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米国に「ガラスの天井」という言葉がある。女性の昇進を阻む、社会の目に見えない障壁のことである。
中でも、大統領の座はきわめつきの高くて硬い天井のかなたにある。そこに挑戦したヒラリー・クリントン氏の戦いが終わった。民主党予備選での敗北を認め、大統領選から撤退した。
「ガラスの天井を打ち破ることはできなかったけれど、皆さんのおかげで1800万のヒビを入れることができた」。撤退を表明した演説で、クリントン氏はこう語った。
獲得した支持票の多さを言いたかったのだろう。同時に、史上初の女性大統領の誕生まであとひと息のところまで迫った事実を支持者と悔しがり、そして喜び合ったのではなかったか。
クリントン氏は今回の予備選を「転機の選挙」と呼んだ。初のアフリカ系大統領をめざすオバマ氏との一騎打ちは、米国の政治史に新たなページを開くものだった。どちらが勝とうと、肌の色や性別の壁に対する輝かしい挑戦であったからだ。
クリントン氏は「女性への偏見があるのも事実」と振り返った。序盤の選挙戦では、行く先々で「女性に軍の最高司令官が務まるのか」と質問を浴びせられたという。
共和党を代表する女性政治家の一人、ホイットマン元環境保護局長官は、かつて州知事選に挑んだ自らの経験を踏まえて、女性候補が直面する障害の大きさを米紙に寄稿した。
「クリントン氏がはっきり物をいえば、率直というよりいじわるとなり、涙を流せば、やさしいではなく弱い、となった」
むろん、敗れた理由を女性であることだけに帰することはできない。元ファーストレディーとしての知名度や経験が、「変化」を訴えたオバマ氏の新鮮さを逆に浮き立たせる形になり、競り合いに負ける要因になった。
男女平等を建前とする米国だが、現実は甘くない。大統領の継承順位が副大統領に次ぐ下院議長に初めて女性が就任したのは昨年だ。下院議員の女性比率は17%で、なんと世界83位だ。
女性の政治進出では、世界ははるかに先を行く。とくに北欧やアジア諸国では女性大統領や首相も珍しくない。メルケル首相が活躍するドイツは、議員比率でも32%で17位だ。
さて、寂しいのは日本だ。首相はおろか、国会議員も少なく、衆院ではわずか9%、世界135位にとどまる。
お隣の韓国は、比例区の候補者の半数を女性にするよう義務づけるなど制度を変え、女性議員の割合は14%と、あっというまに日本を追い越した。
優れた人材を得るのに、人口の半分を占める女性を放っておく手はない。
日本でもクリントン氏が登場するのはいつのことだろう。
4カ月もすったもんだしたあげく、落ち着くべきところに落ち着いたということだろう。北京五輪での競泳の水着について、日本の選手も英スピード社製の高性能水着を着ることができるようになった。
騒ぎは今年2月、スピード社が新型水着を発表したところから始まった。2カ月で18個の世界新記録が出たが、そのうち17個はこの水着が着用されていた。「マジック水着」との驚きが世界に広がった。
だが、日本国内では驚くだけではすまなかった。日本の選手は契約で五輪では国内メーカー3社の水着しか着用できないことになっていたからだ。
日本水泳連盟は、すでに北京五輪用の水着を発表していた各メーカーにさらに新製品の開発を求め、日本製にこだわった。しかし、スピード社の水着を試す日本選手も増え、それで泳げば新記録が出るのだから、水泳連盟がスピード社の水着を認めざるをえなくなるのは時間の問題だった。
スポーツと用具の関係をめぐる問題は古くて新しい。
こうしたハイテクを利用した水着が競技をゆがませるのではないか、と心配する声がある。競うのは選手であって、用具で勝とうとするのは邪道と思う人もいるだろう。
だが、もともとスポーツと用具は二人三脚で歩んできた。新しい技術や用具が人間の新しい可能性を引き出し、限界を超える支えになってきた。用具にも絶えず新しい発想が求められる。
その意味では今回、国内メーカーは完敗だった。
着心地を重視し、体を動きやすくして選手の能力を発揮させる。それが国内メーカーの考え方だ。
スピード社は違う。着心地を切り捨て、水の抵抗を減らすことを最優先に設計した。超音波加工技術を採用して縫い目をなくし、強烈に締め上げることで体の凹凸を滑らかにしたのだ。
大胆な発想の転換ということでは、過去にスピードスケートの例もある。かかとの部分が刃から離れる靴をオランダのメーカーが開発したのは長野冬季五輪の前だった。新しい靴は瞬く間に世界を席巻した。
技術や機能の細部を磨き上げるのは得意だが、従来の発想を一変させるような創造性に弱い。日本のもの作りに共通することかもしれない。
水泳連盟にも新しい発想へのぬかりがあった。昨年の世界選手権で新水着の原型を着用した選手が好記録を出していた。それなのに手をこまぬいていた。「まさか水着でそれほど記録が違うわけがない」と古い考えにとらわれていた幹部が多かったのだろう。
北京五輪は水着で差はつかなくなった。選手の力によるさらに高レベルな競い合いを期待したい。