前編・1 (第1章から4章まで)


   第1章

 夏の沈みゆく西日に照り輝く、痩せた中年男が自転車でやって来た。
大人のカラダには明らかに不釣合いな子供用自転車に悠然とガニ股。ハンチング帽をあしたのジョーみたいに斜に被り、半袖のポロシャツ、スウェットパンツにサンダル履きのその人は、僕の目の前でブレーキをギッといわせて、止まった。ひどく古びたフラッシャー付き自転車だ。
 フラッシャー付き自転車といって分かるだろうか。一九七〇年代に男子小学生たちのあいだで大流行したスポーツタイプの電装車で、フロントタイヤの上部に、ライトとウインカーが一体になったコンソールユニットが付いている、マジンガーZみたいな自転車だ。
 まさか一九九一年の今どき、現存することさえ非常識なこんな自転車、しかも低学年モデルに乗っているようなおかしな人が、あの雨木傘二(あまぎかさじ)なんてことはないよな、と僕は思った。
 時計を確認すると、約束の時間五時きっかり。生暖かい風が吹き抜ける、大阪JR天満駅前。
 眼光鋭い青白い顔のその人は、自転車にまたがったまま、威圧的な野太い声で僕を怒鳴った。
「面接の子ぉかあ」
「は、はい。あ、雨木先生でいらっしゃいますか?」
 威圧の効果に満足したのか、表情をいやらしくニッタァ〜とゆがめ、
「そやあ、ワシが雨木やあ。大ヒット漫画『トンボリ金融王・亀吉』の作者・雨木傘二やあ」そう得意げに答え、「ほな、あそこで面接しよか」と、駅の真向かいの喫茶店を指さした。そして自転車をすい〜っとそばの駐輪所に駐め、軽やかな足取りで喫茶店へと向かっていった。
 僕は駆け足で後に続いた。
 いわゆる純喫茶。テーブル席が六つ。奥にあるカウンター席の向こう側に初老のマスターとウェートレスのオバサン。客は一人もいない。
 雨木先生は一番手前のテーブル席に着いた。
「この店、夫婦(めおと)でやっとんねや」ささやいているつもりなのだろうが、恐らくカウンター内にも丸聞こえなのではないだろうか。
 お冷とおしぼりを持ってウェートレスのオバサンがやって来た。
「ワシ、アイスオーレ頼むわ」とメニューも見ずに注文。
「あ、僕も同じものをお願いします」
「君、歳ナンボや」
「二十六です。あと一ヶ月ほどで二十七になりますけど」そう答えながらバッグから履歴書の入った封筒を出し、両手を添えて渡す。
 ふむふむと雨木先生はその履歴書に見入る。
「松永豊和くんかぁ。………。ふーん、君、高校中退なんやな」
「はぁ…」と苦笑いをしてみせる。
「ワシは一応高校は出たけどな。でも勉強なんか全然せんかった。勉強は大人になってからでも、なんぼでも出来るから気にすんな」再び履歴書に目を落とす。「んん? 二十二歳から現在までが空白になっとるな」
「はい…、ちょっとカラダ壊してまして…」
「ほうか、そら気ぃつけなあかんなぁ。で、もう良おなったんか?」
「はい…」
 そこへアイスオーレが二つ運ばれてきた。雨木先生はノドが渇いていたのか、ストローを使わずにアイスオーレを一気飲みした。飲み干したコップをテーブルにターンと勢いよく置くやいなや。まだカウンターに辿り着いていないウェートレスの後姿に向かって、
「レモンスカッシュおくれーなあ!」と声を張り上げた。
 僕は喫茶店でアイスオーレを一気飲みした人を初めて見たが、ここでは日常的なことなのだろうか、ウェートレスはチラリとも振り返ることなく、
「レスカ、ワン」平然とカウンターに告げた。
 雨木先生はスウェットパンツのポケットからハイライトとライターを出し、一本くわえ、その金色のライターをなぜか僕の目を見つめながら僕の目の前にスウ〜っと持ってきてからターンさせ、片手でフタを開けた。澄んだ金属音、そして重厚な点火音をさせてタバコに火をつけた。フタを閉めるときの音も小気味よかった。深々と煙を吸い込んで、しげしげとライターを眺めながら煙を吐き出し、チラッとまた僕の目を見て、ニヤリ。なんのこっちゃ。
 追加のレモンスカッシュが運ばれてきた。今度はストローを使ってチビリチビリと飲むようだ。
「絵は持ってきてくれたんか? 実力を見んことにはアシスタントに雇えんさかいなぁ」
「あ、はい」バッグから、B4サイズの封筒に入れた30ページの漫画原稿のコピーを出す。ある雑誌の新人賞に応募したばかりの自信作だ。入選するに決まっているが、結果発表まで、あと二ヶ月もある。その間ぼんやり過ごしていてもつまらないので、たまたま読んでいた雑誌に告知されていた雨木先生のアシスタント募集に申し込んだのだった。プロになる前に、プロの現場を少し勉強しておこうと思って。
「ほほ〜ん」雨木先生は表紙を見て、そううなずき、タバコをくわえたまま作品を読み始めた。
 無表情で手早くページをめくっていき、ものの一、二分で読了。
「これ、どっかの新人賞に落ちたやつか?」
 落ちたぁ? 一瞬カチンときたが、温順さをよそおい、
「いえ、つい先日、新人賞に応募したばかりのものです」と答えた。
 なぜか雨木先生は、例の下品な表情でニッタァ〜と顔をゆがめた。
「ええやんかぁ。これやったらウチで使てあげてもええなぁ」
「ありがとうございます」
「この表紙が気にいったんや。きちんと描き込んであるやろ。ワシこんなん好きやねん。でも中の背景はスカスカやな。これは手抜きや。もうちょっと描き込んだほうがええで」
「はい」苦笑い。たしかにそのとおりだ。自分の絵の実力を百パーセント出し切っていない原稿だ。でもストーリーには自信がある。雨木先生はどう思ったのだろう。あんなに速読でセリフまで読めたのだろうか。感想を聞こうかどうかと迷っているうちに、
「今、ワシんとこまでの道順書いたるさかい」と先生はスウェットパンツの後ろポケットからメモ帳を出し、胸ポケットに挿していた金色の万年筆を、ライターの時と同じように僕の目を見つめながらスウ〜っと不自然に目の前まで持ってきてからターンさせ、ニヤリ。メモ帳に簡略な地図を書き始めた。「ワシんとこ公団住宅やねん。礼金も手数料も更新料も、保証人さえも要らんさかいな、借りてんねん。どや、これで分かるか? こっちが北やさかい」と用紙をはぎ取って、僕にくれた。
「あ、すいません。あ、はい、分かると思います」
「ところで君、ワシの漫画は読んでくれとるわなぁ」
「あ、はい……」実は存在を知ったのはつい最近だった。正直、ファンなどでは全然なかった。しかも、アシスタントに雇ってもらうために、あわてて単行本を買って読んだほどだった。でも先生のことを調べてみると、只者ではないことが分かってきた。
「で、どないや、ワシの漫画は」
「あ…、スゴイと思います」
「ほお、スゴイんか。どないスゴイんや」
「先生の表現は、何から何までが、他の漫画家には無いものだと思いました」
「ほおかぁ〜」ニッタァ〜と顔をゆがめた。
 たしかに他の誰もがやっていない表現で構成された作品なのだが、正直、僕は、自分のほうが絵はうまい、と思っていた。でも僕は直感していた。この人の凄さは、表現とか技術とかそんなレベルのものではないということを。何か得体の知れない、人知の及ばない何かを持っている人だと。
「お」と雨木先生は自分の腕時計を見て、それを僕の目の前に持ってきて針が見えるように文字盤を示し、ニヤリ。「時間、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですが……」それにしても、なぜニヤリと笑うのだろう。
「あのなぁ、この時計知ってる?」
「メーカーですか? さあ…分からないです」
「やっぱりな。これ舶来モンやねんけどな、たいがいの奴はこの時計のこと知りよらへんねん。この時計、パテック・フィリップゆうんやけど」
