to*the*rhysm

being happy! (じぶんしだい)(R 男性) [プロフィール]



ぐろーばる

2006年11月18日 TrackBack

日本のいくつかの業種が
国内にとどまりすぎだと思う。
もっと外にでていけばいい
いまある日本の型を抽象化した型を
アレンジングしていく
そこは特異じゃん

だからその枠組みをつくれるようにすればいい。

リテールやるなら最高のリテールを目指すとかさ
ユニクロもZARAとか目指している場合じゃない

富士通ソニーもおなじだなー

一個抽象化すればいいのよ [コメントする]

いやー

2006年11月20日 TrackBack

今日はATKの面接のあと、GSの人に話を聞いた。

正直なところ、スケールの違いに圧倒された。
自分は精一杯生きてるつもりでも
まだまだできることはいっぱいあったんだ、と思う。
やりたいことやって、やってみて
それから考えればいいんですね。

「三つくらいやりたいことやれば、自分がほんとになにしたいのかわかるよ」

そうかもしれない。

「好きだから眠くならない」

そのとおりだ。

やれることはやる。
好きだからやる。

おれはどうなんだ?

人を動かしたい。
いや違う。
みんなが幸せになれるようにしたい。
なにかがちがってなぜかうまくいかない。
そういう組織を変えたい!

なぜ?
尊敬が集められるから?
ちがうな、
それもあるけど
非効率な状況に怒りを覚えるから、だな。

10年後どうなっていたい?その先は?
組織を率いるようなステップにいれば、と思う。
それがなんであってもかまわない。
あまりお金に興味があるわけではない。
戦略投資は商売だと思う。
商売をしたくない、というのは甘いのだろうか。

建築にいまだ未練があるのか、、
でも人だけでいうならGSか安藤だもんなー
ただそこでそこにはいけない理由が確かにあるはず
すくなくとも直感的にはMCなのだろうと感じている。

人に伝えることを生業とするからだろうか

MCは知ってることを論理化する
BCは知らないことを指摘することがある
プロフェッショナルと切れ味

自分はどっちなんだろうか

空間的にはMCだけどね笑

GSは良い会社だと思う。
目的意識がはっきりしていて
それに対して組織がしっかり作られている。
「社内環境は最高」
「個人のあり方を認めてくれる」
という社員の言葉はそれを示している。
シンプルなテーマと、シンプルな回答。
それこそが強みであり、そして哲学だ。

コンサルタントってなんだろうか?
部署によって異なる。
MCは優等生的で、そしてちょっと地に足がつかない。
三人とそれから駒場の時の印象がそうさせるのか。

頭の回転をブーストさせる必要がある。
わかりやすい言葉に翻訳する必要もある。
自分はそれができないのだ
だから質問もできないのだろう。
だるいとか言うなって
もう社会人になるのだから


「うちは最終的にはトレーダーなんだよ」

これは新鮮な切り口だった。
結局なにやってるかがはっきりした。
商売の基本。
トレード。
交換。
時差。
情報。
それを支えるスキル。

資産の流動性による売買。
なにが流動性を高めることができるのか

あーわかった
うつの原因
言いたいこといってないからだ!
言い方は気をつけるべきだけど
言いたいことは言おう!! [コメントする]

見えないもの

2006年11月22日 TrackBack

たった1回の選択が後々に大きな影響を与える。
異なる道には異なる目的地がある。
最初の違いは岐路をどちらにするかだけであったのに
気がついてみるとずいぶん離れたところにたっている。

ガースナーは孤独に気がついた。
でもそれはないものねだりなのではないか。
人生は常に孤独なのではないか。

だからこそ時折交わされる交歓こそが
最大の喜びになりうる。 [コメントする]

苛立ち

2006年11月22日 TrackBack

うまくいかないことだらけだろう。
疑問だらけだろう。
自分のやっていることの正しさについて。
意義について。
様々な疑問を持つだろう。

誠意をもつべきである。
心の底から思えるまで
考え抜くべきである。
感情をもつべきである。
楽しむべきである。
誇りに思うのだ。

心の底から思えば必ず応答がある。 [コメントする]

地域と税

2006年11月22日 TrackBack

企業における本社機能と納税義務、地域社会との関係について。

広い意味で納税は地域社会に対する貢献といっていい。
多国籍企業内部での金銭の移動が本質的に自由であるなら
最終的な本社機能は税金の極めて安い国へ、
いや本社機能だけじゃない、すべてのマネーオペをそこに移管してしまえばいいじゃないか。。

理論的には不可能ではない。
物理的に無理かもしれないけどさ。

あと合弁会社設立による課税免除手続きとか、どうですか? [コメントする]

性欲と欲求

2006年11月22日 TrackBack

まあ単純な話に帰結するわけです。
性的な抑圧状態にあるわけです。
いかに性を外界と結節させるかというわけです。
幸い欲望は強いわけです。
多少歪んでますが基本的におっけーです。
でもまだそんな自分を否定してます。
もうすこし認めると楽になります。
楽になった上で求道すると。
だるいのもちょっとヤリ過ぎかもねむ。 [コメントする]

決定

2006年11月23日 TrackBack

そうだ。
大学一年の夏に決めたのは
うちに閉じこもるのではなくて
広く社会と関わる方向だったんだ。
脳や哲学や論理に閉じこもることなく
それを使って社会と関係していくことを選んだ。

そのひとつの選択肢が建築だった。 [コメントする]

