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空気読め
今年の流行語大賞の候補のトップに「KY」があがっている。これは最初は「空気読め」の略だったが、最近は「空気が読めない」と他人をあざける意味で使われるという。今週の『SAPIO』で曽野綾子氏と対談したときも、戦時中の「空気」の正体が話題になった(*)。沖縄で集団自決が起こる前にも、サイパン島の「バンザイクリフ」で1万人もの民間人が投身自殺したが、これを「軍の強制」だという人はいない。沖縄でも、同じことが起こったと考えるのが自然だろう。軍が強制しなくても、人々にみずからの命を絶たせるほど強力な空気とは、何だったのだろうか。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう少数派をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
追記:「ネット流行語大賞」の候補のトップは「アサヒる」。「偽造、捏造する」という意味だそうだ。
(*)山崎行太郎とかいう自称評論家が、曽野氏の発言で「巨魁」と表記されているのを「誤読」だと書いているが、これは対談なんだよ。彼女は「キョカイ」と発音し、それを「巨魁」と誤記したのは編集部である。売れない評論家は、対談もやったことないのか。だいたいこんな表記の問題は、論旨と何の関係もない。著書といえば自費出版しかなく、2ちゃんねるで荒らしをやっているようなイナゴ以下の人物が、評論家を自称するとは笑止千万だ。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう少数派をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
追記:「ネット流行語大賞」の候補のトップは「アサヒる」。「偽造、捏造する」という意味だそうだ。
(*)山崎行太郎とかいう自称評論家が、曽野氏の発言で「巨魁」と表記されているのを「誤読」だと書いているが、これは対談なんだよ。彼女は「キョカイ」と発音し、それを「巨魁」と誤記したのは編集部である。売れない評論家は、対談もやったことないのか。だいたいこんな表記の問題は、論旨と何の関係もない。著書といえば自費出版しかなく、2ちゃんねるで荒らしをやっているようなイナゴ以下の人物が、評論家を自称するとは笑止千万だ。
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暗黙を尊ぶ精神は,基本的には「わかりきったことをハッキリ言うと相手に悪いのではないか」などといった配慮から来るものでそれ自体は悪ではないと思うのですが,現在のようになんでもオープンになってしまう世の中では「KY」のような悪影響が目立ってしまうのでしょう.
僕は常識がわからず空気が読めない人間なのでなんでもハッキリ言って貰えると助かるのですが,こういうことを周りに言っても遠慮されてしまいます(単に信頼されてないだけか).
何故か日本人は根拠もなくプライドが高い人が多く居ます。俺は(天下り)教授だ、俺は東大卒だ、俺は男だ女とは違う、私は医者だ、私は美しい・・・など特にかく、日本人は実質ではなくレッテルをプライドにします。
これがいつまでたっても日本をその程度にしていると思います。池田教授のように冷静に現状分析できれば、日本はもっと良くなると思うのですが、始めから気付きもせずに「KY」といって終わらせるのが、これまた馬鹿を醸し出しております。
何とかならないものでしょうか・・・
それから「空気」というものは、その場の人間あるいは集団にとってのエゴのようなものに感じますし、それを押し付けるのはやはり罪でしょう。
海外に比べて個性が抑圧されているように思えるのは、この「空気」という見えない圧力が原因でしょうか。プラスに働いているうちは良いですが、今はマイナスの方が強いので、無い方が健全です。
なにより、空気に依存しない、他人に左右されない思考・行動を心がけて生きたいですね。
『赤福』などの報道は本当にひどいものです。彼らの手にかかれば、そのうち日本より中国の食品の方が安全であるかのように信じこまされてしまう、そんな気がします。
かれらが元凶というか第一権力でしょうね。
学者が否定しているのに。
朝日は、戦前も戦後も強引だから。
読売が政治に介入したのを批判できる立場じゃないでしょ?
大日本帝国を潰したんですよ。
戦後の朝日も、相当な誤誘導を繰り返している。
科学関連記事と「ののちゃん」は良いんだけどなあ.
