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なぜモルツ・・・矢沢か?? [THE GARUDA]

[編集] 概要
1986年の発売当初より、とうもろこし・米・コーンスターチ・大麦等の副原料のない麦芽100%のビールとしてその名を知られている。翌年アサヒビールが「スーパードライ」を投入し大ヒットを飛ばしていた時にも、山本浩二や古今亭志ん朝が出演した「私はドライではありません」というCMを放映し当時から品質の良さを訴求していた。

さらに2000年11月28日には上位製品「モルツプレミアム」(現在の「ザ・プレミアム・モルツ」)が発売を開始した。

このビールの特徴として原材料に天然水を利用していることが挙げられる。この天然水を利用する為に生産工場の立地を決めるほどの力の入れようである。日本国内に4つの生産工場があり、生産工場ごとに使用する水も4つの水系の水に分かれている。その為、各工場で生産されたモルツには味の差がある。2005年6月には、この味の差を利用した「モルツ飲み比べセット」が限定発売された。

南阿蘇外輪山水系(九州熊本工場)
天王山・京都西山水系(京都工場)
丹沢水系(武蔵野工場)
赤城山水系(利根川工場)
製品ラインナップとしては350ml(レギュラー缶)・500ml(ロング缶)の缶入りが各4生産工場で、瓶ビールは京都工場・武蔵野工場で生産されている。他にも業務用の樽が生産されている。


[編集] 製品情報
麦芽、ホップ、天然水。 アルコール分 約5%


[編集] その他
元宝塚歌劇団月組トップスターで女優の涼風真世がサントリーの元ラグビー部員である今泉清と結婚した際、結婚会見ではこの製品で乾杯した。
和久井映見及び萩原健一が出演したCMの「うまいんだな、これが」というセリフが流行した。
かつてプロ野球を題材とした大沢親分率いる架空の球団『モルツ球団』のCMシリーズが一世を風靡。特に川藤幸三と桂ざこばのコラボレーション『川藤出さんかい!』→『ホンマに出してどないすんねん』のCMが話題となる。その後、1995年より実際にCMに登場したプロ野球OBを中心とした面々がCMで使われた『モルツ球団』のユニフォームを着て東京ドームで毎年定例的に試合を行っている。(モルツドリームマッチHP)このモルツ球団の活躍が後のプロ野球マスターズリーグの設立に繋がっている。モルツドリームマッチでは東京ドーム内スタンド・売店においてモルツが格安で提供されている。
上記大会は2007年7月23日開催の第13回大会より「ザ・プレミアム・モルツドリームマッチ」に名称変更。大沢親分を総監督に、山本浩二新監督のもと板東英二監督率いるかつての甲子園球児で結成された「甲子園ヒーローズ」と対戦。
なお、1995年からのモルツ球団の成績は9勝5敗(2007年現在)。
サントリーと親密な関係にある作家の椎名誠が一番好きな国産ビールがモルツである。彼はかつてまだモルツが世に出る前にサントリー生ビールのCMに出演したことがある。
真心ブラザーズ(当時はTHE真心ブラザーズ)による「モルツのテーマ」という曲があり、1992年から1994年までCM(和久井・萩原出演)で使用されていたが、2007年の商品リニューアルから「モルツのテーマ」の新バージョンのCM(吉岡秀隆、松下奈緒、次長課長他出演)で13年振りに復活した。現在歌っているはSPARKS GO GOである。

[編集] 外部リンク
サントリーモルツ ホームページ

サントリーって好き嫌いありますよね。
僕は断然キリンです。


店長はきっとこれなんだと思う~躁鬱病~ [新発見]

症状と診断
双極性障害は、躁状態を伴う双極I型障害と、軽躁状態を伴う双極II型障害に区分される。

後述の躁状態が1回認められれば、双極I型障害と診断がなされる。1回の躁状態で終わる症例は稀であり[要出典]、一般には、うつ状態と躁状態のいずれかが、症状のない回復期を伴いつつ、繰り返していくことが多い。躁状態から次の躁状態までの間隔は数カ月単位という場合から、数十年という場合もある。また、うつ状態と躁状態が混ざって存在する混合病相が生じる場合もある。

これに対して、うつ状態と軽躁状態のみが認められる場合を、双極II型障害と呼ぶ。ただし、この双極II型障害については、軽躁状態そのものが、患者や家族には認識されていないことも多く、自覚的には反復性のうつ病であると考えている患者も多い。

症例によっては季節に左右されることもある。うつ状態から急に躁状態になること(躁転)はまれでなく、一晩のうちに躁転することもある。また1年のうちに4回以上うつ状態と躁状態を繰り返すものを急速交代型(Rapid Cycler)と呼ぶ。


躁状態
躁状態とは、気分の異常な高揚が続く状態である。躁状態の初期には、患者は明るく開放的であることもあるが、症状が悪化するとイライラして怒りっぽくなる場合も多い。本人の自覚的には、エネルギーに満ち快いものである場合が多いが、社会的には、種々のトラブルを引き起こすことが多い。DSM-IV-TRによる躁状態の診断基準は、以下の症状が3ないし4つ以上みられる状態が1週間以上続き、社会活動や人間関係に著しい障害を生じることである。

