためです。
僕が「ゼッケン登校」の話をすると、このような行事は「寝た子を起こす」ことにつながるのではないか、ともよく言われます。
でも現に、同和地区の人たちに対する結婚差別や就職差別はなくなっていないわけです。徐々に減ってはいますけれど。
部落差別がいわれのない差別であることを正しく理解し、あらゆる差別を許さない態度を身につけおかないと、いざ、自分がせっぱ詰まった状況になったときに、差別をする側に回ったり、傍観者的な態度をとってしまう可能性が大きくなります。だから「ゼッケン登校」が行われていたのです。
「ゼッケン登校」は「すべての人に、自分が同和地区出身者だとカミングアウトすることを強制するのはいかがなものか」という問題点もあり、今では、母校では行われていないそうです。
友達の誰が同和地区に住んでいるのかがわかってしまったときのショックは大きかったです。
でも、すぐに教室に入って、同和教育の時間になるんです。
同和地区の生徒たちがプリントを作っていて、結婚差別や就職差別、部落差別の歴史などを説明します。泣きながら説明している友人もいれば、ふてくされたような顔をしている友人もいました。とにかく、つらいだろうなあと思いました。
でも、一方で、カッコイイなあとも思いました。まだ中学生なのに、社会的な問題についてよく考えていると思いました。学校の勉強以外のことを調べて発表できるなんて、すばらしいと思いました。
彼らのよさは、僕は知っている。彼らの心の痛みも、少しかもしれないけれど実感することができました。
当時、中学校は荒れていました。同和地区の生徒たちが、警察に補導される割合が大きかったり、成績も比較的によくない生徒が多かったです。当時も、高校進学率などではっきりと差がありました。でも、それは、同和地区の人たちが差別をされたり、劣悪な環境に住まされていたり、就職などでも差別があったからなんです。
学校の先生方は、夜や、土日などに、彼らのハンデを少しでも埋めるべく「学習会」を開いていました。僕も、彼らの劇を見に行ったことがありました。「渋染一揆」という、江戸時代に被差別部落の人たちが被った苦しみを描いた劇を友達たちが演じていて、それを見て、とても刺激を受けました。
また、学校では、部落差別だけではなく、他の人権についてもかなり突っ込んで学校で学んだり考えたりする機会がありました。
また、例えば自分の友人が、万引きや盗みをして警察に補導されたとしますね。そんなときに、やっていない生徒も先生から叱られるんです。
「お前、こいつらが、どうして盗みをしたかわかるか。こいつらの心の痛みがわかるか。自分だけよければ、それでいいと思うか」とよく問題提起をされたものです。
最初は(またか…とんだとばっちりだ)と思っていました。
ところが、これではいけないんだと思うようになりました。
もちろん、突っ張っている友人たちのメンツも大切な部分もあります。でも、彼らの問題は、自分の問題でもあると考えることができるかどうかを問われているんです。
学校が荒れていたので、よく友人たちは授業を抜け出し、教員は生徒を追いかけ、自習になってしまうことがよくありました。勉強がわからなくなったら…と考えると困りました。
部活も忙しかったので、何とか時間を作って、勉強をしていました。それで、努力が実って、それまでの最高点を取ることができました。
部活の監督に定期考査の得点を報告しなければなりません。そこで、報告に行くと、
「お前、よくがんばったな」と言われた後、
「でも、自分だけよければそれでいいのか」と続くわけです。
そこで、同じ部の部員で、成績のよくない友人のために「勉強会」をしなければならない状況になりました。
同じ学年の友人に勉強を教えようとしても、なかなかうまくいかないこともあります。勉強がきらいなので、長続きしません。それに、勉強が嫌いで苦手な友人にわかるように教えるのも大変なことでした。
勉強を教えていると、どうやって説明すればいいのか考えたり、予習をしなければならなくなったので、人に説明できるくらいまで勉強するようになり、自分の成績もかえってよくなりました。