「パテック?」
「スイスの時計や。時計ゆうたらスイス。スイス時計は世界最高ですわ。その中でもこのパテック・フィリップゆうたら世界最高峰の時計メーカーなんですわ。なんも分かってへんアホな成金はローレックスやらカルチェやらはめて喜んでおるようやけど、ホンマの時計通が見たら鼻で笑いまっせ。通をも唸らせる時計が、これ、パテック・フィリップなんですわ。ワシのはそこらの電池式とちゃいまっせぇ、当然、機械式ですわなぁ。ケースはプラチナですわ。いわゆる白金ですなぁ。白い金と書いてハッキンですわ」
「へぇ〜、すごいですねぇ」
「これナンボやと思う?」
「え? 時計の値段ですか? さぁ…見当もつかないです」
「ええからナンボくらいか適当に言うてみ、はずれてもええから」
「う〜ん……、八十万くらいですか?」
 雨木先生はムッとして、
「アホなこと言うてもろたら困りますわ。これ店頭価格二百五十万もしましてんで。ワシは二百万に値切ったけど」
「うはぁー」
「アンティークやけどな」
「え?」…中古じゃないですか。
「中古ちゃうで。アンティークや。年代モンっちゅう意味や。しかも生産本数の少ない貴重なモデルや。二百五十万、二百五十万でっせぇ。ワシが買うたんですわ」
「それからやねぇ、この金の万年筆」と胸ポケットから、さっきの万年筆を取り出した。「これ、モンブランですわ。ドイツ製。これも当然世界最高峰のメーカーなんでっけど、モンブラン・マイスターシュテックゆうて定価二十万もしまんのや。まあ世界最高峰やから、しょうがおまへんわなぁ」
 そうか、あの不自然な動きはこれに気づいて欲しかったのか。素敵な万年筆をお持ちですね、いい時計をはめていらっしゃいますねと、ほめて欲しかったのだ。そして自慢をしたかったのだ。もしかすると、あのアイスオーレを一気飲みした直後にレモンスカッシュを注文したことさえも実は、「金持ちのワシは、こんなもん何杯でも飲めますんや」というアピールだったのかもしれない。この人アホやな、と思った。
「そんでこれですなぁ。これもアンティークやけどな」と雨木先生はポケットからさっきの金のライターを出した。「エス・テー・デュポン。これで火ぃつけたらタバコの味、変わるね」
 変わらないと思う。
「定価三十万円でっせぇ」
 それから二時間以上ひとしきり自慢。ウンチクを垂れつくし満足しきって、ようやく店を出ようと言ってくれた。
 外に出ると、あたりには猥雑なネオンが灯され、すっかり様変わりしていた。疲れた顔で駅から吐き出された勤め人たちが、混雑した駐輪所から、おのおのの自転車を引っ張り出していく。
「もう暗なっとるな」と夜空を見上げる雨木先生。
「そろそろ陽の落ちるのが早くなってきますね」
 あと十日ほどで八月も終わり。今夜は珍しく星が綺麗だ。
 雨木先生が夜空を見上げたまま語り出した、今からワシええこと言うで的な口調で。
「たまにおるやろ、宇宙に比べたら人間なんか、ちっぽけな存在やとかなんとか悟ったようなことをぬかす奴。そんなことをぬかす奴は単なるエエカッコしいや。ワシは人間のほうがよっぽど凄いと思うで。星はしゃべらんからな。何を聞いても、何も答えん。黙ったまんまや。冷たい奴らや。なぁ、そう思うやろ?」
「はぁ……」なんと答えていいか分からなかった。
「君、分からんことあったらなんでもワシに聞いてくれ。ワシの知ってることやったら、なんでもワシ教えたるさかい」そして僕の目を見て大きくうなずいた。
 僕は思い切って、なぜ先生はあんな子供用の自転車に乗っているんですか、あれも自慢の一つなんですか、と尋ねてみたくなった。
「先生」
「んん? なんやあ」この人は、先生、と呼ばれるたびに、軽くニンマリする、下品に。そう呼ばれることがよほどうれしいのだろう。
「先生の自転車なんですが、あれも年代物ですよねぇ。あれはナンボするんですか?」
 先生の表情が曇った。
「二千や」
「え?」
「そこの自転車屋のオッサンに、これナンボや言うたら二千円や言いよった。自転車なんか、動いたらなんでもええんや」


   第2章

 翌朝十時十五分前、天満駅に着いた僕は、地図を頼りに雨木先生の入居する公団住宅へ向かった。
 鉄筋コンクリート造の十階建ての集合住宅がいくつも建ち並ぶ区域の、入り口にある公衆電話から先生に電話をかけた。「何棟も同じ建てモンが建ってる上に、番号の表示も分かりにくいから、郵便屋でも新米やったら迷いよるで」と言われていたからだ。
 三分くらいすると学生みたいな若い女性が入り口に出てきて、僕のことをうかがうように、頭をちょこんと下げた。
「あ、アシスタントのかたですか? 松永です。よろしくお願いします」
「あ、私もきょうが初めてなんです…」
「え?」
「さっき来たばかりで。それで先生の部屋に行ったら、先生しかいなくて、誰もいなくて……。私たちだけみたいですよ、アシスタント」
「え、どうゆうこと?」
「私も分かんないです……」
 女性は十九歳で、名前は小中ミズエ。高校を昨年卒業し、一年間は印刷工場に勤めていたが、仕事が面白くないからと辞めて、アルバイト情報誌を見ていたら雨木先生のアシスタント募集があったので応募したのだそうだ。彼女はそれまで、漫画家・雨木傘二の存在さえも知らなかった。それは無理もないことかも知れない。雨木先生は現在、四十六歳なのだが、デビューしてまだ一年しか経っていない遅咲きの漫画家であるからだ。
 雨木先生は、漫画家になる前は自分が社長として、小さい印刷会社を営んでいたそうだ。その会社が倒産してしまったので、その体験を得意の絵で漫画に描こうと、人生の再チャレンジを漫画に賭けた、と言っていた。
 雨木傘二のデビュー作『トンボリ金融王・亀吉』の物語は、八十年代から始まる。大阪ミナミの道頓堀を舞台に、しがないフリーターだった主人公・亀吉が、亡くなった親の残した、わずか十坪の土地を元手に土地を転がし、バブルの波に乗って巨額を得、それを資金に大阪一の金融王にまでのし上がる、「ワイは亀吉、スッポンの亀吉だす。喰らいついたら放しまへんで!」の決めゼリフで、いま、業界注目の漫画だ。
 しかし、単行本がまだ第三巻までしか刊行されていないし、青年誌で連載されているので、十九歳の女性なら知らなくて当然だった。
 雨木先生の入居している部屋は、七階にあった。
「おはようございます」部屋に入っていくと、
「おはよおさぁん」と奥から野太い声が帰ってきた。
 玄関を上がると、両側にトイレ、洗面、バスルームのある狭い廊下。
 突きあたりのドアをあけると、六畳ほどのダイニングキッチンで、そこにスチールの事務用机が四台、押し込まれるように置いてあった。
 その奥には、引き戸が取り払われ、ダイニングと続きになった八畳ほどの和室があって、雨木先生は座卓の前でアグラをかいて執筆していた。室内なのにハンチング帽をかぶって。その背後にはフトンが敷きっぱなし。万年床だろう。シーツが黄ばんでいる。
 先生は執筆の区切りをつけ、ダイニングキッチンへやって来た。
「君らの机、どれでもええで。他のアシ、辞めてもたからな」
 アシとは、漫画業界でいう、アシスタントの略語である。
 僕は奥の机、ミズエさんは僕の対角にある机を選んだ。
「岸、他のアシ引き抜いて辞めてまいよんねん。いきなりや。先々週か、突然や。仕事時間になっても来よらんし、電話しても出よらんし。でも、かまへんわ。原稿のストック、三週間分もあるさかいな」
「先生、その岸…さん…、というのは?」
「チーフアシやった奴や。新人賞取ってのお。連載決まったらこれや。どない思う? 岸」
「ひどい人ですねぇ」
「そやろ? 岸あかんやろ? 岸あかん思うねん、ワシ」
「どんな漫画描いてるんですか?」