自尊心の肥大:自分は何でも出来るなどと気が大きくなる
睡眠欲求の減少:眠らなくてもいつも元気なまま過ごせる
多弁:一日中喋りまくったり、手当たり次第に色々な人に電話をかけまくる(メールのやりとりをするケースもある)
観念奔逸:次から次へ新しい考え(思考)が浮かんでくる
注意散漫:気が散って一つのことに集中できない
活動の増加:仕事などの活動が増加し、良く動く
快楽的活動に熱中:クレジットカードやお金を使いまくって買物をする、性的逸脱行動に出るケースもある
1)、2)、6)の症状によって事業を起こすなどの行動をとり、ごく例外的に大きな成果をあげることもあるが、たいていは失敗に終わり、負債を抱えたり社会的信用を失う結果に終わる。3)の症状では電話をかけられる人が迷惑なばかりか、電話で約束したことを本人が忘れていることが多く、患者本人の信用失墜につながる。本人が忘れている場合はもちろん、躁状態であるが故に架電の相手方に不審に思われ本人ではなく家族や親近者に苦情が行きまわりが苦労することも多い。また、7)の症状は、本人ばかりか家族や会社等も巻き込んで後に経済的に苦しむこととなり注意を要する。


軽躁状態
基本的に躁状態と同じ症状であるが、社会的・職業的機能に影響のない程度のものを、軽躁状態と定義する。


うつ状態
詳細はうつ病を参照

基本的には、エネルギーが高まった躁状態に対して、うつ状態はエネルギーの低下状態と理解できる。


その他の症状
不安(不安障害)、強迫観念(強迫性障害)、などが同時に現れることもある。


成因
シナプスと、セロトニンやノルアドレナリンなどの脳内神経伝達物質を介した神経伝達機構に障害が生じるためであるとのモノアミン仮説が有力である[要出典]。また遺伝研究によって、疾患そのものは純粋な遺伝疾患ではないが、双極性障害になりやすい体質には遺伝的要素があると指摘されている。双極型の患者の親族の有病率は対照群の約10倍にも及ぶ。単極性障害と比較して遺伝的影響は大きい。一卵性双生児の一致率は60%にも及び(単極型は40%)、遺伝はかなり大きな影響があるといえる。


統計
1年間の期間有病率は0.2~1.3%である。若年で発症する例が多く、男性は26歳までに、女性は25歳までに95%が発症する。男女差はほとんど見られない。


経過
双極性障害は、うつ状態と躁状態を繰り返す場合が多く、一旦症状が回復しても、再発する可能性が高い。Angstらによる研究では、約20年間の追跡を行ったところ、経過観察の15~20年目の5年間の期間に再発のない症例は、双極性障害ではわずかに17%であったとされ、8割程度の症例において、長期の経過後も症状の繰り返しが続いていた。Stanley Foundation Bipolar Network という最近の調査でも、調査開始後の1年間の観察で、双極性障害の約2/3は症状のため生活に大きな障害を受けていたという。 このように、双極性障害は、再発を繰り返し、慢性の経過をたどることが多い。このため、長期にわたる治療が必要となる。


治療
躁-うつの変動を抑制するための気分安定薬と呼ばれる一群の薬剤を中心とした薬物療法が主体となる。また、再発をコントロールしたり再発の兆候をモニターするなどの疾患教育や、ストレス管理のためや社会復帰に向けてのカウンセリングも重要である。


薬物療法
気分安定薬(あるいは感情調整剤)による再発予防を基本とする。その他、うつ病相では抗うつ薬の併用、躁病相においては抗精神病薬の併用、不眠に対して睡眠導入剤の併用などが行われる。


気分安定薬
双極性障害の薬物療法の基本は、気分安定薬(mood stabilizer)による再発予防である。躁病相だけでなく、うつ病相もある程度予防することが知られている。炭酸リチウム、カルバマゼピン、バルプロ酸、クロナゼパムなどがある。ある種類の気分安定薬が無効でも、他の気分安定薬が有効な場合もある。また2剤以上組み合わせることで有効な場合もある。服薬が不規則であると効果がないため、薬を規則的に飲み有効血中濃度に保つことが重要である。

リチウム塩(商品名リーマスなど)
気分安定薬のうち、最も歴史が長く、その有効性について最も科学的研究が行われている薬物である。ただ、治療域と中毒域が近い為、血中濃度を定期的に測定する必要がある。全般的には副作用の少ない薬物であるが、一般的な副作用としては、手の指先の震えがあるほか、時に飲み始めの数週間に、極端な倦怠感が出て服用を止める患者もある。有効血中濃度を超えた場合、複視、ふらつき、意識障害、腎障害などの中毒症状が現れる。
胎児に心臓奇形をおこす恐れがあることから妊婦への投与は禁忌とされている。心臓病や腎臓病を患っている者への投与には注意を要する。
カルバマゼピン(CBZ)(商品名テグレトールなど)
元々はてんかん、三叉神経痛の治療薬であり、双極性障害に用いられ始めたのは比較的最近である。一般的な副作用としては、眠気や倦怠感、めまいなどであるが、ごく稀に、全身性の薬疹・肝機能障害・造血機能障害などが生じることがあり、重篤な状態となる場合もある。リチウムと同様に、有効血中濃度を超えると中毒症状が現れるため、定期的な血中濃度測定が必要である。またグレープフルーツを摂取するとカルバマゼピンの濃度が上昇するため、服用中はグレープフルーツを食べないようにするべきである。なお、この薬の特徴的な副作用として、音が本来のものとずれた音程で感じられてしまう(半音の半分程度低く、あるいは高く感じられる)というものがあり、特に絶対音感保持者や音楽家などは注意が必要である。
バルプロ酸ナトリウム(VPA)(商品名デパケン、バレリンなど)
これも元々はてんかんの治療薬であるが、最近気分安定薬として用いられ始めた。副作用が比較的少ないため、使用しやすい薬物である。