でも、教えてみてわかるんです。成績がいい人は、少し勉強をすれば、その成績を維持することができ、周りからも評価される。でも、苦手な人は、かなりがんばらないと成績は上がらず、さぼれば、どんどん下がっていってしまう。そして、周りからは、いい評価は得られない。こんな構造になっているのです。
僕はたまたま努力すればいい成績を得られている。でも、それは、たまたま幼少の時に本をたくさん読み聞かせてもらっていたり、裕福ではないけれど生活に苦労しない家庭に生まれたからなのだ、と。
友人の家に行けば、農業の手伝いをしていたり、家がとても古かったりしていることも実感しました。
自分だけがよければいい、という考え方では、自分の保身のために差別をする側にまわってしまったり、傍観者的な態度をとったりしてしまうという危険がある。
そのことがわかっただけでも、この中学校に通えてよかったと思いました。
だから、差別的な発言をする教員は、一人もいなかったんです。それどころか、今説明をしたように、人権教育がとても進んだ学校だったわけです。僕は、三輪中学で学べたことを内心、誇りに思ってきました。
ところが、今回のいじめによる自殺をした中学二年生の親は、僕たちと同じ世代です。また、いじめをした生徒の親も僕と同世代の人たちなんです。
つまり、徹底的に人権教育を受け、人の心の痛みがわかっているはずなのに、その子どもたちが陰湿ないじめをしてしまう。
また、母校で、差別的な発言をしているウケを狙った先生がいるらしい。僕は、この先生が特別に悪い先生だとは思えないんです。多くの学校で「似たような先生は一人や二人はいる」ということを、僕の知っている中学生や高校生は言います。
今回の事件が起こってしまった要因については、いくつか僕も考えています。
1 先生自体が忙しすぎて、ゆとりがなくなってしまったこと。
僕が学生だったころの先生は、とんでもない先生もいたけれど、今よりも圧倒的に「ゆとり」がありました。生徒たちと談笑したり、おせっかいを焼いたりする時間があったんです。いわゆる「ちくり」も女生徒を中心に、よくやっていました。
「お前、ちくったな」と言われれば「ちくられることをしたのが悪いったい」と言い返し、
「きさま~」と悪態をつけば、先生にまた「ちくる」。そして、先生は叱る…。この繰り返しで「お前にはかなわんな。それにしても度胸があるな」と見直すようになっていく…。そして、実は「ちくっている生徒」は、友人のことを見捨てていないから、友人だと思っているから「ちくってくれた」のだと気づくのです。
また「ちくるだけ」ではなく、その前に、直接、その友人に声を出して注意をするという行為がまずあったのです。
このような長い、長い、一見すると「堂々めぐり」を延々と繰り返していくうちに、生徒たちは成長をしていました。ゆとりがあったから、先生たちは、つきあっていられたわけです。
今では、一日4~5時限の授業を持っている教員も少なくないと聞きます。
「先生、いつも忙しそうで、話しかけられる雰囲気じゃない」と僕の知り合いは言っていました。だから、そもそも、教員によほどの資質があっても、生徒の陰湿ないじめなどを発見することが相当難しくなっているという状況にあるのです。
2 教育行政や校長によるトップダウン方式が職員会議の実態となり、現場の教員による健全な議論が行われなくなってしまったこと。
などが、あげられると思います。
僕が周りの人たちと話し合っていると「とんでもない先生は、僕たちの世代にもいた」ということが話題になります。しかも「とんでもなさ」は当時の方がすごかったんです。
例えば、僕が小学生の頃、担任の先生に「生徒にムチにビニールテープを巻かせて、その後、そのムチで生徒を叩く先生」がいました。教員の機嫌が悪いと、ひとこと私語をしただけでも、ムチで叩かれていました。女王様みたいな格好をして座り、ちっとも授業をしてくれないので「授業をして下さい」と言うと「お前、生意気だな。こっちに来い」と言って、ムチにビニールテープを巻かせ、たたく。「前に倣い」の格好を20分以上させ続ける。やってみるとわかりますが、肩に激痛が走り、小学生なら、泣きます。それでも、ムチで叩いて「ほら、だれがやめていいといった!」と言って、同じ姿勢をとらされ続けるわけです。
