どんな事件も世相を反映して重苦しいが、放火は市民生活を脅かす卑劣な行為だ。岡山県内では現在も、倉敷市児島味野地区などで車が狙われ、津山市では空き家や神社社務所の連続不審火が解決していない。住民は不安で眠れぬ夜を過ごしていることだろう。
取材の記憶をたどると、ある放火事件の犯人は車の免許がなく、乗り物にすさまじい執着を持っていた。深夜、遠方まで自転車をこいで乗用車やバスに火を付けるものだから、警察もかなり振り回された。犬の散歩中だったり、空き巣の後に放火する犯人もいた。駆け出しのころ、一年以上続いた福山市水呑地区の山林放火も忘れられない。現場を歩いていると、雑木林で綿を使った発火装置のようなものを見つけて、慌てて警察に届け出た。事件とは無関係だったのだろうが、本当にぞっとした。
放火事件は「動機なき犯行」といわれ、「憂さ晴らしでやった」「むしゃくしゃした」という理由が圧倒的に多い。捜査の壁は常に立ちはだかり、発生場所や時間帯を絞り込んで容疑者が浮上しても「現行犯逮捕でないと難しい」という。焼けてしまうと物証は残りにくい。完全否認となれば、公判維持が危ういからだ。
二〇〇七年に三十件近い連続不審火が発生した広島県神石高原町は、異例の「非常事態宣言」を発令。運動会などが中止に追い込まれた。解決が長引くほど住民は疑心暗鬼となり、コミュニティーにまでひびが入りかねない。夜警を含め自衛策には限界がある。執念の捜査を誰もが願っている。
(社会部・広岡尚弥)