抗うつ薬
うつ病相の場合、抗うつ薬を併用することも多い。しかし、抗うつ薬の処方によって躁状態が誘発される場合もあるため、双極性障害における抗うつ薬の使用には注意を要する。

抗うつ薬の項に述べられているので、詳しくは触れない。最近ではSSRIやSNRIなど新しいタイプの薬が出てきて、マスコミ等で副作用の極めて少ない薬であるように報じられているが、それなりの副作用はあり過大な期待は禁物である。また、症例によっては従来の三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬の方が優れていることもある。三環系抗うつ薬はSSRIやSNRIに比べ躁転を引き起こしやすいので注意が必要である。

抗うつ薬の一般的な副作用は、口の渇き、便秘、排尿困難、眠気、吐き気、嘔吐などである。

抗うつ薬の効果が現れるのは、個人差はあるものの2~3週間程度かかる。それまでの間、軽微な副作用(口の渇きなど)の方が先に現れることもある。この間、患者にとっては辛い状態がつづくことになるが、悲観的にならず抗うつ薬をのみ続けることが大切である

薬の効き方は個人差があるため、抗うつ薬によりうつ症状が完全に消失しにくい場合もあるが、その場合は薬剤の増量や他の抗うつ薬への変更を行うこともある。


抗精神病薬・抗不安薬
詳しくは抗精神病薬・抗不安薬を参照。メジャートランキライザー/マイナートランキライザーとも呼ばれる。興奮が強い場合(怒りや攻撃性が見られる場合)や不安・焦燥・緊張の緩和に用いることがある。また、気分安定薬の効果が現れるまでの間(2~3週間程度)躁状態を抑えるため併用することが多い。 睡眠導入薬としても処方される。 最近は非定型抗精神病薬を気分安定薬として使用することがある。


睡眠導入剤
躁状態、うつ状態ともに不眠を伴うことが多い。その際、睡眠導入剤を併用することが多い。


服薬継続の必要性
双極性障害の再発予防のためには、継続的に服薬することが重要である。医師の処方を守って服薬することを、服薬遵守あるいは英語でコンプライアンス(compliance)や、アドヒアランスと言う。
しかし、服薬の必要性が充分理解できていないこと、副作用を不快に感じること、一度に複数の種類の薬が処方されることで混乱することなどにより、服薬が不規則になったり中断することがある。このような状態が続いた場合、再発する可能性が高まる。
コンプライアンスを高めるために、医師や薬剤師から病状やそれに対して現在行われている治療がどのようなものであるのか十分な説明を受け理解すること、家族など周囲の人も服薬に協力することが重要である。他に、例えばビニールの小袋に一回分の薬をあらかじめ小分けにしておくなどの工夫を用いるのも手である。しかし、薬を飲まずに捨てたりすることから周囲の者が薬を飲み終わるまで管理し続けるといった場合、そうした管理、監視が原因で患者と周囲の者に軋轢が生じる(特に躁状態)場合もあり大変難しい問題である。

疾患教育
再発予防のために、服薬の継続性を高め、ストレスを管理することなどが重要である。そのため、患者本人や家族に対して疾患や治療について充分教育することが重要である。その際、以下のような内容を教育する。

躁状態やうつ状態が病的なものであると認識することである。本人は、躁状態を心地よく感じ、病気であると思わないことや、躁状態に戻りたいとさえ考える人もいる。家族や友人などの周囲の人も、躁状態での言動を「本人の性格」などと解釈して嫌悪したり、うつ状態のことを「怠け」などと解釈することがある。しかし、このような姿勢を取っている間は、安定した治療継続は困難であり、家族からの協力も得にくい。そのため、まず病気であるという認識(いわゆる病識)を本人や家族が得る必要がある。
再発を繰り返す可能性のある慢性疾患であり、長期的治療を必要とすること。例えば糖尿病・高血圧などの慢性疾患のように、完全に治癒(服薬が必要ない状態)することはなく、服薬継続が必要と説明する。
再発の兆候を早期に発見する方法を考え、その際は医師と相談するよう教育する。
再発につながりやすいストレスの多い状況の乗り越え方を考える。

