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被害者の方々のご冥福を心からお祈りします。
続きです。
僕自身が一線を越えたことがないからわからないけれども、
犯人が犯行に踏み切る前提を考えて書いてみたい。
すごく書きにくい話になるけど。
僕らが初診の患者さんを診て、
その人らしさを理解する上で、一番わかりやすいのは、
その人の生活歴のストーリーが繋がらない部分を見ること。
この犯人の場合、中学までは成績優秀・スポーツマンだったのに
家庭内暴力が始まって、高校では落ちこぼれ、
進学校から専門学校に進んでいることだろう。
僕は犯人の流れをみて、ランボーの第一作を思い出した。
えらい指導教官に兵士として育て上げられたランボー。
教えられるままに戦争の技術を磨いて
教えられるままに戦っていたのに、
アメリカは戦争は負けてしまった。
負けて国に帰ってくると、
それまで付きっ切りで技術を磨いてくれた教官が
「戦争に勝てないんだから、もうこれ以上いいや」
「お前ももうあきらめろ」といって去っていく。
教官は、戦場を去っても軍隊のえらい人。
ランボーは戦場を去ったら、ただの失業者。
迎えてくれる街の人は腫れ物に触るように、
もしくは臭いものを見るように扱う。
ランボーにとって磨いた技術がプライドの元だけれども、
関係ない街の人にまでその技術を否定される。
だからランボーは山にこもって一人で戦い始める。
街の人たちと教官に、自分が磨いた技術を主張するために。
自分の正しさを主張するために。
そう見ていくと犯人の生育歴はぜんぜんおかしな流れじゃない。
たぶん犯人の頭が本当によければ、
高校に上がったからといって急に成績は落ちない。
例え進学校にすすんでも、そこそこのレベルにいくはず。
高校で極端に成績が落ちる子は、中学の時点で無理があるんだと思う。
むりやり勉強を積み重ねて余力がない状態。
たぶん親の影響下にあって、むりむり詰め込んでいる。
それが破綻したから家庭内暴力なのだろう。
勉強させすぎたからではない。
親があきらめたからだ。
ランボーは街を相手に八つ当たりに近い形で戦闘を始めるけど、
それは戦争に勝つ技術を詰め込まれすぎたからじゃない。
戦争に勝てなかったから、みんながランボーに見切りをつけて
ランボーの頑張りを全て否定したからだと思う。
だから正当性を主張するために、街を相手に戦争を始めて
昔の教官を引っ張り出すまで引き下がらない。
でも、だからといって、家庭内暴力を認めていいわけない。
それは「人のせい」にすることを保障するから。
自分の責任の部分を棚上げにして他人に転嫁する。
人に暴力を振るうことで自分のプライドの崩壊を防ぐやり方は
すごく危険な行為なんだと思う。
ランボーだって暴れた後に刑務所にいった。
家庭内暴力も、本来家庭内で処理してはいけないんだと思う。
家庭の中は、社会の一部なんだから、社会の法の範囲を逸脱しちゃいけない。
責任転嫁した暴力は警察で処理するべき。
刑務所に入らなかったランボーは、
自分のプライドと国の法律を等価値において
ものを考えるようになるかもしれない。
たぶん、そのあたりの事情がこの問題の原点なんだと思う。
最後にひとつ。あまり取り上げられていないことも。
一昔前に17歳の犯罪というのがマスコミにもてはやされた。
理由なき犯罪。「人が殺してみたかった」というやつ。
犯人は同世代で大きな影響を受けたんだと思う。
表現型は違っても踏み切る位置を見ると、同じ文脈で考えるべき犯罪で
その上に格差の問題が乗っかっているんだと感じる。
(終わり)
(実はランボーは日曜洋画劇場を30分くらい見ただけでよく知らないので例えが間違っていたらすいません)
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私は、結果的にストレスの強い仕事でがんばりすぎ、去年秋からうつで休職中です。
秋葉原の事件で、衝撃を受けています。特に、加害者の背景を知るにつれ、偏った報道と加害者の「踏み切る位置までに至った過程」にずれを感じています。事件自体は本当に許せるものではないけれど、私自身エリート校で「中の下」の成績で、受験に失敗した経験があるし、両親共働きで「自分ががんばらなくてはいけない」という環境下で育ったことで、自分を責めがちな傾向がありました。うつ傾向が強くなってから、どうしようもない気持ちをどこにぶつけていいのかわからず、自傷に走ったりもしました。だからこそ、逃げ道がなくなって今回の犯行に至った犯人の気持ちが、わかるような気がするのです。この犯人のように追い詰められている人は、今の日本にはたくさんいると思うのです。ありふれた状況だということを、報道は知らせてくれない。身近なところで危機的になっている人に、今すぐ手を差し伸べなくてはいけないのに、「異常性」ばかりが報道されている。
主治医には話をして理解していただきましたが、なし先生のように外へわかりやすく表現されているのを見て、つい書き込ませていただきました。日本の世の中が、もう少し、自らを省みて、お互いを支えあうような社会になっていって欲しいと願っています。
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