2007-11-01
■[編集]どの会社で働くかよりも、どの上司の下で働くかを真剣に考えた方がいい
夏目房之介の「で?」:マンガ編集者論・補足 かわぐちかいじ編
マンガ編集者といっても、誰もが優れているわけでもないし、誰もがイイ人でもない。誰もがやる気があるわけじゃないし、イヤな奴だって山ほどいる。というか、世間の常識と同じように、編集者としても人間としても優れた編集者に出会うのは、本当に稀な幸運かもしれないほど少ない。
僕は、週刊朝日で天才的な編集者に出会い、ヤングコミックで信頼できる編集者に出会った。駆け出しの頃に二人の恩人といえる編集者に出会い、さらに週刊朝日で唯一友人となったダイナミックな編集者と出会った幸運を、今でも感謝している。でも、それはただの偶然と幸運なのではなく、他でイヤな思いをゴマンとし、それでもめげずにアチコチ出入りしたから出会えたんである。たまに、そういうこともせずに編集者の文句をいう新人がいたりするので、えーかげんにせーよ、と思うのである。
詳しくは過去のエントリを参照いただきたいのですが、マンガはマンガ家と編集者の二人三脚で作られます。
編集者がどんなに優秀でも、作家が凡庸ではどうにもなりません。同様に、作家がどんなに優秀でも、編集者がボンクラだと売れるものも売れません。
冒頭の引用文でおわかりいただけるかと思いますが、編集者がみんな優秀なわけではありません。私の個人的な印象としては、10人編集者がいたら7人が凡庸で2人が無能。尊敬できる優秀な編集者は10人に1人くらいしかいません。私の印象が正しいとするならば、作家の10人中9人はハズレを引いていることになります。
作家さんは出版社や雑誌、レーベルのことは大いに気にかけますが、自分の担当編集者については「しかたない」ですませて深く考えないことが多いように思います。担当は選べないし、ハズレを引いたからといって「変えてください」とはなかなか言いだせないでしょう。でも、本当にそれでいいのでしょうか。
くりかえしますが、マンガを作る人間はマンガ家と編集者の2人しかいません。そして複数の作家を抱える編集者と違い、マンガ家には担当の編集者しかいないのです。自分の作品と自分自身の運命を託すパートナーを「しかたない」で決めていいのでしょうか。私はそうは思いません。
優秀なスポーツ選手に優秀なトレーナーがつくように、優秀な作家には優秀な編集者が必要です。優秀な編集者は、作家を才能だけではたどりつけない高みに引っ張り上げてくれます(ただし、そのためには当然作家も優秀である必要がありますが)。
私が尊敬するマーケティングの大家であるアル・ライズとジャック・トラウトの2人は「HORSE SENSE」(邦題:「勝ち馬に乗る!」)という本の中で
と述べています。
目先の仕事やネームバリューも大事かもしれませんが、自分と作品に本当に自信があるのなら、愚痴を言って時間を潰してないで外に出るべきです。