ジャーナリズムの原点 シリーズ @
「情報源の明示」を考える ― コーエン事件と鬼頭事件から
前 澤 猛
初出 『日本ジャーナリズムの検証』(三省堂,、1993,1997年)。補正2003年
ジャーナリストの職業倫理のうち、「取材源」の扱いはイロハといえる。
しかし、わが国のジャーナリストが絶対視してきたように、取材源はその「秘匿」が鉄則なのだろうか。欧米では必ずしもそうではない。取材源はむしろ「公開」が原則で、「秘匿」は例外とされつつある。この問題で、日本のメディアにはいま、発想の転換が求められている。
わが国では、これまで「取材源の秘匿」が強調されてきたため、記者たちは意図的に、あるいは安易に取材源(情報源)を隠す傾向があった。そして、記事の中で引用されている談話の発言者はだれか、紹介されている資料の出典はどこか、そうした「情報の出所」の分からない記事が氾濫してきた。
それが、どれほど報道機関の信頼を失わせているか、当の記者や編集者は、あまり気づいていない。そこで、アメリカの「コーエン事件」とわが国の「鬼頭事件」をもとに、情報源の「秘匿」と「明示」の問題を考えてみょう。
コーエン事件は、一九八二年、アメリカ・ミネソタ州の知事選のさい、マスコミを利用した選挙戦術に関連した事件であり、一方、鬼頭事件は、一九七六年、ロッキード事件のさなか、情報操作によつて捜査を妨害しようとした政治的謀略だった。ともに新聞が、あえて情報源を公開したよく似た事件である。
コーエン事件については、米スター・トリビューン紙(同州ミネアポリス市)の社内オンブズマン、ルイス・ゲルフアンド氏から提供された記事や、私自身が現地へネピン郡地裁で入手した資料を基にし、また鬼頭事件については私自身の経験を踏まえている。
コーエン事件―取材源秘匿の契約
ミネソタ'州知事選の投票日直前、共和党候補の運動員だったPRの専門家、ダン・コーエン氏が、地元の四人の記者に、「民主党の副知事候補(女性)は、十二年前、シアーズ店で六ドル(七百円)相当の万引きをして有罪になっている」という情報を提供したのが発端。
この時コーエン氏は、情報源が自分であることを秘匿するという条件をつけ、記者たちはこれに同意した。AP通信とテレビ局はその約束を守ったが、スター・トリビューン紙とパイオニア・プレス・デイスパッチ紙(同州セント・ポール市)は、記事にコーエン氏の名前を載せた。編集幹部が「悪質な選挙戦術であり、情報源そのものが読者にとつての重要なニュースとなる」と判断したためで、むしろ紙面では、コーエン氏を激しく批判した。
選挙では共和党が負け、コーエン氏も広告会社の重役の職を失った。そこで、同氏は「新聞が情報源秘匿の約束を破ったのは『詐欺的不実表示』と『契約違反』だ」として、両紙を相手どつた損害賠償請求の訴えを起こした。
両紙の情報源公開は、「記者と情報提供者の間の信頼関係」より「新聞に対する読者の信頼」を優先させたからだ。しかし、ヘネピン郡地裁(州裁)の陪審は、一九八八年七月、原告の訴えを認め、両紙に二十万ドルの損害賠償と五十万ドルの懲罰賠償(計約八千万円)を支払うよサ評決した。
評決が出たあと、卜リピューン紙のマクガイアー編集局長は「情報提供者の公表という非常手段をとったのは、読者に対する新聞の責任を全うするためだった。われわれの主張は変わらない」といい、ディスパッチ'紙のフィネガン副発行人は「新聞は情報提供者をだまそうとしたのではない。正確で公平な記事を正直に載せようとしただけだ。陪審は、その点に目を向けるべきだつた」と述べている(トリピューン紙)。
裁判は上訴して争われ、州控訴審では懲罰賠償が否定され、同最高裁では「記者と取材源の約束には法的拘束力がない。連邦憲法修正一条(表現の自由)にかかわる事件で、損害賠償は不当」と、新聞側が勝訴した。しかし、最終的には、連邦最高裁が連邦憲法修正一条を適用せず、単純な約束不履行とみなして事件を州最高裁に差し戻し、そのまま新聞敗訴で確定した。
この裁判は、こうした勝敗は別に、新聞にも記者にも深い傷跡を残し、同時に取材源の秘匿と公開に対するジャーナリストの厳しい自覚を促した。