えー!!?そんなことないですよ。でも「空気読め」とかは嫌い。「以心伝心」という言葉も嫌い。
プライドに初めから根拠なんてないですよ。やたらと日本人論をぶつのも日本人が多いと聞いたことありますよ。レッテル張る人は外国にもいるのに「日本人は」と言うのはおかしいでしょ。他国の人が書いた日本人論ならわかりますが、自国の分析はあんまり意味がないと思いますわ。
このエントリーを読んでアザラシたまちゃんのいざこざを思い出しました。生息地からはずれた動物は病気の可能性があることを理由にして元の生息地に帰すために捕まえようとした人が非難されてた。たまちゃんは自然に来たんだからそのままでええやんかって。テレビを見ながら、アザラシが見たいならなんで動物園に行かんのやろうかと思ってました。動物園じゃダメだったんだろうなやっぱり。たまちゃんじゃないと。
傑作でした。沖縄教科書問題、「日本軍の強制を否定するやつらはKY」
この程度の国民なのだと思います。
何故か増長している人が多いですが。
一例として、中島は自分が講義している教室で、窓際の女子学生に
「君、暑くないかい?」
と聞いたところ、その学生は、周囲を見渡して、絶句したそうです。
単に自分が暑いかどうかを問われているのに、そこで答えると、自分が集団を代表することになるから、何も言えなくなってしまう。
集団内で意見が対立しているとき、言葉なら、議論、反論という形で、正しい結論を導くことも可能ですが、「空気」だと、単に多数派につくだけで、正義はどうでもよくなってしまう。
2ちゃんねるはまさに多数派が正義という世界ですね。
宮沢というのは東大出身以外の人間というかそれ以外の人たちをもっと活用するそういうことができない人でしたから。
勤勉、脱税、付和雷同は百姓DNAの3大特徴ですよ。
>“なんか業界ぐるみで「KY=朝日珊瑚捏造」を抹消したいらしい ”
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51043541.html
「KY」が世間で流行っているらしい、とマスコミがマッチポンプする以前は、「KY」=「空気が読めない」なんて使ってる人は僕の周りでは聞いたこと無かったですけどね。ちなみ大学生ですけど。
本題は山本七平さんの「空気」絡みの話なので、瑣末なアレだからどうでもいいですけどね。
まず、山本氏は絶対悪vs絶対善という「対立概念での対象把握」を、わが社会における「空気」による支配の典型としていますが、これってブッシュ大統領の「テロリストにつくか、我々につくか」という発言のように、政治的に緊張した状況下で普遍的に見られることでしょう。
また、同書の主たる狙い(?)は、戦後の左派陣営を戦前の国家主義者たちと接合し(天皇教が民主主義教あるいは平和主義教に移行したとの構成)、後者の知的ヘゲモニーに打撃を与えることにあったようですが、「空気」支配の程度が全く違うので、この論法は無理があるように感じました。
今日の本文も、不良債権処理の遅れからネットイナゴまで、なんでも戦争末期とのアナロジーで国民性論として論じてしまうのは、大げさな気がします。
【アジア研究分遣隊】1947年創設。神奈川県・座間キャンプに駐屯している米陸軍第500軍事情報旅団に属する部隊。ここでは日本国内外から収集する400以上の定期刊行物など、印刷メディアとインターネットメディアを分析している。
米陸軍の文官12名のほかに、日本のいわゆる「思いやり予算(host nation support)」によって雇われている日本人従業員(翻訳・分析家)たちが77名も勤務している。米軍においては「公開情報分(OSINT)といえば、ASD」と言われるほど、定評がある機関。
URLは下記のとおり。
http://findarticles.com/p/articles/mi_m0IBS/is_4_31/ai_n16419804
情報収集のあと、分析し不都合があれば工作活動を展開するわけです。アメリカ人はお人よしなどとたわけたことをいう評論家がいるが、日本人の方がよっぽどお人好し、というより腑抜けです。
まさかKYとはいいませんよね。
でも集団心理って怖いですね。実は操作できるけど、一度動くと修正するのが難しそうですもの。