誠実

2006年11月25日 TrackBack

なぜ誠実であらんとするのか?
リーダーでありたいから。

なぜリーダーでありたいのか?
みなに愛されたいから。

最後に残るのが仲間と愛だ。
もちろん物理的なかたちでは永くは続かないかもしれない。
でもそれは心の中で滅びることなく、残る。

いや、私は常にそうありたい。
だから努力するし、信頼してもらう。

意見に対する反対表明は
その人個人を傷つけるものではない。
よりよいゴールへ。
だからそのときの言葉に非難がみじんも含まれてはいけない。
ゴールに対する熱意だけが、信頼への返礼になる。 [コメントする]

その男

2006年11月26日 TrackBack

その男が生まれたのは戦争が始まってすぐの都会だった。
日に日に暮らしが傾いていく生活のなかで
幼いころの彼が感じとったのは生きてくためのしたたかさである。
家の暮らしは豊かではなかった。
しかし彼にとってはその状況が当然であったから
天真爛漫に日々をすごしていった。

彼がおぼろげながらに自分の置かれている状況を自覚するのは
13歳になるころである。
それまで自分の知らなかった世界が突然目の前に姿を現し、
そして自分がいったいどこにいるのか思い知ることになる。

その後の彼はそこから這い上がることを考え続けた。
と同時に彼は自分がもつ建築に対する愛情をも知った。
後にこの愛情はさらに強まり、
彼は周囲に対して愛をもって接するようになる。
しかしそうなるのはずいぶんあとの話で
若い頃の彼は自分と極めて身近なものにのみ、
愛着を感じそのためだけに生きた。

その転機が訪れるのは突然のことではなく
徐々に徐々に彼の中に芽生えたものだった。
ひとつひとつの出来事が彼の中に溜まっていく。
そこに加えられる思考の痕跡が重なるにつれて
彼は自分の歩みがどこに向かっているのかすこしずつ理解し始める。

それは同時に彼の尊敬する先達が歩んできた道だった。
もはや彼の直感が支えるのは彼自身の意志というよりは
もっと大きなシステムの一部である。
そしてそれは自信よりももっと確かな一体感を与えてくれる。

彼がいまでも走り続けるのはそのためである。
しかしなぜ彼が選ばれたのか?
いやだれにでも選ばれる機会はある。
彼はそのために徹底した思考を重ね実行した。
そしていまの彼がある。 [コメントする]

建築の近代化と伝統

2006年11月27日 TrackBack

まずこの主題を語る上で重要な近代化という問題機制について考えてみたい。
近代化はイギリスの産業革命と同時に始まったとする向きがある。
たしかにその後、世界は大きく揺れ動くが
それでは産業革命即近代化だろうか?

まず産業革命と聞いて思い出されるのは機械の存在だろう。
たしかに機械なくして産業革命は成り立ちえない。
ところがすこし考えてみると確かに機械は必要条件だけれども十分条件ではない。
なぜならローマの昔から機械というだけなら
すでに使われて久しいのである。
もちろんそれは鉄の塊という代物ではなく木製だったが。

大きくインパクトをもたらしたのは、だから機械ではない。
蒸気機関である。
それまで労働力は人であった。
もっというとエネルギーを労働というかたちにするには
人という機関を使う以外に方法はなかった。
それを根底から覆したのが蒸気機関であり機械だったのである。
それまで土地の生産性が制約条件になっていた労働力が
ここで大量に手に入るようになったのである。
ローマが蒸気機関を発明しなかったのはなぜか?
すでに似たようなシステムは存在していたし、
力学も水力学も臨界点に達していた。
にも関わらず彼らはそれを生産に応用することは思いつかなかった。
必要は発明の母である。
彼らには奴隷という労働力がほぼ無限にあったのだ。
蒸気機関よりもはるかに扱いやすく精巧な労働力が豊富にあったのである。
ということは産業革命の本質はこの機械労働力を需要するにいたった社会にこそあるのではないか?
そこに潜む本質的なコンセプトは大量生産である。

産業革命前のイギリスと明治維新前の日本はほとんど同じ状況にいたといっていいだろう。
マニファクチュアリングではあったが工業は存在し、
鎖国はしていたものの日本にも広域の商業的流通も存在した。
この両者をしてわずか100年のうちに大きな差をつけさせたのが大量生産という思想だったのである。
大量生産の概念は世界の構図を大きく変えた。
人類史上初めて恒常的に供給が需要を超えたのだ。
その膨大な生産物のはけ口を求めた世界的な市場囲い込み競争が帝国主義といってもいい。
そしてこの大量生産の概念が始めて建築に到達したのは鉄というかたちをとってだった。

鉄の大量生産というコンセプトがいかにその後の世界に影響を与えかを考えるには鉄道のことを思い浮かべるのが手っ取り早い。
建築においても構造補強として鉄は使われてきたが、
鉄そのものが建築の主題として提出されたのがルイス・パクストンによる水晶宮であり、ギュスターブ・エッフェルによるエッフェル塔である。
ところがこの建築群はその生産のコンセプトは大量生産だったもののまとったデザインはノスタルジックなものだった。
そしてその逆にミースやコルビジェの建築は
その生産のコンセプトはファンズワース邸が職人技術の集大成であり、サヴォワ邸が煉瓦積みだったものの
デザインは幾何学に基づく大量生産のデザインだった。

建築に最初に到達した近代化の波は鉄だった。
ところがこの鉄という素材には建築の部材としては
致命的な欠点が存在する。耐火性能である。
大量生産というコンセプトにも関わらず
鉄の建築が少ないのはその性能による。
そして真に大量生産されたのは鉄筋コンクリートであり
その登場によって建築の近代化が完成したのである。

ところが建築では構法と設計が分かちがたく結びついている。
日本においても伝統的な木造建築に施される加工は
長い年月の改良の中で偶然が固定していった側面が強い。
近代建築にとって伝統とは構法の刷新とともに失われた、
その地に特化した設計を回復するための方法なのだと思う。 [コメントする]
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