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恋love or sex2006年6月20日 TrackBackうむ。sex and the cityで繰り広げられているのはまさにセックスだ。 恋すらもセックスのスパイスに過ぎない。 緊張と波乱と背徳。 でも恋とセックスはべつだなー セックスが実に遠い。 いやしたいんだけどね。 相手がセックスしたいならセックスしよう。 セックスのための恋なら演じよう。 でも恋をもとめる相手には誠実にしよう。 [コメントする] デリダとドゥルーズ2006年6月21日 TrackBack僭越ながら。デリダのやったことは、 言葉もつ力に対しての過剰な信頼があった時代には もちろん意味があったと思う。 彼の言うとおり言葉は単に容器に過ぎないし、 その容器相互の関係性はメタファーにすぎないから いくらでも対象を記述できてしまう。 そのようにして「構築」された世界は 複数性の中に埋没しているのだ、 ということを彼は生涯言い続けているのだ。 ドゥルーズもまた言葉を信じていなかった。 彼が信じたのは生命や現象そのものだったが それを言語によって記述できる可能性は信じていた。 ところが生々流転の最中、運動の極限においては 思考よりも反射がすべてを決定する。 となれば究極の一瞬において言語は不可能性を露呈してしまう。 時間とは不連続だが、一瞬の堆積であり、 その不可能性を自覚した晩年に彼は自殺したのではないか。 彼らの抱いていた言葉の不可能性は確かに存在する。 しかしだからといって思考しないわけにはいかない。 いままでは野球だった。 裏があり、表があり、順番がある。 そしていま行われている試合はサッカーなのだ。 そこでは思考と身体はもはや不可分で しかしただ技術だけが創造性だけがものを言う。 (日本がゴール前の決定力に欠けるのは 相手の常識を覆す創造性に欠けるからじゃないか) そしてそこにはやはり絶対的に強者がいるし 世界をこれまでとは違ったやりかたで捉えようとしている人々がいる。 自分を含め日本の社会学的視点はマルクス主義を抜け切れていない。 マルクス主義は意味論で、意味論は意味論でしかない。 「人間は合理的である」(では合理的とはなにか?) 「ネットワークはノードとリンクから構成される」 「人間関係はネットワークである」 ネットワークにはそれ自体で法則があり、 人間関係はそのひとつのケースにある。 このような捨象の仕方はひとつの方法なのだと思う。 シュミレーショニズム? モデライズされてはじめてバグがわかる。 そのシステムはメタファーではない。 関係は定義されている。 [コメントする] which is,,,2006年6月22日 TrackBackどちらかを選ばなきゃいけないんだろうけど。それは誠意の問題なのだろうか? 自分は自分の生きたいように生きたい。 現実としてふたりのことを好きなのだからしょうがない。 そうしょうがない。 彼らにはそれがわかるだろうか。 [コメントする] 黒澤清2006年6月22日 TrackBack一見本作を見ると全く物語が成立して内容に見える。なぜなら起承転結もない淡々とした主人公を取りまく生活がロングショットを多用した画面に押し込められているからだ。しかし実際21世紀を迎えた我々の生活を振り返ってみた場合、劇的に生活は変化しているだろうか?現在の我々の生活に内包しているのは実際には閉塞感やどうしようもない不安感ではないか?映画の中で海に流れ着く骸骨は遠くの国で今も続いている戦争を表しているようにも受取ることが出来る。 劇的な変化やアカルイミライなんて存在しない。 これこそが黒沢清が提示した未来の物語であり、他に類を見ないSFなのである。 よくいった。 なんとなく「未来」には既視感があって 毎日の生活の中の変化の方が 唐突で突発的で致命傷なところがあるよね。 [コメントする] マスカルポーネ2006年6月24日 TrackBack昨日は表参道soho’sでマスカルポーネクリームのミルフィーユ添えを頂いた。たしかにこのケーキには「コク」があるとわかる。 おそらく旨味がメインに塩と甘みが加わり最後に脂肪分があると 「コク」がでるのではないか。 それはともかく。 通常は甘さをメインにケーキ類はデザインされるわけだが このマスカルポーネクリームは旨味を強く感じるクリームだった。 しらべてみるとティラミスのクリームは このマスカルポーネクリームと、クリームチーズを 合わせたもののようで、単に甘さだけを求める嗜好から 多少の変化が80年代にあったことが伺える。 クリームは甘みが適度に押さえら得ているうえ 粘土が高いので濃厚な旨味が口の中に残るようになっている。 それをフレッシュで酸味の強いグレープフルーツやベリー類で 口直ししながら、ときおりミルフィーユの固形物をいただく。 すると普通なら飽きがくるしつこいほどの濃厚さが気にならない。 物語があるという点で非常に優れたケーキだったと思う。 また盛り付けもボリュームのあるクリームの山にするのではなく 小分けにすることで華やかさが演出されていた。 もしこれを更にブラッシュアップするなら、 固形分にナッツ類を加えて香りと食感を変えたり、 小分けにした山それぞれに色の違うソースをかけると これもまた非常に美しいものになる。 一昔前のフランス料理ならそうしたのか。 NYではソースよりもフレッシュ・フルーツのほうがいいのかも。 食感も酸味も生の果物のほうがよい。 ただ味のことを考えるとほんのすこしソースがあってもいいのでは。 またリキュール類を1,2滴まぜたクリームにすることも考えられる。 というわけで非常に応用のきく、 創造的なケーキだったように思う。 [コメントする] 能力構築競争2006年6月25日 TrackBack藤本隆宏 著「製品とは設計情報を素材に転写したもの」 という切り口で日本の自動車産業を分析する。 自動車は主な素材が鉄に限定され、 動力源から車輪に力を伝えるという基本技術は変化せず 設計情報の技術革新は漸次的なものにとどまったため、 素材をいかに構成するかという転写の部分に 競争力の根幹があり、 そしてそこで要求される地道な能力構築は 日本の風土とあっていたために 日本の自動車産業は強かったという。 90年代後半の欧米自動車メーカーの対日キャッチアップは 日本の競争力を減退させたというが データではむしろ日本の生産性はさらに優位になっており 原因は戦略機能とブランド性の弱さだったという。 一部の論調でそこへのシフトが叫ばれるが 深層的な競争力抜きに優位に立つことはやはり難しい。 今後も自動車産業は能力構築が重要視される分野であると考えられる。 その中で地道な努力を積み重ねつつも 本社戦略やブランドを重視することが 今後の自動車産業の未来である。 この研究の問題点は 「日本の自動車産業がなぜ強かったか?」を主題とした点にある。 本来ならばここでなされるべき問いは 「日本の自動車産業がさらなる躍進をとげるには?」である。 それをインテグラル、モジュールなどのフレームから 分析した方が面白かったように思う。 (でもそれはまさに経営者の仕事なのか。) [コメントする] どうやら2006年6月25日 TrackBack考えをまとめるという作業が非常に苦手のようだ。頭の中のデータをどのように処理したらよいのかわからない。 ひとつ大事な概念が階層化だろう。 いくつか思い浮かぶキーワードや文章を 一度階層化して捉えるとわかりやすくなるやらん。 [コメントする] 遊びテクネー |