イエスの惑星BBS

キリスト教信者の方、又はキリスト教や聖書に興味のある方の 交流の場です。

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したがいまして管理者の独断と偏見で、この掲示板には不適切
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最近の左傾化した教会の環境や教会の政治的な言動に疑問を
お持ちの方大歓迎です。
夢之介
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サボテンさん ノコノコさん  投稿者:ハコテンの龍  投稿日:2008年 6月12日(木)00時25分55秒
  谷司教には、会ったことがない。
「信者ががっかりする立ち居振る舞い、足ぶらぶら、トホホミサ?七福神?」

正平協全国大会で、そんな司教の基調提起「信協の自由と政教分離ー憲法20条が危ない」
お顔と足ぶらぶらを拝見するのが楽しみである。
サボテンさんとノコノコさんの話を聞いていると「服装の自由と説教分離ーミサが危ない」に変更するべきではないだろうか?
 

ピンクペアの?おとっつぁん様  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月11日(水)21時24分3秒    編集済
  この時期のタイミングで しかも同時に
チベットと並べて 以下の抗議文などが 並列されているのと
正平協全国大会の宣伝と・・・が 並んでいるのが なんとなく
いやな感じがしてまいます
意図的なものを 感じてしまいます。
しかも 沖縄の件は あえて事務局長名で 松浦補佐司教の名前じゃないとか・・・

●重要 9/13・9/14・9/15
  第34回カトリック「正義と平和」全国集会・大阪大会
●在沖縄アメリカ海兵隊員による沖縄女性強姦事件に強く抗議する。
 事務局長 大倉一美
●教皇ベネディクト16世の日本の教会に対する勧め:アドリミナにおける講話抜粋
●日本の司教団の社会的動きを支持する教皇大使のメッセージ
●わたしたちは基本的人権である信教の自由を保障する政教分離の原則を堅持していくことを強く訴えます 日本カトリック司教団
●日本カトリック司教協議会 社会司教委員会編
   小冊子 「非暴力による平和への道」全文を掲載しました。
●平和をつくりだす宗教者ネットより
      自衛隊のイラク派兵中止を求める署名をお願いします
●戦後60年企画「正義と平和講演録」出版のご案内是非ご購読ください
 

(無題)  投稿者:おとっつぁん  投稿日:2008年 6月11日(水)21時03分33秒
   ノムさん様のHPにはまだ言及がありませんが、チベット問題に関する中国大使館宛、正平協の声明文が正平協のHPに載っています。PDFでダウンロードできるようになっていて、じつに親切です。
http://www.jccjp.com/message/jp-msglist.html
 待ちに待った公開ですが、内容もいつになくやさしい文章です。
 4月4日付の声明文の前に3月19日付の要望書があるはずですが、こちらは非公開なんでしょうか。
 

落ち着きのない、谷司教様へ  投稿者:ノコノコ  投稿日:2008年 6月11日(水)20時29分14秒
  ☆サボテン様
>ふるまいはつつしみ深く謙虚に
先月18日に福岡教区の着座式があったんですけど
着座式の間、谷司教は腕を組み、足をぷらぷらさせて
落ち着きのない我が子に顔を赤くする父兄参観日の親の気分!

谷司教様、自分の教区でトホホミサだろうが、
七福神だろうが構いませんけど
あまり他(よそ)でバカぶりをアピールしないでください
 

さいたま教区長、谷司教様へ  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 6月11日(水)11時42分24秒
   近く、司教様司式のごミサに与ることになりました。残念ながら、小教区の信者は、司教訪問の際、がっかりさせられることが多いのです。説教、アルバの下の服装、敷地内での喫煙、感謝の祭儀の所作、ミサ後の会食での話題・・・。当日は子どもたちもしっかり司教様を見ています。高校生はしっかり説教を聞き、後日、内容について質問をすることさえあります。彼らは、正面ばかりでなく背中も見ています。そして、何が語られるのか聞いているのです。

 どうぞ、信徒ががっかりさせられることがないように、お願いします。ふるまいはつつしみ深く謙虚に、説教の内容は、教皇様に一致しておられる司教としてふさわしいものを、お願いします。信徒は、司教様のためにさまざまな準備をしています。期待を裏切られないように、お願いします。
 

松浦補佐司教の声明  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 6月11日(水)08時20分39秒    編集済
  おつるさんたちの健闘が奏功しましたね。

6月1日に中原教会で私を含めた4名は、松浦補佐司教へ各人一通、計4通の「公開質問状」をお渡ししました。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2008/06/080603.html
その中にチベット問題もありました。
4通の質問状は、間もなく公開します。
司教の声明文全文は遅かったにせよ公開された訳ですから、みんなの要望(疑問)に応えて頂いた、とも言えます。これはおそらく画期的なことですから、質問状に並べて「声明文」もリンクしたいと思います。

