日本では自分を「無神論者」とカミングアウト(Coming out)しても、「はあ、そうですか」で終わるけれども、キリスト教圏(例えば欧米、特にアメリカ)では無神論者というと、「悪魔の手先」と思われるか「ケダモノ以下の存在」に見られか、いずれか或いは両方と見られる。
一神教世界、キリスト教圏にせよイスラム教圏にせよ、宗教は人々の思考をがっちりと規定していて、疑問に感じる事自体がタブーになっている。
ひとたび信じて入信したら、宗教に疑問を感じて『棄教』することは、教義上の最大の犯罪とされている。
組織に入いる事は可能だが、抜ける事は許さないマフィアのような秘密犯罪組織にも似た厳しい戒律が一神教には存在する。
イスラム教徒でありながら教組マホメット(ムハンマド)を揶揄した『悪魔の詩」のサルマーン・ルシュディー氏は、1989年イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニー師によって著者及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告ファトワー(fatwa)が宣告された。
1991年『悪魔の詩』日本語訳を出版した五十嵐一筑波大学助教授は、勤務先の筑波大学にて何者かに襲われ、喉を繰り返し何度も切られて殺害されている。(犯人は逮捕されていない)
宗教が人の世の平和や、真の心の平安に役に立った試しはない。
特定の宗教(カルト)が有害無益だというのではなく、そもそも宗教そのものが、人間にとって有害無益である。
特に一神教の罪は深い。
一神教ではない仏教でも、ラマ教や創価学会のように政教一致の一神教モドキは特に悪い。
『キリスト教によって、平和がもたらされた歴史的事例』
『キリスト教などというものがあったばかりに発生した悲惨な事例』
この二つの事例を、比較検討してみよう。
前者は思いつかないが、後者なら歴史上幾等でも指摘できる。
どんな馬鹿げたことでも『宗教上の信念』は、それが『宗教上の信念』であるというだけの理由で、尊重されねばならないという不思議な原則が、今の世の中では認められている。
こんな馬鹿げた原則を、『無神論者』が耐え忍ばなければならない理由が、何処に有るだろうか。?
そんな理不尽な非科学的な原則(屁理屈)が正しいわけがあるはずが無いではないか。
解同が疑似科学だと言って『水からの伝言』を理由にして、馬鹿馬鹿しい水騒動(実体は中学生の携帯電話裏サイト程度の大人のイジメ)を起こしたが、疑似科学より『宗教』の方が1万倍は世界に害毒を垂れ流しています。
科学的思考方法を擁護したいなら、疑似科学批判ではなく宗教批判が、特にアメリカの福音派や日本の創価学会のような原理主義(ファンダメンタリズム)批判こそ必要でしょう。
『日本に住むアメリカ人』
日本人で、アメリカ人の友人が多い人ほど、ブッシュ再選が信じられないらしい。
何故なら『知り合い(アメリカ人)に唯の一人もブッシュの支持者がいない』からブッシュ再選が理解できない。
知日派のアメリカ人は、支持どころか、反対にブッシュの反知性的な部分を笑いものにしている。
しかし反対に、ブッシュ・ジュニアが理想の大統領だと考えるアメリカ人が、現実にアメリカ本国には半分以上存在している。
ブッシュ政権のラムズフェルドやチェイニーの様な軍産複合体代表や世界企業の代弁者ばかりに目が行き、もう一方のジョン・アシュクロフトのような宗教右派(基督教原理主義)の方は目立たない。
日本人は、カリフォルニア等の西海岸やニューヨーク等の東部は知っているが、ディープ・サウスやバイブル・ベルトは知らない。
日本人が、アメリカの多様性の意味を勘違いしている可能性が有りそうです
『宗教臭さが嫌で日本に逃げてきている米国人。』
逆に考えると、反連邦主義で基督教原理主義者のアシュクロフトのような人物は、アメリカ一国だけが世界だと思っているので、アメリカから外には滅多に出て行かないし、外国(日本)や外国人(日本人)なんかに興味が無い。
それに、原理主義者は世界を知らないし、聖書以外の外の世界は知りたくもない。
それで、我々もアメリカの原理主義者の存在(実体)を知らない。
お互いの接点が無いわけです。
原理主義であってもアーミッシュのように、自分のホームランドに引きこもっていれば問題ないが、ブッシュ・ジュニアのようにホームランドが世界全体だと、世界中の人が迷惑する。
原理主義が問題なのではなく、世界の事に原理主義者が口出しする事が問題である。
これは、オウムや統一協会、創価学会が、社会や政治に口出しするから問題なので有り、そうでないなら、単に被害は信者だけに止まり、一般社会は影響を受けないのと似ている。
やっぱり憲法20条の政教分離の原則の『厳格遵守』が大事だと言う事でしょう。
『友愛と平和を説いているはずの宗教が戦争をする理由』
基督教に対する最大の疑問は、何故新約聖書だけではいけないのか。?
