to*the*rhysm

being happy! (じぶんしだい)(R 男性) [プロフィール]



いやー

2006年6月14日 TrackBack

今日の夕飯はうまかった!!

新鮮な野菜と鶏肉がももだったことが理由ですな。

加熱したトマトはうまい。
あれは人を幸福にします、ぜったい。

トマトをたべて陽気になろうキャンペーン開始だなー [コメントする]

いやいやー

2006年6月15日 TrackBack

今日の飯もうまかった!

たった15分の簡単クッキングなのに!

しかも今日はとりのむね肉だったのに!

下味つけると肉のグレードがひとつあがりますな。
今日は醤油、カシスリキュール、黒酢、ウィスキーでつけました。

そうだ、部屋用のまな板買ったんすよ。
それで一口サイズに鶏肉を切って
(断面積増やせば味がしみやすいから)
おいといたんだ。

それをごま油で長ねぎの中身とまいたけと炒めて
きゅうりの千切りとみずなをご飯の上にのせて
最後にしらがねぎをちらしてポン酢。

うまくないわけがない。

そして昨日からの必殺技、カフェライムリーフを仕込む。
生野菜から時々ふっとさわやかな香りがするのがたまらなくいい。 [コメントする]

美味の構造

2006年6月15日 TrackBack

わざわざ農学部図書館まで出向いて読書。

専門の神経生理学者による味覚の解明書。調理書が口に入るまでの料理をあつかい、この本は口にはいってからどうやって脳がおいしさを感じるかを、主に神経系の反応として説明している。

まだ味覚の研究はそんなにすすんでないらしく、最近ではよく知られる旨味の相乗効果の原因は特定されていないことを知る。たしかにある二種類の物質が存在するだけで神経回路の反応が10倍から100倍になるというのはなかなか珍しい現象なのだろう。また脂肪酸に反応する神経があることも初耳だったが総じてすでに得ている知見が多かった。

甘みやうま味は化学反応だから温度による受容体の反応度の差があるのに対して、塩味や酸味はイオン反応なので温度の影響をうけにくいらしい。冷めた味噌汁はしょっぱい。

やはり昨日以来考えていたとおり味覚は印象に関してはそんなに大きな関係をもたないように思う。所詮数値化されてしまうパラメータ。もちろん同じ甘みでも果糖とショ糖では反応が違うみたいだし、かなりの細かい刺激があるとは思うが、それはあくまでどの神経をどのように興奮させるか、とったことなのだろう。その点臭いは反応パターンはほぼ無限。

またライムとレモンはその味覚成分は同じであることからも、人間の感じるおいしさに香が貢献している割合は相当なことがわかる。 [コメントする]

真剣

2006年6月16日 TrackBack

これは一種の確信で、心の底から思う決意なのだと思う。

遊ぶなら真剣に遊ばなくてはいけない。

そして人生は真剣なものでなければいけない。

つまり人生は真剣に遊ぶ場なのだ。

いかに遊ぶか。

てゆうか面白がれよ、何でも。 [コメントする]

やべー

2006年6月17日 TrackBack

もうすんごい自己嫌悪。
理由がわからない。
ともかく自分が嫌で嫌で仕方がない。

睡眠時間が減ると途端にこうなる。
どうするんだ、俺。
こんなんで社会にでてやっていけるんですか。
社会不適応という言葉が頭をよぎる。

誰かになにか聞いて欲しい。
でも何を聞いてもらったいいんだかも
いったい誰に聞いてもらったらいいんだかわからない。

もっと気楽に生きてみたい。
じゃあ生きればいいじゃん。

気楽にってどうやって?
自分の欲求に従うことだよ。

いまなにがしたいんだよ?

誰かと話がしたい。
そういう時に話を聞いてくれないやつなんて
どうしようもないぜ。

そんな風に思うなかも
下心とか人を出し抜こうとか
そんなことしか考えてない。

でももうすこしお前には友達がいるだろ。
A木でもA山でもいいし
多分S一郎だって、話を聞いてくれる。

なにから逃げたいんだ?
落ち着けよ。

たぶんだれかに甘えたいだけなんだよ。 [コメントする]

imagination

2006年6月17日 TrackBack

現実を現実としてしかみない生き方は窮屈だ。

「オオカミごっこをして、決して目の前にいないオオカミを想像し、こわがり恐れ、嘘と知りながら泣き出した子ども時代の、
なんとゆたかだったことでしょう」(安野光雅)  

物理や科学の眼の前では
すべての現象は一意的にしか記述されないし
staticで時間があってないような世界でしかない。

そこではt=0における運動とt=100における運動は等価で
F=mαという法則に従う無機的な存在でしかない。

「お前は質量mだ」
「法則は知られた」
そして
「過去も未来もそして現在さえも、もう決定されている」

執拗に事物をつらぬく法則にこだわるのは
自分がそこに存在する質量mであると思い込んでおり
努力と呼ばれるのは唯一自分で発生させられる力なのだ。

つまりそこでは人間の存在というのは
この世を構成するひとつの粒子にすぎなくて
自分すらもその主体性を奪われている、
周囲の粒子と等価で瑣末な存在にしかない。

たぶんそういう気持ちが心の奥底にあるから
俺のこころは動かない。

想像の実在を認めることにする。

行動に意味を込めること。 [コメントする]

