2008年05月29日
いじめと体罰としつけ
最近、ニュースをにぎわしているの項目に親や教師からの「体罰」がある。
私も親です。子供に『手を上げたことが無い』といったらうそになります。子供が人を傷つけるようなことをしたとき、社会的に許されないことをしたとき、そして何より命にかかわるような悪いことをしたときには、ほっぺたやお尻をたたきました。
私も親です。子供に『手を上げたことが無い』といったらうそになります。子供が人を傷つけるようなことをしたとき、社会的に許されないことをしたとき、そして何より命にかかわるような悪いことをしたときには、ほっぺたやお尻をたたきました。
私の長男と次男は、年子。子育ての相談をする人が近くに居なかった私は、育児ノイローゼ気味のときもありました。そのころの私といえば、関東から関西に引っ越してきて、言葉の違い、文化の違いに戸惑っていました。近くに気軽に出かけることができる公園も無く、買い物したくても一番近いところで片道約12,3分のデパートしかない状態でした。気軽に日々の生鮮食品を買いにいけるような状況ではないし、何しろデパートでも関西弁で販売をしている店員さんに違和感を感じてしまって、気分転換代わりの買い物も億劫でした。一歩外へ出てもびわこ湖からの風は冷たく私には侘しい景色に見えました。だからなのでしょうか、当時生活をしていた9階からほとんど外に出ることも無く、狭い部屋の中で男の子二人の相手していた私には楽しい生活どころかつらかったという気持ちのほうが大きくいらいらしていたのでしょうね。
というのも、ある日、次男が悪いことをしたときにちょっと、叱りました。叱った直後、別のことをしようと手を動かしたときに、次男が私の手の動きを見ておびえたんです。たぶん、たたかれる・・・そう思ったのでしょう。
そのときに、「しまった。最近、叱りすぎて手を上げすぎていたのかもしれない・・・」。心当たりが無いわけじゃなかったんです。大きな声を出して怒ればこちらはすっきりするけど、怒られた相手は溜まりません。叱ると怒るを取り違えていた私を子供はちゃんと見抜いていたんです。そして、叱るのではなく、怒る私を見ておびえたんでしょう。
これではいけない。そう反省をして、思わず次男を抱きしめてしまいました。(まあ、当時の私は27歳。若かったのねぇ)
家の中で親子だけの生活。鬱憤晴らしもしない、子供にも発散させて上げないという生活がお互いの気持ちに余裕を持たせなくなり、ぎすぎすした生活へと追いやっていたのかもしれません。やはり、外へ出て太陽の光を浴びたり風を感じたりすることは大切なのです。
子供は子供なりの理由で『なにか』をしでかします。その「なにか」を聞いてあげる余裕を、親として持ちたいものです。
そいうえば、私も小さいころ「なにかをしでかした」時に、その結果だけを見てよく母親に怒られたものです。私としてはなぜそのようなことをしたのかを、聞いてほしかった。今の私をご存知の方には信じられないかもしれませんが、私は小さいころ言いたいことが言えない子供だったんです。特に、周りの大人が感情をむき出しにしているときはその大人が親であっても怖かったんです。
「なんでこんなことしたの!」と怒鳴られたらもうだめです。何も言えない子供でした。誰かのために、何かのためにやろうとして方法を間違って・・・そんなことが言える子供ではなかった。だからこそ、子供の「なにか」を汲み取れる親になろうと今でもそう、思っています。
何でこんなことを話題にしたかというと、先日、ニュースで小学校の先生が「ぼくはうそつきです」と書いた張り紙を男の子に貼り付けていたといういじめのニュースを見たからです。
実は似たような経験、私にもあるんですよ。
私に貼り付けられたのは「私は忘れ物の女王です」という張り紙。今でも忘れません。恥ずかしいというより悲しい気持ちでした。言い訳になりますが、私にとっては忘れ物じゃなかったんです。持たせてもらえなかったんです。
小学校のころの私は祖母と二人きりの生活でした。その祖母は小学校も出ていません。明治生まれの祖母は農家の生まれ。農家に生まれて祖母自信が「字を読めることより家を手伝うことのほうが大切だ」と育てられ、小学校もあまり言っていなかったそうです。そして、私にも「学校へいってどうするの。どうせ嫁に行くだけだ」と、学校を休んで家事を手伝うように薦めるような祖母でした。そんな祖母ですから、学校からのお知らせを持って帰っても、読めないのです。
「工作で使います。小さな箱をいくつか持たせてください」とか「雑巾を2枚持たせてください」とか、書かれたプリントを読めない祖母は受け取るや否や、ゴミ箱へ捨ててしまうのです。当然、もって行くべき書類やもって行くべき何か・・・を持っていけるはずも無く、「忘れ物の女王」となってしまったのです。当時、小学校3年生のときでした。
張り紙をすることで、子供の嘘が無くなる。張り紙をすることで子供の忘れ物が無くなる・・・根本的な解決であればそれは体罰でもいじめでもないかもしれません。忘れ物は「恥ずかしい」という気持ちから無くなるかもしれません。気をつけるようになるかもしれません。それなら効果もあるでしょう。子供の「嘘」には理由があるはずなんです。その理由をちゃんとわかってあげないといじめになってしまう。それにその子が話をしていた内容は嘘じゃないかもしれません。想像力がたくましい子供はその想像力のままに話をします。すると・・・それは周りにとっては「うそ」なのかもしれませんが、それを無理やりやめさせてしまったらその子供さんの才能をつぶしているのかもしれないのです。
いじめ、体罰、虐待、しつけはちゃんと線引きができるはず。子供は親や教師のペットではありません。私もこのニュースを見ながらもう一度子供の叱り方に気をつけたいなって思いました。