「パチンコ屋の話や。岸、パチンコ屋の店員やったからな。ワシあかん思うで、岸。岸あかんやろ? ワシあかん思うで、岸。パンチパーマあてとんねん。てっぺん薄なっとるけどな。あかんやろ、岸」
「はぁ、あかんですねぇ、その岸さんって人」
「岸海星いうねん、ペンネーム。起死回生にかけとるんやろな、岸」
「ああ、なるほど」
「ワシあかん思うで、岸。どない思う? 岸。嫁はんに逃げられとるしな、岸」
「その人何歳なんですか?」
「今年四十とちゃうか? あかんやろ、岸。四十でデビューて。ワシのマネしよ思とるんやろか、岸。ワシあかん思うで、岸。岸あかんやろ? ワシあかん思うで、岸」
 僕たちは、ひとしきり岸さんに対する愚痴を聞かされた。
 こうして僕の漫画業界への第一歩が始まったわけだが、初日に僕らの仕事はなかった。当然かもしれないが、まったく原稿にさわらせてもらえない。雨木先生の原稿執筆には少し特殊な描法が要求されるからだ。コマの枠線を製図ペンで引く以外は、すべての線をフリーハンドで描く。つまり定規を使ってはならないのだ。普通の漫画家ならば例えば、ビルなどを描く場合は直線定規を用いて描く。そのほうが早く精確に描くことが出来るからだが、しかし雨木先生はそれをしない。絵に味を出させるために、フリーハンドでジリジリした線を引く。実はこのフリーハンドで線を引くという描法はプロでもなかなか難しいもので、アマチュアなら大抵の者はミミズが這ったような線しか引けない。よって、ここのアシスタントに来た者は皆、最初にフリーハンドの練習をさせられることになる。丸ペンというこれまた素人には使いづらいペンでもって、B4のケント紙に1ミリ間隔で用紙の幅いっぱいに定規を使わず何本も何本も線を引かされる。雨木先生の「合格」という許しがもらえるまで延々と何本も何本もだ。気の遠くなるような訓練である。しかしこの一見退屈に思える訓練は、意外にも画力そのものを驚くほど向上させる。だが最初は誰もそんなことを知らないので、半泣きで線を引く。この徹底した制作スタイルは他にも、絵のグレー色を表現するスクリーントーンを一切使わず何もかもを手描きで表現するなど、さまざまな特徴を持つ。すべての表現が「異様」と言っても語弊がないほどに、どぎつく、一般的には汚らしいと感じられる絵柄といえるだろう。もっとも、そんな絵柄だからこそ、大阪の猥雑なニオイや金融業のいかがわしさを表現できるのだが。
 B4ケント紙いっぱいに線を引きつめるには四時間もかかった。一枚目はボツ。
 その間も雨木先生はずっと「岸あかんやろ、岸。ワシあかん思うで、岸」と怨念をつぶやき続けていた。
 二枚目が一応できあがったので、雨木先生に見せに和室へ行く。もう夕方だ。
「先生、描けました」
「うむ」と執筆の手をとめ、その練習用紙をふいっと見て、「まだまだやな。線がグニャグニャやがな。もうちょっとやってくれるか。ここんとことかペン先で紙を引っかいとるやろ。もっとなめらかにな」
「はい……」がっくりして自分の席に戻ろうとすると、
「お」と雨木先生は自慢の腕時計の文字盤を僕に示し、「よしゃあ、時間やあ!」と終業時間を告げた。
 その時、玄関のドアがいきなりバンッと開けられてノシノシと誰かが勝手に入ってきた。
 僕らは雨木先生の顔を見た。先生は事もなげに、
「ああ、夜の部の人間や。ワシの仕事は一日中やさかいな、夜だけ手伝いに来てもろてるんや」
「牛尾や。よろしく」その人は黒毛和牛みたいなヘビー級の図体でノシノシ歩きながら、そう無愛想に挨拶して、僕の真向かいの机にドスンッとショルダーバッグを置いた。
「彼はなぁ、昼間はコピー機の営業やっとんや。まあワシんとこがこんな状態になってもたから、営業の仕事はきょうで辞めて、あしたからは朝出で働いてくれることになっとるんやけどな、新しいチーフアシとして」
「あ、よろしくお願いします」僕らは牛尾さんにお辞儀した。
 牛尾さんは僕より三歳年上だった。
 ミズエさんと一緒に天神橋筋商店街を歩いて駅へと向かう。
「でも、アシ三人だけなんやろ? 大丈夫なんかなぁ、連載」
「あ、あしたからは私の友達も入るんですよ。その子も女子で私と同い年なんですけど、一緒に面接受けたんです。きょうは大事な用があるからって」
「ああ、そうなんや。そら良かった。四人ちゃんとそろうんや。じゃあ、なんとかいけるんかな」
「でも大変ですよねぇ先生、奥さんいないし、家事とか」
「ああ、万年床やったもんなぁ……。僕、面接の時、直接先生によう聞けんかったんやけど、たぶん独身やろなぁって思ってて、あのフトン見て、あ、やっぱりって」
「私には言ってましたよ、面接の時。『ワシ、嫁さん探してんねん』って。『しょっちゅう結婚相談所の紹介する女とお見合いしとるんやけどなあ』って」
「ええ? ふつう、面接の時に、しかも女性相手の面接に、そんな話するかぁ?」
「ずっと断られ続けてるんですって、五十回くらい」
「ああ…、あの性格やったらムズカシイかもなぁ……」
「松永さんは? 彼女とか」
「え? 付き合ってる女がいるかって? おらんよ。それどころじゃないっていうか……。それに先生みたいに、ああやって独身やからこそあんな作品が描ける、っていうのもあるし……、そういうのってあるやろ?」
「そういうのって?」
「表現者が結婚とかしたら変に丸くなって面白くなくなるっていうやつ。恋愛とか結婚とか、今の僕には考えられへんな」
「えー、そんなの関係ありますかぁ?」
「ある、と僕は思うんやけど。……と言っても、先生の場合は、性格的にあんなふうに人と違うからこそ、あんな作品が描けるんやろうけど」
「ですよねぇ。独特ですよねぇ、先生の作品って。松永さんはお好きなんですよねぇ、先生の漫画」
「あ…、うん。面白いと思うよ。いきおいあるしね。青年誌の漫画では、いま一番いきおいあるんとちゃうかなぁ。だから僕もアシに就いたんやし」
「そうなんですかぁ。私にはあんまり分かんないですけど、絵はみょうにカワイイとことかありますよね」
「カワイイ? へぇ、そうなんやあ。ふーん……」
 僕は天満駅で一人、JR環状線内回りに乗る。彼女は外回りだ。改札を抜けて、「じゃあ、お疲れです」と別れた。
 天満駅から大阪駅までは一駅。そこで阪神電車に乗り換えて、県境を越えて、僕の家がある尼崎の武庫川駅まで二十分弱で着く。
 さっきは、先生の作品が好きとか面白いとかの理由でアシに就いた、みたいなことを言ったが、実は違う。いま、新人賞に応募している原稿の結果待ちでヒマだから、というのも理由のすべてではない。
 せいらい従順な性格ではない僕が雨木傘二のアシスタントになった理由は、実はもう一つある。というか、そちらの理由のほうが大きい。
「運」を分けてもらうためだ。
