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あああ2007年1月13日 TrackBackTechnology ReviewのGoing with Plan BMinerva BiotechnologiesのファウンダーでCEOのCynthia Bamdadはただいま51歳。36歳のときに、学歴無し、5児の母(さすがアメリカ人、子沢山)、アーティストだった彼女は突然離婚を余儀なくされ、養育費も慰謝料も何も無く放り出される。そこで「Plan B」ということで突如地元の大学に行き、そこからハーバードの大学院に進んでバイオのPh.Dを取り、学校での研究の中で生まれた発明をベンチャーにライセンス。そのベンチャー(と彼女の技術)はやがてMotorolaに買収される。そして現在、エンジェル投資家から350万ドル、政府の研究助成金を320万ドル集めて起業中。 ちなみに、離婚したとき、唯一手元に残ったのはフェラーリだったそうで、これを元手にその後の学費を捻出したそうだが、5人の子供&アーティスト&フェラーリという3つは全くしっくり来ない取り合わせ。一体全体それまでどんな生活をしていたのだろうか。 なお、Technology Reviewの記者に「いつかまたフェラーリに乗りたいですか」と聞かれたCEO氏は答えていわく “Oh no, I’ve moved on from those days. And anyway, I drive a Porsche.” 人間、大胆に生きるというのはこういうことでしょうか。 [コメントする] 精神分析2007年1月15日 TrackBack精神分析はそもそも病理学だから、人間の負の側面にしか目が向いていない。それを元に発展した哲学や心理学の知見がネガティブなのはそこに由来するのだと思う。プラグマティズムが明朗なのはそれが正の側面に依拠しているからだろう。双方にはそれなりの長所があり、そしてお決まりのように短所がある。克服というのは精神衛生上よくない。けれでも精神分析的分析は負の側面に注目するので、おのずとそちらに目がむいてしまう。 [コメントする] ことば2007年1月18日 TrackBack君はことばをもっているだろうか自分のことを語ることばをもっているだろうか 君がいま一番必要としているのは 君しか語ることのできない真摯なことばではないだろうか 君はすべての制約から自由になったとき 一体なにをしようとするだろうか すべてが想いのままになるとき それでもやろうとすることはあるか それともそれを拒否してしまうだろうか 人生は孤独なのだと思う そう思う一方で大勢の人に助けられて生きているのだとも思う ただ街ですれ違うだけの人も ただそこにいてくれたというだけで もしかしたら君の孤独はすこし軽くなってはいやしないか 孤独 駅にはホームレスが集まる 人通りの多いところで彼らは眠りにつく もちろん暖かいからでもあろうだろう でも本当は独りで眠りにつくのは あまりに寂しいことだからではないか 半ば壊れかけた精神と 生きていた意地とのぎりぎりの接点が コンコースですれちがう ぼくたちと彼との距離なのだ ぼくたちは彼らを見ないふりをする 彼らはそれを気にも留めないふりをする でもだれかに無視されるそのことすら もう誰も話す相手のいなくなってしまった彼らには よりどころのひとつになりうるのだ [コメントする] 積極的受動性元気がないときは組織リカバリーidenity & personality2007年1月23日 TrackBackcommunityが複数あればそこで求められる最適化された人格は それぞれによって異なるのは当たり前になる。 学生時代というのは時間が十分にあるし 社会的影響力も小さいから 複数のコミュニティにそれぞれのpersonalityで 参画することができる。 ただ社会に参画し仕事をメインにこなすようになると そこではひとつの役割を必然的に担うわけで それをidentityと呼ぶのだろう。 それは社会において流通性を高めるための手段であって 絶対的な価値観ではない 「社会において流通性を高めたければ アイデンティティを獲得せよ」 というだけの話であり 学生やそういう価値観に参画しない人間にとっては 意味をなすものではないし 幸福を約束するものではない 自分の問題にひきつけていえば これまでの人生の中で様々な経験をつんできたわけで 十分に引き出しはある あとは自分がどう生きていきたいか それを投射した人格を一瞬一秒練り上げていくのだ 人の役にたちたい 明るい人でありたい 周囲に元気をあたえたい やり遂げたい ほめられたい いくつもの願望がある いくつもの好きなことがある 願望と好きなこと その集まりがアイデンティティを形成させる核となる アイデンティティとは厳密にいえば パーソナリティとは異なるものだ アイデンティティというのは 変えようがないコアというような意味も含まれる 変幻するパーソナリティの中核をなすもの、ないし いや アイデンティティは自分と周囲の両方が一致するべきだけど 経験が積み上げた身体は実際には可動範囲はあるにせよ ある集合に収束したパーソナリティを要求する 仕事や習慣、感情的なイベントは パーソナリティやアイデンティティを変革する力をもつ というよりも単純にそうしたほうが容易だという話 [コメントする] すぎやまあいうー |