何故ユダヤ教の経典である旧約聖書を破棄しないのか。?の疑問です。
新約聖書の福音書には確かに非暴力や愛が書いて有るが、旧約聖書には、ありとあらゆる暴力と虐殺と侵略戦争が肯定的に書いてある。
アメリカなんかでは日本製アニメが暴力的だとして排斥運動も起こるらしいが、旧約聖書こそ、暴力を賞賛した悪書中の悪書である。
アメリカ独立時にコモン・センスを書いたトマス・ペインは、この事実に気付いて旧約聖書を悪書と批判したので、アメリカ独立戦争の最大の功労者でありながら、色々な迫害を受け、歴史からも抹殺され、不遇のうちに生涯を閉じた。
ルター等が基督教の宗教改革に乗り出した時、旧約聖書を破棄して暴力肯定の教義を捨て去るべきだったがそうしなかったばかりか、逆に現在の『聖書根本主義』(原理主義)ファンダメンタリズム (Fundamentalism)の大元を創ったともいえる。
21世紀の宗教改革では、基督教が真の世界宗教たらんとすれば、偏狭で悪質なユダヤ教の経典の『旧約聖書』を破棄して、新たに見つかったマリアの福音書とかユダの福音書を復活させ、異端の存在認めるぐらいの寛容さがないと、何時までたってもカルト臭が抜けない。
キリスト教も初期には色々な派閥(考え方)や福音書が有った様ですが、今の様にたった4つの福音書以外を破棄したのは最大の誤りだったのではないでしょうか。
『アメリカ南部の民主党と原理主義』
アメリカの共和党は右よりで保守、民主党は左寄りでリベラルと考えている日本人が多いが、何事にも例外が有る。
アメリカ南部は民主党の強固な地盤で、共和党組織はほとんど無いに等しいが、南部民主党こそ、右のなかの右、極右の巣窟になっている。
この原因は南北戦争まで遡り、奴隷解放令のリンカーンが共和党員だったことに由来している。
多くの白人の南部民主党員は、アメリカ国内で最も悪質な極右人種差別主義者で反連邦主義(反共和党)であり、原理主義の強固な集団である。
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あとは、開祖の名をかたって開祖の名を汚すという行為のオンパレードです。
鎌倉仏教の一遍は自分が死ぬ前に自分の著作をすべて焼き捨てたそうですが、そういう事態を恐れたためかも知れません。
キリストも釈迦もマルクスも、きっとあの世で悲鳴を上げていると思いますよ。
「俺の名の下に悪事をしないでくれ」と。
>宗教臭さが嫌で日本に逃げてきている米国人。
日本が宗教臭くないというわけではないと思いますが、決定的に違うのは、少なくとも、日本では宗教批判、オカルト批判が、一応、自由に行えますからね。
この違いは大きいです。
あの騒動において、『水からの伝言』を擁護するグループはいません。
「水伝擁護派」とされているのは、実際には「少しいいかげんな引用をしたけど、どうでも良いだろ派」です。
しかし、イスラム教の一派閥の信奉者がイランに起きた「悪魔の詩」死刑判決を背景として、日本人の「喉」を八つ裂きにした事件、アメリカのキススト教厳守主義の過激派のごとく、結局は、超人類的、超自然的な「神の摂理」が存在し、その「神の摂理」が聖書なり、コーランなりの「教典」となり、その「経典」を絶対化した地点から「神の摂理」としての教典を基準にして、自然、人類を裁くという観念論にその本質がありますね。
要するに、宗教は自然、人類よりも超自然、超人類の「観念」を最高基準にしているから、別に自然界が消滅しても、人類が消滅しても、そこには「神」が存在しているのであるから、何らの問題も生じない、という反科学、自然、人類消滅論=ハルマゲドンの結論へ帰結していくのではないでしょうか?
そうした宗教の思考回路が人命を断絶し、自然環境を破壊する戦争、死刑、殺人へう結びついたものが、人類と自然に対する宗教の挑戦ではないでしょうか?
