LIVING LEGEND 伝説人 Vol.1 浜田省吾

今回からスタートする『e-days LIVING LEGEND』、長く活動を続ける日本のトップアーティストたちの人間的魅力を描くシリーズです PROLOGUE 序章 初恋はロックンロール!“My First Love is Rock‘N’Roll”  1964年(昭和39年)広島県の江田島で小学校5年生だった浜田少年は、ラジオのFENから流れるビートルズに衝撃を覚えた。

 ビートルズはこの年3月ビルボードのシングルチャートの1位〜5位を独占し、浜田少年はレコードこそ買えないが、憧れていた同級生の女のコの家のステレオで『プリーズ・プリーズ・ミー』を聴く。中学生になると姉が誕生日に親からプレゼントされたガットギターを自分のものとし、ロックにのめり込んでいく。
 浜田省吾は「初恋は、間違いなく音楽ですね」と言う。
 映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように、男はまだ女性を意識する前の12歳〜13歳の頃に夢のような、何か得体の知れないザワザワとしたものに引きつけられるが、これはもしかしたら、未来への初期設定なのかもしれない。
さて、今回のツアータイトルが“My First Love is Rock‘n’Roll”。
06年9月にスタートし、07年11月、山形県酒田市民会館 希望ホールで全国109公演のファイナルを迎えたが、ツアーでは、ミュージシャンたち(浜田省吾Vo&G、小田原豊Drs、美久月千晴B、福田裕彦Key、小島良喜Pf、町支寛二G、長田進G、古村敏比古Sax)それぞれの、初恋の思い出の曲が会場で流れた。
 浜田は1974年(昭和49年)にこの道に入った。バンドAIDOを経て『路地裏の少年』でソロ・デビューしたのは76年(昭和51年)。『およげ!たいやきくん』や『木綿のハンカチチーフ』がヒットし、『限りなく透明に近いブルー』がベストセラーになり、雑誌『POPEYE』が創刊された年だ。以来、地道にコンサート活動を続け、82年(昭和57年)に初の武道館公演、86年(昭和61年)にアルバム『J.BOY』が初のアルバムチャート1位獲得、92年(平成4年)に『悲しみは雪のように』が170万枚のセールスを記録。浜田はアルバム制作とライブ中心という活動を一貫し、今やキャリアは34年目を迎える。これまでのアルバムは29作(AIDOを含む)、そしてライブ数は1550本を越える。このインタビューはツアーを終え休む間もなく、ライブDVD『ON THE ROAD 2005-2007 “My First Love” 』の編集に入り、終盤のさなかに行われた。(2008年2月15日)

CHAPTER1 第一章「初恋」 —ツアーでは、ミュージシャンたちのそれぞれの初恋の思い出の曲が会場で流れましたが、どんな選曲でしたか?

浜田省吾(以下SHと略):コンサートが始まる前、オーディエンスが入って席につくまで30~40分ありますよね。そのときに、どの会場でも全館のスピーカーをオンにしてメンバーの思い出の曲を流しました。オレとか町支の世代だと、ビートルズやビーチボーイズ、ラヴィン・スプーンフルとか。でも他のメンバーはドアーズやジェスロタルなんかのアルバムを選んで、中には暗いものもあったね(笑)。ビーチボーイズやシュープリームスだと、客席もだんだんオープニングが近づくと、曲に合わせて手拍子をしたりして盛り上がってきますが、さすがにピンク・フロイドが流れたときは、シーンとしちゃって。ステージの袖で笑いをこらえ『誰だ、この曲選んだのは。全然盛り上がらないじゃん、どうしてくれるんだ!(笑)』と。

—浜田さん自身、初恋ってどんな感じだったんですか?