 僕は最近まで引きこもりだった。少年期は、いわゆるヤンキーだったのだが、十七歳の時に遭った交通事故がもとで少しずつ体調を狂わせていき、何もかもがうまくいかなくなって、人を避けるようになり、二十二歳頃から引きこもりにおちいってしまった。なぜこんなことになってしまったのかと自問自答にグルグルと苦しみ、始めからこの運命は定められていたことなのか、それとも何かの罰なのかと、もう世界の神々に迫害されている気分だった(今でも)。二十四歳、ついに自殺を真剣に考えるに至り、死ぬ前に何か自分がこの世に生きていた証しを残しておこうと、絵を描くことだけが取り柄だった僕は漫画作品を描き、ある雑誌の新人賞に応募した。その作品は敢えなく落とされてしまったのだが、落とされたことで逆に気力を持ち直し、負けずに30ページほどの作品を三ヶ月に一本のペースで描いて応募する日々が始まる。漫画を描くことが、ある種の精神的リハビリになっていたのだろう。そんなある日、尼崎の中央郵便局から新人賞宛に作品を送った帰り道、普段は人目を避けて行動している僕だが、今回の応募作はいつになく満足のいくものに仕上げられたことで意気揚々な気分で商店街を歩いていた。すると、前方の信用金庫の軒先に、見かけない辻占い師がいて、その占い師が僕を見るやいなや驚愕の表情となり、駆け寄ってきて「見させて欲しい」と言ってきた。断ろうとしたが、生まれ年や星座をぴたりと当てるものだから、腕は確かだと思い、見てもらうことにした。内心、今しがた送った作品が大きな賞を取り、輝かしい未来を約束されるのだろうと予想していた。しかし、氏名・生年月日・手相などから鑑定された結果は、「あなたには、いくら努力を重ねても報われない冷や飯食いの暗示があります。才はあってもそれが災いして煙たがられ邪魔者扱いされてしまうのです。苦痛、病苦、分裂、波乱、孤独、不遇、厄難、破滅。平凡な人には耐えがたいような不幸さえ起きかねません。生涯を通じて予測のつかない事件事故、悲劇惨劇に遭いやすく、平穏や安住とは無縁です。たまに幸運を手にしても、砂の城のように崩れ果て空爆に帰するでしょう。人に疎まれ孤立したあげくに挫折、辛酸をなめる結果に終わるのですからたまりませんね。今は人を信じられなくなっていますでしょうが、あまりに悲観しすぎるとますます運を落としてしまいますよ」とさんざんなことを告げられた。面と向かってそれを言われた時はさすがに腹を立てたし、「それを回避したければ私どもの道場にいらっしゃい」との言葉に、なんだ、宗教の勧誘かと耳を貸さずにさっさとその場を立ち去った。だが、その後、応募作品はまたしても落とされたし、確かにその占いは当たっていた。僕もずっと変だと感じていたのだ。自作品のレベルはけっして低くはないはずで、大賞は取れないにしても、一番下の賞にさえ引っかからないのはおかし過ぎると。自分が落とされた新人賞に入選した人たちの作品と、自作品とを比べてみても、自分のほうが技術もセンスも充分にあるはずだと。これはなぜなんだと。やっぱり運が無いからなのかと。ぢっと手を見ては、たしかに運命線が薄い、と……。
 そうして僕は、運や運命というものにこだわるようになり、占いや風水などに傾倒していくこととなった。ある風水師が本に書いていた、「運が無ければ、有る人から分けてもらいなさい。成功者のそばにいると自分もその恩恵に授かれます」と。潜在意識を活用した成功理論を唱える自己啓発本でも同じようなことが書かれてあった、「成功したいのなら、成功している人と付き合いなさい」と。
 そんな理由から、関西在住で、いま一番いきおいのある雨木傘二にすがった、というわけだ。
 武庫川駅に着いて、堤防の上を歩いて帰る。夕陽が川の流れに乱反射して眩しい。川岸で少年がギターの練習をしている。白いカッターシャツに黒いズボンの少年。後ろ姿しか見えない。歌詞は聞こえないが何か歌っているようだ。フォークギターの同じフレーズだけが何度も何度も繰り返されていた。

 翌日、ミズエさんの友達の美輪あきこさんが新しく入ってきた。
 心の中では少し期待していた。前日は「表現者が結婚とかしたら変に丸くなって面白くなくなる」とかストイックなことを言いながらも、実はやっぱり、好みのタイプの子が来たらいいなと思っていたのだ。でも初対面で、無いな、と思った。ミズエさんと同じく、美輪さんもタイプではなかった。顔もそうだけど、性格的にも、僕とぜんぜん視線を合わそうとせず、無愛想だった。
 昼休み、雨木先生は外食のため部屋から出ていった。
 食後、僕は新人賞の結果待ちの原稿のコピーをみんなに見せた。とにかく誰かの感想が聞きたかった。
 まず年長である牛尾さんが全30ページを手にし、一枚ずつ読み終わった順に、ミズエさんに手渡す、ミズエさんもそれを読み終わったら、さらに美輪さんへと手渡す、という具合に一枚ずつ順番に読んでいく。みんな黙ったまま真剣に読んでくれている。
 自信はあるが、緊張する。面接の時に雨木先生に指摘された絵に関しての少々手抜きは自分でも認められるが、ストーリーはどうなんだろう。牛尾さんは読み進むうちにだんだんと険しい表情になっていった。ミズエさんは所々でクスクスと笑ってくれている。美輪さんは長い髪に表情を隠され感情が読み取れない。そして、美輪さんの手元に最後のページが重ねられた。みんな沈黙したまま頭の中で感想をまとめているようだ。
 ミズエさんが口火を切った。美輪さんの手元から原稿を受け取って、パラパラとめくりながら、
「私、これ面白いと思う。賞をもらえるかどうかはあれだけど……」と何度か小さくうなずいてくれた。
 その言葉に美輪さんも小さくうなずいて同意してくれた。
「ありがと」と小さく頭を下げる。少し声が震えた。やっぱりそうなんだ。思っていたとおりだ。やっぱりそんなに悪くはないんだ。自信が強くなった。
「いや、ちょっと粗い所もあるで」と牛尾さんはミズエさんから原稿を取りあげ、何枚かを抜き取って、「ここらの説明が不十分やな。これじゃ言いたいことが読者に伝わりにくいやろ」と僕に示した。
 一瞬ムカっときた。しかし、自分でもそのページは確かに気になっていた箇所だったので、
「確かに」とうなずき、「他にはどこが」と牛尾さんに尋ねた。
「そやなぁ」と牛尾さんは原稿を流し読みしながら、「全体的に絵、特に背景の手抜きが目立つことと…、あと、なんやろ。なんて言うたらええのか分からんけど…、オーラやな、オーラが出てないって言うんかなぁ」
「でもキャラも立っていたし、絵柄も個性的だし」ミズエさんが援護、というか、励ましてくれた。「カワイイし笑える所も沢山あったし」と。
「どこで笑うねん」女子に応援されたことに嫉妬を覚えたのか、牛尾さんの口調がきつくなった。
「じゃあ、牛尾さんの作品には、そのオーラってやつ、あるんですか」
「俺、新人賞大賞受賞者やで」
「え……」僕はかなりたじろいだ。
「賞なんかもらってもメシは喰えんし、連載まではあと一歩って感じで、あれやけどな」
「じゃあ、あした、その作品読ませてください」
「おう」
 その時、
「♪京橋は、ええとこだっせ。グランシャトオが、おまっせ♪」
 雨木先生がええ気分で帰ってきた。
 おのおのばたばたと机の上などを片付け、休み時間が終わった。
 きのうと同じく、フリーハンドの歯痒い線をジリジリと引く。
 そして考える、僕の原稿には本当にオーラが無いのか、と。
 オーラが無いかどうかは分からないが、あると信じたいし、目の前にいる牛尾さんを見ると、こんな才能の無さそうな人でも新人賞を取れるのだから、オレに取れないはずはない! と思った。あと二ヶ月経てば結果発表だ。思い知らせてやる。
 ふと気づくと用紙が線でいっぱいになっていた。
 雨木先生のところへ持って行く。
「うむ。これやったら使えそうやな。フリーハンドはもうええけど、本番はまだや。次はワシの絵の背景の模写をしてもらおか」
「ありがとうございます」
 ひとまずほっとした。
 仕事が終わり、天満駅へ向かう帰り道。
「ところで松永さんの絵って、誰に影響受けたんですか? 独特な絵だと思うんですけど」とミズエさん。
「ああ…、実は僕のウチのすぐ横が貸本屋してて、小さい頃からよくそこでコミックスや雑誌を片っ端から借りて読んでたんで、だから色んな人の影響がごちゃ混ぜになってて自分でも分からんようになってて」
「貸本屋かぁ…」遠い目をする牛尾さん。「俺の近所にも昔あって、よお借りに行ってたけど、いつの間にかつぶれて無くなってもたなぁ……」
「松永さんの近くの貸本屋さんは?」とミズエさん。
