ナイフよりレンタトラックが凶器?なわけねーじゃんwwww根本的におかしいわい。
News - 秋葉原で無差別殺傷 - キチガイにノリモノ より
明白な悪意がないとまず凶器となりえないナイフと違って、明白な善意と充分な運転技術と注意がなければ利器となりえない、ちょっとステアリングウィールを切り損ねれば確実に人を殺傷し、明白な悪意の元に操縦されれば鉄人28号ばりの兵器となるクルマこそ、もっと工夫するべきだし工夫すべき価値があるはずだ。
要は、ナイフ抑制するより、車の安全装置を充実させたらほうがいいんじゃねって話。
3行で書けばいいのに。いや俺もgdgdだけど。
でもさー、dankogai氏にお尋ねしたいのだけど、日本にはかつて武器を持たない農民が農具を武器に反乱を起こした「一揆」という歴史的実績がありませんかね。
つまり、無差別に人を殺めようとしている人はそれこそ鉄バットでも農具でもチェーンソーでも草刈り機でも有毒ガスでも何でも使うでしょう?だから、車を凶器として使えないよう抑止するって案もあまりに意味ないんじゃない?と思うのですが。
車がだめか、じゃあバイクか?
レンタトラックがダメならタクシーをのっとったり、家族の車使えばいいのか?
いくらでも、抜け道なんてあるんじゃない?いや、そういうシステムを既に実は開発済みで、賛成の声を大きくして、ここぞってタイミングで「既に作ってましたジャーン。特許もとってるよ」って利益出す算段の話なら別なんだけど。
それこそ、歩行者の多い道の頭上にあるビルの窓を映画AKIRAのワンシーンのように一斉に割ってしまうとか、屋上から植木鉢を落とすみたいなえげつないけど簡単にできちゃう方法っていくらでもあるんだし。
武器になりうる車の危険性を抑止するために、それは車に組み込むシステムで防げばいいのであるなんておっしゃるdankogaiさんみたいな安易な考えのシステムは絶対に穴ありまくりな訳で、そもそも問題はそこじゃないだろうと記事を読んですぐに違和感を俺は覚えた。
今回の問題は人にある。
つまり、犯人だ。
ナイフも、レンタトラックも、秋葉原も、関係ない。ドラクエもメイドも関係ない。ネットも関係ない。
抑圧された人間を救済、まぁ救済なんて大げさなことを言わずともガス抜きできる仕組みが社会に必要なのだ。
犯人がネットに残した(恐らく本人の)ログ。
それを読む限り、確かに俺の彼女が言うように異常なまでに卑屈な奴だったのかも知れん。
でも、そんな奴でも考えを変えて、俺なりにやっていこう、と思わせる仕組みが必要なのだ。
せめて、他人を巻き添えにしてしまえなんて考えは止めようって思うような仕組みがいる。
dankogai氏の言うナイフよりレンタトラックだな!なんて意見は、かなり斜め上つうか、上から目線過ぎて現実が見えてない意見じゃないのかと俺は思って仕方がない。
勿論、自動車が凶器であるという指摘は正しい。実際、日本人は意識が薄い奴が多いが宝くじに当たる確率より交通事故に遭う確率の方が高いのだ。
それぐらい、自動車というのは身近な凶器ともなりうる道具だ。
扱うには技術力がいるし、別に悪意がなくとも悲惨な事故を起こしてしまうのだから今の自動車には確かに安全機構たるものがあまりに欠けてると俺も思う。だから俺は車は嫌いだ。大嫌いだ。しょうがないから利用するけど。
ただ、凶悪犯から保護するためにって意味でのシステム案は意味ないだろうって思う。
システム作る奴なら誰だって解るけど、堅牢なシステムなんて作るのがめちゃめちゃ大変。
だから、自分による自分だけの自分用ツールだったら堅牢さという点ではザルだらけの、でも使用法が正しければとりあえず使えるようなツールを作る人がほとんどだと思う。ローカルのツールだったら特に。でも、それで支障はない。
利用者がルールを守って使えばとりあえず問題は起きないからだ。
同様に、車も確かにもっと配慮してほしい安全機構は個人的には沢山ある代物だが、ルールを守ればかなりの確率で安全なものとなる。
それを、安全じゃない使い方をしようとした奴を抑止するための機構をシステムで用意すればいいんじゃねだなんてバカげてる。
バカげてるってほどじゃないけど、ベストアンサーじゃないだろってことだけは確信している。
そんなどっかの肥太った一部のハイテク企業が利権を得るような方法で安全を保証するより、守りやすいルールにすること、ルールを守ろうという意識を人に持たせること、の方が長い目で見て遥かに効果がるはずだ。
ほら、学校だって、生徒が問題行動を起こさないよう校則をガチガチに作り監視カメラ作って厳戒態勢にするより、教師や親と信頼関係を持ち将来への意欲や本人の自尊心を育てる仕組みを作った方がよっぽど生徒は良い結果を出すはずだろ?