その他の治療法
難治性のうつ状態や、激しい躁状態に対して電気けいれん療法を行うこともある。


治療上の注意点など
必ず精神科の医師にかかること。内科を含めて他科の医師のほとんどは双極性障害の治療の専門のトレーニングをうけておらず、かえって治療を難しくしてしまうこともある。ただし、多種多量の薬を出すことに抵抗がない精神科の医師もおりセカンドオピニオンなどを積極的に得ることが好ましい。
医療機関の選択に当たっては、通院しやすさも考慮するとよい。双極性障害の薬は一生飲み続けなければならないことが多く、続かなければ意味がないからである。
職場の診療所に精神科医がいる場合はその医師にかかるのも手である。
なお官公庁や大手企業の場合、人事管理上の観点から職場の診療所もしくは指定病院の医師(産業医)の所見や診断書しか組織内で通用しない場合があるので注意を要する。
職場の診療所で精神科医にかかった場合、(本人の不利益にならないであろうと思われる範囲で)本人の同意なしに人事部なり上司にその内容が漏れていると考えるべきである。
上記のような場合、所属組織の指定医師(産業医)と自分の治療医師を別にするのもひとつの手である。
医師と合わないなと思う場合は、担当医にその旨を率直に相談するのが大事である。『合わない』と感じる理由が精神症状によっている場合もあり、また合わないと思うことを解決していくことで信頼関係をより高めていくことができるからである。しかしながら病状は本人によって判断が出来ないことも多く、ほとんどの場合患者が通院できる精神状態(躁状態での通院はほぼ期待できない)でしか医師も診察できないので、治療には家族や親近者の協力が不可欠である。
向精神薬を服用している場合、飲酒は作用を増強したりもうろう状態や錯乱を引き起こす可能性があるので、厳禁である。
うつ状態の場合、病気の症状の一つとして、あらゆることが悲観的に感じられ、過去の行動が後悔となって思い出される。この悲観的な思考によって、さらに気分が落ち込むという悪循環に陥ることが多い。そのため、うつ状態の時は努めて物事を深く考えない方がよい。適切な時間の睡眠をとる、脳と体を休ませることに集中し、新しいことには無理をして取り組もうとしないほうがよい。
また、うつ状態の場合、完全に良くなろうと思わず、うつ状態なりに生活できていれば、良くやっていると自分を評価するべきである。
躁状態の患者は、怒りっぽいことが多く、些細なことでケンカをしたり、問題行動について、頭ごなしに注意したりすると時に暴力に及ぶこともあり注意を要する。手当たり次第に警察に被害届を出したり訴訟を起こしたりする例もある。また、多弁の症状と相まってそうした逸脱行為を武勇伝として語るため公私ともに人間関係に支障を来すことがおおい。 
躁状態の場合、家族を含め周囲の者は受容的態度に徹しつつ、やんわりと注意し、お金やクレジットカード、実印などを取り上げるなどして早めに精神科を受診させ薬物療法を受けさせることが必要である。

子供の双極性障害
専門誌「臨床精神医学」2006年10月号が双極性障害を特集した際に取り上げられたが、掲載論文では子供の双極性障害とされている症例について懐疑的な結論を下している。[1]                     ウィキより



バイトのお姉さん。
首にされるよ1814691

初訪問 [ワロタ]

例のお店・・・行っちゃいました


とりからぶっかけですよ。のめる系のぶっかけ汁との前評判でしたが
実際飲めます。つまりそれは薄いということと表裏一体。
誰かさんは一口たべてしょうゆを投下していました( ・∀・)
なので揚げ物であるちくわ天や鳥に負けてしまい
組み合わせたときの一体感が損なわれるというていたらく
とりから自体もいまいち( ・∀・)
たまねぎのみじん切りのてんかすは良かったんですが、揚げたあと時間がおいてあったのかわかりませんが
 しけっていてカリッと感がなかった感。
ちくわ天、ちくわ自体かなり探したものだ、とメニューにも書いてありました。
ちくわ自体はおいしいものだと思います、んが揚げた意味をあまり感じないのとやっぱりだしに合っていない
という結論になりました( ・∀・)

でまあおいしいかおいしくないか、で言えばおいしい部類に入るとは思います、ただまた来たいかと言えば
そういう店ではなくて、blogでの期待感のわりにはこんなもんかぁ、という感想を抱きました。
加えて値段が高めなので、これ早晩つぶれる可能性高いんじゃね?
とまあ、そのあとうどん工房らんでうどんを食べて、らんのうどんがうまいことを再認識したということですネ

あと、主人が「いらっしゃいませ」という発言を一切しなかったとか
とにかく揚げ物がいけてないとかそういう感じです

はい、質問はありませんか?
ありませんねーじゃあ今日の授業はこれでおわりだー
宿題出しておくぞー
来週までにつけ麺を食べてレポート5枚で提出なー
(きりーつ れーい 

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 正直、「あれだけ書いてたんならよほどのものを出してくれるんだろう」という期待はある意味予定通り外れました。ビッグマウスだったということの証明に他なりません。後で行った店ほうが安くておいしかったんですから。おなかいっぱいにもかかわらずですよ。でもこれ、好みというものを考慮に入れないといけないと思います。

 いいところがいっぱいある店だと思うのですが、以前のblogを読んでいる人にとっては超マイナスからのスタートですんで、激辛の評価になるのは覚悟されてると思いますが、どうかなー。あれだけネガティブなコメント消してたらなぁ。

 思い返せばかけうどんだけはかなり良かったです。あーなるほど、そう考えると他の具材との調和まで踏み込めてないということなのかもしれませんなぁ。
 また来たいとは思いませんでしたが、1ヶ月1814691ぐらいにはいろいろ変わってる気がしますので、そんぐらいで再訪予定。

X JAPAN・・・ [ワロタ]

FAN待望の・・Ⅹ・・・復活!!