「まだやってるよ……」引きこもるようになってからは、ぜんぜん借りに行かなくなってしまったが……。
 武庫川駅で電車を降りると、川岸で、またあの少年がギターの練習をしていた。彼もプロになることを夢見ているのだろうか。
 堤防の坂を下りたすぐの所に僕の家はある。古い棟割り長屋。一戸分が十三坪ほどの六戸続きで、北から二軒目が僕の家。三軒目がパン屋で、その隣が貸本屋だ。
 坂を下りてから自宅に入るまでは緊張を要する。いい歳をして引きこもっていたことを、近所の者たち皆が知っているからだ。外出・帰宅の際には、誰にも気づかれぬように、ようすを窺って素早く家を出這入りしなければならない。だから、貸本屋にも漫画を借りに行けなくなってしまっていた。貸本屋のほうも、まさか僕が漫画家を目指しているなんて露とも知らないだろう。今は心身ともに快復し、勤めに出るようになったのだから堂々としていればいいのだが、やっぱり緊張しながら小走りで家に向かう。誰にあうこともなく玄関に辿り着けて、ホっとし、ただいまも言わずにコソォ〜っと玄関の戸を開ける。
「豊和かぁ?」台所から母の高い声。
「うぅん」と、くぐもった声で答える。
「お父ちゃんまだやから、ご飯もうちょっと待っときやぁ」
 間取りは、三畳の僕の部屋と、六畳の居間と、二畳の母の部屋と、台所。それに小さい裏庭。
 自室で、『トン亀』の背景を模写しながら父の帰りを待つ。
 父は、機械部品を製造する町工場に勤めていて、帰りはいつも七時を過ぎる。母も五時までパートに出ている。二人とも僕がアシスタントの仕事に行くようになったことをすごく喜んだ。まさか本当にプロの漫画家に成れるなどとは思っていないだろうが、僕が外に出て働く気を起こしたこと、それを何よりも喜んでくれた。


   第3章

『鼻から乳牛、ケツから黒毛和牛』牛尾ハムヲ。
 翌日の昼休みに読ませてもらった、牛尾さんの新人賞大賞受賞作は、魅力を感じさせる作品ではなかった。良くもなければ悪くもなく、退屈。ちなみに、ペンネームの「ハムヲ」は、本名の「公夫」の「公」という字を開いたものらしくて、そこだけが面白かった。あと、タイトルと。
 牛尾さんが得意げな顔で読後の感想を待っている。
 僕は、なんと評すればいいのか非常に悩んだ。オーラなんて全然ないじゃないですか、と言ってやろうかとも思ったが、悩んだ末、
「スゴイですねぇ牛尾さんの作品、こんなのなんと評すればいいのか……、どうやったらこんなふうに描けるようになれるんですか? とにかく感動しました」と適当なことを言った。顔が引きつっているのが自分でも分かった。
 したり顔の牛尾さんは、
「俺の作品、オーラ出てるかぁ?」と調子こいたことを言ってきた。
 思わず、そんなもんが出ていたら今頃アシスタントなんかやってないでしょ、と言いかかりそうになった時、
「ほお、作品の品評会しよるんか」雨木先生が外食から帰ってきた。「みんなでいろいろ意見を言い合ったらええがな。遠慮なんかせんと辛口コメントも大事やでぇ。互いに切磋琢磨したったらええじゃない。どんどんやりやぁ」
 そう言われたが、雨木先生が執筆体勢に入ったので品評会はお開き。いいところに帰ってきてくれたとホッとした。
 しばらく全員無言で執筆。
 雨木先生、執筆を続けながら唐突に、
「松永くんよ、牛尾くんの作品、どやった?」と今頃になって感想を求めてきた。
「えっ」
「いや、読んだすぐは感想もなかなか言えんやろ。そろそろ頭ん中でまとまったんとちゃうかなぁ思て」と、なぜか含み笑い。
「そ、そうですねぇ…」
「遠慮せんと正直に言うたったらええんやで。おもろなかったら、おもろないて」そして牛尾さんを一瞥。「牛尾くんも大賞もろて、もう何ヶ月や。君もなかなか一本立ち出来んようやけど、次の作品のネームはどないなってんねん。やってんのか?」
 執筆の手をとめる牛尾さん、
「はあ、一応やってますけど」と不機嫌に答えた。
「一応てなんや。ネームが通らんのかいや、編集部に。担当はんは、どない言うとんや?」牛尾さんが黙ったままなので、次は僕に聞く。
「のお、キミさっき牛尾くんの作品、スゴイ、とか言うとったみたいやけど、どのへんが凄かったんや?」
「はぁ…、どのへんというか……」
 重苦しく静まりかえった空気のなか、けっきょく僕は、「デッサンが完璧」とか「話がきれいにまとまってる」とか、当たりさわりのないことしか言えなかった……。
 帰り道の天神橋筋商店街。
「先生ひがんでるんや、俺が大賞取ったから。賞金百万円。自分は十万円の佳作しか取れへんかったから。あの人、大賞受賞者が憎いねん」
 黒毛和牛が憤然とズカズカ歩くものだから、通行人たちは恐怖で次々と道をあけてゆく。
 僕らもそのあとを続いた。
「岸さんがみんなを引き抜いて辞めていった原因もそれや」
「ああ…、岸さんという人も新人賞で大賞取ったんですよね」
「捨ててまえ事件。先生とこには、連載してる雑誌だけじゃなく、他の雑誌も謹呈誌として送られてくるやろ。で、本棚はもちろんのこと、部屋じゅう雑誌だらけになったから、いっぺん整理しよってことになって。で、処分する雑誌の中には岸さんに大賞を与えた雑誌も含まれてて、で、アシのひとりが先生に聞いたんよ。『先生、この岸さんの大賞作品が載ってる号だけは置いておくんでしょ』って。そしたらその時、先生どない言うたと思う?」
「さぁ…」
「『そんなもん捨ててまえっ!』や。そんなもん捨ててまえ。普通そんなこと言うかぁ?」
「まさか…、本人の前でですか」
「そのまさかや。後ろにおったがな、岸さん。あの狭い部屋でや。そら岸さんも辞めるわ」
「あぁ、たしかにそれは心無い言葉かも……」
「まあ、原因はそれだけとちゃうんやろけどな。他にも小さいことが色々と積み重なってたんやろ」
「まぁ、そうでしょうねぇ……」
「俺に対しても似たようなことがあったんやで。あの人こんなん言うたんや。『お前が大賞取れたんは、ワシの弟子やからや』て。『審査員もさすがにワシの弟子はよう落とさんやろ』やて。そんなん関係ない。新人賞の選考にコネとか無いし、だいいち俺は、あの人の手伝いは一日二時間しかやってこんかったのに、そんなんで弟子とか言えるか? ホンマ何言うとんねん、十万円のオッサンが。自分は谷さんおらへんかったら何も出来へんくせに!」
「………」その、谷さんって誰なんだろう……。しかし聞ける雰囲気ではなかった。
「お前ら見とけよ。どうせ、あさっては最終日や。原稿のコピー、編集部にFAXしたらグジグジ言い出すで。そんで飲み出してベロンベロンや。クダ巻いていつものパターンや。あの人、大卒の人間が嫌いやねん。俺に当たるのもそのせいや。俺の出た大学を四流大学とか言うしな」
 そのあとも牛尾さんは愚痴を吐き続け、僕らは黙ってそれを聞かされ、イヤな雰囲気のまま天満駅で別れた。
 電車の窓の外の暮れゆく風景を眺めながら、雨木傘二ってそうとう根性悪いな、と思いながらも、同門の者が二人もプロへのチャンスをつかんだということは、やっぱり「成功者のそばにいると自分もその恩恵に授かれる」という風水の教えは本当なのかもしれない、と心強く希望を持てた。

 翌日。ようやく僕らは原稿をさわらせてもらえるようになった。といっても、牛尾さんが鉛筆で入れた背景の下書きにペンを入れるだけだ。なぞるというか。
 きのうの一件など何も無かったかのように声がかかる。
「どうや牛尾くん、進行状況は。あしたは徹夜か? 最終、間に合うか?」
「そうですねぇ」と牛尾さんも、これまた何事も無かったかのように、僕らの原稿をチェックして、「いや、最終電車まではかからない感じですかねぇ」と答えた。
 僕とミズエさんは顔を見合わせた。きのうの騒ぎは一体なんだったのか。こんな具合だからこそ今まで師弟関係が続いたのだろうか。