傷痕の一つには新聞と記者の対立がある。両紙の記者はともに法廷で「情報の提供者と匿名の約束をする裁量は記者にある。と信じていた」と証言した。さらに、トリビューン紙のスターディバント記者は、「自分と情報提供者との約束が社によって破られるのには反対で、私は自分の記事から署名を削った」と社内の不統-ぶりを明らかにした。
同時に、新聞は同じ様な裁判を起こされることを心配している。トリピューン紙は、現に、一審判決の直後、すでに印刷されていた日曜折り込み版六十万部を回収した。そのなかに、取材源秘匿の約束を破ったかもしれない記事が入っていたからだという。「十約束があったかどうかは確認できない。しかし、記者と情報源との間に見解の相違があることば事実だ」と、クレイマー編集主幹は説明した。
だが、この対応は、同紙が主張している「情報源公開の重視」と矛盾する、という批判を招くことになった。同紙は、コーエン事件のように相手から「訴える」、と脅されていたのではないか、ともいわれる。アメリカのマスコミの多くは、基本的には両紙編集責任者の姿勢を支持している。それは「取材源の秘匿に固執するより、公開に努力する方が、記事の真実性は保証され、新聞は読者の信頼を勝ち取れる」とみるからだ。そして、マスコミ、とマスコミ法学者は、この裁判が、連邦憲法修正-条と新聞の現実面に触れず、事件の争点が「契約破棄」という私法上の問題に限定されたことを強く批判している。
鬼頭事件-取材源秘匿に便乗
一九七六年八月四日の深夜、当時の布施検事総長を装った男が三木首相に一時間も電話をかけたのが発端。男は京都地裁の裁判官、鬼頭史郎判事補で、首相からロッキード事件にからんだ指揮権発動の言質をとり、それをマスコミで公表しようとした。思惑通りに行けば、三木内閣もロッキード事件も潰れたかもしれない。
鬼頭判事補から情報を受けた私(当時、読売新聞論説委員)は、危うく謀略から逃れたが、一方、読売新聞がこの真相を報道したのは二か月後の十月二十二日。それまで、従来の鉄則である「取材源秘匿の原則」の「かせ」をどうはずすかに苦悩した。(注: ニュース報道を抑える社内事情もあったが、それについては、「ジャーナリズムの原点A」を参照)
情報提供者は、コーエン事件と同じように、事件の重要な当事者でもあつた。「取材源秘匿」の職業倫理が「真実の報道」の前に立ちはだかったが、情報源はそれを計算していた。
このジレンマから逃れるために、われわれは、当事者、すなわち取材源に自首を働きかけた。しかし一時、自首の「告白」声明を作った判事補は、その意思を撤回し取材源の秘匿を迫つた。
当時、わが国のメディアには、いま以上に、情報源の秘匿より公開を優先させるという倫理や論理は考えつかなかった。読者やマスコミ、専門家の理解を得る確信もなかつた。そこで、マスコミ法の専門家とともに討議を重ね、その結果が、以下のような、百五十行(一行十五字)という長文の「社の見解 取材源なぜ公開したか」にまとめられ、 一面に掲載された(一九八六年十一月一日朝刊)。
それは、従来の職業倫理観に基づいて、まず「取材源の秘匿は、新聞記者にとつて、もっとも大切な職業倫理であり、これを守ることは、新聞記者の生命とされている」と述べ、その上で、取材源公表を是とする新しい理論を構築しており、メディア側は、コーエン事件と鬼頭事件で期せずして同じ主張カ展開している。
取材源秘匿の義務は、ニュース・ソース(取材源)と新聞記者との間に信頼関係が存在することを十前提としている。ところが、
一、情報提供者は、記者に対し、意図的に取材源の秘匿義務を課し、新聞を利用して不法行為を成成就しようとした。こうした状況からみて、記者と情報提供者との間には、取材源秘匿の前提として通常存在する信頼関係はなかったし、従って秘匿の義務もないとみなさざるを得ない。
一、仮に、みせかけの信頼関係を尊重して、取材源であり、同時に事件の主役でもある人物に関する事実を隠して報道すれば、真実の報道から遠のく結果となる。一、事実関係をありのままに報道しなけれは、事件の真実を伝えたことにはならないし、またこれらの事実を伏せることは国民の知る権利にこたえる報道の使命にも反する。 こうした諸点から『事実を伝える義務』を優先させ、あえて取材源の公開を含む事実の報道に踏み切った。
要点は「読者の信頼(コンフイデンス)が得られなければ、取材源の秘匿(コンフイデンシヤリテイ)は無価値に等しくなる」ということだつた。
