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インタビュー

【この人にインタビュー】

弁護士/吉井正明さん

2008年01月26日

写真

「子どもの頃は、アメリカのドラマ『弁護士ペリー・メイスン』にあこがれました」=神戸市中央区で、西畑志朗撮影

――昨年末、神戸家裁が外国籍弁護士の調停委員選任を拒否しました。
 調停委員は各地の弁護士会から推薦された弁護士などが務めています。昨年、兵庫県、東京、大阪、仙台の4弁護士会が計5人の韓国籍の弁護士を各地の家裁に推薦しました。しかし、神戸と大阪の家裁は、採用権限のある最高裁に上申しないと決めました。
 ――そもそも調停委員はどんな仕事をするのですか。
 離婚など市民の間に起きる身近な紛争について、当事者の間に立ち、自分の経験を生かして話し合いを公平に調整します。家裁が経験分野などを判断して割り振ります。裁判官が出す判決とは違って、一方的に裁決を下すことはありません。最高裁は規則で調停委員の採用条件について、40歳以上で弁護士の場合は「人格識見の高い人が対象」としているだけで、国籍要項はありません。
 ――外国籍の弁護士を調停委員に採用しない理由はなんでしょう。
 兵庫県弁護士会が03年に神戸家裁に韓国籍の弁護士を調停委員として推薦した際、同家裁は「調停委員は『公権力の行使』をする仕事で、外国人はなれない」と言ってきました。県弁護士会は当時、推薦を撤回せざるを得なくなりました。今回、新たに推薦しましたが、状況はいまも変わっていません。
 この「公権力の行使」という抽象的な概念が問題です。司法修習生も77年までは同じ理由で、採用が認められませんでしたが、今は外国人にも門戸が開かれています。実質的な職務内容から採用の可否を判断するべきです。
 日本でも韓国、フィリピン、ブラジル、ペルーなどの人が離婚などで当事者になる事例が出てきています。解決には宗教や慣習の違いが問題になることもある。その時に、外国籍の調停委員がいれば、状況をよく理解できます。外国人の置かれている立場で、悩みを受け止められます。社会では地方公務員の採用などで外国人への門戸が開かれている。それからすれば、最高裁は司法への外国人の参画をほとんど認めておらず、社会から遅れた感覚になっていると思います。
 ――外国人の人権問題がライフワークですね。
 弁護士になりたての70年代は、在日韓国・朝鮮人の公営住宅への入居が認められておらず、児童扶養手当などの社会保障も遅れており、「在日朝鮮人の人権を守る会」という組織を作り、国に要望書を出すといった取り組みをしてきました。80年代からは新たに日本に来たニューカマーと呼ばれる外国人の強制送還などの問題について裁判で争っています。
 ――取り組むようになったきっかけは何ですか。
 私自身がもとは台湾籍で、7歳の時に日本に来ました。弁護士になるのも、何か資格を取ろうというだけで、外国人の人権問題を意識したわけではありませんでした。ところが、71年に司法試験に合格した後、国籍を理由に司法修習生への採用を拒否され、結局、翌年に日本の国籍をとって修習生になりました。当時、最高裁に修習生の採用要項の見直しを求めましたが、変わらなかった。その時に、おかしいと思うのであれば、変わるまで闘わなければ置いていかれる、と感じたのがきっかけです。
 ――神戸にずっと住んでいますが、魅力は?
 司法修習生の時に神戸にきてからですから、もう36年になります。修習の任地として、最下位で希望を出したら、神戸になりました。その時に、現在所属する法律事務所の所長と出会い、在日韓国・朝鮮人の人権問題に取り組んでいると知り、そのまま就職しました。人がフレンドリーで、色んな人と付き合う地域性があるのも魅力だと思います。
 ――神戸では昔から、多くの外国人が住んでいました。
 港町だから、あらゆる人種がいます。阪神大震災をきっかけに、外国人学校への助成金の額を増やすなど、ほかの地域ではみられない先進的な取り組みもみられます。色んな国籍の人が共存している神戸で、外国人の人権問題にどう向き合っていくかは、多文化共生が進む日本にとっても大きな意味があることだと思います。
聞き手 総局長 下島紀雄宋 光祐

◆よしい・まさあき 1946年、台湾生まれ。71年、台湾籍で司法試験に合格。翌年、日本国籍を取得して第27期の司法修習生となり、75年に神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)に弁護士登録した。94年に神戸弁護士会副会長、現在は近畿弁護士会連合会で外国籍の調停委員採用を求めるプロジェクトチーム座長。

◆ 外国籍の弁護士を調停委員に採用するよう求める弁護士会側の動きに対して、今のところ、最高裁が考えを変える気配はなく、採用への見通しは立っていない。吉井弁護士は今後、日弁連を通じて国連に問題を提起し、国際的にも最高裁の感覚がおかしいと訴えるつもりだ。
 小柄で静かな語り口、ひょうひょうとした印象を受けるが、外国人の人権問題に対する姿勢は熱く粘り強い。その原点は、本人も語る通り、司法修習生への採用を拒否された体験だろう。外国人の司法試験合格者が司法修習生への採用を認められるようになったのは、77年からで、吉井弁護士が日本国籍を取得して司法修習生になった72年から5年後だ。本人はこの期間を「空白の5年間」と言い、今でも責任を感じていると振り返る。
 09年5月までに実施が予定される裁判員制度をはじめ、今後、司法制度は大きな変革の時期を迎える。その中で、調停委員だけでなく、定住外国人の司法参画が改めて議論される時が来ると思う。その時まで、吉井弁護士の活動に注目していきたい。(宋)

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