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[SINCE 2001.3.16.]

タイトル
Katsuhiko Okada Official Web Site

総 合 入 口

恍惚、不安、熱き心を忘れずに
・・・・・楽器演奏仲間達との至福の時を重ねて・・・・・




BGM;ラフマニノフ作曲『パガニーニラプソディー・第18変奏』
(リンク先、クラシック音楽のヴァーチァルMIDI制作MP3)

●このホームページの音楽を試聴するにはWindows Media Player以外にRealOnePlayerが必要です。
RealOnePlayerの無料ダウンロードはからどうぞ




「K.OKADAワールド」へのご来場
有難うございます。

ここ、総合入口のBGMは、亡き母が大好きだった曲、ラフマニノフ作曲の『パガニーニラプソディー』の第18変奏です。 とても美しい曲ですが、私はこれを聴くと、母のことを思い出して泣けてしまいます。

私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影

美しい作品に触れた時、ただ、涙することも出来ない、評論家的なあら捜し的聴き方しか出来ない 人は感受性が摩滅していますので、作曲や演奏をやってはいけない人達です。が、そういう人達に限って、いっぱしの音楽家だと思い込んでいることが多いですね。

私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影

音楽の正しい流布のためにも、そういう人達は直ちに、一切の音楽活動をおやめ下さい。

私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影 私の母・岡田直子の遺影


瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋   瀬戸大橋



さて、下記が、2008年5月3日(土)19:00〜21:00に、高松市で開催した、私の室内楽曲の自作、ピアノソロの自作演奏を含む、「第2回 高松市逸(すぐる)珈琲店 室内楽サロン・・・・・ヴィオラとピアノの夕べ」です。




第2回目の今回は、神戸からいらっしゃった、24歳のアマチュアヴィオラ奏者と私のピアノで、私の新作等を披露しました。 私の室内楽はステディーに続けることを前提に組みますので、彼は、毎月、高松にいらっしゃいます。 が、この後も、いろいろなアマチュア弦管楽器奏者が関西等から私と私の作曲した自作を合奏するために来高されるついでに、クラシックの室内楽の名曲を合奏するサロンを続けてゆくことにしました。 予定が決まり次第、その都度、ホームページにてご案内いたします。

喫茶店の飲食代だけで無料です。

『逸(すぐる)珈琲』の住所、電話番号は、香川県高松市林町1545-1、電話 087-868-0808、ですので、ご都合のよろしい方は、是非、お出かけください。


谷水君と    ラヴィーヌカルテットと
フルートの谷水君と(東京・目黒)     ラヴィーヌカルテット(東京・渋谷)
プーランク「フルートソナタ」        フォーレ「ピアノ四重奏No.1」



このような、室内楽を作曲できるアマチュア作曲家が中心にいる「室内楽無料サロンコンサート」は、東京にはいくつかあって、日常的に開催されていますが、関西地区にはまだない状況なので、長く東京でこうしたコンサートを主催していた私の住む、四国・高松で、介護していた母が一昨年死去したことから立ち直った今日、 関西よりも一足早く開催を開始することにしました。


杉藤君と    広田さんと
クラリネットの杉藤君と(東京・田無)      ソプラノの広田さんと(東京・目黒)
ドビュッシー「プレミエラプソディー」        岡田克彦「枕草子OP.46」



和声学と対位法を習得して、室内楽を作曲できる、絶対音感のある、アマチュア作曲家がいないと、絶対に開催できないスタイルのサロンコンサートです。


藤原四重奏団と    星名さんと
藤原四重奏団と(埼玉・浦和)      フルートの星名さんと(埼玉・浦和)
フォーレ「ピアノ四重奏No.2」      フォーレ「ファンタジー」



東京にいた30年以上前に、アマチュアで作曲をやっていた仲間の一部は、プロに転向してやられているようですし、早稲田大学政経学部時代のジャーナリストになっている同窓生達からは、 「岡田君もプロの作曲家としてやったらどう。」と勧められるのですけど、今だに私は、青臭い青春時代の気分を大切にしていて、自分の作曲作品がお金に換算されることに大変な抵抗があります。


三船さんと    ラヴィーヌ木管五重奏団と
チェロの三船さんと(岡山)           ラヴィーヌ木管五重奏団と(埼玉・浦和)
フォーレ「夢のあとに」等          プーランク「木管ピアノ六重奏曲」



従って、私は私のやり方で、ずっと続けてゆきたいと思っています。私の作曲の恩師、故.小倉朗先生から教わった最大の教訓の、

『作曲にプロもアマもありません。偽者と本物がいるのです。あなたは、ひたすら、本物を目指しなさい。』

という言葉を胸に確実にキープして続けてゆきたいと思っています。


竹内さんと    品田君と
ヴァイオリンの竹内さんと(東京・田無)      クラリネットの品田君と(東京・目黒)
岡田克彦「ヴァイオリンとピアノのための      岡田克彦「クラリネットとピアノのための
ファンタジーOP.58」               ドメスティックなラプソディーOP.61」   



