小沢「懐刀」決別の波紋
2008年6月9日 AERA
福田政権を解散総選挙に追い込もうと狙う民主党の小沢一郎代表。そうなれば、自らの選挙区では、離反した元側近と戦う運命が待っている。
午後7時前だというのに、近くの駅前商店街ではほとんどがシャッターを下ろした。朝になっても開かない店も多い。5月下旬の閑散とした居酒屋で、兼業農家の中年男性がこぼす。
「ガソリンはじき180円だ。車に乗れねえよ」
民主党の小沢一郎代表の故郷、岩手県奥州市水沢区(旧水沢市)。幼年から中学2年までを過ごし、父を継いで衆院選に1969年の初出馬から連続13回当選を続ける選挙区の拠点だ。
だが他の地方都市と同様、不景気と少子高齢化に悩み、格差に苦しむ現実は覆いようがない。
自民推薦候補を支援
この疲弊は、小沢氏が中央政界で政権争いに明け暮れ、地元を顧みなかったからだ――。そんな思いが、かつての側近を小沢氏と決別させた。秘書を20年務めた高橋嘉信氏(54)。
「小沢一郎先生に挑戦する」
と公言し、次の総選挙で同じ岩手4区から自民党公認での出馬を目指す。
高橋氏は、自分の選挙でも地元に戻らない小沢氏の身代わりだった。2000年の総選挙では自由党から比例東北ブロックで当選、1期を務めた。衆院議員の時の名刺にも「小沢一郎秘書」と刷った。
だが、民主党との合併を機に、小沢氏との溝を一気に深める。04年参院選では自民党推薦候補の支援に回り、陣営を仕切った。06年には、市町村合併で岩手4区内で人口最多となった奥州市で初の市長選に自ら出馬。小沢系と非小沢系の間に割って入って、三つどもえの戦いに持ち込む。落選したものの小沢系候補を道連れにした。
「一歩踏み出す勇気さえあれば私たちの郷土は変わります」
ポスターにはそんな言葉を掲げる。小沢氏への挑戦の真意を問うと、高橋氏は口を閉ざした。高橋氏を支援する60代の専業農家の男性は代弁する。
「私も小沢後援会の支部役員だったが、2年前に辞めた。その前に小沢さんと東京で酒を飲みながら『もっと地元のことを』と言ったが、うんうんうなずくだけで何もしない」
この10年で県の公共事業予算は6割減。要望が強い国道の整備は進まず、道路特定財源の廃止を訴える小沢氏が、
「国交省にいじめられてるんじゃないか」(タクシー運転手)
と映る。「国民の生活が第一」と語る小沢ののど元に「懐刀」が切っ先を突きつけている。
「蟻が象に挑むよう」
小沢氏の優位は、もちろん変わらない。「高橋票は出身の旧胆沢町だけ。蟻が象に挑むようなもんだ」
「ついて行くのは選挙や陳情で世話になった連中だけ」
袂を分かった小沢後援会幹部らは語気を強める。
ただ、「小沢を総理に」が念願の後援会も高齢化が進む。今年2月、幹部らに請われて小沢氏は花巻市を訪れ、会員約400人の前でようやく語った。
「皆さんの激励に応え、政権交代へ政治生命をかけ、民主党代表の責を全うします」
ある幹部は、
「総理への決意表明だ」
と振り返るが、小沢氏と中学時代から顔見知りの男性は言う。
「また直前で総理やんねえって言うんでないか。信念が強くても批判されるとプッツンする。もっとうまくやれたらな」
編集局 藤田直央
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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