希薄な「取材源明示」意識
わが国のジャーナリズムは、伝統的に取材源の「公開」の必要性を認識していない。日本新聞協会の「新聞倫理綱領」(一九四七年七月制定、一九五五年補正)には、取材源についての規定はなく、一九四九年六月三十日になって、次のような声明を出している。しかも、それは取材源の「秘匿」に触れただけだ。
「新聞の自由は、具体的にいうと、第一は、どんな勢力にも強制されずに事実の報道や評価をする自由である。第二は、こうした目的をはたすために、ニュースの出所に接近してニュースがとれるようにする自由である。第二の自由の中には、だれからニュース材料を得たかを明らかにしないでよい、というニュース出所の秘密保持の権利と義務が含まれている。これは、世界中の新聞人に共通した倫理である」
これは、当時のいわゆる「石井記者事件」(朝日新聞松本支局の石井清記者が取材源について証言を拒否し、起訴された)について出された声明であり、これを機に記者の間に秘匿の倫理はさらに徹底していつた。そして、それ以後も「秘匿」の重みが再確認される機会はあつたが、「公開」の倫理を導入する綱領や声明は、まったく出ていない。
わが国には、取材源の秘匿や公開を規定した法律もない。判例としては、証言拒絶権を民事訴訟法二八一条一項三号の「職業の秘密」に属すると認められたケースがよく知られている(北海道新聞島田記者事件。一九八〇年三月六日・最高裁第三小法廷決定)。もちろん、情報源明示の正当性を争つた裁判はない。
現実に情報源明示に関する一線記者の問題意識は薄い。「必要な情報をとるためには、情報源との信頼関係を大事にし、情報源を明らかにしない方がよい」という取材慣行が優先している。それは、しぱしぱ読者の欲求不満を招いている。一九八七年に起きた「外務省首脳発言事件」は、こうした読者と記者との問の感覚的な距離を物語る一例といえる。
中国の鄭小平・共産党中央顧問が日本政府の政策を強く非難した(六月四日)ことについて、翌五日の各紙朝刊は「外務省首脳がケ氏は雲の上を行っている」などと批判した」と報じた。中国の強い反発から、同省の柳谷謙介事務次官は「外務省首脳の発言は適切でなかった」と陳謝し、同月末、定年を理由に退職した。
中国の関連報道と、それを転送した共同通信の記事や雑誌は、その外務省首脳が柳谷事務次官本人だと明示していが、日本の新聞はその後も匿名で押し通した。
この報道では、なによりも当初の匿名報道の是非が問われるだろう。外務省事務次官と記者クラブ記者との懇談会には「発言者名を特定しない」という慣行(つまり、記者と情報源との約束)があった。また一般に高度の外交上の情報」は情報源を明示しなくてもよいという不文律がある。しかし、一方、他人を中傷誹謗する発言は匿名で公表すべきでないというジャーナリズムの常識もある。この情報は出所を秘匿して報ずべきものだっただろうか。また、問題が表面化した後の氏名秘匿は、公には何の意味もなく、単に情報源と記者の問の私的な儀礼的関係だけがことさらに浮かび上がってくる。
アメリカの「情報源公開」原則
「情報提供者の身元(アイデンテイテイ)、つまり取材源は出来るだけ明らかにすることによって、記事の質が高まり、新聞の信頼が保証される」という確信、そして、「情報源は公開が原則で、秘匿は例外」とする原則は、アメリカのジャーナリズムが体験した過去の情報操作や誤報事件の反省から、次第に強まってきたものだ。
ワシントン・ポスト紙のジャネット・クック記者事件(麻薬中毒の八歳の少年をルポした「ジミーの世界」で匿名情報源を作りあげ、一九八一年にピュリッツア賞を受賞したあと、それを返上)は、そうした流れを加速する契機の一つとなった。
「ディープスロート」という匿名情報源活用によってウォーター・ゲート事件をスクープした同紙は、「クック事件」の匿名情報源捏造で、手痛いしっぺ返しを受けた。しかし、実はクック事件以前に、ワシントン・ポスト紙の「記者スタイルブック」(一九七八年制定)は、すでに次のよ'な原則を折り込んでいた。
本紙は、取材源の安全が脅かされない限り、いかなる情報も、その出所をすべて公表することを約束する。取材源の秘匿に同意した場合には、社外にもらしてはならない。