または「私は、お前のことがすかん。帰れ!」と執拗に繰り返し、理由も特にないのに、ただ虫がすかない生徒だからといって、生徒を帰らせた先生もいました。この教員による「いじめ」は一月ほど続きました。生徒たちは、次第に怒りが増していって、先生に対して不満をぶちまけるわけですが、すると先生が、ムチでまたたたくという構造なのです。そしてしまいには「お前、いい友達をもってよかったな。オレはお前がすかんけれど、みんなが、この教室に、お前がいなきゃいかんというんだよ」と言うわけです。この女性の先生、確信犯的に、友人を見捨てない生徒を育てるためにやっているのかと半分思ってしまうくらいのセリフを堂々とおっしゃったのです。
もう、僕たちもその先生をあきれていたので、叩かれたときに「痛い!何で、悪くもないのに叩かれないかんとか」とへらず口を叩いては、また叩かれていました。みんなで、叩かれるようなことを言っては、席に着くと、また他の生徒が叩かれるようなへらず口を叩き、しまいには、先生の方が
「お前たち、私にずっと叩かせて、授業を進ませないようにしたいんやろ。そうはいかんぞ」と言われて、先生は授業を始め、僕たちは無言で、顔を見合わせながら(やった!作戦成功!)という顔をしたものです。
また、友人の小学校の時の担任の先生は、ちっとも授業をせずに、インドの話ばかりしていたので、そのクラスの生徒だけ勉強が苦手になったそうです。
しかし、このような「とんでもない先生」は、三輪中学にはひとりもいませんでした。
夜も補導をされる生徒がかなり多くて、とても忙しかっただろうと思います。でも、絶対に、生徒を見捨てないんです。ましてや、生徒たちに差別をするような発言をする先生は一人もいませんでした。
だから、今、気になるんです。
これほどの人権教育を受けて差別を憎むようになれていたのに、親になると、差別を許す子どもたちを育てていないのではないか。それに、同じ学校で、人権教育があまり行われなくなったのではないか。
僕には、戦争体験世代が、政界からいなくなっていくにつれて、戦争の悲惨さを知らない世代が、右傾化していくのとも、構造が似ている気がするんです。
長くなりました。読んで下さりありがとうございます。
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http://ch01411.kitaguni.tv/t304029
この記事へのコメント
今の先生たちは、時間がないというのに同感です。
いろんなことを詰め込みすぎているような気がします。
いろんなことを詰め込みすぎているような気がします。
Posted by manbow at 2006年10月19日 01:05
manbowさん、こんばんは。
今回の事件で、いじめについて、真剣に考えるきっかけになったのはよかったと思います。
でも、学校の生徒たちも、教員たちも、相当まいっているみたいです。
仲のよかった友人が、いじめをしないですむことができずに、いじめに加わり、友人を失ってしまう。見て見ぬふりをしてしまったことが、自殺へとつながってしまった。
真実を明らかにしていくことは大切なことだと思います。でも、特に生徒たちには十分に配慮をしながら、取り組みをしていかなければならないと思います。それを、邪魔しているような面も一部報道の中にはあったと思います。
報道の中には、かなりひどいのもあると思います。
評論家の中には、怒って感情的に、教員が悪いとか、校長が保身のために事実を隠そうとしているとか言っている人もいます。短時間で事実を究明しつくすことが可能なのか、また、いじめた生徒や学校の生徒たちに対してどう向き合っていくのかなども、考えながら、取材に応じていくのも大変なことだろうと思います。
自分にはまったく非がないという立場から、教員や校長を糾弾している一部のマスコミ関係者には、腹が立ちました。これでは、問題提起どころか、リンチに近い状態だとも思います。
そういう一部マスコミの態度と、ネット上で誹謗中傷を書きまくる一部の人たちは、合わせ鏡のように思えてなりません。
ある、有名な掲示板には、おびただしい数のコメントが書かれていますが、かなりの部分がとても醜悪に僕には思いました。