 さらに翌日、最終日。
「どうや牛尾くん、進行状況は」
「そうですねぇ」牛尾さんは、きのうと同じように僕らの原稿をチェックして、「九時ごろまでには終わりますね」と答えた。
 あとは消しゴムかけやベタ塗りなどの簡単な仕上げ作業だけである。
「ほうかぁ」と雨木先生はうなずき、どこかへ電話をかけた。
「あ、天神橋の雨木でっけど。はいどうも。さつま白波一本とアサヒドライひとケース持って来てくれまっか。ビールは冷やしたヤツで頼んますわ」
 雨木先生、受話器を置くと、猛然と執筆。
 夕方、
「よしゃあ! 牛尾くん、これタニシにFAXしてくれるか」と描き上げた最後の原稿を渡した。
 タニシ? そこだけ侮蔑を持って吐き捨てるように呼ばれたタニシとは、きのう牛尾さんが言っていた、「自分は谷さんおらへんかったら何も出来へんくせに」の、谷氏(タニシ)のことだろうか。
 牛尾さんが、週間連載16ページ分の原稿をまとめて、編集部に「トン亀担当・谷さま」宛でFAX送信。担当編集者に最終チェックを請うのだろう。
 インターフォンが鳴った。牛尾さんが応対に出て、酒屋から届けられたビールケースを一旦ベランダへ運び、冷えたビールとグラスを雨木先生の座卓に置く。
「おおきに」
 先生は手酌で注いだビールを一気飲み。がふうう、と豪快にゲップを吐いた。
 部屋にはアシスタントたちが懸命にペン先を運ぶ音だけがしばらく続く。
「ワシはねぇ、人物しか描かんの」唐突に僕らにそんな説明をする。「背景は君たち。あとはワシ、飲むだけ」
 肴もなしにビールをグイグイ飲む。タバコもよく吸う。タバコをアテに飲んでいるようなものだ。ハイライトを一日二箱も吸うらしい。
 やがて大瓶ビール一本を空にすると、くわえタバコでふらりとキッチンへ行き、新しいグラスとさつま白波の一升瓶をさげて自分の机に戻って、手酌。ストレートで飲む。
「芋焼酎はエエねぇ、次の日ぃ残らんさかいねぇ。松永くんは、いける口か?」
 顔が赤い。エテ公みたいだ。
「いえ、ぜんぜん飲まないです」
「ふうん」
 僕が初めて酒を口にしたのは十五歳だが、体調を崩してから療養のために、二十二歳からこっちは一滴も飲んでいない。
「ワシはねえ、飲まなおれんのですわ。ちゅうか、飲まなやってられんね。君もいつかはプロに成るんかなぁ。成れるんかなぁ。成れたら、ワシの気持ちも少しは分かってくれるんやろか」
 電話の呼び出し音。
「タニシか」と吐き捨てるようにつぶやいて、受話器を取った。「はい。ああ、雨木です」とシラフをよそおうふうに口調が変わった。原稿のコピーを見ながら、「はい。ああ、6ページ目、はい。追い込まれた亀吉の。ああ、借用証書の破り捨てかたをもっと強烈に。はい。12ページ目、はい。涙の量が足らん。これでも足りまへんか。はい。ああ、15ページ目、はい。でんぐり返しがぎこちない。ああ、全身を打ち震えさせるんでっか。はい。16ページ目、はい。『ワシがやったんや。ワシが犯人や』のセリフ、はい。ああ、豊田商事の刺殺事件を連想させるから、あかん。これあきまへんか? おもろい思いまっけど。ああ、はい、なるほど、分かりました。はい。はい。ほな、よろしゅうに」
 受話器を置いて、
「6、12、15、16、持ってきてくれや」と巻き舌でアシスタントたちに声をかける。
 雨木先生、不機嫌な表情で、机に寄せられた原稿に黙って修正を加える。
 そのようすを一瞥して、ほくそ笑む牛尾さん。
 修正し終わった原稿をアシスタントたちに返し、グラスに残っている焼酎をグイッと飲み干す。
「タニシのぉ」とつぶやきながら二杯目をグラスに注ぎ、ミズエさんと美輪さんに話しかける。「タニシ、東大出てんねん。東京大学やて。東大出に結婚してくれ言われたらどうする? 結婚するか? タニシ、バツイチやけどな。イヤやろ? 誰でもイヤやで、あんな奴。キミらもイヤやろ?」
 ミズエさんは答えに困りながら「はあ」とか「ええ」とか相手をしている。美輪さんはまるで聞こえていないかのように原稿の仕上げ作業にいそしんでいる。
「タニシ、ワシより年下やで。東京弁で言いよんねん。ヤンナッチャウヨ。何ぬかしてけつかんねんのぉ。ワシ東京弁好かんわ。気取っちゃってさ。普通にしゃべってるつもりか知らんけど、なんかカチンとくるやろ? しょせん奴らはサラリーマンですわ。ヒラリーマン。ワシは作家やさかいねぇ。ええよぉ漫画家は。印税は入ってくるしね、銭なんかジャラジャラゆうてますわ。うなりをあげておりますでぇ。公団なんかに住んでるから銭使わんでええしね。なんぼでも貯まっていきますわ。単行本増刷増刷増刷やで。毎日、銀行からあのFAXで振り込み通知が届きまんねん。ピーカタカタカタゆうて、五百万。でや。笑いが止まらんねぇ。笑いが止まらないよね。ミズエさんはあれ、あの、ほれ、彼氏とかはいてんの? おらん? ほなタニシどうや、タニシ。東大出やで。イヤか? そやな。そらそやろ。東京弁でドウダイ? とか言われちゃってもねえ。サラリーマンじゃねえ。その点ワシは作家ですわ。いわゆる印税生活者ですわなあ。いつかは、っちゅうか、近い将来やな。ものごっついデッカイ豪邸建てたろ思てんねん。三百坪くらいの。でもねえ。そんなもん建てちゃってもねえ。ワシ、チョンガーやしねえ…。たった一人で住んじゃってもねえ…。寂しいさ、広すぎて。もうじき秋だよねぇ。すぐそこに冬だよねぇ。冬は寒いんだよねぇ。暖房がさぁ、ちっとも効かないんだよねぇ、広すぎて。こごえちゃうよ。冬までに嫁さん見つかるやろか…。クリスマスって辛いよねぇ。メリークリスマス。何ぬかしてけつかんねん。クリスマス終わった思たら正月や。明けましておめでとうございます。めでたないっちゅうねん」
 雨木先生が冗談を言っているのかと思い、愛想笑いで相づちなど打ちつつ相手をしていたミズエさんは、そのうち怖くなってきたのか、顔をこわばらせ、手も震えだして、作業が出来なくなってしまった。
 雨木先生の話よりも、何よりもその目が怖かった。しかしこれも毎度のことなのだろう。牛尾さんは平然として黙々と作業を続けている。
 牛尾さんの言ったとおり、仕事は九時に片づいた。
 天満駅への道々、話をする。
「最終日は大抵いっつもこんな感じやねん」と牛尾さん。
僕らはなんと答えていいのか分からなかった。見てはいけないものを見てしまったような気分だ。
「どうせ遅かれ早かれ分かってまうことやから、いま教えるけど」と前置きして、牛尾さんが語り始めた。「実は『トン亀』のシナリオは、担当編集の谷さんがほとんどの部分を書いてるんや。最初は先生が持ち込んだ短編をもとにしてこの連載が始まったわけやけど、プロット的なものは谷さんが考えてる。でも先生の名誉のために付け加えとくけど、小ネタってゆうか細かいギャグとか独特な大阪弁の言い回しは先生が考えてるんやで。あれは先生にしか出来へん名人芸やからな。それに谷さんのシナリオで、他の漫画家にトン亀を描かしても絶対に売れへん。先生のあの絵があったからこそ、トン亀は大ヒットしたんや。大阪弁で金融業の裏話を描いてるから面白い、というだけじゃなくて、先生の感性、あの絵とあのユーモアがすべてや。あのユーモアは谷さんには書かれへん。例えばトン亀を谷さんが小説にして売れるかゆうたら、絶対に売れへんと思うし」
「僕もそう思います」
 牛尾さんは何度もうなずいた。
 僕は胸が熱くなった。牛尾さんもなんだかんだ言ってても、雨木先生のことが好きなんだ。
「実はな、先生って昔は酒ぜんぜん飲まれへんかったらしいで」
「え、ウソでしょ?」
「ほんま。本人が言うてたもん。だいち、メッチャ弱いやろ?」