記者は、出所が非公開とされた情報については、まず非公開の条件を外すようあらゆる努力をする。それが不可能なら、他のルートから同じ情報を入手するよう尽力しなければならない。それも不可能ならば、相手に取材源秘匿の公開理由を求め、それを記事に挿入しなけれぱならない。
どんな場合でも、何らかの形で取材源の身元を明らかにすること(部所や地位で)は出来るはずであり、またそれは報道しなければならない。
そして、同紙はクック事件後、「情報源を秘匿する義務がある場合にも、編集責任者には、記者から情報源が誰かを聞く権限がある」という規則を加えた。さらに二年後には、女性記者ロレツタ・トファーニが、情報源をできるだけ明示する努力と手法で「拘置所内のレイプ」事件を書き、今度は正真正銘のピュリッツア賞をとった。拘置所で暴行された被害者を含む多くの情報源からオン・ザ・レコード(取材源明示)の承諾を得、その上での徹底した実名報道だった。
その他、AP通信では、編集局長会倫理綱領(一九七五年採択)で「取材源は、明確な反対理由がない限り公開しなければならない。取材源の秘匿を守る必要があるときは、その理由を明らかにしなければならない]と規定している。
アメリカ新聞編集者協会(ASNE)も、綱領(一九七五年採択)で、「取材源の秘匿は、いつたん約束した場合には、いかなる犠牲を払っても守らなけれぱならない。したがつて、軽々しくその約束をしてはならなぃ。取材源は、秘匿すべき明白で切迫した理由がない限り、それを明示しなければならない」とうたっている。
イバラの道
こうしたルールは、明文化されているかどうかは別にして、多くの新聞社にも共有されている。デラウェアー州のニューズ・ジャーナル紙は、毎年初め、一ページを割いて自社の倫理綱領全文(および、その遵守状況報告)を読者に公表しているが、その中でも、取材源公開の原則はとくに強調されている。ワシントン・ポスト紙とほぽ同様の原則を述べたあと、さらに次のように述べている。
「取材に際して記者は相手に、オフレコ、出所秘匿、背景説明、発表ものなど、それぞれの扱い方の違いをはっきりと説明しなければならない」「記者は、情報の提供者が誰か、その身元を編集責任者に知らせなければならない。それを拒んだ場合は、記事は没にされる」
また、スタ1・トリピューン紙は、コーエン事件の一審で敗訴したあと、直ちに「匿名の取材源と浮の秘匿についての手引」という詳細な社内規定を作り、紙面で公表した。次はその骨子である。
〔基本〕@匿名の取材源は、重要な記事では止むを得ない場合もあるが、新聞がそれに頼り過ぎると、正確さと公平さを欠いたいンヤーナリズムに陥る危険が強く、その結果、新聞は読者の信頼を失う。A情報が重要で、しかも正確・公平の基準を満たしていると記者と編集責任者が揃って認めない限り、本紙は匿名による声明や談話を使わない。G問題なく本紙と読者の利益になるのでなけれぼ、取材源の秘匿を約束してはならない。特別な条件のもと、例外的に認められた場合には、その約束は尊重する。〔細則〕発言者が匿名で、発言内容が個人や団体を傷つける場合は、原則としてそれを使わない。編集局長か編集主幹が承認しない場合は、絶対に使わない。他人を傷つける恐れのある情報を匿名で扱おうという約束は、編集責任者と相談してからでなければ結んではならない。こうした場合には、情報源の身元それ自体が、得た情報と同様に重要なニュースになる可能性が強いからだ。
新聞社側は「情報源と秘匿の約束をする権限は記者になく、約束する前に編集責任者の許可を必要とする」「情報源は編集責任者に知らせなけれぱならない」と主張する。当然それには、記者側から現実的ではない」という反論が出ている。コーエン事件で揺れたトリピューン紙とディスパッチ紙の地元記者組合は「裁判になつたとき、編集局長が情報源を公開するかもしれない危険がある以上、記者には情報源を隠す権利があると考えてよい」と声明した。
コーエン事件はなお多くの問題と余波を残した。しかし、たとえ裁判で敗訴し、多額の賠償を支払はなくてはならないにしても、「読者の信頼につながるならぱ、あえて情報源公開というイバラの道を選ぶ」というアメリカのジャーナリズムの姿勢は、わが国のジャーナリズムのあり方に貴重な示唆を与えるはずだ。