それが戦前から戦後まで続いているところに日本人のある意味での脳天気さが現れているようにも思う。
聖徳太子のころからの伝統、というかこれこそが日本のファンダメンタリズムなのかもしれませんね。
丸山が最も強く忌避した日本人の性質は、忠誠(ロイヤリティ)という観念に対する
非常に自己中心的な日本流の解釈だったと私は思う。
この解釈では観念的、普遍的、倫理的あるいは法律的な秩序も、またすぐれた宗教的な思想も持たないため、結局は正当化できない権威集団に対し、忠誠を尽くす事が要求される。
この歪められた忠誠の概念によって、あらゆる精神的な自律性、個人や国民全体の創造的な自主性(主体性)が抑圧されてしまった。
封建領主であれ、天皇であれ、国家組織の象徴としての相手に、無制限・無条件で忠誠を尽くすことそれ自体が、いわば究極の目的(美徳)となってしまうのだ。
彼は自身の経験から、この非合理的で、非普遍的な体質はいぜんとしてはびこっていると感じ、これをオーケストラの演奏にたとえて、たのあらゆる楽器の音を無効にしかねない「執拗低音」と呼んだ。
・・・先生の文章を読まして戴き、上記の一節が頭に浮かびましたので、ここに引用させて戴きました。
◎自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。と言われる先生の言葉に、残念ながら、共感するものです。
七十七歳の、戦前戦中の狂った国民の付和雷同的、集団ヒステリーの恐ろしさを知る小生にとって、「執拗低音空気」の増幅には、必要以上に敏感にならざるを得ません。
又、そういう意味で、今現在、公明党上部組織の創価学会、狂える集団の動向には特に注意を払っているのです。
空気を読む、という態度は、結局のところ、「流れに逆らわない、議論を避ける、疑問を持たない、自分の頭で考えない、自論を持たない、結果に責任を持たない」ということですよね。
世を風刺する言葉との解釈だとしても、こんなネガティブな言葉が、流行語大賞のトップ候補になるなんていうのは、情けないことです。
大賞を取って(取る確率は高い)空気を読んで、波風を立てないことが是であるような間違ったメッセージを子供らに、送ってしまわないかと心配です。
KYなんて、いかにもガサツで下品な言葉ですから、我が家では、使用禁止にしました。
皆さんの周りにでも、脈絡なくKYを連発するようなおばかさんが居るでしょう? しっかり軽蔑して、自覚を促してあげた方が良いですね。
バカだけど罪が無い流行語と、バカな上に下品で有害な流行語を区別できないなんて、恥ずかしいですよねえ、いくらなんでも・・
"27 I find it easy to 'read between the lines' when someone is talking to me."
KY=read between lines だとしたら、アスペルガー症候群の人は、空気を読めずに正しい判断ができるのかもしれませんね。もしかして経済学者はアスペルガーのほうが成功する?
その日のネット掲示板では、あの主審は前の試合でも空気を読まずに試合をぶち壊しやがった!とか、さんざんに叩かれる。主審は普通にルールに従って警告(イエローカード)を提示しただけだ。むしろ、空気に流されることなく毅然と仕事を遂行したことを誉めたたえる声があってもいいくらいなのに。
その国のサッカーは審判のレベルで決まると言われるくらい、審判のスキルとメンタルは重要だ。将来の日本が、空気に流されることなく、ハイ、いいえをはっきり主張できる社会になったとき、はじめて日本のサッカーも世界水準に達していることだろうと思う。
でも最後は思慮が浅い。
山本七平氏もつむぐような論理で様々な視点を
提供してくれましたが、不快にはならなかった。
若者に向けて書いてくれ
大和の特攻作戦後の30年といえば、昭和50年頃のだと思いますが、その頃は生存していません。
KYについては、山本七兵か小室直樹の書いたものが
面白いですね。
なお、最近の空気で怖いのは、光市の事件、福岡の事件です。福岡の事件は検察の主張は危ないように見えました。
俺が作った空気を、お前らが読むがよかろう!