はいいけどこないだ泉南のショッパーズモールへ行ったら「トシ」のインストアライヴだって。

営業で全国廻ってはるんやね。

あいつもⅩ世代なんかな?
業界人に飯を提供できたから浮き足だっとる(笑)

ちょっと金出して「魔法のレストラン」来て貰えよ。
一時的に店繁盛するで。
カンイチ・一週間・meetsも手やな。

しかしたっかいうどんやナー。。。
ランニングコスト考えたらしかたないんやろうけど

気楽に食われへんやん。

一番ワロタのは「コロッケ」!!でましたwwwww!
事務所で作ってはみんなに食わせてたよねー。
だいたい凝り性なのか、一回褒められて調子に乗ったのか。ま・・・八割後者やけどね。

西成のど真ん中の事務所の門扉にあんたの手作りコロッケ。ぶら下げたことあったよね。
意図?不特定の人間に自分の味を確認してもらう為だよ。
しかしありえねー
まじありえねー

翌朝コロッケは消えていました。
「俺のコロッケが美味かったから、誰かが持っていったんや」
自慢げに話すその姿はほんと哀れだったよ。
だからみんなはキミに情けをかけて優しくせっしてくれたんだよ。

西成のど真ん中やっちゅうねん。ホームレスが残飯もって行くっちゅうねん。

そのあと「美味しんぼ」の影響でカレーもハマッタヨネー。
スパイスの調合が微妙やから大正漢方胃腸薬ヨロシク、二日酔いにも効きそうなカレーを食べさせてくれたよね。
あの時は正直殺意を抱きました。
通天閣のしたの三吉でうどん食らってるほうがよっぽどマシやったわ。

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ま酒でも飲んでゆっくり語ろうや


Superfly 一押し元気ソングやね [THE GARUDA]



愛の為に花束を。。。

花束を贈られても「ありがとう」って言えないんだろうな




粘着・・・ウィキより・・・ [ワロタ]

定義
粘着とは特定の物・人物に対し、嫌がらせや誹謗中傷を長期的に続ける行為である。また、過ぎ去った過去の議論・論争を掘り起こし、再熱させようとする行為も含まれる。主に2ちゃんねるなどの電子掲示板上で見られる行為である。 粘着は一般に少数であり(多くは一人)、また陰口ではなく直接言及しにいく。中には迷惑行為をしているという自覚が無い者も存在するが、この定義には本人の自覚の有無は関係無い。


[編集] 同義語・類似語・関連語
2ちゃんねる以外でも同種の行動を見せるものはパソコン通信時代から見出され、精神医学用語や行動よりの連想による同義語も幾つか存在する。

サイコパス(→人格障害)」などは精神医学用語から引用され、その性格の分析から付けられたものだが、他にはコンピューターゲームの『グラディウス』の自戦闘機パワーアップ装備の「オプション」または「マルチプル」が「ゲームをミスするまでひたすら付いて来る」ことから引用されたり、固定ハンドルネームのユーザーに付きまとうことから芸能人の付き人のように扱われたり、「専属」扱いされることもある。

特に2ちゃんねるの一部では、「コテハンは、専属君がついて一人前」などとする文化すら見られ、粘着している当人がムキになるほど楽しまれる様子も散見される。かつてはその粘着する側を自在に誘導して様々なパターン化した荒らし行為を誘発させるという「ワザ」を披露する者もいて、この様子を指して「猿まわし」と表現する者もいた。

しかし今日では猿まわし行為自体が、「粘着する者と一緒になって荒らしている」とみなされる場合もあり、サイトによっては双方がアクセス禁止に陥ることもある模様。


[編集] 推測される動機
粘着の動機の多くは、以前その人物(コテハン)に論破されたり言いくるめられたりしての逆恨みと人気や影響力を得ている人物(コテハン)に対する嫉妬である。そのほか、一般レベルよりも突出した自己中心的な性格によるものとも言われる


先日のおっさんよりコメント頂き、言葉の意味に関して調べてみました。
2ちゃんねる用語なんですね。

しかし例のブログ・・こざかな・・さん
・・・うれう・・・に関する記事への様々な批判、書き込みは全て拙者の仕業だと思っているようですな。
屈折した物の考え方じゃ従業員も着いて行かないよ。

ま、GARUDAが気になるから覗きに来る訳で、拙者のブログのアクセスカウントも上るっちゅう訳ですな。

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讃岐うどんとは・・・ ウィキより。 [THE GARUDA]

概要
伝来時期などは明らかでないが、元禄時代(江戸前期)の屏風絵にうどん屋を認めることができる[1]。古くから小麦[2]、塩[3]、イリコ(煮干し、カタクチイワシ)[4]、醤油[4]といった讃岐うどんの原料が、この地域で容易に入手でき、かつ特産品でもあった。なお、「讃岐うどん」という特別な呼称ができたのは古くはなく、香川県のうどんを名物として宣伝しだした1960年代頃と考えられている[5]。商品として製麺する讃岐うどんについては後述のような定義もあるが、香川県内のうどん店や家庭などで作られるうどんは一般にどれも讃岐うどんとされる[6]。

