以下は東條由布子様に送ったメールの一部です。
日本文化放送チャンネル桜の水島総さんとの対談で東條由布子様の話が出たのを思い出しました。それを以下に紹介します。放映ビデオ録画を文字に起こして下さる奇特なお方のお陰です。
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水島 なるほどねえ。私は戦後、昭和24年生まれなので、戦後の教育をもろに受けてきましたから、先生の今お話になったことが非常によく分かるんですけれども、たとえば東條英機という開戦の時の首相ですね、総理大臣・陸軍大臣になったんですけれども、この人などは何が悪いのか分からないけど、とにかく悪党だというイメージを我々はそのまま教えられてきた気がしますね。何が悪いのか全然分からないまま、とにかく東條閣下は悪い人だと。
栗原 そう教わってきたんですね。
水島 そういう感じがありますよね。日の丸も特攻もある意味、イメージとして植えつけられてきたなあと。
栗原 逆に東條さんのことを理解するようなことを話すと、却って
水島 右翼、反動と。
栗原 昔『プライド』という映画があって、私は見ていないんですけれども、ああいう映画をもっと評価してもいいのかもしれませんね。
水島 そうですね。このあいだ、うちの別の番組で東條閣下のお孫さんの東條由布子さんに出ていただいて、大変立派なお話を。やはり戦後は大変苦労なさったと、東條の一家なんかに米も服も売れないと、大変に困ったというお話を淡々とおっしゃっていましたけれども。
栗原 「報道2001」と「サンデープロジェクト」に出ていましたね。60年経ってやっと出れるようになった。私はあの方の書いた本『東條家の母子草』を3、4年前に買って、読んで、だいたい話は知っていたので驚くことはなかったんですが、あれを私が不思議に思ったのは、「報道2001」も「サンデープロジェクト」もそうですが、なぜもっと早く、5年10年前からああいったことを報道しなかったのか。そうすれば靖国問題なども反発も柔らいだはずなのに。そこを報道してこなかったんですね。やはり避けたんじゃないですかね、メディアのほうが。メディアのほうもマインドコントロールを受けていると。そういうことだと思いますね。
水島 そうでしょうね。そう感じますね。この番組に出た時、ちょうど東條さんがおっしゃっていたのは、「私は『靖国のことで中曽根さんと会ったことがない』と言っているんですけれども、中曽根さんは『東條さんに会って、分祀してもいいと。みんなに迷惑をかけた。国民の人がそれで喜ぶなら、そうしてもいいと言った』というふうなことを、いろいろなところでおっしゃっているけれども、私は一度も中曽根さんにお会いしたことがない」という話をした。こういうことは大変面白いんですけれども、これはメディアでは取り上げられないですね。
栗原 そうですね。
水島 そういうこともありますから、やっと60年、先生のこの本を含めて、だんだんとある種の封印が解かれてきたんじゃないかと思いますね。
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詳しくは、私のホームページ
http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/index.html
の中の「メディアでの紹介シリーズ」の中の
「洗脳されたもの同士が話し合っても解決はしない」
http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/sakura-8-14.html
をご覧下さい。
すると東條由布子様から次のような返事が届いた。
Date: Thu, 26 Jan 2006
From: Tojo Yuko
To: ○○○○ 愛媛大学 水島さんと対談
お忙しい中をメール有難うございました。水島さんとの対談を嬉しく読ませて頂きました。有難うございました。友人に宛てました手紙の一部を書かせていただきます。どちらに転送されても結構です。お読みくだされば幸いです。
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戦後60年が経つ今なお続く中国の靖国神社への執拗な内政干渉に些かうんざりしておりますが、嬉しいお知らせもございます。一つはインドの独立運動の志士であるスバス・チャンドラボース記念館から、インドの独立に多大な貢献をした東條英機に感謝状を下さることになり、3月18日からインドのカルカッタに行って参ります.。泉下の祖父がどれほど喜んでくれるか知れません。
もう一つは徳間書店から素晴らしい本が出版されます。ラビ・マービン・トケーヤー著・加瀬英明訳「ユダヤ製国家日本」です。その第一章が“A級戦犯といわれる東條英機はユダヤ人の第一級の恩人である。”になっています。昭和13年3月、ソ満国境のオトポール駅に数万人のユダヤ人難民が日本に救いを求めて殺到してきました。当時、関東軍の傘下にあったハルピンの特務機関長だった樋口季一郎少将と安江大佐は、関東軍参謀長の東條に許可を貰い、オトポール駅に緊急に救援列車を何本も送って、彼らを安全圏に逃したのです。
当時、日本はドイツと防共協定を締結していましたから、当然ドイツから、また日本の外務省から猛烈な抗議が来たのです。それに対して東條は「当然なる人道上の配慮によって行われたものである。日本はドイツの属国ではない!」と一蹴したのです。今の日本も此のくらい毅然とした態度を表明して欲しいと思います。それから2年後の1940年7月から9月にかけてリトアニアの駐在領事代理だった杉原千畝さんが「生命のビザ」を6,000枚発行しています。
この本の中で、著者は、「東條や、樋口、安江、杉原によって救われて満州国に入国したユダヤ難民のうち4608人、が日本に入ってきた。上陸した港、敦賀の銭湯・朝日屋は無料で彼等を招待して入浴させた。苦難の旅をしてきたユダヤ難民たちが、かれらにとって全く異郷の地であった日本の人々の親切心によって、どれほど慰められたことだったろうか、このような善意こそ国際瀬が高いというべきだ」「杉原は日本においても、ユダヤ人を救った人道主義者として賛美されている。それならば、どうして東條や、樋口や、安江を同じように称えることが出来ないのだろうか?私は東條や、樋口や、安江も同じように扱われるべきだと思う。」「もし東條の名がゴールデンブックに刻まれていたら、国際的イメージが大きく変わっていたに違いない、そして世界中のユダヤ人から助命嘆願書が、マッカーサー元帥のもとに寄せられたことだろう、。そして連合国をひどく困惑させたに違いない」と結んでいます。
歴史の偽造や歪曲や隠蔽は人間の運命を大きく変えてしまうということを、この本によって改めて知らされました。昨年、麗澤大学の中山先生によって「完訳・ラスト・エンペラー」が祥伝社から出版されましたが、もし、岩波書店版では無い「完訳・ラスト・エンペラー」が、東京裁判に提出されていたら、判決は完全に覆ったことだろうと言われていますが、同じような深い感動を覚えた本でした。1月25日に徳間書店から1月25日出版去れましたので、是非読んで頂きたい本です。日本より先に外国の方が歴史の真実に目を覚ましています。
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