と言い返しています(笑)
ただ日本には「水を差す」という文化もあって、集団が熱狂して妙な方向に走りそうになったとき、「それはおかしいのではないか」と異議を申し立てる人が少数ながらいました。ところが明治以降の西欧化の中で、日本的空気が軍部や官僚機構として制度化されてしまうと、水を差すことも不可能になってしまうわけです。
私は、日本は前の戦争を完全に総括しきれていないと思います。特に軍部=悪、国民=被害者という図式を疑わず、被害者のところに中国や韓国や沖縄を代入しては同じようなパターンのKYキャンペーンが繰り返される。
アカデミズムも、メディア以上にマルクス主義の影響が強く、特に歴史学はいまだに唯物史観が主流です。吉見氏や林博史氏などは、最初から軍=日帝を犯人と決めつけて、それを裏づける史料をさがす。こういう空気に水を差し、「事実」をあらためて検証することから始める必要があります。
私も最初にKYが「空気読めない」と知って違和感があった。KYを最初に聞いたのは安倍おろし真っ盛りの頃で、そういや朝日は安倍おろしに一番熱心だった。空気嫁はネットではとうの前から日常語化していたのに、無知なマスコミ記者あたりがKYを勘違いして「空気読めない安倍晋三」と言い出したのが始まりじゃないだろうか。
そう言えば、「空気の研究」の山本七平を蛇蝎の如く嫌い、罵倒していたのも元朝日の「大記者」本多勝一だ。
伝統は綿々と受け継がれている。
日本でも「歴史修正主義」といえば批判したつもりになっている無知な奴がいるが、日本の場合は歴史を改竄してきたのは左翼的アカデミズムとメディアです。
丸山は、近代的な世界観が疑われている現代には、こうした日本的な「明るいニヒリズム」が、意外に1周遅れのトップランナーになっているかもしれない、と考えていたようですが、現状をみると、「なりゆき」の呪縛が日本をだめにしていると思います。
KYはそのようなローカルルール絶対の文化の一端だと思います。
(「神」を持ち出すのは大げさだったかも。他の文化と交わることが少なく、他の視点に触れる機会が少なかった島国であることの影響の方が強いかも知れません。)
これを見て、昔のfjを思い出しました。今ではだれも知らないだろうけど、初期の(モザイク以前の)インターネットでは、ネットニュースが最大の意見交換の場で、日本語のニュースグループはfjという名前でした。fjの情報は質量ともに低かったので、私は普通のネットニュースを見ることが多かったのですが、たまにfjに投稿すると、ワールドワイドのニュースグループでは出てこない「新入りが何をいうか」みたいなKY的反応が返ってくるので、驚いた記憶があります。
前にも書いたけど、2ちゃんねるから浮かび上がってくるのも、むしろ古い(パターン化された)日本人のイメージです。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/pcjapan29.html
「文化的決定論」をとりたくないというのは、経済学者の習性ですが、こういう現実をみると、やはり文化の問題をちゃんと考えないと経済も語れないという気がします。
な感じ の検索結果 約 130,000 件
なんとなく の検索結果 約 1,570,000 件
07年9月26日 『経済政策形成の研究』ご論評について
なおこれに関しては、第三命題、厚生の絶対基準か他者と比較した相対基準かということについては、すでに実験経済学による知見がかなり積まれています。自分が多少損してもいいから他人の足をひっぱろうとする行動は「スパイト行動」と言うそうで、日本人とアメリカ人で実験したら、日本人の方がスパイト行動をとる率が統計的に有意に高いそうです。これを学問的に意味のある概念として区分することは認められているものと思います。
個人個人がどのような効用関数を持っていても自由ですが、人類すべからくスパイト的に振る舞うということを暗黙の前提にして政策が作られたりしたら困ります。また、スパイトを選好する効用関数が元来生物学的に合理的だとは思えませんから、これは何らかの社会的環境によって作られたものと見るべきです。私は、市場取引抑制的な社会関係の中で作られるものだと思っています。だとしたら、やはり「経済学的発想」と「反経済学的発想」を分かつ重大な基準になるわけです。このへんを理論的実証的に詰めていくことも今後の課題となると思います。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_70926.html
地理風土とこれに由来する歴史がKYを忌避する国民性を作ってきたなら、それはそれでし方が無い。競争で淘汰されるだけのこと。
危機に臨んで変化したくなく、さりとて滅びるのもイヤであれば、盲腸のようにかつての痕跡として細々と生きるしかないでしょう。鎖国でも独自の文化が発展した歴史を見れば、案外内向きな日本人にはお似合いかもしれません。
舌鋒鋭く、切ることしか知らない。
KYに関係なく読んで思ったままの言わせていただければ
赤穂浪士とか冷静に考えるとただの逆恨みですよね。これが美談のように語られているのは、おそらく討ち入った赤穂浪士達が逆恨みと自覚しつつも君主の敵討ちのために行動を起こしたからです。本当に自分たちのことを正義だと思って行動を起こしていたら現在のような語られ方をすることはなかったでしょう。
敢えて間違った選択をすることで忠義や愛を証明するという構図が日本人は好きなようで、破滅的な愛を描いた恋愛小説や映画も日本では人気が高いです。
戦前の空気もこのような「敢えて先の見えたローカルルールに従うことで社会への忠義を示す自分」に自己陶酔するような面もあったのではないでしょうか?