香川県内においてうどんは特に好まれて県民の生活の中で特異な位置を占めており、一人当たりの年間うどん消費量230玉は日本で1位となっている[7]。日本国内でのうどん総生産量を比較すると、2006年の時点で香川県は60,660トンであり、2位の埼玉県の19,827トンを大きく上回っている。また、ゆでうどん・生うどん・乾燥うどんの3種類すべてで生産量が1位となっている[8]。香川県民の多くは県外に出てもうどんへの拘りを隠さず、香川に帰ってうどんを食べることで帰郷を実感するほどである[9]。また、香川県のうどん店の客層は幅広い年齢にわたって分布しているのも特徴である[10]。

香川県では県全域にうどん店が分布し、生活に密着した食物・食習慣となっており[11]、「讃岐うどん通り」などと称されるような店鋪の特定集中区域はない。讃岐・香川に限らず、小麦粉の切り麺としてうどんは日本各地で発達したが、全国的にも讃岐うどんはブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」などの表現を用いることも多い[12][13]。香川県外では普通の店屋物のうどんでも讃岐・讃岐風を標榜するなど、讃岐うどんは広く認知されるようになっていった。なお香川では大晦日、年越し蕎麦よりも年越しうどんを食べる場合の方が多い。主に製麺所系のうどん店はこの日に限り玉売りしか行なわれない。


[編集] 定義
生めん類の表示に関する公正競争規約及び公正競争規約施行規則[14]において、「さぬきうどん」は以下の通り定められている。(1971年10月1日施行、1977年1月25日改正)

香川県内で製造されたもの
手打、手打式(風)のもの
加水量 - 小麦粉重量に対し40%以上
食塩 - 小麦粉重量に対し3%以上
熟成時間 - 2時間以上
ゆでる場合 - ゆで時間約15分間で十分アルファ化されていること
ただしこの条件は、讃岐うどんとして「名物」や「本場」、「特産」などを名乗る場合にのみ適用される[15]。このため、「讃岐うどん」という呼称は、香川県外ではしばしば具なしのうどん(香川で「かけ」「かやく」「すうどん」などと呼ばれているもの)の名称として、またはほかのうどんメニューと区別するための記号として用いられることがある。


[編集] 歴史

[編集] 近世以前
うどんは弘法大師が唐から伝えたという言い伝えが遍路でお大師様(弘法大師)に親しむ香川県ではよく語られ、このエピソードは讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に現れるが、明確な根拠はない[16]。なお、唐から伝えられたのは小麦粉の生地に餡などを包んだ「こんとん」と呼ばれる唐菓子で[17]、現在のうどんは素麺の元祖である「索餅」と、ほうとうの元祖である「餺飥(はくたく)」の技法をベースに形成されたと考えられている[18]。

現存する香川・讃岐におけるうどんの記録で最も古いものはうどん屋の営業に関する記述で、江戸時代前期に初めて現れた。これは江戸や大坂にうどん屋が出現し始めた頃に当たる[1]。寛永19年(1647年)の飢饉の際には江戸幕府によってうどんや素麺の禁令が全国に出されるなど、江戸時代にうどんは贅沢品とみなされていた。しかし、讃岐国の琴平は金光院の朱印地であるため高い自治権を有しており幕府の制約を受けにくく、また京都・江戸などと交流の深かったため、これらの都市から製法が伝わってきたとみられる[19]。このような事情に加え、少雨で日照時間が長い事から小麦の栽培に適しており、坂出などの塩田での製塩や小豆島、引田などでの醤油製造も発達していた事などから原料の確保が容易であり、元禄年間ごろから琴平周辺ではうどん作りが盛んになった。これは全国的に見て早い時期に属する[19]。当時のうどんは、他の地域と同様に茶店などで菓子と一緒に嗜好品として供されていた[19]。

江戸時代後期には金刀比羅宮への参拝客を相手にした旅籠が増え、その1階がうどん屋となる例が多かった。店頭に茹で釜が置かれ、砥部焼の鉢にうどんを盛り、ショウガやネギとだし(麺つゆ)を入れた猪口につけて食べる形式が一般的となった[20]。なお、これは現代でいう湯だめという食べ方にあたる。また参拝客が船で到着する丸亀や多度津にもうどん屋が作られ、弘化4年(1847年)の名所図会などに記録が残っている。農民にとっては引き続きうどんは贅沢品とされ、田植えや法事の際に振舞われる特別な存在だった[21]。


[編集] 近代
明治時代には夜なきうどんの行商人が高松市内に増え、1887年頃には天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部に石油ランプをともして鈴を鳴らしながら売り歩いていた。箱の下部にはどんぶりや湯沸かしを入れ、総重量は60-70kgだったといわれる[20]。20世紀に入るとこれらの業者は全て車輪付き屋台を用いるようになり、その両脇に飾り格子をはめて行燈を吊るしていた。うどんは玉の上から花がつおとだしをかけたぶっかけで、炭火で茹でるため人気があったという[20]。なお、夜なきの行商人は生麺の卸売業者(玉卸し屋)と契約して道具を借り、営業を行なっていた。当時は5軒の玉卸し屋があったが、大正時代にはのれん分けの関係をもとに3系統に分かれ、終戦までこれが続いていた[22]。昭和初期には飾りガラスなどを凝らした屋台が並び、夜の高松の風物詩と呼ばれた[23]。

