スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』
市川右近、市川段治郎、市川笑也ほか。6月9日から27日。中日劇場
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【結いの心】絆の原点忘れるな カローラの魂<1>2008年5月19日
トヨタの最高級車「レクサス」がデビューしたのは2005年8月。上級モデルなら1000万円を超す「勝ち組」の車だ。 トヨタが大衆路線からハンドルを切った−。騒ぐメディアをよそに、総責任者だった専務の吉田健(59)は別の車に思いをめぐらせていた。 「カローラ」。1966(昭和41)年に初代が発売され、現在まで10代を数える「大衆車」である。 まだ40代前半のころ、タイの自動車事情を視察した吉田は北部の山中で古い1台のカローラと出くわした。 水たまりだらけのでこぼこ道。発売から20年余はたつのに、ボンネットを開けると、針金で補強されたエンジンが軽やかな音を立てていた。 アフリカの小国ではタクシー、中東では主婦が井戸の水くみに砂漠を走らせていた。海外出張のたび、初代カローラが世界の人々の“足”になっている光景を目の当たりにし、心が沸き立った。 「世界にはトヨタを知らなくても、カローラならって人がたくさんいた」 吉田は、2000年発売の9代目カローラで開発責任者に指名された。 ある日、現相談役の奥田碩(ひろし)(75)が「カローラの名前を変えようって声があるが、どうだ」。カローラの国内での評判は「平凡」「退屈」とさんざん。販売店から「時流に合うイメージの名前に」と要望が出るほどだった。 だが、世界で築いた信用と、それがトヨタの土台、という確信が吉田にはあった。「変えたくありません」。答えに迷わなかった。 初代のエンジン開発者、天野益夫(83)は、半世紀前を「クーラーもなくてねぇ。バケツの水で足を冷やしながら仕事をしてました」と振り返る。 汗で汚れないよう鉢巻きをして図面に向かっていると、わきからのぞき込んだ工場の職人が「そこはおれたちにやらせろ」と口を出す。販売担当者が「こうした方が売れるんじゃないか」と乗り込んできたことも。天野自身、下請け工場へ足を運び「何とか明日までに」と頭を下げた。 社内は縦割り、発注はメール、下請けには一方的なコスト削減指示も当たり前、という現在では考えられない場面の数々。しかし、天野は「人と人のつながりが設計図に見えない“何か”を書き込んでくれたんですよ」と真顔で言う。 レクサスはあのビル・ゲイツも使った成功のシンボル。だが、カローラ愛豊のレクサス事業部長で、販売のカリスマとして知られる岩屋実(56)は言う。 「レクサスが売れるのも、カローラで築いた信用がトヨタの財産になっているから」 奥田に問われ、吉田が守りたかったのは、カローラの名前ではない。 世界の“足”をつくり上げた先人たちの思い。多くの人の情熱がつながり合い、形づくられたモノづくりの魂。吉田は断言する。 「カローラこそトヨタの原点なんです」 =文中敬称略 × × 「トヨタの足元」編では、巨大企業が長年培った絆(きずな)を見失い、ともすれば上意下達が自社の利益最優先となるグローバル経済の現実を描いた。「カローラの魂」編では、戦後、倒産の危機からはい上がったトヨタの土台となった車の歴史をたどり、人の絆を大切にしてきたその原点と、変ぼうを追う。 【カローラ】自家用車が庶民のあこがれの時代に、排気量1100ccで登場。基本価格はサラリーマンの平均年収(約55万円)を下回る約43万円。名はラテン語で「花の冠」の意。計16カ国で生産、150カ国で販売。その数3000万台以上は世界一。
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