理性的な→打算的な、非情な、野暮な
と変換されます。
感情的であることと理性的であることの
どちらがより「エゴ」なのかは状況で変わると。
「日本人は農耕民族だから集団主義的だが、欧米は狩猟民族だから個人主義的だ」
がこの場に投稿されないことに感心してます。
農業をやらない、狩猟採集生活なんて、農業発明以前にしか存在しなかったのに、どうしてだか「欧米人は狩猟民族だ」と言う人が、学者にすらいる。
>「和をもって尊しと為す」
和ではなかったから、記されたものでしょう。
よく日本は「和」の国だと言われますが、憲法十七条は「そうではない」から制定されたのでは。
日本は「小人は同じて和せず」つまり「和」では無く「同」ということになります。
もし読めていたら無益に人は死なず経済格差も生まれず皆平和に不平なく生きられるのでは?
人間は矛盾だらけで空気読むなんて到底無理です。だから金を稼げるのでは?
「空気を読まずに」伊藤博文は意見論文を書き上げて,満州の軍政を撤廃させました.これはもちろん道義云々ではなく中国人のナショナリズムやアメリカの道義主義を敵に回す可能性を減らすための現実的打算からですが,明治期にも空気よりも現実性・論理性を尊ぶ人はいました.ただ,その後の日本は陸軍の「空気を読んで」対支要求に余計な項目を入れてしまったり(対支21箇条要求),おかしなことになってしまっていますね.
鎌倉以来合議で決める風潮はあるのですから,日本人にはあと論理性さえあれば何とかなると思うのですが
KYですか。
読めてるんですけど、面倒くさいから読まないんですよねボク。
『空気』とか『体面』などは、一般的には『世間』という言葉に収束していると思います。『世間』の代表がマスメディア主導の『付和雷同』の『世論』。『付和雷同の世論』の頂点が国家主義だと私個人は思います。
個人主義が根付いていないのです。
対話の出来ない大人が多い。(言い換えたら、超学生のように丸ごと受け止めてあげないと、批判されると、自分のすべてを否定されたように勘違いして 勝手にひがんじゃうのです。こういった人は、ちょっとでも批判されると、逆恨みして、逆襲的&全面的&人格攻撃も辞さないのです。)
このあたりの話になると、経済学や社会学ですっきり説明できないと思います。しかしながら、いまは、心理学の一分野である精神病理学(共依存の心理学)急速に発達して、けっこう、こういった『空気』に流される人々の精神構造を、ある程度すっきり説明できるようになっています。
私個人は90年代初めから半ばまで、ここらあたりの精神病理学の勉強が、けっこう好きで、20冊以上の本は濫読しました。(最後まで得意分野にならなかったけど・・・)
私のブログでも、今年の6月に、つたない記事をアップしています。↓
『依存症国家・劣情国家・日本のパワーゲーム。1〜3』
http://diary.jp.aol.com/applet/uvsmfn2xc/20070626/archive
私はプロの精神病理学者みたいに、すっきり説明できませんが、経済学も金融工学みたいに、そろそろ大規模に心理学を取り込む時代に入りだしたと思いますです。
ちなみに、共依存の研究では、アメリカが先進国です。共依存症者なんて、どこの国にも掃いて捨てるほどいます。アメリカ人にメタボが多いのは、ストレスを食べすぎで紛らわすから。ロシアの男性の平均寿命が58歳なのも、お酒の飲みすぎ。
ブッシュ政権は、アメリカ国内の大量の共依存症・有権者を巧みに操っていたので、ブッシュは『けっこう頭のよい人だ』という評価も現存します。
場の空気というものは人が集まる場では否応なく作られるものです。例えば、本ブログでも、新参者が発言すると、「過去の記事を読め」と言われることが多々あります。これなんてまさに空気嫁ですよね。むしろコミュニティにおける生活の知恵ですよね。だから、日本人が空気を読むことを問題視するのは行き過ぎであり、空気を読み「過ぎる」ことを問題にすべきです。ちなみに私自身は、日本人が空気を読みすぎているという実感はありません。むしろ、終身雇用制の崩壊などで崩壊しているような気がします。
ところで、僭越ながら今回の池田先生の文章は久々の名文だと思います。KYというキーワードでここ最近のテーマを見事に総括されておられます。新聞のコラム欄にでも載せたいぐらいです。
自社の商品を流行らせる広報活動と同じに思えます。
その商品を持っていなくても村八分にされないような空気作りが大切ですね!(笑)
・失礼な文章
・異常な長文
・答えるのが無意味な愚問
この基準に該当するかどうかの判断は、私の独断です。抗議は受け付けません。