私は、50歳を越える今日まで、数え切れない、アマチュアの弦管楽器奏者の楽器演奏仲間達といろんな室内楽を楽しんで来ました。

楽器演奏仲間達とのお付き合いは、社会的なしがらみも何もかも突破して成立しますので、とても楽しいひと時を共有できるので、 私は本当に音楽、作曲やピアノ演奏をやっててよかったな、って、その都度再確認してきました。






春日君と    コージ君と
クラリネットの春日君と        ピアニストの吉川君と

ジャック君と
ヴィオラ奏者の清崎君と

リンちゃんと    タロウと
トランペット奏者の林君と        ピアニストの須江君と




掲載写真は、20歳代の頃からずっとやって来た、趣味の作曲と室内楽演奏で出会ってステディーにぼくの自作曲も含めてデュオを合わせている仲間たちの一部との2ショットです。

左上から順に、クラリネットのはるひも、ピアノのコージ、ヴィオラのジャック、トランペットのリン、ピアノのタロウ、です。

ぼくが年上だし、ぼくの作曲作品を一緒に演奏するという絶対的に優位な立場なので、えーーーらそうに、ファーストネームやニックネームで呼び捨ててるんだけど、みんなぼくのことを慕って くれてるし、ぼくは彼らを全員尊敬しているのでいいのです。パリ音楽院卒業の奴もいるし、晩学で楽器を始めたアマチュアもいます。そんなことは室内楽を一緒に演奏することの 判断材料にはなりません。お互いの気分の一致が全てなのです。

そういった点では、室内楽を固定で合わせる仲間というのは、特殊な友情を超えた一体感で結ばれていて、その間には誰も立ち入れないものがありますね。







さて、私のホームページ「K.OKADAワールド」は、

「母、岡田直子の思い出日記」

「会員制SNS『GREE』プライベートブログ」

「音楽エッセイ集」

「作曲活動のコンセプト」

「室内楽とクラシック音楽・・・・・恍惚、不安、熱き心、を忘れずに」

「2008年からの、室内楽、自作自演活動実績と予定」

「2000年〜2007年の自作自演活動」

「母、岡田直子の逝去」

「故.座光寺公明氏の思い出」

の9室

に別れています。


これに加えて、かつては、私の住む四国をご紹介した

「四国の紹介コーナー」

も置いて公開していて、さぬきうどんの紹介記事はご好評をいただいていました。

が、東京近辺在住のウェブ上の某巨大掲示板の中心メンバーから、

2006年9月19日に他界した私の母を嘲笑するようなレス、

「お前をぶち殺してやる」というメールをいろいろいただきましたので、

このコーナーは、全て、会員制SNSのGREEに移しました。

ご覧になりたい方は、GREEの下記URLにお出かけください。


http://gree.jp/867002


なお、これらに加えて、「プロフィール」「作曲作品目録」「リンク集」「更新履歴」も、
それぞれ下記をクリックしてご入室いただけるようにしております。

元.日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)理事
ラヴィーヌ楽派(フランス近代室内楽の会)
代表・ラヴィーヌ将軍
ピアノと遊ぶ会会長
(作曲、ピアノ)岡田克彦





高松全日空ホテル  APA埼玉例会  倉敷御園旅館





私の母・岡田直子の遺影母、岡田直子の思い出日記私の母・岡田直子の遺影

1994年にその介護のため、私は東京から四国高松にUターンして、
年老いた母と二人で暮らしていました。
2006年9月19日に、76歳で脳幹部脳内出血で急死するまでの、
母にとっては短い期間でしたが、そばにいてあげてよかったと思っています。
わずか13年間でしたが、その間の母との思い出は、一周忌をすぎて、
母の追悼のための新作ピアノ組曲『記憶の底の栗林公園 OP.111』(全18曲)
を作曲して、2007年10月14日の栗林公園庭園コンサートで初演するまで、
私の頭の中をよぎりました。

その思い出を日記につづったものです。

が、某巨大掲示板の人達が私の母の逝去を嘲笑うことで癒されている
状況がわかりましたので、2008年06月04日までで掲載を中断し、
下記の、会員制SNS『GREE』に移しましたので、
ご興味のある方は、この続きは、そちらでご覧ください。

音楽ホームページだと思って来られた方は、驚かれるかもしれませんが、
ここは、私の個人的なホームページです。
私はどんな素晴らしい音楽よりも、人間の生命が大切だと思っております。

