to*the*rhysm

being happy! (じぶんしだい)(R 男性) [プロフィール]



6月8日の日記

2006年6月8日 TrackBack

今朝は七時半に目が覚める。模型をつくり倒れこむようにして明け方ベッドにもつれこんだ。その割には体が楽に動くし寝覚めもすっきりしている。まだ大学にいくには早いことに気づき改めてパソコンや照明のスイッチをきり、目覚ましをセットして眠りにつく。

しかし気づいておきてみるとなんだか汗ばんでいる。ケータイの時計はすでに11時を回っていた。完全な遅刻だ。これから出向いても間に合わないので気持ちを切り替えて模型に専念することにする。しかし出席は確保しようと思いAにメールする。が、返信がない。まあうまくやってくれるだろうと思い直しなんと三度寝に入る。ケータイがなっているのに気づき目が覚める。12時を30分ほどすぎていた。母親からの電話で珍しいこともあるものだと思い出てみると、いましがたオレオレ詐欺の亜種の電話が実家のほうにあったとのこと。心配になりこちらに電話してきたという。こちらの安全を確認すると安心したのかすこし世間話をして電話を切る。なにがあっても公安が動くわけないわよね、というあたり冷静である。どうやら彼らは強制わいせつを犯した泣きじゃくる学生を演じていたようである。いやよく考えればそうではない。強制猥褻をしたおっさんを演じていたはずなのだ。たまたま父親が在宅の日で勘違いしたのだろう。そう考えるとそれなりに動揺していたことになるな。そのまま昨日のよるKと約束したようにAに予定を尋ね土曜午後をあけてもらう。よく考えれば彼にそのようなメリットを提供したところでなんら見返りがないことに気づいたが後の祭りだった。せいぜい彼我の比較によって向こうがよい印象をもつか否かといった程度の出来事になってしまうだろう。次回からはもうすこし慎重に人選は検討した方がよい。さて模型をつくるにもなかなかアイデアが思いうかばない。これは前述した信念と行為の関係が固定化しているせいだと思う。いかにこの状態から脱却するか。ひとつにはこうして日記をえんえんと書くことにあるはずである。しかしそれはもう少しあとになって「自己のテクノロジー」を読むにいたって発見される事柄なので、この時点では例によってネットサーフィンをすることになる。ひとしきりやっただろうか、とりあえず土台をつくることを思いつく。さらっとこなすとなかなかできがよい。こうなってくると徹夜でつくった模型の丁寧にやったつもりの荒さが気になってくるが、仕方のない。次回はきっちり図面を描いたうえで臨むことにしよう。そしてしばらくネットゲームをやる。どうも体調が優れないだけあって芳しくない。やりながらこのゲームと建築に対する思い入れはさほど違いがないような気もしてくる。勝手に設定した目標に対して苦しむさまはなんとも滑稽であり、縮図であったと思う。そしてそれにも飽き、腹が減ったのでコンビニに買い物に行く。ヨーグルトと弁当を買い、レジにいくと店員はアラブ人の高校生だった。名前は忘れた。彼はあまり日本の社会になじめていない。いや学校社会というべきか。異国の地でドロップアウトしてこの昼間からコンビニバイトをしているとなると本国ではいったいどういう人生を送ることになるのか。しかし目の前の彼はいたって楽しそうである。めがねにサンダルというこちらのいでたちはすくなくとも相手の尊敬を勝ち取るようなものではないことだけは確かだと思う。外にでるとやはり小粒の雨がときおりほほに触れる。そろそろ入梅してもおかしくない時分だが。。家につき食事をしているとまた母親かれ電話がある。警察が家にきているという。動揺しているのだろう。オレオレ詐欺は基本的に電話営業型なので相手のことなんて考えているわけではないし、警察にしろ家に来たところでまったくなんの成果もでないわけでまったく税金の無駄なのだが、電話口ではそこまで思い至らず意識的にはっきりした口調で受け答えをする。相手にこちらの携帯電話の番号を教えてしまったというが、いったいどんなシチュエーションだか気になる。気になるが聞けない。
まあいったいどんな手段を講じても電話番号で損害が発生することは考えられない。もしそんなことが可能ならすでにケータイのキャリアは多かれ少なかれ金をもつことになる。というわけでそんなシステムが完成しているはずもなく、別段気にしない。 [コメントする]