おつるさんをはじめ同じような疑問が多く寄せられていたのでしょう。
5/12には山形・福島巡礼中の私の携帯に、北野教会の某氏から連絡があり、同様質問を松浦司教にしたところ明確な返事を頂けなかった、とありました。(5/11に司教は北野教会を訪問したはずです)
それやこれやの「声」が、無視できぬ段階に達したということでしょうね。
いずれにせよ、どのような形にせよ、反応が見えると言うことは、良いことと思います。
希望が持てますね。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

おつるさん  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月11日(水)06時37分49秒
  今後どう変わっていくのかいかないのか見ていき、それから結論を出してもおそくはないと思います。
おつるさんのまわりには、ご主人やtontonさんのような立派な方々がいらっしゃるのですから。
今回のことが「はじめの一歩」なのか、それとも一時的なことなのか、もう少し見ていきましょう。
もしかすると、おつるさんのお手紙が松浦司教を動かしたのかもしれませんよ。
赤旗に出ちゃうくらいだから、政治的に偏向していると予断を持たれても、今まではしかたなかったわけですし。
正平協に関しては、今後数か月間は、他の教区では考えられないほど大阪では話題に出てくることと思います。
大阪以外の教区では、正直いってわからない部分もあります。
中国には何も言えないわけではない、というのがわかっただけでも、よかったと思いますよ。
ただそれならそれで、もっとアピールしてもよかったとは思いますが。4月のうちに。
 

カトリック正義と平和協議会 ホームページ  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月11日(水)00時52分50秒    編集済
  カトリック 正平協のホームページの トップページが
久しぶりに 更新されていました。

松浦補佐司教の
「中国のチベット人と宗教者への弾圧をやめ、平和的解決を図ってください」の
中国大使館への声明が アップされていました。
http://www.jccjp.com/message/jp-M08040401.html
松浦補佐司教様 その声明は フリーチベットの活動を
している私は気持ち的には 本音はうれしいです。 有難うございます。

3/25に私は チベットについて 声明を出さない、行動されないことへの批判しながら
「本当の正義と平和を お感じになるなら どうかチベットの人々のために
祈ってください。」と 松浦補佐司教様にお手紙を 送っていたから。

カトリック新聞に全文が掲載されてなくて 信じられなくて菊地司教様にもメールで
このことについて 問い合わせてました。

この声明については 政治的ではないように思えます。
教皇ベネディクト十六世の復活祭のメッセージについても書かれていて
中身は政治的ではなくて 聖職者のメッセージとして素敵だと 素直に思いました。
「チベット問題の部分に関しては」
松浦補佐司教様、菊地司教様 疑ったり批判したりして ごめんなさい。


でも 私は 聖職者が政治的言動をすることを憂慮するスタンスは変わらないから
日本政府の 法律に関することや 憲法に関することなどへの正平協の抗議や
偏った部分などは おかしいと思う部分は 変わりません。


・・・ トップページが 一新されていて
「●重要 9/13・9/14・9/15
  第34回カトリック「正義と平和」全国集会・大阪大会
  ●2008年4月10日の死刑執行に強く抗議します。
 死刑廃止を求める部会 委員長ホアン・マシア
  ●中国のチベット人と宗教者への弾圧をやめ、平和的解決を図ってください
 会長 松浦悟郎
  ●在沖縄アメリカ海兵隊員による沖縄女性強姦事件に強く抗議する。
 事務局長 大倉一美
  ●2008年2月1日の死刑執行に強く抗議します。
 死刑廃止を求める部会 委員長ホアン・マシア
  ●教皇ベネディクト16世の日本の教会に対する勧め:アドリミナにおける講話抜粋
  ●日本の司教団の社会的動きを支持する教皇大使のメッセージ
  ●わたしたちは基本的人権である信教の自由を保障する政教分離の原則を堅持していくこ  とを強く訴えます 日本カトリック司教団
  ●日本カトリック司教協議会 社会司教委員会編
   小冊子 「非暴力による平和への道」全文を掲載しました。
  ●平和をつくりだす宗教者ネットより
      自衛隊のイラク派兵中止を求める署名をお願いします
  ●戦後60年企画「正義と平和講演録」出版のご案内是非ご購読ください
  ●平和に関する祈りを集めた「平和の祈り」が出来ました。」

一挙に いろいろ並んでいます。 「非暴力による平和への道」全文掲載されてます。
沖縄女性強姦事件の抗議と チベット人に対する中国への抗議が並んでいます・・・???

複雑です。 皆様 どうお考えになりますか?
 