結局食べ物なんですよ。
ニューヨーク市が五月にまとめた調査では「肥満率の高い地域は、低い地域に比べて生鮮品を扱う店が少ない」という結果が出たという。
われわれとて、注意した方が良い。株式投資で判断を間違えたときをふり返ると、収入が良かったなどが原因と気がつく。人間、カネがなければ、投資しないから。どうも、満腹では、KY症候群に陥るようだ。伊勢
彼らは、日本の軍国主義を「封建的な前近代性」によるものと考え、財閥解体や農地解放によって日本を近代化することで軍国主義を防げると考えました。これがアカデミックには丸山などの「近代化論」として世の中に浸透し、朝日新聞などのメディアの基本思想になっているわけです。
しかし戦争を生み出した深い原因は、山本七平の指摘したような文化的な層にあるような気がします。それは晩年の丸山が気づいた「なりゆき」かもしれないし、それを生み出したのは、速水佑次郎氏などのいう灌漑システムによる強い集団同化圧力かもしれない。
皇国史観を考えてそれをもとに発言しようものなら激しい諸外国の抗議および国内からの批判を受ける。
だいたい欧米はアジア・アフリカおよぼ南米、オーストラリアでもどれだけ残忍な殺害をおこなってきたか
それを無視して欧米のやっていることは正しい。
こういう構図が東京裁判史観であり、左翼なんですよ。
同調圧力。
いじめの問題も根本は親(年長者)の問題と思う今日この頃・・・
ソ連が崩壊したのに、世界のリベラルの活動はますます過激になっています。どう考えてもおかしいです。
結婚披露宴でネガティブな話題ばかりするとか、葬式でなぜか満面の笑顔とかは、常識的に考えて避けるべきことであって、それが出来ないような人がいわゆる「KY」空気の読めない人ってことなんだと思いますが。
まあ、最近の若者の中ではそういった定義が広がってきて、自分たちのグループの意見に従わないものをKYと呼んで差別するような風潮になっているってのはあると思いますが、上記のようなもともとある「空気」であれば、社交の場を円滑にするためには必要なものだと思いますけどね。
日本だとそういったものを議論の場や仕事につても持ち込むという兆候が強い(空気の適用範囲が広い)のが問題なのでしょう。
「水をさす」というのも悪い行為という意味で使われる場合が多いですからね。
この辺は島国で他民族との交流が少なかったという歴史から致し方ない面もあるのでしょうが、ネットでの匿名での議論はそういう部分を払拭した議論が出来る良い場だと思っています。
上の方で2chこそ空気が支配する場だと仰っている方が居られますが、私はまったく逆だと思います。
まあ、2chでもスレッドによるというのもあるでしょうが、fjやスラッシュドット的な風潮のスレッドも少なくないですよね。
こういった場では、いわゆる「モヒカン族」が多く、必ず「水をさす」人がいるものです。
ネットが産んだ「モヒカン族」は、空気の適用範囲が広すぎる日本社会を変えるきっかけになるのではないでしょうかね。
ブログ炎上しちゃう人なんかは特に
会社組織で競争に明け暮れていたら、組織の維持が
困難になると思います。
同一平面に留まるために調整役の上司がいるのだと
思いますが。
上司がよい空気を作り出す能力があるかどうかで
その組織もどうにかなるわけですね。
頂点の社長は、一騎当千の強者であるとともに春風
駘蕩とした面も持ち合わせているわけです。
http://ameblo.jp/kafunshogo/entry10034660508.html
ら調整能力も兼ね備えていなければならない。
だから春風駘蕩なわけです。
大きな組織の頂点にいられるような人の能力ですか。
空気を読めてれば、この閉鎖的社会は何とかなっていたでしょうし、老害や官僚が支配するこの体制も読めていたでしょう。
TPOって和製英語なんですよね。日本人の作った言葉のくせにまるで外国語のように思わせるようなこの単語が普及しているというのが日本人の嫌らしさをよく表している。
>2ちゃんねるで批判される人はKY認定されてるんじゃなくてバカ認定されてるんだと思います。
>ブログ炎上しちゃう人なんかは特に
相手がどうであれ集団で中傷責めにするなどという野蛮な行為はまともな人間のすることとは思えませんし、彼らの認識に反して名誉毀損と認定される可能性が高いと見受けられるものも少なくない。さらにさくらちゃんの件やちょっと前の弁護士の方のブログのように炎上したブログ等の内容が特別まずい内容では無い場合も多い。
中傷責めにするような行為が批判されるなら分かる気がするが、けしてそうはならない。中傷している人たちは自分勝手な俺正義を振りかざしてリンチを行っているわけだが、その俺正義がそこそこ多数の集団で共有されてしまうというのが「空気」というものなのだろう。