というのも、ある日、次男が悪いことをしたときにちょっと、叱りました。叱った直後、別のことをしようと手を動かしたときに、次男が私の手の動きを見ておびえたんです。たぶん、たたかれる・・・そう思ったのでしょう。
そのときに、「しまった。最近、叱りすぎて手を上げすぎていたのかもしれない・・・」。心当たりが無いわけじゃなかったんです。大きな声を出して怒ればこちらはすっきりするけど、怒られた相手は溜まりません。叱ると怒るを取り違えていた私を子供はちゃんと見抜いていたんです。そして、叱るのではなく、怒る私を見ておびえたんでしょう。
これではいけない。そう反省をして、思わず次男を抱きしめてしまいました。(まあ、当時の私は27歳。若かったのねぇ)
家の中で親子だけの生活。鬱憤晴らしもしない、子供にも発散させて上げないという生活がお互いの気持ちに余裕を持たせなくなり、ぎすぎすした生活へと追いやっていたのかもしれません。やはり、外へ出て太陽の光を浴びたり風を感じたりすることは大切なのです。
子供は子供なりの理由で『なにか』をしでかします。その「なにか」を聞いてあげる余裕を、親として持ちたいものです。
そいうえば、私も小さいころ「なにかをしでかした」時に、その結果だけを見てよく母親に怒られたものです。私としてはなぜそのようなことをしたのかを、聞いてほしかった。今の私をご存知の方には信じられないかもしれませんが、私は小さいころ言いたいことが言えない子供だったんです。特に、周りの大人が感情をむき出しにしているときはその大人が親であっても怖かったんです。
「なんでこんなことしたの!」と怒鳴られたらもうだめです。何も言えない子供でした。誰かのために、何かのためにやろうとして方法を間違って・・・そんなことが言える子供ではなかった。だからこそ、子供の「なにか」を汲み取れる親になろうと今でもそう、思っています。
何でこんなことを話題にしたかというと、先日、ニュースで小学校の先生が「ぼくはうそつきです」と書いた張り紙を男の子に貼り付けていたといういじめのニュースを見たからです。
実は似たような経験、私にもあるんですよ。
私に貼り付けられたのは「私は忘れ物の女王です」という張り紙。今でも忘れません。恥ずかしいというより悲しい気持ちでした。言い訳になりますが、私にとっては忘れ物じゃなかったんです。持たせてもらえなかったんです。
小学校のころの私は祖母と二人きりの生活でした。その祖母は小学校も出ていません。明治生まれの祖母は農家の生まれ。農家に生まれて祖母自信が「字を読めることより家を手伝うことのほうが大切だ」と育てられ、小学校もあまり言っていなかったそうです。そして、私にも「学校へいってどうするの。どうせ嫁に行くだけだ」と、学校を休んで家事を手伝うように薦めるような祖母でした。そんな祖母ですから、学校からのお知らせを持って帰っても、読めないのです。
「工作で使います。小さな箱をいくつか持たせてください」とか「雑巾を2枚持たせてください」とか、書かれたプリントを読めない祖母は受け取るや否や、ゴミ箱へ捨ててしまうのです。当然、もって行くべき書類やもって行くべき何か・・・を持っていけるはずも無く、「忘れ物の女王」となってしまったのです。当時、小学校3年生のときでした。
張り紙をすることで、子供の嘘が無くなる。張り紙をすることで子供の忘れ物が無くなる・・・根本的な解決であればそれは体罰でもいじめでもないかもしれません。忘れ物は「恥ずかしい」という気持ちから無くなるかもしれません。気をつけるようになるかもしれません。それなら効果もあるでしょう。子供の「嘘」には理由があるはずなんです。その理由をちゃんとわかってあげないといじめになってしまう。それにその子が話をしていた内容は嘘じゃないかもしれません。想像力がたくましい子供はその想像力のままに話をします。すると・・・それは周りにとっては「うそ」なのかもしれませんが、それを無理やりやめさせてしまったらその子供さんの才能をつぶしているのかもしれないのです。
いじめ、体罰、虐待、しつけはちゃんと線引きができるはず。子供は親や教師のペットではありません。私もこのニュースを見ながらもう一度子供の叱り方に気をつけたいなって思いました。
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この記事へのコメント
『怒る』と『しかる』は違うのですよね‥
張り紙‥教師がするなんて信じられませんが 事実、あるんですね‥
なんだか 悲しいです
子ども達と日々 生活していると とてもよくわかります。
子ども達の心の中の声が‥
怒る前に‥ 叱る前に‥
子どもの声に耳を傾けてあげることをしてあげてほしいなぁーって思います。
張り紙‥教師がするなんて信じられませんが 事実、あるんですね‥
なんだか 悲しいです
子ども達と日々 生活していると とてもよくわかります。
子ども達の心の中の声が‥
怒る前に‥ 叱る前に‥
子どもの声に耳を傾けてあげることをしてあげてほしいなぁーって思います。
Posted by たんぽぽ at 2008年05月30日 00:35
こんにちは。
「怒る」って感情的に相手を威嚇していることもあるんですよね。あくまでも自分本位なのが「怒る」なんです。
「叱る」とは明らかに違うんですよね。
私も反省・・・
「怒る」って感情的に相手を威嚇していることもあるんですよね。あくまでも自分本位なのが「怒る」なんです。
「叱る」とは明らかに違うんですよね。
私も反省・・・
Posted by キャッツ at 2008年05月30日 10:29