6月10日の日記

2006年6月10日 TrackBack

広くない部屋にみなが集まるとすこしせまい。Iが体調が悪いようだったので寝かせておくために、という理由でTが海にいこうといいだし、結局全員で海に向かうことになる。赤ワインとバトンミントンをもって。

午前三時にのるエレベータの中はみんなの眠そうで、そして少しなにかを期待していた。台場駅へむかうブロムナードを歩きながらTが悪くない、という。みんななんとなくそんな気持ちだった。広い空と時折聞こえる車の音。雲に隠れながらも明るい月がほのかにあたりを照らす。おがくずの敷き詰められた茶色い散歩道はこの間まで咲いていた、名前を知らない黄色い花が根こそぎ剥ぎ取られて、茶色い土を夜露にさらす。とりとめなもない会話。もうなにを話したかは思い出せないけど、それはたぶん幸福なやりとりだった。

海へとつながらるペデストリアンデッキには人気があった。若い男が自転車にふたりのりしながら追い越していく。ちいさな自由の女神の横の階段をおりるともうそこには海がひろがっていた。凪いだ、風のないやさしい水面。Iがもっているバドミントンが背中をおす。距離のある、距離があるゆえのコミニケーション。Tは寒いのか自販機で買った暖かい紅茶を飲んでいる。

場違いな女神の大きさは何メートルだろうか。周りにいる若者を尻目にいろいろ話すが、当たり前のように結論はでない。ひょっとしたらいつもの議論も結論なんて目的じゃないのかもしれない。ただそこにあるのは言語の交歓でもうそれ以外はさして意味がないのだろう。そうやってばかげた話をしながら浜辺に向かって歩く。

道にわきにはベンチがあって恋人が楽しそうに、小さい声でなにかをささやきあっている。声は、聞き取れない。ただ、そこは彼らだけが持ちうるやわらかい空気の振動だけがあった。今の自分には望むべくもないそのやり取りにやりきれなかったのか、幼稚な悪意が彼らへの揶揄の言葉を吐かせる。

浜辺はおもったよりも暗かった。ラケットから飛んでくるシャトルはこちらにいたる途中の一瞬で紡錘体の認識を拒み、ゲームを成立させない。軽い沈黙と、時々起こる笑い。いくばくもたたないうちに東の空が白みはじめる。夏至なのだ。黒から紫、紫から青へ。徐々に今日という日の幕があがり、我々はバトミントンを再会する。

もしここに集まる何人かの仲間に共通の事柄があるとすれば、それはもしかしたら子供っぽい好奇心と情熱なのだろう。100円ショップで買ったラケットはすでにYと僕の手によって卓球のラケットのような形へと姿をかえていたのだが、ことさら熱心にシャトルを打ちあう。

そこにはひとつのコミニケーションの原型がある。続ける義務も試合もあるわけではない。ふたりの間にだけ存在する暗黙のルールによって事態は進行し、切磋琢磨がある。丁寧さ、力強さ、余裕、力をぬくこと、一生懸命さ、スマートさ。それぞれの身体の動きはそのままそれぞれの生き方と等しい。翻るに自分は?一方的なのだ。

息切れがする。思ったよりも体がなまっていたのか、みんなの顔に疲れと、そして当たり前のように眠気がでてきた。太陽はもう顔をだした。あたりは明るく、そして空気は澄んでいた。バトミントンに飽き、放り出したラケットはそのままに波打ち際で海を眺める。遠浅の海は東京湾の水とは思えないほどには透明で、なによりもちいさなさかなの大群とクラゲの群れと、脱皮したえびの抜けがらがあった。

クラゲはすぐに死んでしまう。さっきまで生きていたクラゲが波に打ち上げられて五分もしないうちに動きを失い、ただ波に漂うだけになる。僕たちにその本質的な違いはわからない。徹夜明けの目にまぶしく差し込む太陽の光と、きらきら光る砂粒の中でしばらく波の音を聞いていた。耳をすませば聞こえてくる、水と水がぶつかりあうと音。かすかで透明だった。 [コメントする]