例えば、学校の担当教員たちの名前を実名であげたり、元担任の氏名、住所、電話番号な、メールアドレスなどを書いたりもしています。
また、いじめられた生徒がつけられた「あだ名」や、これは、本当かどうわかりませんが、いじめた生徒の氏名も列挙されています。
さらに、三輪中学のある部活動が発表会を行った時のプログラム表から、生徒の名前を列挙し「三輪中はとんでもない人の集まりだ」とか、同和地区が多いからひどい町になっている(←掲示板の表現はもっとひどいものです)とか書いているのです。
そんなことをする人たちは、自分はまったく傷つかず、責任も負わなくてすむ場所から、ひどいコメントを書くのです。こういう人たちが、実は、日本中のいたるところにいるわけです。人権感覚がない人たちが増え、いじめかリンチに近いことをやり始める。加害者にだって、人権はあるし、加害者のこれまで行ったことがすべて悪いわけではないはずです。
もちろん、僕も、完全無欠な人間ではありません。
すべての大人や子どもたちが、今回の事件を、人ごとではなく、自分のものとして考えてみることが必要なのだと思います。自分には疚しいところが全然無いというのではなく、もしかしたら、自分も人を傷つけてきたことがあったのではないか、と考え、では、これからどうしたらいいのか、真摯に考えていくことが必要だと思っています。
今回の事件で、いじめについて、真剣に考えるきっかけになったのはよかったと思います。
でも、学校の生徒たちも、教員たちも、相当まいっているみたいです。
仲のよかった友人が、いじめをしないですむことができずに、いじめに加わり、友人を失ってしまう。見て見ぬふりをしてしまったことが、自殺へとつながってしまった。
真実を明らかにしていくことは大切なことだと思います。でも、特に生徒たちには十分に配慮をしながら、取り組みをしていかなければならないと思います。それを、邪魔しているような面も一部報道の中にはあったと思います。
報道の中には、かなりひどいのもあると思います。
評論家の中には、怒って感情的に、教員が悪いとか、校長が保身のために事実を隠そうとしているとか言っている人もいます。短時間で事実を究明しつくすことが可能なのか、また、いじめた生徒や学校の生徒たちに対してどう向き合っていくのかなども、考えながら、取材に応じていくのも大変なことだろうと思います。
自分にはまったく非がないという立場から、教員や校長を糾弾している一部のマスコミ関係者には、腹が立ちました。これでは、問題提起どころか、リンチに近い状態だとも思います。
そういう一部マスコミの態度と、ネット上で誹謗中傷を書きまくる一部の人たちは、合わせ鏡のように思えてなりません。
ある、有名な掲示板には、おびただしい数のコメントが書かれていますが、かなりの部分がとても醜悪に僕には思いました。
例えば、学校の担当教員たちの名前を実名であげたり、元担任の氏名、住所、電話番号な、メールアドレスなどを書いたりもしています。
また、いじめられた生徒がつけられた「あだ名」や、これは、本当かどうわかりませんが、いじめた生徒の氏名も列挙されています。
さらに、三輪中学のある部活動が発表会を行った時のプログラム表から、生徒の名前を列挙し「三輪中はとんでもない人の集まりだ」とか、同和地区が多いからひどい町になっている(←掲示板の表現はもっとひどいものです)とか書いているのです。
そんなことをする人たちは、自分はまったく傷つかず、責任も負わなくてすむ場所から、ひどいコメントを書くのです。こういう人たちが、実は、日本中のいたるところにいるわけです。人権感覚がない人たちが増え、いじめかリンチに近いことをやり始める。加害者にだって、人権はあるし、加害者のこれまで行ったことがすべて悪いわけではないはずです。
もちろん、僕も、完全無欠な人間ではありません。
すべての大人や子どもたちが、今回の事件を、人ごとではなく、自分のものとして考えてみることが必要なのだと思います。自分には疚しいところが全然無いというのではなく、もしかしたら、自分も人を傷つけてきたことがあったのではないか、と考え、では、これからどうしたらいいのか、真摯に考えていくことが必要だと思っています。
Posted by Jun Rajini at 2006年10月19日 03:49