衝撃的な通り魔事件が、またしても起きた。電気街として知られる東京の秋葉原で日曜日の白昼、大勢の人でにぎわう歩行者天国の通りに男がトラックで突っ込んだうえ、ダガーナイフ(両刃の短剣)で次々に通行人らを襲い、計十七人が死傷する惨事になった。
通り魔事件としては、過去三十年で最悪の被害といわれる。買い物や散策などをしていて惨劇に巻き込まれた人たちには、何の落ち度もない。憤りとやり切れなさが募るとともに、被害者や家族らの無念さは察するに余りある。
犯人は静岡県に住む二十五歳の派遣社員の男だった。派遣会社が契約するマンションで暮らし、昨年秋から自動車部品工場で働いていた。秋葉原は何度か訪れたことがあり、土地勘はあったようだ。
警察の調べでは、男は同県内のレンタカー会社でトラックを借りて秋葉原に向かい、歩行者天国に乗り入れた。数人をはねた後、車から降りてナイフで通行人らを刺し、現場で警察官に取り押さえられた。
男は警察の調べに対し「人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。誰でもよかった」「人生に疲れた。生活に疲れた」などと供述しているという。人生に行き詰まり、破れかぶれになって起こした事件と思われるが、詳しい経緯や動機を慎重に解明してもらいたい。
男は事件の二、三日前に犯行を決意し、当日にはインターネットの携帯電話サイトの掲示板に犯行予告とみられる書き込みを頻繁にしていたとされる。こうしたケースで、何とか未然に防止する手だてはないのか。実効性のある対策を考える必要があろう。
それにしても最近、あまりにも理不尽な通り魔事件が目立つ。犯人は自暴自棄に陥った若者が多い。原因はさまざまだろうが、共通する社会的な背景があるのではないか。
経済のグローバル化に伴い、生存競争は激化の一途をたどる。経済格差が拡大し、働いても働いても豊かになれない「ワーキングプア(働く貧困層)」という言葉さえ一般化している。情報技術(IT)の発達などで人間関係が一段と希薄になり、孤立感を深める若者が増えているという。
何か世の中全体がおかしくなっていると感じる人は多いだろう。事件を受けて、福田康夫首相も「通り魔が毎年十件ぐらい起きている。背景の究明が大事だ」と強調した。国を挙げて、真剣に社会のありようを見つめ直したい。
米大統領選で民主党の候補指名争いに敗れたヒラリー・クリントン上院議員が、選挙戦からの撤退とオバマ上院議員支持を表明した。五カ月余という異例の長期に及んだ指名争いが、最終決着した。
女性候補か、黒人候補か、どちらが選ばれても、初めてのケースだった。激戦による党内の亀裂が深刻となり、オバマ氏にとっては、本選挙へ向け、挙党態勢構築が課題となろう。候補自身は長丁場の舌戦を経て、リーダーとしての資質を一段と鍛え上げられたに違いない。米国大統領選の歴史に残る戦いだったといえよう。
圧倒的な知名度と実績を誇り、初の女性大統領誕生への期待を背負ったクリントン氏は、早くから本命視されていた。前大統領夫人として夫の蓄積した選挙戦のノウハウや選挙スタッフ、集金力と、その強さは三拍子そろっていた。しかし、初戦のアイオワ州党員集会を三位でスタートするなど出足でつまずき、二月のスーパーチューズデーもオバマ氏と互角の結果となった。短期決戦を想定し、大規模州へ選挙運動を集中したことが誤算だったとされる。
一方、ほとんど無名だったオバマ氏の躍進は、オバマ旋風と呼ばれた。インターネットで献金や投票を要請し、若者や無党派層にも浸透した。なにより有権者の心をつかんだのは「変革」というメッセージだろう。共和党ブッシュ政権が親子二代で反発は強く、またクリントン氏は夫から妻への“政権移譲”の形になるだけに、「変革」の前に「経験」を訴えても有効な説得力を持たなかった。
選挙戦では途中からオバマ旋風に陰りも見えた。しかし、黒人が大統領候補指名を確定したことで、米国民は変化への一歩を踏み出したといえよう。
(2008年6月10日掲載)