ゆえに、宗教に対しては、一方では、人類と自然の科学に反する人権侵害行為との対決、連帯として現象し、他方では、言論、思想・理論闘争としての文化論としての対決、連帯として現象することになるが、とどのつまりは、宗教と非宗教を明確に区別することが科学であり、科学を基準に人権侵害行為を規制していく必要があるということですね。
『開祖の名をかたって開祖の名を汚すという行為』
これは多いでしょうね。
時間が経った後から信者?の一部がでっち上げた偽書の類いは数知れません。
ただ公式の聖典(仏教の経典、聖書、コ−ラン)の方も、開祖の言葉が正確に残っていなくて、死後の大分後から、後継者達が記憶を頼りに書き残したものですから間違いも多いでしょう。
だいたいですね。教組が生きていて、直に生の御言葉を聞ける間は、『生のお言葉』以上の『聖典』の必要性は無いわけですよ。
モーツアルトが生きていれば、誰でもCDレコードなんかで我慢せずに、どんな無理をしてでも生演奏を聞きに行きたくなります。
教組が死んでも、教組の『生のお言葉』を直に聞いた弟子達が生きている間はヤッパリ聖典の必要が無い。直弟子の『教組から直に聞いたお言葉』が有れば聖典は必要ないんですよ。
聖典が創られだしたのは教組の考えが忘れられた後の話でしょう。
『キリストも釈迦もマルクスも、きっとあの世で悲鳴を上げていると思いますよ。』
キリストは、トンでもない事になっているので心底驚いているでしょうね。
仏陀は、自分が見つけた真理が後世理解されず、がっかりしているでしょうね。
科学的研究に生涯をかけたマルクスは、教組に祭り上げられて怒りまくっていますよ。
『少なくとも、日本では宗教批判、オカルト批判が、一応、自由に行えますから』
Runnerさんも私も、アメリカ南部ならリンチにあっているか、自宅にライフル弾が撃ち込まれるぐらいは覚悟しないといけません。
ねこさん。
そうそう、その通りです。
ねこさんの、其処の部分の指摘は、この水騒動問題の核心部分を突いていますね。
護憲派ブログの中で『水からの伝言を擁護するグループ』なんてのは、正にガレージの中の竜の話と同じで、たんぽぽ集団の頭の中だけに存在する妄想の世界の産物です。
水騒動は、西欧世界で猛威を揮った魔女狩りの現代版と表現したいところだが,如何せんレベルが低すぎで、中学生の間で流行っているという、携帯電話のメールを使った学校裏サイトの大人版ですよ。
関わっている連中の知性の程度が低すぎて論争にもないません。
ねこさん、カシコと論争したからといって簡単には賢くなりませんが、アホと論争するとアホがうつる危険が有りますよ。
わざわざたんぽぽ集団の所へ出かけて行って論争しても得るものは少ないでしょう。なるべく止める事を薦めます。
少なくとも科学哲学では,宗教と非宗教のあいだには区別はありません.典型的な例が「医学」でしょう.医療人類学という分野もあるほどです.
それからアクセントが違います.「コラーン」がアラビア語での発音です.日本人の言い方が間違っています.東西南北さんは基礎的な勉強を無視して,背伸びばかりしたがる教養部の学生のような感じを受けます.少なくとも岩波文庫の「コラーン」3冊を読み通してからコメントされて下さい.(なんて言うと敷居が高くなると言われそうですけど,最低限の礼儀です)
# 言語学の易しい新書版の「最新版」の教科書で自習されて下さい.東西南北さんの「知識」「辞書」は余りにも古すぎます.「辞書」なんてものは使い捨てするのが学問の世界では常識です.私も丸善の『理科年表』は最低限,毎年買い換えてますよ(もちろん机上版).お薬などの辞書も毎年買い換えて,古いのはどんどん古本屋に持って行ってます.(だから理科系は自然と本の数が少なくなる)
「コラーン」の新書ですか?笑。個別の断片知識に興味は少ないのが東西です。すみません。芸術家を目指すならば「コラーン」の想像力も読みますが。笑。東西は芸術家志望ではありません。悪しからず。
次に、断片「知識」は古くても新しくても断片「知識」ではないでしょうか?知識の集積とは次元、位相のレベルでの人類の認識の発展なのであり、古いから知識ではない、というのは、1週間前に仕入れてきた鯛が腐ったから、鯛ではないというのと同じではないですか?