そして、音楽は、私のワンノブゼンに過ぎませんし、
「たかが音楽」だと思っております。
「たかが音楽」だと思っていても作曲出来てしまう作品が大切です。

この私の意見に反対の方は、直ちにご退室下さい。


私の母・岡田直子の遺影会員制SNS『GREE』プライベートブログ私の母・岡田直子の遺影

私の、趣味、ライフワークの、作曲活動、四国の紹介記事満載のプライベートブログ

私の母・岡田直子の遺影音楽エッセイ集私の母・岡田直子の遺影

ホーフマンスタール、リルケ、筒井康隆、芭蕉、太宰治等々の好きな、
私の混沌とした世界観や人生観をエッセイにまとめたものを中心に、
気の向いた自作自演や室内楽などの曲目解説を上げている、
私のホームページの音楽に関する中心コーナー。

ホームページの中心コーナーがその日の気分でコロコロ変わる、
夢一杯に生きている私の感性を象徴するコーナーです(笑)。
書いていることが首尾一貫していなかったり、
論理が飛躍することは日常茶飯事で、
結論が先に決まっている矛盾だらけの書き方なので、
「ちょっとはまじめにやれ。」と言いたくなる、生真面目なだけの、
ベートーヴェンの「ハンマークラヴィア」あたりの駄作を、こつこつと
努力して仕上げるしか能のない下界の瓦礫の凡人連中の
理解の外にあります(笑)。

私は、音楽が好きで音楽をやっているだけですから、
世のため人のために艱難辛苦努力して社会貢献しようなどという
気はさらさらありません。 外務省後援の
収益金100%を寄付するチャリティコンサートをやったこと等も、
中で触れていますけど、面白い企画だったことと、
外務省の担当官が気分のいい人だったのでやっただけです。
忍耐からいい音楽は生まれません。
忍耐しないと音楽が出来ない人は直ちにおやめになるべきです。
世のため人のためにやりたくもない音楽をやるなんて時間の無駄(笑)。

私は、私自身と、共演してくださるアーティストと
私の作曲作品や生き方に共鳴してくださる皆様のために
音楽をやっているのです。

まずは共鳴ありきです。
万人に喜ばれるような文章や音楽はありません。
私は自分の考えで素直に曲や文章を書いています。
共鳴する人の人数や自分の影響力なんかどーでもいいのです(笑)。

共鳴する人の人数や自分の影響力が気になる音大生が生きていると、
芸術が汚れますので、そういう人達は政治家にでもなりなさいね(笑)。


私の母・岡田直子の遺影作曲活動のコンセプト私の母・岡田直子の遺影

私の、趣味、ライフワークの、作曲活動の基本コンセプト

私の母・岡田直子の遺影室内楽とクラシック音楽私の母・岡田直子の遺影

四国高松に、その介護のために1994年にUターンした母が
2006年9月19日に逝去しました。

母の逝去の少し前から参加している会員制SNSでの
全国の若いアマチュア室内楽演奏家と出会い、
四国高松での共演がスタートしました。
共演の大前提にあたっての、会員制SNSのGREEへのご参加の案内

恍惚、不安、熱き心、を忘れずに やってゆきます!


私の母・岡田直子の遺影2008年からの室内楽、自作自演予定私の母・岡田直子の遺影

2006年7月に招待されて入会したSNSで出会った
全国の20歳代前半のアマチュア室内楽愛好家の
弦管楽器奏者が四国高松に、
2008年から楽器を持って
自作室内楽等の合奏でいらっしゃることになりました。

その演奏会のご案内を掲載いたします。


私の母・岡田直子の遺影2007年までの自作自演活動私の母・岡田直子の遺影

2000年〜2007年の、私の、自作自演活動実績

私の母・岡田直子の遺影母、岡田直子の逝去私の母・岡田直子の遺影

2006年9月19日に、76歳で薄幸な生涯を閉じた、私の母のこと、
そして、それを通して痛感した無常観等について


私の母・岡田直子の遺影故.座光寺公明氏の思い出私の母・岡田直子の遺影

私が、26歳当時東京で出会い、室内楽作品の作曲を通して、
対位法等を本格的に師事した、
29歳の若さで逝去した、作曲の恩師、故.座光寺公明氏の思い出と、
2007年にロンドンにて開設された、追悼20年ホームページのご紹介


私の母・岡田直子の遺影プロフィール私の母・岡田直子の遺影

自己紹介

私の母・岡田直子の遺影K.OKADA :作曲作品一覧私の母・岡田直子の遺影

1967年(11歳)から、2007年(50歳)までの作曲、アレンジ作品目録

私の母・岡田直子の遺影リンク集私の母・岡田直子の遺影



私の母・岡田直子の遺影更新履歴私の母・岡田直子の遺影







高松・逸コーヒー店  東京・目黒ミュージックプラザ  倉敷御園旅館





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