バティカンへの働きかけ  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月10日(火)22時53分37秒
   Pas さんのおっしゃること、図星、まことに肯綮に当たっている。先ずは大阪教区での紛乱に焦点をあて、そこで現実、只今、当惑、迷惑、困惑し、具体的に苦しめられている信徒の声を具体的に伝えることが最も有効かつ緊急でしょう。

  こういう具体的事例だと、バティカンも何らかの対応を取りやすいのじゃないかな。

  しかしまた同時に、司教団と、それに属する司教委員会も、軽率にして、幼稚、現実離れの精神論、教会の伝統的教説にも違背する絶対的平和主義、イエスの説かれた平和の、聖書学的に全く誤まった解釈、中共や、北朝鮮、アフガンのアルカイーダ、イラクのフセイン政権など、非人道、反人権、そして宗教迫害者勢力を利し、彼等に連携、通謀しているとしか見えないような政治的主張、などなど、言語同断の言動を見ても、
  もう末期的状況にあることも、やっぱりバティカンにお伝えしておくのがいいんじゃないか。

  何はともあれ彦左衛門、おつるさんが折角おっしゃっていることですが、現在直ちに『行動』を起こし、手紙を書くのは、申し訳ないが、もうちょっと、気力、意力、体力の回復を待ってのことにしたいと思っています。

 時間も、知識も現在なお不足しています。いずれにしても近い未来の努力目標として、忘れまいとは思っていますが。
 

彦左衛門様  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月10日(火)22時10分15秒    編集済
  「日本司教団」を相手に物事を考えると、話が大きくなり過ぎて、難しくなり過ぎてしまうのかもしれません。
個々の司教様は、「日本司教団」の声明について「あくまでもあれは司教団の声明であって私自身の意見ではない」と言うことができてしまうからです。「みんなの責任は無責任」みたいなものです。
それに、「日本司教団」が相手だと、ローマですら腰が重くなってしまうのではないでしょうか。

大阪教区のことは伝聞でしか知りませんが、日本の「最先端」が大阪教区だというのはまちがいないと思います。
逆にいうと、いま大阪で起こっているような政治や典礼の問題も、別の教区のある小教区では実はほとんど無関係だったりします。小教区の主任司祭の判断でその種の「運動」や「刷新」を断固として導入しないところは、日本全体ではまだまだあるはずです。
逆にいうと、「先端」を行っているいくつかの教区では主任司祭というのが死語になりつつあるようですが、それもまた「運動」や「刷新」と無関係ではないでしょう。
「運動」や「刷新」を教区全体に普及させたい側からすれば、それに抵抗する主任司祭などいらぬわけですから。

大阪の人たちにやらせてしまうようで申しわけないですが、まず大阪教区の方々からローマに現状を伝えてもらうのは悪くはないと思います。
実際にいちばん実害をこうむっている方々の生の声をローマに知ってもらうのが大事なのだと思います。

日本のカトリック教会全体で考えると、「大声を出している少数」を「さめた目で見ている多数」、という構図ではないでしょうか。
「大声を出している少数」の中でも、確信犯的な強固な信念に基づいているのは、さらに少数でしょう。

「ここをおとなしくできれば他の大部分もおとなしくなる」みたいな「急所」のような部分がもしあるとすれば、そこをピンポイントで突くのが最も効果的だと思います。
「日本司教団」が相手だと、彦左衛門様のおっしゃる通り、さすがに分が悪いと思います。あまりにも話が大きくなり過ぎてしまいます。
問題は、その「急所」がどこにあるかということでしょうね。「急所」=震源地、ということになりますが。
 

井上ひさし  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月 9日(月)21時47分47秒    編集済
  こんなこと言ってて笑えた。 妻を殴る井上ひさしが言うセリフ笑

「井上ひさしさんは『表現の自由はあくまで、権力に対する表現の自由。弱者に対しては、担保されていない』と指摘した。差別は人間を不幸にする。表現者は、差別とそれによる不幸を認識し、言葉による痛みを和らげる配慮を持つべきだ」

言葉による痛みを言うひまがあったら 元妻の体の痛みを思いやりましょう♪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000054-zdn_n-sci
 

彦左衛門様 サボテン様  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月 9日(月)20時53分16秒
  バティカンの組織の 動き たいへん参考になりました。

ダンボさんが今 個人的に動こうとなさっています。 うれしいです。
私も お手紙を書きたいのですが なにせ知識がないのと
私が書くと 小学生の作文みたいな 詩みたいなものになっちゃうので・・・

組織としてまとめて 訴えるのが一番だと思いますが
各個人の それぞれの思いをまとめたりは 時間がかかりそうです。

組織として送るのはノムさんや 教会の政治的言動を憂慮する会の重鎮の方々の意向も
あると思いますし、おまかせしたいと思いますが
その前に 私はなかなかできるかどうかわかりませんが
 とり急ぎ 個人的に お手紙を出しても いいかもと 思ったり・・・

彦左衛門様も いつも司教団に メールされている感覚で
個別に おだしになってはいかがでしょうか。
ダンボさんのように知識があり 教会にずっと深く関わっていらっしゃる方や
元神父様で しかも 大学で教べんもとっていらっしゃった彦左衛門様からの
お手紙なら 効果的だと思います。