また、農村部では明治時代に水車の動力を利用した製粉業が盛んになり、その粉を仕入れる小規模な製麺業者も増加した[24]。1930年代に入ると日中戦争などで若者が減ったこともあって機械式の製麺が全国に広がったが、香川県では手打ちの製麺所が残り、配給の小麦が持ち込まれた[25]。この頃からエンジン式の製粉機が普及し始め、20世紀後半には完全に水車に取って代わっている。なお、20世紀前半の香川県では年中行事や冠婚葬祭でもうどん料理が食べられ[26]、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉まであったという[17]。


[編集] 現代
第二次世界大戦直後の小麦粉が十分に手に入らない中、高松市などでは代用品としてドングリや芋の粉を用い、足りない粘り気はワラビの粉やところてんでつなぐなどしてうどんが作られていた。小麦粉の供給は、1949年ごろから闇市を中心に回復してきた[22]。郷土料理として讃岐うどんは主に家庭で消費され、また外食店でも一部の喫茶店や中華料理店を含む多くの食堂にうどんは置かれた。1960年代にはその数3,000から3,500と推定される[26]。当時はまだうどんの「専門店」と呼べるような店は高松市内でもほとんど存在していなかったが、1960年代半ばから香川県独自のセルフサービス方式のうどん専門店が登場し、1970年前後からはメニュー数種を揃えたうどん専門店も増え始め、現在に至る香川県におけるうどん店の状況が形作られていった[27](香川県におけるうどん店の業態に関しては後述する)。うどんを扱う飲食店の総数は逆に減少し[26]、うどん店の専門化が進んでいった。

このような中で1963年2月に高松駅構内に立ち食いうどん店が開店した。当時、立ち食いソバ屋は全国の多くの駅にあったがうどんは前例がなく、宇高連絡船などで四国を訪れた人々に強い印象を与えた[28]。間もなく高松駅構内の2号店や宇高連絡船のデッキにも立ち食いうどん店が設置され、テレビなどで「食べる民芸品」として県内で味の評価の高い店が紹介された。また、この頃にポリエチレンなどの包装が始まって保存期間が長くなり、土産品としての需要も増加している[22]。なお、1970年代には手打ち式の讃岐うどんが香川の名物だと認知している人は県外ではまだ多くなく、うどんは旅のついでに偶然食べる存在だった[29]。しかし、一方で1970年の大阪万博では讃岐うどんが全国に紹介され、この頃から全国的な知名度が大きく上昇していった[30]。この万博では和食チェーンの京樽の運営するレストランのメニューの1つとして讃岐うどんが出食され、手打ちの過程をガラス越しに実演して毎日6,000食を売り切ったという[31]。

1980年代末頃より、香川県のタウン情報誌で連載されたうどん店の紹介企画『ゲリラうどん通ごっこ』が評判となり、まず県内からうどん屋探訪が盛んになった。このブーム以降は、それまで重視されていた味の要素に加え、個性的な店への訪問自体を楽しむ客が大きく増えたのが特徴とされる[32]。 これを受けて1992年には武田鉄矢がテレビ東京の、1993年には吉村明宏が日本テレビの、それぞれグルメ番組で地元の人々とうどん屋を巡ったのを皮切りに、毎年のように在京各テレビ局の番組で讃岐うどんやその特徴的な店舗が取り上げられるようになる。一方、地元の山陽放送も穴場うどん番組を1994年から定期的に放映するなど、新たな切り口での讃岐うどんのメディアへの露出が増加し、2000年代に入るとマスコミによる紹介はさらに広範なメディアに拡大していった[33]。このような背景もあり、1990年代後半からは県外でも徐々に讃岐うどん屋巡りを目的に香川へ出向くという観光スタイルが広がっていった[33]。また、1990年ごろには初の冷凍うどんが香川県で開発されている[34]。

セルフサービスのうどん店は香川県外ではあまり見られなかったが、2002年にこのセルフ方式のうどん店が首都圏に開店したのを皮切りに、日本各地で同様のセルフうどん店が次々とオープンした。この出店ラッシュは2005年頃まで続いた。このような一連の全国的なマスコミへの露出や観光客の増加、讃岐うどん店の全国への進出は「(第4次)讃岐うどんブーム」とも呼ばれた(後述)。2004年の香川県の調査によれば、県を訪れた観光客の40%以上が観光の動機に「讃岐うどんを食べること」を挙げ、観光の印象として「讃岐うどんがおいしかったこと」が最多の回答となっている[35]。香川県ではうどんをご当地グルメとして売り出し、現在では香川県の経済面にさえ影響を及ぼすほどの一大観光資源となっている。2006年8月には讃岐うどんを題材にした映画・UDONを公開した。