「ああ…、ビール一本飲んだ時点でベロンベロンになってましたよねぇ」
「あれはたぶん、仕事のストレスから解放されようと思って飲むようになったんやろなぁ…。と言うか、谷さんの存在を頭の中から消したいからなんやろなぁ……。それであんなアル中になってもうたんや……」
「あ、そう言うたら、先生さっき言うてましたねぇ、『ワシはねえ、飲まなおれんのですわ。ちゅうか、飲まなやってられんね』って。じゃあ、あのヘビースモーカーぶりはどうなんですか。あれも谷さんの影響ですか?」
「さぁ、タバコのことは知らんけど…、まぁ仕事のストレスでタバコが欲しくなるっていうのはあるやろなぁ……」
「ああ、それは一般的によくあることですよね」
「うん…。ほんで、俺なぁ、一年前に先生のアシに就いて、その半年後くらいやったかなぁ、いっぺんだけ先生の泣きごと聞いたことあんねん……。俺、夜の部やったやん。他のアシはみんな帰って、俺だけ仕事してたんやけど、いつものように先生、酒飲み出して、最初のうちは愚痴かなんか分からんアホみたいなこと言うてたんやけど、その日は酒の量がいつもより凄かったんや。もうベロンベロンで何言うてるか分からんぐらいになって。いつもやったら先生、酔うてても勢いあるんやけど、それがその日は弱気な感じにトーンが落ちていって、その週は谷さんの原稿チェックがいつもより厳しかったんかなぁ、なんかいつもの先生じゃなかってん。アシの仕事部屋まで来て、床にへたり込んで『のおぉ牛尾くんよ、ワシは一体なんや』って『ワシはピエロか、あやつり人形か』って。先生の言うてる意味はハッキリ分かってたけど、俺は、はぁ…とか意味が分からんフリをして。『のおぉ牛尾くんよ、君、ワシのこと、どない思う?』って『ワシ、カッコ悪いやろ?』って。俺『いえ、先生はカッコいいです、先生は俺の憧れです』って俺もう泣きそうになって、俺、別にあの人のこと憧れてへんけど、俺そのとき思ってん。この人を支えていこうって。支えたらなあかんって。おこがましいけど、チカラになりたいって」
 僕は鼻の奥がツンっとなって、泣きそうなのをこらえていた。
 天満の駅前に到着したが、牛尾さんが「もう少し話しよか」と言ったので、みんなで喫茶店に入った。
 牛尾さんが話を続ける。
「俺思うねんけどな、歴史上のリッパな人おるやん。偉人。豊臣秀吉とか立身出世した人ら。あんな人らも実は、先生みたいに内面はすごい弱い所とかがあったんとちゃうかなって。秀吉なんか貧乏人の子ぉで猿でチビでハゲやん。でも向上心もバイタリティーも人一倍あるから、哀れなほどあるから、出会ったすべての人らが、この猿をなんとか助けたろ、チカラになったろって集まりだして、それで天下取れたんとちゃうかなって。もちろん、秀吉自身に才能も知恵も度胸も運も無かったらあかんねんけど、やっぱり個人のチカラだけでは天下人には成られへんやろ。なんか分からん不思議なオーラ出してて、そのオーラに触れた途端に、よし、この人に付いていこうって」
「ああ、それ、なんか分かりますわ。坂本龍馬とかもそんな感じかも。圧倒的なパワーじゃなくて、少し頼りないとことかが魅力やったりするでしょ?」
 牛尾さんはうなずく。
「そう。頼りない、これポイントやな。カッコよすぎたら助けよって思われへんもん。最初から女にモテモテでカッコええ奴やったら、逆に足引っぱったろかって思うもんな。先生みたいにお見合い五十回断られ続けるくらいの、そうゆうミジメさが必要やねん」
「でも先生、自分のことカッコいいと思ってるでしょ」
 と少し茶化し気味に言うと、牛尾さんも調子づいた。
「思てる思てる。完全に勘違いしてるとこあるな。あの自転車、フラッシャー付きの。あんなん乗ってたら誰でも振り返って見るやん、大の大人が子供用のチャリ乗ってるんやから。でも本人は自分がカッコええから皆が振り返って見てると思ってんねん。『ワシは注目の的や』って、得意になって。天然もええとこやで」
「あと一点豪華主義の極端さもありますよね」
「あるある。時計とかは、めっちゃカネかけてるくせに、着てる服がボロかったりな」
「あのフトンどうですか」
「ああ、あの万年床な。あれ、俺がアシにきた頃からずっと敷きっぱなしやってんけど、最初見た時シーツすでに黄ばんどって、そんで最近見たら黄ばみがさらに酷なって茶色に変色してるから、ついに俺、先生に言うたってん『このシーツ俺がここに来る前から洗ってへんでしょ』って。そしたら先生ちょっと照れながら『しゃあない、ワシ忙しいやろ、洗濯するヒマないんや』って言うから、俺『先生お金持ちになったんですから、いちいち洗わんでええでしょ、こんなもん早よ捨てて新しいの買うたらよろしいやん、毎週新しいフトン買うたらええんですわ』って。ほな先生『それもそうやなぁ』やて」
 牛尾さんの話はしだいに、いかに雨木傘二がカッコ悪くて頼りなくて情けなくてアホかと、どんどんエスカレートしていった。
 僕らは最終電車の時間まで笑いどおしで、腹筋と背筋が痛くなった。


   第4章

 雨木先生が聞く。
「松永くんよ」
「はい」
「電話かかってきたか?」
「どこからですか」
「キミが新人賞に送った雑誌の編集部からやんか」
「いえ、まだです」
 ニヤリ。
 この二ヶ月間、毎日のようにこの問答が繰り返されてきた。
 そして、きょう発売される号にその結果発表が載っている。朝早く起きて、僕はそれを買いに行った。その雑誌に僕の名前は無かった。
 呆然としながら電車に乗り、仕事場へ向かう。
 仕事場ではそんな気持ちを悟られぬよう、平静をよそおって自分の席に着き、仕事に取りかかる。
 雨木先生が執筆しながら聞いてくる。
「松永くんよ」
「はい」
「電話かかってこんかったやろ?」
「……はい」なんでそう決めつけるんだ。
「雑誌にキミの名前なかったやろ」
「……はい」
 ニヤリ。
「シロウトはなんも知らんから、学校の受験発表みたいに、雑誌の発売日にその合格を知れる思うとるけど、入選者にはとっくにその知らせが届いとるんやで、一ヶ月も前に。印刷の関係上そうなっとるんやと思うけどな」ニヤリ。
 この二ヶ月間、いや、最初の一ヶ月はいいとしても、そのあとの一ヶ月間、それを知ったうえで僕に「電話かかってきたか?」と毎日のように聞いてきていたのか。ホンマに根性の悪い人や。ニヤリの意味が分かった。しかも、一日に一回だけ尋ねてくるというならまだしも、朝だけでなく、一日じゅう何回もしつこいくらい聞いてくる日もあった。ニヤニヤと。完全に人をおちょくっていたのだ。
 まあ、この人はこの件だけでなく、とにかく同じフレーズをエンドレスでしゃべり続けるクセがある。「岸あかんやろ、岸。ワシあかん思うで、岸」とか「牛尾くんよ、担当はんから電話あったか?」とか「ネームは出来たんか?」とか、あと、谷さんへの悪口、他の漫画家の作品への悪口、それと、なぜか僕たちに「マルクス主義(マルクスおよびエンゲルスがつくりあげた社会革命の思想体系)」を啓蒙しようとしてくる。これらの駄弁を、執筆しながら一日じゅう何回も何回も繰り返すのだ。雨木先生は半分ほど(いや、もっとか)気が狂っているのかもしれない。「なんか音せえへんか? 天井うるさいやろ? マンションじゅうの配管がワシの部屋の天井裏に集められとるように思うんやけど、どや、キミら、この音聞こえんか?」なんて尋ねられても僕らにはぜんぜん聞こえません……。
 そんなことはともかく、僕は新人賞に落選した。この事実を深刻に考えねばならない。内心、ここでアシスタントを三ヶ月ほど勤めてプロの現場を学び、華々しくデビューしていくつもりだったのが、ふりだしに戻ったわけだ。「成功者のそばにいると自分もその恩恵に授かれる」という風水的効果はまるでなかった。