団体として 一通でもいいし、個別につぎつぎ お手紙が届くと
日本で いろいろな人が憂いていることが よくわかるような気がします

ノムさん やはり 大阪はキナくさいです。 それと広島も!
Pasさん 私の叔父も 戦地のどこで亡くなったか不明で 知りたかったのですが
靖国に問い合わせると わかるかも知れないですね。
靖国はそういう意味で 価値あるところだなと思いました。
 

義務遂行  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月 9日(月)18時29分52秒
  彦左衛門です。
 承前:
 バティカンに畏れながらと訴え出ても、すぐ反応がないであろう事は、これまでの記述で分っていただけたと思いますが、それではおとっつあんさんが提唱したような、連名で日本司教団の政治的逸脱をバティカンに告発することが、意味がないかといえば、僕は全然そう思いません。

 我々信徒には、司教聖職の過ちをしかるべき手段で、あらゆる合法的手段、愛徳に背かない手段をもちいて正す責任と義務があります。

  そのあらゆる手段の一つが、共同して、すなわち組織を作ってバティカンに訴え出ることです。これだけが手段ではないですが、これは必要なことです。

 それがただちに効果があるかどうかは、極言すれば、吾らの関知しないところです。吾らはただ義務を遂行すればいいのです。

  続く:
 

お手紙・・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 6月 9日(月)11時48分27秒
   ダンボさん、お手紙、がんばってくださいね!

 頬白親父さんのブログのリンクに「護教の盾」がありますが、こちらの管理人さん(J.Gさん)が、2006年5月から教皇庁典礼秘跡省にお手紙を出され、返事が返ってきて、札幌司教様との2度の面会の後、一応の解決を見た、という事例が、詳しく書かれています。「日記」のページです。(聖体拝領の方法と姿勢の問題・・・すでに、ご存じであったら、しつこくて、すみません!)私はJ.Gさんとは面識も無く、メールの交換なども全くしたことはないですし、彼のHPのすべてのページに目を通したわけではありません。しかし、洗礼を受けられたばかりの若い彼が誠実に手紙を出されたことに対して、典礼秘跡省が応え(返事を出し)、おそらく、札幌司教に、その件について何らかの働きかけがあったらしいことに、感動しています。

 この問題も、『あがないの秘跡』91項で信者に保障されていることが、日本(札幌教区の彼の教会)では、守られていなかったことが、ことの発端のようです。

 がんばってくださいね!
 

Pasさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 6月 9日(月)08時13分33秒
  これからの季節は、やはり北海道ですね。トラピストあたり?
長崎は、梅雨から夏の間は、避けたほうが賢明です。
なんせ、湿度が高いので。笑
リフレッシュには、ジメジメ湿度は・・・ね。

今、お手紙の準備をしています。個人でも あ・ち・らに 出そうと思って。
 

ダンボさん   投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月 9日(月)01時21分32秒
  気象庁のホームページで週間天気予報をチェックしていたら、ちょっと気持ちが醒めてきています。
http://www.jma.go.jp/jp/week/
実は長崎は洗礼式の少し前、もう十何年も前に行ったことがあります。大浦天主堂と中町教会には足を運んだ記憶がありますが、本河内は着いたのが夕暮れ時だったためルルドだけ訪れました。外海には行きませんでした。悪天候で行きたい場所の半分も回れなかった記憶があります。青空のもとの旅でないと楽しみは半減してしまいますね。
今は青空を探しに行きたい気分なので全く違う方向ですが、函館に行くかもしれません(笑)。定番コースになると思いますがこちらは行ったことがないので。函館だと私のいる辺りからは鉄道で移動できなくもないですし。
 

ノムさん 長いレスですが  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月 9日(月)00時31分38秒    編集済
  拝見しました。実は私は韓国に行ったことは一度もありません。むろん北朝鮮に行ったこともありません。韓国語だってまだまだ翻訳ソフト頼みのレベルです。
百済が滅んだ時に三千人の官女が身を投げたという場所に行かれたのですね。国が滅びるというのは、やはり悲惨なことです。
旧・日本領事館を訪問された際のお話で、日本の天皇(大正天皇)を表わすものがあって数年前に取り壊された、とのことですが、大正天皇は皇太子時代の1907年(明治40年)に韓国を訪問していますので、訪問の記念碑か何かではないでしょうか。大正天皇は訪問地で漢詩(和歌でなく)を詠むこともあったようなので、場合によってはその詩碑かもしれません。富山市の呉羽山というところには「大正天皇歌碑」というのがあると聞いています。