6月10日の日記

2006年6月11日 TrackBack

飯田橋の駅を降りると目的地とは反対側の出口だった。もう待ち合わせの時刻だ。ほどなくして相手から電話があり、カフェに先に行ってるという。そんなささいな相手の行動がひどく動揺させる。来る途中何度も関係のない駅でおりてしまうくらい、今日は意識がぼんやりしてる。疲れと寝不足と、それから緊張と。

連れ立ってくるはずの友達はまだ来ない。交差点で所在無くたっていると、手の置き場をどこにしてよいのかわからなくなる。もちろんポケットに手をつっこんでいれば形にはなる。みんなはどうしてるのだろうとあたりを見回すと、やはりみんなポケットかそうでなれば腕組みをしている。みんながやっているとなるとますますやりたくないから、軽く手を握り締めながらまつことにした。土曜の午後の神楽坂にはたぶんこの街が好きな人しか集まらない。だからおだやかな空気が漂っている。

しばらくすると電話がありやがて友達が到着する。すでに気を使いすぎて心が疲れていた。カフェにいって注文とするが、もういたたたまれない、と思っているところに電話が鳴る。いま注文してるところだからちょっとまってね、といって切ると友達はお前ぜんぜんテンションたかいじゃん、と呆れていた。が、それはエンジンの回転数を無理やり上げたまでのこと。

堀沿いのカフェの奥まった席にふたりはいた。タンクトップを着たKが目を射る。不覚にも第一撃でもっていかれてしまった。彼女の友達の方もそれなりにかわいい。緊張しているのがわかる。 [コメントする]

6月10日午前の日記

2006年6月11日 TrackBack

知り合いによばれていった小さな講演会で彼は僕になんだかわけのわからない学生を紹介してくれた。いったいこのためにここまできたのかと思うと気分が滅入る。たぶん人としての存在感は彼よりも僕のほうがあるのだろうなと思う。それは気の持ち方によるのかもしれないが、僕は本人の意思とは関係なく、そして慎重というファクターを考えなくとも、人が意識せざるを得ないのだ。ただ僕自身も多人数に対して話をするときにはもうすこし会話調に話すようにしようという反省は、彼の話し方をみて思った。

彼は仕事の話をえさにしたのだろうか?そこまでわかった方がいいけど、素直さも必要かもしれないとも思う。 [コメントする]

足元をみよ

2006年6月11日 TrackBack

行動をみよ。

その人物が、ある出来事がなんであるかをみるためには

行動という点を追跡するしかない。

何をいっているか

どう思っているかではなく

どう行動するか、それが現実的影響力をもつための

最初の一歩なのだ。 [コメントする]

はあ

2006年6月11日 TrackBack

だめだめっすよ。
今日一日なにやってたんだか。
ぼーーっとしてたよ。
そういう日も必要なんでしょうか。
だれかオイラにぱわーをわけてくれ。 [コメントする]

隠し味

2006年6月13日 TrackBack

しばらく料理から遠ざかっていたけど
最近また作ろうという気が起きてきた。

スパイスはたしかに加えれば加えるほどおいしくなる傾向にあるが、
もっとも効率的なのは隠し味として使うことにある。

微量の隠し味としてのスパイスが料理の味は変えないのに
印象を大きく変えてしまうことがある。

それを実感したのが春キャベツとしらがねぎのパスタをつくった時になる。
もちろんメインの食感と味はキャベツにある。
キャベツの歯応えと色合いを調節するために
軽くゆがいておきパスタをフライパンに入れる直前に
強火でさっと炒めたのだが
そのときにほんの微量のローズマリーをいれた。

すると味や香に変化はないにもかかわらず
ぐっとさわやかな余韻のあるキャベツに仕上がった。

印象をコントロールする。

しょうゆを微量いれただけで和風になるようなもんだ。 [コメントする]

印象

2006年6月13日 TrackBack

と考えると味や香という顕在化するファクターとは別に
閾値以下の刺激は印象を形成すると考えられる。

舌ではどのくらいの物質を見分けられるのだろう。
塩、辛、甘、酸、苦、旨。
それぞれにある幅をもった物質があてはまるが
単純な量でしか受容されないのであれば
あとは時間と組み合わせの順列になる。