 前に牛尾さんに指摘されたように、本当に僕の原稿にはオーラが無いのだろうか。
 僕自身この仕事場に来て、初めてプロの原稿を生で見させてもらい、自分の原稿と比べて明らかに“何か”が圧倒的に違うことを感じていた。雨木先生の絵はハッキリいってデッサンは狂っているし、絵柄も古い。しかしその古さが逆に、古臭すぎて「新しい」みたいな、その巧まざる描写がかえって「リアリティー」みたいな、そんな非常識な絵なので、なんだかよく分からないのだが、とにかく目立つ。それが凄い、と感じていた。それがオーラというものなのだろうか。
 以前、ミズエさんが僕の作品を読んで言ってくれた感想、お世辞かもしれないが、額面どおりに受け取れば、自分のレベルはそんなに低くはない。美輪さんも同意してくれていた。絵も悪くない。ストーリーも悪くはない。キャラクターも描けている。個性もある。なのに新人賞に引っかからないのは、なぜだ。あと何が足りないのだ。
 自分でも今まで何も考えずに漫画を描いてきたわけではなかった。僕なりの努力はしてきたつもりだ。絵に関していえば、上達するにはただひたすら描きまくるしかない。毎日休まずに上手になることを念頭に修練を重ねれば誰でもそれなりの絵が描けるようになる。良いセリフを書くためには、豊富なボキャブラリーが必要だと思った。それで、辞書を丸写しにした。国語辞典のすべてをノートに書き写したのだ。ストーリーに関してはやはり技術を身に付けなければならない。ストーリーづくりにはセオリーがある。シナリオ理論を知っていれば、読者に伝えたいことを効果的に伝えられる。作品を描き始めた頃は何も分からず、既存のプロの作品を見様見真似で描いたり、漫画の描き方の本を参考にしたりしていたが、落選続きで途方にくれて大型書店の店内を当てどなくさまよっているうち、吸い寄せられるようにある本に出会った。新井一著『シナリオの基礎技術』と『シナリオの技術』の二冊だ。映画関連のコーナーに置いてあった脚本を書くための技術書だ。その場で読んでみて驚いた。漫画入門的な本などよりもずっと詳しくて分かりやすく専門的に、シナリオ理論が書かれてあった。凄いものを見つけたと思った。さっそく買って帰って、むさぼるように読んだ。何回も読んで、さらに完全にマスターするためにその本をノートに丸写しした。そうやってシナリオ技術を身に付け、新しい作品づくりに挑んだ。それまでとは打って変わってネームがスイスイはかどった。「ネーム」とは漫画の専門用語で、安手の紙にコマ割りをして簡略な絵とセリフで構成する、映画などの絵コンテに当たるものだ。だが僕の場合はすぐにはネームを書かず、まず一旦ノートにシナリオ形式でセリフとト書きを書いて、全体を整理してから、ネームの工程に移すようにしている。それが推敲の役割をしてくれるからだ。これでストーリーづくりには一応の自信が付いた。だけど、それでも応募作品は入選を果たすことが出来なかった。いくら技術や知識を身に付けても、そう簡単にはデビューは出来ない。プロとしての大切な“何か”が要る。極論すれば、その“何か”さえあれば技術や知識など無くてもデビューは出来る。その、自分に欠けている“何か”とはいったいなんなんだ。やっぱり、オーラか。しかしオーラなんてどうやって身に付けたらいいのだ。っていうか、オーラっていったい、なんだ?
 ふと気づくと、背景の下書きが終わっていた。
雨木先生のところへ原稿を持ってチェックを受けに行く。先生のチェックは厳しい。ときどき理不尽な「直し」を要求されることもあるので、かなり緊張する。
「うむ。ええんとちゃうか。ほんでここのな、観葉植物の葉っぱ、もっと増やしてみずみずしい描いてくれ」
「分かりました」
ひとまずほっとした。自分の席に戻りかけるが、思い切って尋ねてみた。
「先生、質問があるんですけど」
「んん? なんやぁ」
「僕、先生の原稿にはオーラがあるように思うんですけど、どうしたらそんな凄いオーラ出せるようになれるんでしょうか」
「君にはオーラが見えるんか」と怪訝な目で僕の目を覗き込んできた。
「見える、というか…、感じます」
「君は霊能力者か」
 その蔑みの混じったまなざしに、たじろぎ、
「い…いえ…」と小さくなる。
「ワシはオーラとか前世とか、ああゆうわけの分からんたぐいは信じへんことにしてるんや。前世の因果とかわけの分からんことで脅して、たっかいハンコやら水晶玉やら買わしよるやろ。あんなもんみんな詐欺師やからな」
「はぁ…」
 オーラという単語から詐欺師にまで一気に話が飛躍したのには驚いたが、試しに、
「では、因果応報とか、そういうものも信じませんか?」と、おずおずと尋ねてみた。
「人に酷いことをしたら自分もいずれ同じ目に遭うってやつか。君はそんなもんを信じとるんか?」
「い…いえ…」
「ええか。アフリカの難民たちを見てみい。あいつらがいったい何を悪いことをしたっちゅうねや。可哀想に生まれたての赤子にハエたかっとるがな。あの赤子がいったい何を悪いことしたっちゅうねや。ええ? 前世で、とか言うなよ」
「は…はぁ…、そうですよね。何もしてませんよね……」
「そやろ。そうゆうこっちゃ。世の中はなぁ、科学的社会主義の唯物史観で成り立っておらなあかんのや。分かるか?」
「…………」
 雨木先生は超自然的なものや観念論的なものが大嫌いだ。大嫌いというか完全否定する。雨木先生の傾倒している「マルクス主義」の思想体系は、社会主義思想・唯物論・資本主義分析、の三つの分野で構成・解説されており、そのなかの「唯物論」という概念にもとづいて、先ほどの話のように、宗教や超常現象など観念論的なものを完全否定する。
「科学的社会主義の唯物史観」とか「弁証法的唯物論」などとチンプンカンプンなことをのたまうのだが、平たくいえば、「科学で証明でけへんもんはワシは認めん」ということだ。
「科学的」とか「形而下」などというアカデミックな言葉が、住之江競艇場あたりのカップ酒の自動販売機の前でへたり込んでいるような風体の雨木先生の口から出てくると、ものすごく違和感があって、最初は、ワシは工業高校の土木課しか出てまへんけどアホちゃいまっせ、哲学まなんでまっせ、カシコでっせ、ということをアピールしたいがために言っているのかと思っていたが、よくよく話を聞いていると「目からウロコが落ちた」ではないが、なんだか僕にも世界が見えてきたような気がした。
 というのは、僕のはまっている風水などは、まさに雨木先生の傾倒する唯物論の対極に位置する「観念論」的な思想の最たるもので(僕はその観念論という言葉さえ知らなかったのだが)、そんな考え方に染まっている僕の意識を変えようと、雨木先生はそれを手引きする書物などをいろいろと勧めてきた。思想書だけではなく、聖書のパロディとして「神は死んだ」と説くニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』という小説など、ムツカシイ本をいろいろと。僕は勧められるがままにそれらを読んだ。しかし、読めば読むほどに、学べば学ぶほどに、自分がバリバリの観念論者であることを思い知らされたのだった。僕は特定の宗教団体などには所属してはいないが、神や仏の存在を信じている。超自然的なチカラの存在を信じている。けっきょく雨木先生は、僕の考えかたを変えることが出来なかった。ということなのだが、そんな両極端な思想哲学を学ぶ(知る)ことによって、「世界」という、いびつな物体に左右から光が当てられ、より立体的に、それが理解できたような気がしたのだった。



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