北朝鮮といえば、私の祖父(父方)は昭和20年12月に北朝鮮の咸鏡北道で亡くなっています。
満州で単身赴任していた祖父は、そこで昭和20年の春に召集され、それきりどうなったかわかりませんでした。
祖父の妹の夫はやはり満州で陸軍中佐かなにかでしたが、その人に訊いても見当がつかなかったようです。どの部隊がどこに移動したかというのは、重要な軍事機密でしたから。
昭和33年か34年に、外地で行方不明になっている人々はみな死んだという扱いになったそうです。
シベリアで亡くなったんだろうと祖母や父はずっと思っていたようです。だから、シベリアで抑留され死亡した人々の名簿なんかがカタカナで新聞に出ると、目を皿のようにして探していたものです。私の子供の頃の記憶です。

ところが数年前、私の弟がふっと、「靖国神社に問い合わせてみたらわかるんじゃないか」と思い、ダメで元々くらいの気持ちで問い合わせたところ、ちゃんと記録が残っていました。所属部隊名やその部隊がどこへ移動したのかも、わかりました。そして、祖父の亡くなった日時と場所もわかりました。満州で終戦を迎えた祖父の部隊はいったん今の北朝鮮まで移動させられ、昭和20年12月にシベリアへさらに移動させられましたが、部隊がシベリアに出発した同じ日に祖父は亡くなりました。その日に「二階級特進」になっています。といっても、二等兵から上等兵だったようですが。おそらく何かわけありの死、自然死ではなかったということなのでしょう。
弟は靖国神社に書類として出してほしいと頼みましたが、「各都道府県にも全く同じ記録は残っていますから、書類として作成するとしたら、靖国神社がやるよりも県の方に照会した方がはるかに速いですよ」とのことでした。
 

バティカンの立場  3  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月 8日(日)21時48分47秒    編集済
    彦左衛門です。兎にも角にも、バティカンは、何か問題がある時、間髪をいれずこれにメスを入れるとか、大鉈を振るうとかいうことはせず、よく言えば慎重で、できれば当事者たちの中での解決に期待し、悪く言えば、腰が重く、無責任に見えるのです。

  例のネオカテクメナート、新求道共同体の問題でもそうです。高松教区の前司教が、この共同体を教区に引き入れ、神学校まで作ってから、他の教区にまで、ネオの司祭や会員の活動が広がり、どこの教会の中にも対立、分裂、紛乱が生ずるようになりました。

  こういう状況の中で日本司教団ははっきりとネオの問題性を指摘、その活動に対して批判的であることを司教会議の議決として表明しました。これは20年も前のことです。
  そしてその後も絶えずバティカンに働きかけて、ネオを何とかしてくれと言い続けてきたのです。
   しかし、前教皇が、ネオの同情者、評価者でもあったせいでしょう、バティカンは、他の教会からもネオの問題性が色々報告されていながら、ネオ禁止には踏み切らず、ネオに会則をちゃんと作るように要請、5年間の試験期間を置くという決定だけにとどまっていたのです。

  日本には、嘗て実情調査のためにバティカンから枢機卿が派遣されてきた事がありますが、それっきり。その後音沙汰なし。

  新教皇になってから、これまで実現しなかった教皇と司教たちの会見、そして直訴が実現し、やっと情勢が少し動いた感じです。しかしネオに対しては、さらに5年の猶予期間が与えられるなど(正式承認ではないですが)、事態の進展は実にゆっくりしています。

  これがバティカンです。

  続く。
 

Re: 京都高野教会宮本敏行氏の文章  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 6月 8日(日)21時30分4秒    編集済
  > Pasさん

情報をありがとうございます。
私も一頃、朝鮮のことを随分調べました。
Pasさんのように「殉教」関係でなく、よど号、拉致、大韓航空機爆破、朝鮮戦争、でした。
北朝鮮を少しでも見たいと、「都羅統一展望台」「オドウ山統一展望台」に立ちました。
東部戦線も見たいと「束草(ソクチョ)」へ行きましたが大雪に遭い、更なる北上を諦めました。
興味あればURLをクリックしてみて下さい。

私は相当な回数、韓国を訪れていますが、不快な思いをした経験はありません。
皆さん、親切です。
近々又、行ってみたいと思います。改修された「清渓川」を見なければなりません。

私はどうも、「大阪」という場所が、在日も部落も、特殊な臭いを発する集団に育てるのではないかと、そんな偏見を持ち始めています。「正平協」も日韓、そして将来の日朝関係に、逆作用の活動でしょうね。

実は明後日10日、“在日”の若い(30半ば過ぎ)の女性と食事します。何度も二人でメシ食っていますが、変な関係ではありません。彼女は北朝鮮の人権問題について活動していました。今は生活に追われているかも知れません。
色々と聞いてみたいと思います。

http://www.nomusan.com/~tabi/korea/front_02korea.html

 