そういった行為に対して、周りの人に嫌な顔をされたりするくらいならば仕方がないように思います。しかし、そういった行為や、あるいはいつもどんくさい、かわいくない、金持ちだ等の理由で陰口を言われたり、知らない間に所有物に落書きされたり、所有物を取られたり、殴られたり、というふうに発展していくのが所謂いじめなわけですよね。しかもそうなっても、「いじめられる方が悪い」というような意見が何故か多数を占めていたりする。名誉毀損や器物破損、窃盗、傷害などの犯罪行為は何故かそこのコミュニティで批判されたり社会的制裁を受けたりすることがあまり無かったりする。
本来なら正しいはずの論理が「空気」によって通用しなくなってしまうわけです。戦中にも似たような経緯で人々は正気を失っていったのではないかと推察します。
私は自分が保有していない情報がなければ、逆に時間の無駄以外の何者でも無いと思うのですが・・・
人の意見は十人十色だから面白いのであって、全て自分の意見と同じならば、私は退屈すぎて死んでしまいますね。
最後にこの一言で締めくくるのはいただけないですね。
少なくともこれで締めくくるのなら、氏が理想とするところの言論体制やリテラシーその他云々を持つ国家/民族の、ベストと言わずまでもベターを持つ体制を一つ例にあげて日本と比較していただきたかった。
自由民主主義陣営にあってもある程度の言論統制はあります。極度な反体制的言論は禁じていたり、ときにドイツのような自由民主主義陣営に属していても、反ユダヤ的発言等は無条件で罰せられる国もあります。
そういう意味では日本はスパイ活動防止法のような極度な行動や扇動に対し、規制をかける法が無いお陰で
、左右思想のみならずカルト的思想や自虐的思想を持った人でさえ公に発言をする機会を与えられる類稀な国家だと締めくくるべきではないでしょうか?
WW2での日本国民全体の空気は、その時代に生まれていない僕であってもそれなりの想像はできますし、先人たちの話や書籍にもその空気が充分に伝わることができます。
っと同時に当時のアメリカなどもその時代の空気はあったのではないでしょうか?
在米日系人が片っ端から収容所に拘留されていくのも、またそれも当時のアメリカの空気なのですから。
恐らくあなたのような人が「空気を読む」ことを他人に強要するんでしょうね。例えば僕がこうした主張をすることに対して「俺の文言から空気を読めよ、そんなこと言ってないのはわかるだろう」と思うわけでしょう。あなたが批判していることは、そのままあなた自身にも当てはまります。自分がそうだとは言いませんが、世の中には心から他人を祝福できる気持ちを持ち合わせた人もいるし、それはしばしば多くの人に言い例えることができます。あなたが勝手に「空気」だと決め付け、唾を吐きかけているのは、もしかしたら「本音」であるかもしれません。こちらにコメントされている多くの方はそうした「空気」と「本音」をしっかりと区別されているように見受けられます。他人の「本音」を読むのが嫌なら、どうぞご自由にあなた様のおっしゃる匿名の世界に引きこもっていればよろしいんじゃないでしょうか。
当たり前で無害なふりをして入ってくる、あるいはそういったものを抵抗無く受け入れてしまうのが「この程度の国民」である所以だと思いますが。
もし「〜なのだろう。」という部分で事実とは無関係にご自身の印象を述べられているのであれば、もっと誤解が少ない書き方はなかったのだろうか、と感じました。
そうではなく事実だ、ということであればこのテーマをもっと掘り下げたエントリーが読みたい、と思いました。
同質性をもって安心するというか。
日本ではそれを、不文律の形で継承してきたけど、いよいよそれも難しくなって、概念が名詞化された。ネットに本音が集まりやすいから、それが火種になったのかも。というか、kyって意識してなんとかする類のもんじゃなくて、成長するにつれて常識として備わっていくものだったのに、今の時代はそうでなくなってしまった。(原因は誰だ?)こういうずばり言いにくい心理でも簡単に大衆名詞化されてしまう世界(つまりネットのある世界)になると、それはそれで弊害も出てくるよね。
人はもっと素直になれなくなってゆく。
そういう方向に進んでいる気がしてならない。
でもそんな中でまだみぬ新しい平衡点に到達するものと信じています。
例えば、披露宴で友人代表としてスピーチする場合と、二次会で新郎や新婦を友人だけで囲んで直接会話する場合とでは、同じ祝福するのでも話す内容は違ってきますよね?