しかし料理がそういう印象を与えないのは
主に嗅覚によるからではないか? [コメントする]

味覚について

2006年6月13日 TrackBack

味覚の生理学
味覚は、嗅覚と同様に、主に化学受容体に物質が結合することで検出される。舌に多く存在する味蕾は味覚受容体細胞と支持細胞から形成されており、化学受容体は味覚受容体細胞の先端(味蕾の味孔と呼ばれる開口部から突出している部分)に分布する。

味覚受容体細胞の分布は動物種によって異なり、ヒトの場合は主に舌で、軟口蓋(口の奥の上面)、喉頭蓋、および食道上部内面、すなわち口と喉に広く分布する。例えばナマズは体表全域に味覚受容体細胞が分布している。ヒトの舌では味蕾は舌乳頭上に存在し、舌乳頭には茸状乳頭(舌の前部に多い)、葉状乳頭(舌の両側部に多い、成人では退化)、有郭乳頭(舌扁桃前方の舌の奥に分布)などの形状分類がある。組織・構造については舌の項に詳しい。

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味覚の受容体
味覚受容体細胞は複数の化学物質刺激に対して膜電位が活性化され、その強度は化学物質によって異なる。1つの味覚受容体細胞に対して複数の神経がシナプス接合している。受容体細胞側では膜電位が伝達されると、Ca2+チャネルの働きにより、セロトニン(5-HT)がシナプス間隙に放出され、神経に刺激が伝達される。

味覚の刺激量と感覚の強度との関係は、他の感覚と同様で、刺激量のべき乗に比例して感覚の強度が大きくなる。一方、味覚の種類によって最小感度(閾値)と強度応答は異なる。一般に苦味が最も感度が高く、塩味、酸味、甘味と続く。また、苦味と塩味は応答範囲が広いが、酸味、甘味は狭く、特にショ糖による甘味は高濃度で応答が飽和する。また同種の味を持つ物質であってもキニーネとカフェイン、ショ糖とサッカリンとでは閾値は異なる。

あるいは濃度により味が変わる場合もあり、サッカリンは低濃度では甘味を感じるが、(閾値が低く、低濃度から感じて良い筈の)苦味は高濃度で初めて感じる。味覚の間の交差も良く知られた現象で、塩味は甘味を増強する。一方、味覚を変化させる物質も知られており、ギムネマ酸とミラクリンを挙げる。

キムネマ酸はインドで自生するギムネマ・シルベスタの葉に含まれており、これを食べた後ではショ糖の甘味を感じなくなる。これは、甘味受容体に対するショ糖の結合をキムネマ酸が競合阻害していると考えられている。

ミラクリンはアフリカで自生するミラクル・フルーツ(リカデッラ・ドゥルフィカ)の実に含まれており、これを食べると酸味は消失し甘味として感じられるようになる。これはミラクリンが酸味受容体を抑制すると同時に甘味受容体の特異性を変化させる為と考えられている。

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味覚の神経系
味覚神経は一次感覚ニューロンが直接中枢神経に伝達する(嗅覚神経は、二次感覚ニューロンも介す)。具体的には舌の前2/3に分布する茸状乳頭の味覚受容体細胞は顔面神経(鼓索神経)を介し、舌の後ろ1/3に分布する葉状乳頭・有郭乳頭上は舌咽神経を介して、喉頭あるいは食道は迷走神経を介して延髄に連絡する。また舌触りなど化学受容体を介さない味覚刺激は三叉神経も介する。

一次感覚ニューロンは延髄の弧束核を経て、視床の後内側腹側核(VPN核)を経由して広義の大脳皮質味覚野に伝達される(具体的にはVPN核からは、大脳皮質43・11・3野への連絡が知られている。なお、11野はにおいの識別センターでもある)。

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味覚の種類
従来、基本的な味として挙げられたものには甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味、刺激味、無味、脂身味、アルカリ味、金属味、電気の味などがある。

1901年、ヘーニッヒ (D. P. Hänig) はアリストテレスの示した4つの味の舌の上での感覚領域(taste map)を示した。しかし今日ではこの説は否定されている。