京都高野教会宮本敏行氏の遺稿を発見  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月 8日(日)19時39分7秒    編集済
  京都教区高野教会の宮本敏行氏が書かれた文章(遺稿ということです)が、ネット上にMicrosoft Wordファイルとして保存されているのを、発見しました。
www.takano.catholic.ne.jp/byrne/download/series8.doc
私は北朝鮮による殉教者についていろいろ調べてきましたが、朝鮮戦争中の「死の行進」について日本のカトリックの資料でこれだけ詳細にまとめられているのを見つけたのは、初めてです。
私がこれまで「北朝鮮による殉教者」としてまとめたよりも、はるかに詳細に当時の状況が描かれています。
たいへん貴重な記述だと思いますので、皆さんよくお読みになってください。
この宮本氏の文章に基づき、私の「保管庫」の方も加筆修正するつもりです。

(......地味に更新しております。こちらもよろしく)
Catholic Martyrs of Korea (1948〜)
http://web.mac.com/cmsonk1948/Site/Blog/Blog.html
 

バティカンの立場  2  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月 8日(日)19時00分3秒    編集済
  前稿に続いて。

  ご存知アメリカの司祭による児童性的虐待事件でも、バティカンの動きは極めて控えめだったようです。何しろ地獄耳の彦左衛門のところには、既に大分前にアメリカでは、神父によって、この非行がなされているという情報が入っていたくらいですから、バティカンが、知らないはずはない。

 またアメリカの信徒は積極的で、かつ日本などとは全く比較にならないくらい多数ですから、信徒が個人的、あるいは複数の連名で、バティカンに善処を求めた例は、多数あったはずです。しかしバティカンは、眼だった動きをしていない。

 内面指導はあったかもしれないが、問題の解決を司教たちの自主的方策にゆだねていたようである。そのため、問題糊塗しか考えない司教たちのため、問題が解決するどころか、ますます傷口が広がって行ったのです。

  バティカンが公式にこの問題への正式見解を表明したのは、外部マスコミがこの問題を大々的に取り上げ、また被害信徒による訴訟が多く提起された結果、カトリック教会が世論から袋叩きにあってから後のことです。

  続く:
 

バティカンの立場  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月 8日(日)15時44分3秒    編集済
    彦左衛門です。前便に続いて問題を考えて見たいとおもいます。すなわち、、我々が、司教さんたちの政治的逸脱について、何とかして下さいと、直接、すなわち司教その他を介せずに、バティカンに提訴したとして、バティカンはどういう態度を取ってくれるでしょうか。

 提訴の内容に理があるとして、バティカンは直ちに司教団の非の是正に動いてくれるでしょうか。これは率直に言って余り期待できないんじゃないかと思います。

  バティカンはどんなことにも非常に慎重です。とりわけ各国の司教たちの行動の是非を正すことについてはそうです。

 例を挙げましょう。嘗て中南米では一部マルクス主義の思考を取り入れた『解放の神学』が一世を風靡しました。神学者、神父だけでなく、司教たちの中にもこれに、同調ないし、少なくとも、これに同情的な人たちが少なくなかったのです。それは中南米の司教たちが、何回か開いた会議の決議にもよく現れていました。

  バティカンは、個々の解放神学者の説には、個人を特定して、厳しい批判的態度をしていました。しかし中南米の司教たちが公式に採択した立場には、それがバティカン路線から大きく外れるものであったにも係わらず、正面から、これを批判したり、非難したりすることはとはしませんでした。

  それではどうしたか。司教たちが定年で辞める度に、バティカンはバティカンに忠実な人を後任に任命して行ったのです。こうして、中南米の司教団は、徐々に、反解放神学派がマジョリティになって行ったのです。このプロセスがほぼ完了し、革命神学が凋落するまで、何と20年以上懸かりました。

  バティカンは権威主義体制だといわれていますが、各国の司教団に対しては、上から命令するのではなく、その自立性と自己決定を、一見無責任と思われる位、最大限尊重していく体制なのです。

 近年では、オーストラリアの司教団が、カトリック司祭の独身制について、これはやがて撤廃さるべきものだと言う公式見解を発表しましたが、バティカンがこれを公式に非難、批判したという声を聴いていません。

  続く:
 

ダンボさん  投稿者:頬白親父  投稿日:2008年 6月 8日(日)03時07分31秒
  ダンボさん、こんばんは。

「この掲示板やおつるさん、頬白さんのブログは心で語り合えるって感じです。」

どうもありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。

自分もこちらの掲示板やおつるさんのブログを非常に楽しませていただいています。
夢之介さん、軒先をお借りました。ごめんなさい。
 

Pasさん ダンボさん  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月 8日(日)01時56分1秒
  ありがとうございます♪

子猫ちゃんが死んじゃって とても悲しかったけど
優しいみんなのおかげで 元気になれました。  癒されます。

たぶん 政治的言動 左翼神父の教会の お説教よりも
(うちの教会は 政治的言動がないから いいですけど・・・)
みなさんと お話するほうが よっぽど 癒されると思う。
 

Pasさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 6月 8日(日)01時10分1秒    編集済
  ブログはいろんな人が集まって書き込みをするけど
ブログにはその管理人さんによって、集まる人の性格のようなものが出ると思います。
理解し合おうというもの、論争好きなもの、揚げ足とりのようなもの・・・
そこにストーカーのように突っかかってくるのが入ってくることも。
(ストーカー的性格がわかったら、相手にしないことです)

この掲示板やおつるさん、頬白さんのブログは心で語り合えるって感じです。
私たちはキリスト者として 理解し合おうという心を大切に
自分たちの心情を吐露するし、無用な論争はしたくないですね。
人間は完全無欠な存在ではないのですから、皆が努力しているわけで
その努力を認め合い、励まし合いたいと思っています。
と言いつつも、腹をたてる自分がいますがー。笑

長崎の教会は落ち着けていいですけど、
ただ、梅雨はかなりの湿度と 半端ではない雨の降り方をしますので、ご注意を!
大浦天主堂は観光地化していますので、ゆっくりお祈りするなら、中町教会でしょうか?
確か、野下千年神父様だと思います。優しい神父様です。
本河内(ホンゴウチ)の聖母の騎士修道院の聖コルベ資料館も是非訪ねてください。
トマ(小崎登明)修道士に会えるかもしれません。
せっかちですが、いろいろと話して下さると思います。笑
トロトロとバスに乗って外海地方の黒崎教会・出津(シッツ)教会もいいですよ。
大体、あの辺に隠れていたキリシタンが五島列島や平戸に流れて行きました。
良い巡礼旅行を! ご紹介したい神父様もいるのですが・・・
 

あり難いこと  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 6月 8日(日)00時28分20秒
  最近のBBSは、ノムさんやおとっつぁんさんのような、日本社会のどこに出しても一目、二目を置かれるような専門、非専門の宗教ジャーナリストだけでなく、無名ながら、これに続く堂々たる論客の登場と発言によってまさに百花繚乱の趣。

  これまで、長く、司教さん方の政治的逸脱に対し、直接間接に『もの申す』を続けて来ながら、時に孤立無援の思いを噛み締めていた彦左衛門も、今は全く安心して後事をこの方々に託して隠退、マルタであるよりマリアとなって、お迎えの準備をした方がいいんじゃないかと自身思っている次第。ありがたいことですわい。

 ただ、ここで、二、三思うことを述べさせて頂きます。

 暫く前、おとっつぁんさんは、聞く耳を持たない人々を相手にするより、言論から行動に切り替えるべきではないかと、忠告されました。つまり、此処で、思い切って、バティカンに提訴してはどうかと言うのでした。

 それも、個々に手紙を書くというだけではなく、組織を作って、信徒多数の意見として、バティカンを動かす努力を提唱、勧告されていました。

 彦左衛門、この提唱に反対すべきものは全くありません。むしろそこまで、考えていて下さっていることに感謝です。

 現在の司教たちの大部分、そして聖職の一部の左脳は、悪魔の巧妙な思想操作に汚染され、正常に機能しなくなっています。憚りながら、日本社会の良識と良心を代表する吾らは、万が一にも彼らが地獄に堕ちるようなことがないように、この悪魔の影響圏から彼らを奪還し、本来、信仰、人格ともに立派で、その善意と使命感を疑えない人たちが、真の聖職者としての常道、正道、王道に立ち返るよう、あらゆる努力をする義務があります。

  その一つがバティカン提訴です。

 しかしそれにはクリアすべき難問があるのも事実だと思います。

  第一に、組織としての提訴ということですと、みんなの意見をまとめ、実行に移す、リーダーというか、世話人と言うか、先に立って動いてくれる人がいなくてはなりません。

 老耄の彦左衛門、勿論、この任に耐えません。誰か、この犠牲的奉仕を引き受けて下さる方はいないでしょうか。

  もう一つの問題は、提訴を受けるバティカンの方にあります。
これについては、次の投稿をご覧下さい。





  )
 

おつるさん ダンボさん  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月 7日(土)23時43分36秒
  >おつるさん
この前のくりかえしになりますが、家族の方々と悲しみを乗り越えていってください。
あとブログにときどき変な書き込みがあるようですが、みんなおつるさんを応援していますのでめげずにいつも通りのペースで続けていってください。

>ダンボさん
実は、その頃に巡礼と気分転換をかねて長崎方面を旅してみようかなと考えていたところです。それこそカトリックセンターなんかも宿の候補として考えていましたが......。まだ宿も交通機関も予約は入れていないので、予定は未定といったところです。松浦司教ではないんですね。
 

