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尊敬する校長先生方の思い出

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本編再開に必要な作業として、過去の様々な記録を整理しているのですが、昔の映像なども結構出てきます。

平成2年に教職に就いた飛鳥エイジですが、免職くらうまでに7人ほどの校長にお仕えしました。(だったかな?)

ブログ本編を読むと、「校長」という役職を激しく憎んでいるような印象を持たれてしまうかもしれませんが、基本飛鳥エイジは、むやみに上司に噛み付いたりしません。筋の通らないことや、明らかに職務上問題と思われること、そして人間として許せないこと、これらに対して普通の公務員よりちょっと態度をはっきりさせてしまうというだけなんですね。

で、昔の動画をみてて目にとまったんですよ。

平成7年度は、飛鳥にとっても教師としてピークだった頃かもしれませんが、その年にH小学校校長だったS原K一郎という校長先生。

今思い出しても、本当に素晴らしい方でした。ずっと中学校教師として音楽の道を歩んでこられ、校長となって初めて小学生の教育に当たることになった校長先生でした。

「何をしていいかわからないから、自分の一番得意なもので子どもたちと触れあうよ」

そう語ったS原校長は、子どもたちの前でギターを弾いてみたり、一緒に歌ってみたりと、音楽を前面に出した教育を展開していったのです。
研究教科も音楽となり、平成7年度は、歌声のある学校を目指そうということで子ども、教師ともに楽しく音楽にあたりました。

今当時のビデオをみても、子どもたちの歌が上手になるということ以上に、子どもたちが歌ったり楽器を演奏したりすることを楽しむようになっていくのがわかるんですね。

それは、単に音楽好きの人間が指導しても決して望めない結果です。
音楽好きと同時に、子どもたちに何を身につけてほしいのかという「教師としての方向性」が正しくないと、ただ「音楽やりまくって終わり」になってしまうんですね。

そういう点から、S原K一郎校長先生は実に素晴らしい方でした。

また、平成7年度はH小学校教師陣も「最強」だったと言えるかも知れません。

素晴らしい校長の下に強力な担任、そしてパイプとなる教務、教頭も非常に力のある方でした。

本当に、教師であったものとして断言しますが、あの当時のH小学校のような「学校」ばかりだったら、教育問題なんぞあり得ませんって。

本当に……T田という男が、どうして校長などやっていられたのか……

月とすっぽんなどという喩えで比較するのもS原K一郎校長先生にあまりにも失礼ですね。それほど素晴らしい方でした。

ちなみに、S原校長先生の次に赴任されたO友校長先生なる方も、これまた素晴らしい方でした。

素晴らしい校長先生とは、実は結構多いのです。
「普通」が少ないんですね。両極端になりがち、とでもいいますか。

一生尊敬していけるような素晴らしい方が多い反面、

「そういうことは飛鳥校長になってからやってください」と捨てぜりふ吐いたり、

「あんたはゴリラ教師だ」とかぬかすかわいそうな校長も実在するのです。

さて、全て整理してしまいましょう。

あ、もうすぐ日付かわるよ……


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すず

あなたにされた仕打ち
一生忘れません
by すず (2008-06-13 01:48) 

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