パース

2006年6月18日 TrackBack

建築家のメンタリティにとって
パースを書くことによって得られる思考というのは
大事なのかもしれない。

自分の思考が
いつのまにか
普遍的で客観的なものとして
考えられてしまう精神性が
建築家にはあるような気がする。

だからアクソメとかはちょっと違う。 [コメントする]

友人

2006年6月18日 TrackBack

ときどき思い出したように声をかけてくる。
彼のなかで彼がどういう存在なのかあまり深く考えたことはなかったけど
昨日連絡をもらって、
そうか意外と彼は気安い人間関係がないのかもしれないと思った。

彼にとって人間関係は並列で等価なものだ。
個々の個性というよりももっと俯瞰的な視線でしか見れない。
それは彼の築いた方法論にもとづくものだから仕方ないのだが。

それでも現実世界には不均衡があるわけで
その不均衡の表出として昨日の連絡があったわけだ。

それは意外なことだった。 [コメントする]

今日の出来事

2006年6月19日 TrackBack

部屋にはいってもそこには居場所はない。
そりゃそうだ、彼らはもうそこに人間関係をきづいているし
その中でのフォーマットによって役割を演じていく。
だから突発的な参加者に対してそこに参加する権限は限りなくとぼしいのはまったくもって当たり前だ。

そんななか寝不足もあってしゃべらないでいると
ふとした拍子でたちあがったその中では一番好みのこが
となりに座るといいだす。

横顔がきれいだ。

彼女はたぶんこの集団の中にいるほどには
元気がよくなく、あまりしゃべる相手がいなかったのだろう。
後からやってきてなんとなく疎外気味な俺ををみつけて
こいつならしゃべれると思ったにちがいない。

そうやって彼女とは隣り合わせでW杯をみるあいだ
他愛のない会話をすることになった。

中身も展望もない会話。

でもたんに好かれている、好いているという関係だけで
続く会話は最近なかった楽しいものだった。

彼女はたしかにこちらの本質をみているわけではないし
同様にこちらは彼女の本質なんか見ようとしていない。

それは今日四六時中メールしていた内容とは
ほとんど真逆といっていい態度なわけで
俺はそれで嘘をついたことになるのだろうか。

かつてなら自己に一貫性をもとめてしまう性癖のため、
いやむしろ自分のなかのふれ幅の存在を認めなかったために
消していた部分なのかもしれない。
でもいまはそれも全部ひっくるめて自分なのかと思う。

あの時あの瞬間はすくなくとも心からそう思っていたわけで
だからあのメールの言葉に嘘はない。

そしてその言葉に嘘がなかったのとおなじくらい、
夜にはじめてであった女の子との時間には嘘がない。
気持ちに先立って理屈があるんじゃない。
理屈はあとからついてくるんだよ。

たぶん自分のなかでは決定的な不文律のひとつが
この経験によって変わろうとしている。

つまり自己の矛盾した存在を認められるようになったのだ。

人工的に枝打ちされて純粋な形態ではなく
太陽の照らす方向に広がる緑のようにアイデンティティーがある。

あの時ああいった言葉に嘘はない。
嘘はついてはいけない。

それぞれがかけがえのない存在だし
彼女がいなければ得ることのできなかった
密度の時間がそこにはあったのだ。
それは紛れもない事実。 [コメントする]

仕事

2006年6月19日 TrackBack

なぜ自分はこれほどまでに建築に執着するのだろう。
これと決めて勝てなかったからだろうか?
周りを一回だまらせた上で飛び出すのがかっこいい。
そう思いながらそれをなしえなかったからか。

自分は仕事に、人生に何をもとめようとしているのだろうか?
だぶん何をやってもそれなりの生きがいはそこに見出すことができる。

でもそれでは選択したことにならない。

自分の中での正統性を得るために
かつての自分の世迷いごとを思い出しては
これこそが、と思い込もうとするのか。

人生の充実はどこにあるのか。
今までをおもいだすとその対象はなんでもよかったように思う。
これまでもその場その場の目標にむかってやってきた。

そうなると人生のなかの目標、ぶれない一筋が必要になってくる。
自分の場合それはいったいなんだろうか。

もちろん戦争や災害でそれが損なわれることもあるだろう。

豊かに生きていたい。
人に囲まれ、人に愛される。
ああ、やっぱりそこいたるのか。

自分は人生にそれほど多くのことは望んでいないような気がする。
でもその代わりに得ようとしているものは
なかなか難物なのかもしれない。

毎日毎日。 [コメントする]
272625242322212019181716151413121110987654321 ページ目|