1916年、ドイツの心理学者ヘニング(Hans Henning)は、この4つの味とその複合で全ての味覚を説明する4基本味説を提唱した。ヘニングの説によると、甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味を正四面体に配し(味の四面体)、それぞれの複合味はその基本味の配合比率に応じて四面体の稜上あるいは面上に位置づけることができると考えた。

一方、日本では1908年に池田菊苗がうま味物質グルタミン酸モノナトリウム塩を発見した。このうま味は4基本味では説明できないため、日本ではこれを基本味とする認識が定まった。しかし西洋では長らく4基本味説が支持され続け、うま味が認められたのは最近のことである。現在は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが基本味として認められている。

なお、英語でのうま味の表記は、以前は delicious taste と表現されていたが、現在では umami が通用する。なお、グルタミン酸あるいはグルタミン酸ジナトリウム塩は違う味と認識される。うま味の項に詳しい。

現在では5基本味については化学受容体を介して膜電位の活性化を引き起こしていると考えられており、生理学的にはこの5つが味覚であるといえる。

一方、辛味物質、アルコール、炭酸飲料などの化学的刺激、温度(熱さ・暖かさ・冷たさ)、舌触り(つぶつぶ感、柔らかさ、硬さ、滑らかさ)などの物理的刺激は化学受容体を介することなく直接神経を刺激して、基本味同様、大脳皮質味覚野に伝達される。ただし味覚刺激の全てについて神経に伝達されるまでの機構が解明されたわけではない。

知覚心理学的には、味覚は単独では存在しえず、大なり小なり嗅覚あるいは視覚や記憶など影響を受ける。たとえばレモンの酸味とライムの酸味は、酸味成分的には同一であり基本味的には違いが無く、嗅覚、視覚あるいは記憶によって両者の違いが強調されて認識される。この様な知覚心理学的な意味での味のことを風味(flavor)と呼ぶことがある。 [コメントする]

嗅覚について

2006年6月13日 TrackBack

機構
嗅覚の機構については嗅覚受容体の正体が明らかになる以前から4つの説が提唱されていた。

振動説:分子から放出された電磁波あるいは分子の機械的振動で受容体を活性化する。
化学説:分子が受容体と化学反応することで受容体を活性化する。
酵素説:分子が補酵素として働き受容体酵素を活性化する。
立体説:分子が受容体のポケットにきれいにはまると受容体を活性化する。
1980年代以降、分子生物学的な手法の導入により嗅覚受容体の正体が明らかとなっていった。2004年のノーベル生理学・医学賞はリチャード・アクセル(Richard Axel)とリンダ・バック(Linda Buck)の嗅覚受容体の研究に対して与えられた。

空気中の化学物質は鼻腔の天蓋、鼻中隔と上鼻甲介の間にある粘膜(嗅上皮)の嗅細胞によって感知される。この嗅細胞の細胞膜上には嗅覚受容体であるGタンパク共役受容体(GPCR)が存在し、これに分子が結合して感知される。受容体を活性化する分子が結合すると、嗅細胞のイオンチャンネルが開き、脱分極して電気信号が発生する。この電気信号は嗅神経を伝わり、まず一次中枢である嗅球へと伝わる。さらにここから前梨状皮質、扁桃体、視床下部、大脳皮質嗅覚野(眼窩前頭皮質)などに伝わりいろいろな情報処理をされて臭いとして認識される。

ヒトでは約350種類、マウスでは約1000種類の嗅覚受容体が発見されている。それぞれの嗅細胞にはただ一種類のGタンパク共役受容体が発現している。そして同じ種類の受容体を持つ嗅細胞からの嗅神経は嗅球内の同一の糸球体へと投射されている。嗅細胞の寿命は約20〜30日で次々に補充されていることから、嗅細胞を適切な糸球体と結合させる何らかの機構があると考えられている。

それぞれの嗅覚受容体は特定の一種類の物質のみが結合するわけではなく、いくつかの類似した分子が結合できる。また、ある一種類の物質は数種〜数十種の受容体と結合できる。それゆえ、臭いの種類の認識は活性化された受容体の種類のパターンを脳が識別し、記憶と照合することでなされているものと考えられている。

水生生物では同様に水中の化学物質を認識する機構が存在する。 [コメントする]
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