システムは人を管理するためにあらず。
人を支援するためにシステムはあるんじゃないだろうか。
何だか、最近、以前にもましてシステムで管理すればいいだろって安易な考えがよくブログでも目にする。
でも、システムで管理だなんて所詮は知れてるのだ。
バグトラッキングシステム用意して、バグはこれで管理するよって言っても、バグのレポートをテスターが書かなきゃ意味ないし、そもそも、プログラマやSEがテスト期間に入るまでに可能な限りバグの起き難い仕様、システム構成、コーディング手法を心がける方がよっぽど品質向上には貢献する。
システムで何とかしようってのは、プログラム書けない?でもこのフレームワークを使えばスキルの低い君でもみんなと同じ品質のシステムが作れるはずだよってのたまう、で、お決まりのように頓挫するフレームワークのようだ。(勿論、近年のフレームワークはかなり優れてるけどそんな万能じゃないだろ。やっぱ基本は使用者のモラルとスキルだし)
結局、システムやツールやルール云々より、根本である「人」、そこに視点を置いて考えるべきじゃないの??
人間が変われば不要となるものなんて今の法律でも幾らでもあるでしょ。
勿論、完全な善になれないのが人間だし、絶対に数%はどんなになにやっても、難しい問題を起こす輩がいるのが社会だ。
でも、だからって諦めてシステムに頼ろうってするのは、助けてドラえも〜んってのと同じ。
そして、現実はドラえもんの道具よりしょぼい道具(解決案)が提供される。
諦めず、人間一人一人の意識を変えていく社会作りを国全体、地域レベル、家族、個人で取り組んでいこうって持っていくのが、この社会の指導者なり親なり、またマスコミが引っ張ってくるコメンテーターの本来のすべき仕事つうか役目じゃねーのかなあって俺は思う。
憂いても何も解決しない。そして、抑圧や制限なんかで人類が制御できたことなど過去の歴史において一度も無いのだ。
結局は解放運動が起こり、また完璧と思った抑止体制も穴が見つかり崩壊する、それが歴史が示している未来である。
何でこう、同じことを繰り返そうってするんだろうね。
似たような犯罪者を社会が生み出さないようにするのは、個人の努力、そして今、あの犯人と似たような孤独や失意に満ちている人間への救済なり対策であり、そうした人が視点を変えて生きていくことができるよう枠組みを作ることである。
犯罪者を生み出さないために監視カメラ用意しました、警備員増やしました、罰則厳しくします、車に電子制御システムで安全性を強化します、ナイフは免許制にしますとかそんな対策なんて意味あるかよ。
死ぬ気になった失うものが何もないって思ってしまった人間はそんな、しょっぼい防波堤なんて簡単に越えて暴れるだろう。
死を恐れない、失うものすら無い人間ってのがいかに恐ろしいかは、自爆テロが示してるだろ。
人の心を変えるのが一番の解決策だし、何より本当の解決策だ。
上辺の機械的な保護の仕組みなんてきっと大した効果ないだろうと俺は思う。