しかし、他方では一時期の熱狂的といえるブームは一段落しており、新規開店も減った現在では淘汰も始まり、また、事実上の過当競争状態の地域も見られている。そうした中で、セルフうどん店は廉価・手軽なファストフードの一つとしてある程度定着し、香川県内はもとより遠くは首都圏などにおいても、ショッピング街やフードコート、主要な街道沿いなどで見かけることが珍しくなくなっている。


[編集] 讃岐うどんブーム
香川県農政水産部の見解[36]によれば、20世紀後半から21世紀初頭にかけて下記のように4回の讃岐うどんブームが起きている。なお、これは必ずしも統一された見解ではなく、第3次と第4次を連続したブームと捉える意見などもある[33]。いずれも終息時期は判定が困難で特定されていないため、発生したとされる年を示す。

第1次:1969年
宇高連絡船デッキ上の立ち食いうどん店の独特の雰囲気や、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスが評価された。また、香川県はPRのために当時キャラバン隊を組織していた。
第2次:1987年
瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、讃岐うどん店への来店客も増加した。一方で、バブル景気の時期であった事などから一部の店が値段を高騰させて問題が生じた[37]。また、冷凍うどんが商品化されたことで、全国のスーパーマーケットなどで讃岐うどんが広く販売されるようになった。
第3次:1995年
『恐るべきさぬきうどん』などの影響による香川県内でうどん店を巡る客の増加や、それを受けた1990年代前半のマスコミへの露出により、讃岐うどんを目的とする観光客が急激に増加していった。
第4次:2002年
首都圏など香川県外へのセルフ式うどん店の出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が日本全国で増えた。
一方で、讃岐うどんブームの弊害として不法駐車の増加が挙げられる。一例として高松市鶴市町の某製麺所はブーム以前から有名だったが、ブームの発生で近隣にあるマルヨシセンター鶴市店の駐車場への無断駐車が増加し、同店の客が駐車できない事態が発生したことから同社が激怒し、ついに同市の別の場所に移転させられるという事態まで発生した。


[編集] メニューなどの用語

[編集] 用語
讃岐うどんに関する用語を説明する。一般的なうどんに関する用語についてはうどんを参照。

だし
調味されたうどんの汁。一般的に「つゆ」「うどんつゆ」と呼ばれているものであるが、香川ではだしと呼ぶ。
かやく
意味は「具の入ったうどん」のことであるが、蒲鉾などが少し入っただけのシンプルなものから、いくつかの具を盛り合わせたものまで様々である。一般店では一番シンプルなメニューをかけではなくかやくとしているところがある。

[編集] メニュー
現在、讃岐うどんは麺そのものや業態をもって特色とし、完成した料理メニューとしては讃岐うどんに統一的なものはないと言える。メニューは非常に多岐に渡り、変り種のうどんも非常に多い[38]。かやくやぶっかけなどは、同じ名前がついていながら異なるうどん料理であることも珍しくない。

かけ
うすめのだし汁をかけ、刻みねぎや天かすを載せたうどん。薄切りの板かまぼこを加える場合もある。シンプルで値段も安く、20世紀後半まで最も主流の食べ方だった[39]。
生醤油(きじょうゆ)
うどん玉に醤油を少しかけただけのうどん。しょうゆうどんとも呼ばれる。醤油は火入れしないいわゆる生醤油とは限らない。調味された醤油が使われたり、薬味や具が入ることもある。麺そのものの味が味わえ、家庭でも手軽にできるため、店では「かけ」家庭では「生醤油」が讃岐うどんの定番という人も多い。
釜揚げ
ゆでて水洗いする前の熱いうどん。麺の状態のことを指すこともあれば、完成した料理のことを指すこともある。料理としての釜揚げうどんは当該項目を参照。
ぶっかけ
濃い目のだし(つけだしに近いぶっかけだし)が、少なめにかけられたうどん。ぶっかけうどんは、具のあまり乗っていないシンプルなものから豪華なものまで、店によって様々であり、共通点は「濃い目のだしが少なめにかけられている」という点である[40]。発祥は、岡山県倉敷市のうどん店「ふるいち」だが、香川県に伝わり、讃岐うどんの定番メニューとなった。
湯だめ
水洗いされたうどんを再度温めて湯に浸かった状態で供され、だしにつけて食べるうどん。釜揚げうどんと対比されて使われる。最も古くからの食べ方で、夏期は冷水に入れて冷やしうどんとした[19]。待たされることもある釜揚げ系統の、急ぎの客向けの代用メニューともされ、釜玉に対する「あつ玉」も同じ。もちもち感が少し損なわれる。
しっぽく
肉や根菜類を煮た甘めの汁をかけたうどん。家庭では里芋、ニンジン、大根、油揚げなど、店では天ぷらやちくわなどが具に入る[19]。秋から冬を中心に食べられる、東讃地方の郷土料理。
釜玉(かまたま)
湯を切った釜揚げのうどん玉、卵、薬味、だしまたは醤油を混ぜて作られるうどん料理。うどん玉が冷めないうちに卵をかき混ぜて半熟にし、少量ずつ薬味と出汁を自分の好みに合わせ、好みに応じて揚げ玉も入れる。綾川町の山越うどんが発祥といわれている。サッカー四国社会人リーグのカマタマーレ讃岐の名称の由来にもなっている。
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