もっと簡単な例を挙げれば、食事中には汚い話題は避けるとかいうのも同じことです。
先の例ではわざと極端なことを書きましたが、TPOに応じて自制を掛けるというのはそういうことです。
空気を読むというのも、元々はそういった意味合いだということを言いたかっただけです。
90年代から普通になった演出です。視聴者に画面の意味を文字で説明して、「ここは笑うところ」「ここは怒るところ」とフリップ出してくれてるんです。自分の頭で考えなくていいので楽です。
そういう「親切」な演出をする番組は人気があるらしく、どんどん増えています。解釈、正解を提示されないと安心できない視聴者が多いのでしょう。
その成れの果てがKYです。周りを見ながら同調していかないと、その場にいることすら許されない。
ある種の全体主義、事大主義ですが、2ちゃんねるそのものですな。多数派につき、同調することのみを強要する世界。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071023/edc0710230343000-n1.htm
So what? この誤字が論旨とどういう関係があるのかね。きみの誤字脱字だらけの記事こそ、ちゃんとチェックしたほうがいいんじゃないの。こんなイナゴ並みの無名評論家の話はどうでもいいが、重要なのは11月20日の朝日新聞の「定義集」というエッセイに書かれている大江氏の弁明だ。
<私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました>
つまり「罪の巨塊」とは「死体」のことだというのだ。本当にそのつもりだったとすれば、彼の日本語感覚は相当おかしいし、そんな解釈は公的には通らない。また赤松氏を「悪人」と書いたことはないというが、「屠殺者」とか「アイヒマン」とか、もっとひどい悪罵をつらねている。これが日本軍の「タテの構造」をさす記述であって個人のことではないという話も、原文にはなく、法廷で初めて出てきた話だ。「日本軍のタテの構造」が「屠殺者」であるというのは、どういう意味かね。日本語をまともに理解も記述もできない人物が「作家」や「評論家」として営業しているのは困ったものだ。
式場での場違いな言動や行動には、「場所をわきまえろ!」で充分でしょう。
昨年末のNHK紅白で“乳房”さらけ出す踊りにも、「場所をわきまえろ!」でしょう。
<齢56歳にしてこれまでの著作はたった2冊という、お仕事の捗らない自称「文芸評論家」。それも1冊は三島由紀夫をめぐる妄想小説だから、評論家としての仕事は生涯に自費出版でわずか1冊。……なのに小心者の大言壮語、文芸評論よりもインチキ経済評論が大好きな床屋談義オヤジが今日も他人の迷惑かえりみず埼玉大学で留学生にハッタリ咬まして吠えまくる。荒ぶる劣等感を処理しきれずに坪内祐三や福田和也に夜襲宣言までする始末・・・>
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1080200277/l50
山崎は、毒蛇というハンドルで田口ランディの盗作問題を検証するスレッドやサイトに、下品なオヤジギャクやAAアートを大量に貼り付けていたそうです。いい歳して哀れすぎます。バカ丸出しのランディ擁護論を書いて、それをネット上で叩かれたので、AAアートで荒し行為・・・・こういう人生間違えてしまった学者くずれ(というか学者にも作家にもなれなかったくすぶり)はプライドだけは高いので始末が終えないのだ。劣等感を刺激されると逆上する。ネットというのはこういう連中に鬱憤を晴らす場を与えてしまった。
議論の質的な高さという点では、NiftyやPC-VANのほうがずーっと高かった(両者に質の違いはありましたが)ように思います。
でも、altやsci系はすごかった。ビッグネームがガンガン本人降臨ですから。あ、私はa.b.p.e専門でしたが。
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