SH: 間違いなく、初恋は音楽です。それを絞り込めばビートルズになると思うのですが、あれほど胸がせつなくて、キュンとなったような体験は多分女のコに対してはないでしょうね。初恋をどういうふうに考えるか。小学生ぐらいで女のコのことを意識した最初のが、それが初恋なのか、ある程度、もうティーンエージャーになって、女のコのことをもう少し具体的に好きになるのが初恋なのかによって、初恋って違いますよね。

—違いますよ。高校になって、この人がいいと思う気持ちは、それは小学生のときとはかなり違いますよね。すごく好きになったときって、まず洋服はこれでいいのかとか、家でもずっと好きな音楽をフラフラになるまで聴いて、その人のことを思い詰めたりして…。すいません、こちらの話で。

SH:いや、どうぞ(笑)。

—そういうときって、感性とかがいちばん磨かれるというか、何かこう芽が出てくるような気がします。

SH:その後の一生は、そこで決まるのかもしれないですね。初めて女性を好きになるときも、最初のアルバムを作るときも同じなんですよ。音楽もファーストアルバムって、すごく粗野だけれども、どんな人のファーストアルバムも、その中に、その後の音楽が全部入っている。

浜田省吾

—そのときは真剣だけど、振り返ると恥ずかしかったり…

SH:オレなんか、典型的にそうです。だから、初恋もそうかもしれないですね…。初恋の中に、その後の恋のかたちが全部入っているのかなあと思うときがあります。

—何か照れくさいですよね、思い出すとやっぱり…

SH:オレの場合は、女のコを初めて意識したのは小学校5年生、10歳ぐらいのときで、ものすごく印象的なことだから、よく覚えているんだけど、クラスでいちばん背の高かった女のコ。かわいくて、ソフトボール投げをしても、走っても、男のコよりも圧倒的に強いんですよ。オレなんかそのコより体が小さくて、彼女に憧れましたね。

—その気持ちすごくわかります。

SH:それで、そのコのお兄ちゃんが中学生で、その家は町で唯一ステレオを持っていて、当時、1964年(昭和39年)ぐらいですね。で、お兄ちゃんがビートルズのシングル盤も持っているという話を誰かから聞いてすぐそのコの家に行って、「レコードを聞かせてくれ」って頼んだ。すると「お兄ちゃんに怒られるから嫌だ」と言われて(笑)。でも、そのコは、家の裏側の2階の窓をあけてくれ、『プリーズ・プリーズ・ミー』のレコードをかけてくれました。これがビートルズのレコードを聴いた最初の体験。だから、オレはそのコが好きだったのか、レコードでビートルズが聴きたかっただけなのかわからないけど、楽しい思い出ですね。小さな江田島という島の小学校のときのことで、今でも映像のようになって覚えています。うーん、振り返ってみると、18歳のときに出会ったLAから来た留学生の女のコが本当の初恋だったのかもしれないなぁ…? うーん、それとも…(笑)。

—“My First Love”は、どんな気持ちで作られたのですか?
(LIVE DVD『 ON THE ROAD 2005-2007 “My First Love”』 が4月2日リリース)


SH:ブルースとかロックミュージックって、もともと日本で生まれたものでもなければ、自分たちの血の中にあるものでもないわけです。戦後、アメリカの占領政策の中で入ってきたポップカルチャーのひとつで、自分がどんなにそれを一生懸命追求していっても、ずっと自分は“Nowhere man”なんだという気持ちがあるんです。それで、ロックミュージックをやっているアジア人、日本人、つまりオレって一体何だろうと強く思っている時期が30代の半ばぐらいまであって、それで『J.BOY』や『FATHER'S SON』 というアルバムをつくったんですけども…今は、つまりこれって初恋だからしょうがない、最初に恋したのがこいつだからって(笑)。

—初恋はロックンロール?

SH: 自分の中で自分のやってきたことに、どう意味を見いだすのかと考えたときに、最後は、ああこれって初恋だったんだと気がついたというのかな。オレはずっとその面影をずっと追いかけているんだなという、そんなふうに思うんです。初恋は一生初恋のままだから。
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