大池中の校長室に集まったPTAおやじバンドのメンバー=大阪市生野区
大阪市立中学校のPTAの役員選出をめぐってもめた日本人と在日コリアンのおやじたちが、ひょんなことからフォークバンドを組んだ。国籍や仕事は違っても、青春の思い出ソングは同じ。結成から2年半、地元でのステージは40回を超えた。
生野区の大池中の校長室に月2回、平日の午後7時、仕事を終えた40〜50代の男10人がギターや三線(さんしん)を抱えて集まる。「大池中学校PTAおやじバンド」の面々だ。
60〜70年代のフォークソングや朝鮮半島にちなむ曲を1時間練習する。そのあと、近くのお好み焼き屋で「反省会」。こちらは3時間だ。
生野区は住民のおよそ5人に1人が在日韓国・朝鮮人。大池中でも生徒の4割を占め、朝鮮半島にルーツがある生徒は8割近くになる。
バンド結成のきっかけは4年前。04年度のPTA会長の候補者がおらず、在日2世のマンション経営、高用哲(コウ・ヨンチョル)さん(50)が見かねて立候補した。ところが、一部の日本人保護者が「前例がない。代々会長は日本人が務めてきた」と反発。役員選出は2学期までもつれ込んだ。
教師らのとりなしもあって、前年度の会長だった電気設備会社員、坂本明さん(57)が続投、高さんが副会長に就いて落ち着いた。この件を機に、PTA役員と教師らは時折、お好み焼き屋でビールジョッキを片手に意見を交わすようになった。
「日本人と同じように日本で生まれ育ったのに、なぜ差別されるのか」「税金を払ってるのに選挙権がないのはおかしい」。日ごろの疑問や不満を口にした在日の男たちはやがて、家族のことや青春時代の思い出などにも触れるようになった。「高校のラグビー部で国体の府予選を勝ち上がったのに、監督に『ベスト16からは日本人以外は出られない』と言われ悔しかった」
高さんも「自らに誇りを持ちたくて42歳のとき役所で通名を抹消して本名を名乗り始めた」と告白した。
一方、日本人の男たちも「若いとき商売で在日の人にだまされて以来、敬遠してた」などと打ち明けた。
ある日、酔った勢いで、朝鮮半島の分断をテーマにした「イムジン河」を大合唱した。「これをバンドで歌おう」。誰ともなく言いだした。
チャンゴ(朝鮮の太鼓)を学ぶ高さん、歌に自信のある坂本さん、若いころ通信教育でクラシックギターを学んだ鉄工所役員、趙政和(チョ・ジョンファ)さん(47)、ロックバンド経験のあるサンダル製造会社経営、康典浩(カン・ジョンホ)さん(51)らが手を挙げ、レコードを自主制作したことがある大堀肇校長(54)ら教師3人も加わった。
05年10月に活動を始めてからこれまでに四十数回、近くの小中学校や高校、お年寄りの集まりで「イムジン河」「岬めぐり」「戦争を知らない子供たち」「アリラン」などを演奏してきた。
06年度。前年度のPTA役員が副会長だった趙さんを会長に推薦すると、特に異論はでず、趙さんは韓国・朝鮮人として初の会長になった。
メンバーは「歌詞を覚えてないやろ」「リズムが合わん」とけんかするほどなじんできた。趙さんは「バンドは、地域には色々な人間がいるけど仲よくしたら結構楽しいでということを、生徒や大人たちに知ってもらうきっかけになっている」と話す。(小河雅臣)