中国: 家庭教会の信者、死刑を科せられる  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月 7日(土)21時03分20秒
  http://jp.epochtimes.com/jp/2006/07/html/d51168.html
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 【大紀元日本7月9日】中共政権は5日、キリスト教家庭教会(「地下教会」とも称する) 「三班僕人」教派の主要関係者に、殺人罪などの罪で死刑判決などを言渡した。判決には物的証拠が乏しく、被告人たちの自供が断罪の決め手となっているが、被告人たちは法廷で、警察による拷問に耐え切れず自供してしまったと主張している。
 

平和主義者 反差別主義者  投稿者:おつる  投稿日:2008年 6月 7日(土)20時40分36秒
  Pasさんは とても優しい人だから つらいこと乗り越えたからこそ
こんなに元気になったのねと 思います。
娘の親友は 母親に虐待されて 裏切られて育ちました。17歳で赤ちゃんを
生んだけど 今はその赤ちゃんを大切に大切に愛情いっぱい育てています。
虐待の連鎖という言葉もあるけれど 人それぞれで、親のようにはなりたくないと
優しく素敵に生きている人も たくさんますよね。

平和主義者が DVって・・・ろくでもないです。

 差別はいけないと 声高に叫ぶ人が実は 差別していたりするのは
よくあることでした。
人間って自分中心に物事をついつい考えてしまうから
自分が差別する人間ほど 他のひとも差別するもんだと思いこんで
他人に対して 「差別はいけない」とか 声高に叫ぶんでしょうね。
もともと 差別心のない人は 「差別はいけない」とわざわざ言われなくても
心の中 頭の中に差別の概念がないのですから するわけないんですよね

ところで ダンボさんの
「武者小路キンちゃんや田代キクちゃん」 もう 可笑しくて・・・
キンちゃん キクちゃん って 売れない漫才師みたい笑
 

青い鳥  投稿者:Pas  投稿日:2008年 6月 7日(土)15時41分17秒    編集済
  新しい生活に入って1か月が過ぎました。マイペースで生きております。

凄惨な家庭内暴力を振るう人というのは、長年その「実例」を近くで見てきた人間として言わせてもらえば、
「支配者は俺だ! 俺が全能者だ! 俺は絶対に間違っていない! 俺は絶対に自分の間違いを認めない!」
という悪魔的な叫びを心の奥底深いところで繰り返している人です。実は、それは劣等感の裏返しです。
そういう人は、社会的に成功すればするほど、自分に歯止めがかからなくなり、暴力的傾向を強めていきます。
「借金だってとっくに返し終わったし、やりたいことがやれるようになったじゃない。この上なにが不満なの?」
周囲は泣き寝入りしながらそう思い続けるのですが、暴力を振るい続ける本人はそうは思いません。
きっとそういう人は、永遠に満たされるはずがない何かを追い求めているのでしょう。
そういう人には謙虚さがない。謙虚なそぶりをたとえ見せたとしても、それは処世術、保身術の一環です。
実際そういう人に限って、保身術には驚くほど長けています。そして、世間の評価を異常に気にします。
自分自身の実像がどうかというより、世間の人々が自分をどう見ているかの方を、そういう人は重視します。
「本当の自分」なんかどうでもいい、自分が世間にどう見られているかが全てだ。
それがそういう人のホンネなのです。

だから自分自身に平和がなくとも、世間や社会や全世界に対して平和を叫ぶ自分がいれば、それで大満足なのです。

......実家と距離を置くようになって、今はつくづくこれでよかったと思っています。
子供の頃から、私には一つの強迫観念的な恐怖がありました。それは、
「自分の父親がこういう人間だから、自分も大人になったらこういう父親、こういう夫になってしまうのでは」
というものです。正直、実家で父親を見ているだけで、子供時代の強迫観念が呼び醒まされるようでした。
たぶんカトリックの教えに出会っていなければ、間違いなく私は十代か二十代前半で自殺していたと思います。
(カトリックの教会に通い始めたのは二十歳を過ぎてからですが、聖書は十代から読んでいました)
もう小学校高学年くらいから、とにかく死ぬことばかり考えていましたから。
周囲で凄惨な暴力が振るわれているのを見続けていると、暴力を振るう人間の抱える虚無感が周囲に伝染します。
今ならそのことがなんとなくですがわかってきました。一番恐ろしいのは悪魔的な感情の連鎖です。

暴力を振るう人間の抱える悪魔的な感情(独善、傲慢、虚無感、絶望、人間不信等)こそ、本当の問題点なのです。
その種の悪魔的な感情を解決しない限り、人間は本当の意味での平和には、永遠に到達できません。
悪魔的な感情は、もちろん憲法9条などではどうにもなりません。
幸い、カトリックの教えに触れることができた私は、その問題点に対する答えを手にすることができました。
おかげで不惑になる今年までなんとか生きて来れました。自殺願望とも別れることができました。

だから、今カトリックの中で憲法9条を声高に叫ぶ人たちを見ると、「青い鳥」という言葉を連想してしまいます。
 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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