正しい正しくないの区別に古い新しいは無関係です。
コラーンは止めた方が良いですよ。外国語のカタカナ表記では原語により近いにこしたことはありませんが、日本語表記ですから所詮無理が有る。
例えば、マスコミすべてがイラクのサマワと表記していたのにNHK一社だけが最期までサマーワと横棒が入っていた。
サマーワの方が正確かもしれませんが、所詮言葉とはなるべく多くの日本人にわかれば、それでよいのですよ。
コラーンでは、コーランでないと私のパソコンでは一回では変換できませんし、言葉の本来の目的『なるべく多くの人に解って貰う』にも反します。
言葉とは本来、正しいか正しくないかの判定は科学的に出来るものではなく、どれだけの人が理解できるか理解できないか、で決ります。
間違いでも90%の人がその様に理解していれば間違いの方が正解になります。言葉の正誤は、多数決で決ってしまいます。
科学ではその逆で、幾等99,999%の人が正しいとしても正しいとは限らす、科学的事実に合致していれば、たった一人でも方が正しいことになります。
東西南北さん。
コメントの最期の一行『宗教と非宗教を明確に区別することが科学であり、科学を基準に人権侵害行為を規制していく必要があるということですね。』
全く同感です。
宗教が個人の脳内に留まっている限りにおいては、非難する心算は有りません。
しかし、宗教が社会に流れ出した段階で、警戒感を持つべきですね。
特に政治の分野は、憲法20条政教分離の原則に明確に違反する。
危機的状況に有るのは9条ばかりでは有りませんよ。逆な言い方をすれば、20条政教分離の原則を守れば反憲法のカルト団体の創価学会の活動は大幅に制限され、今のような右翼的策動の防げ、9条も守れます。
医学が宗教と非宗教を区別していないと述べていますが、それは区別できていない医学者がいるというだけであり、科学としての医学は宗教と非宗教を区別して当然です。それが科学ですから。笑。
おっしゃっているのは精神医学のことだと思いますが、科学としての精神医学は人間精神を自然科学、社会科学を手段として分析し、人間精神の病的状態に対し、自然科学、社会科学で解決します。自然科学とは薬物療法はその典型であります。問題はカウンセリングの在り方でしょう。ここに社会科学を認識していない精神医学者が宗教と非宗教を区別していない「精神医学」を持ち出すのでありましょう。
要するに、科学としての精神医学は自然科学と社会科学を踏まえ、宗教と非宗教を区別し、人間精神のあり方を自然科学と社会科学で解決しようとする科学なのです。もちろん、宗教と非宗教を明確に区別した上で、宗教によるカウンセリングをすることもあるでしょう。しかし、宗教によるカウンセリングが真の解決にはならないということを真の精神医学者は十分に自覚している所か、むしろ、宗教による解決では患者が病気を再発するか、あるいは、宗教的な世界観が引き起こしている社会問題への危惧から宗教による治療を退けている医学者もいるのではないでしょうか?
なお、刑務所では聖書による精神修養の措置もとられているようですが、東西は否定的です。社会科学による治療こそ必要です。
科学は、科学を信じている者にも、科学を信じていない者にも平等に、同等に結果が現れます。
しかし、宗教では、信じている者と、信じていいない者とでは180度結果が違ってきます。
信者か、信者でないかで答えが逆になるんですよ。
東西南北さんは、宗教信者に科学論争を挑んだ時点で、多少無理がありますよ。答えの出ない問題での、答えを求めています。
刑務所での聖書(宗教)による精神修養の話ですが、社会に復帰するための社会教育の一環であれば、『社会科学』でなければ、やはり駄目でしょう。
しかし死刑囚や、高齢で社会復帰が無理な人には、一概に否定も出来ないような気もします。
まやかしであれ何であれ、宗教しか救いが無い人も現実にいる事は紛れも無い事実です。
ところで,久しぶりのコメントを差し上げます.趣旨は『キリスト教は一神教か?』という愚考記事に対する反論か何かを戴けないか,ということです.
ただ,それは議論したいからではなく,参考にしてもう少し考えたいからなんです.
何しろ不勉強ですから.よろしければお願いします.
理由は、残念ながらアルバイシンさんが私と討論(論争)になる事を回避している(議論したくない)と思っていると、判断したからです。
討論したくない相手からの、コメント投稿は、正しい正しくないに関わらず、結果的には『嫌がらせ』程度に判断されるのがオチです。
前にヤップ島氏のブログで、以前の私のコメント記事を「良い意見」とブログ記事にしていたので「10の内1つでも意見の一致があれば討論が可能ではないか?」とコメントを送ったのですが「ブログは自分のもの、コメントはしたい相手だけ」の返事。
以前の同一セクトの競艇場やblog-blues氏を極左の偽装と告発した事が余程立腹している様子でした。
私からのコメントもヤップ島氏は嫌がらせコメントと判断したのでしょう。残念なことです。
当たり前の事ですが、私とアルバイシンさんとは経歴や主義主張に違いが有り、意見が衝突する事もあったが、しかし、大きな共通点もあった。此れが大きい。
日本の無神論者は、一般には宗教に関心が薄い。しかし二人とも宗教信者では無いが(宗教反対者?或いは宗教被害者?)、人一倍宗教に関心があった。此れで話が合わない筈が無い。
9・11懐疑論論争以来、マトモな討論が出来なくなったのは残念な事です。あれは簡単なトリックですよ。アメリカはアポロ11号のようにトリックの名人です。
カール・セーガンが主催した惑星協会の日本支部、日本惑星協会のホームページを見ればアームストロング船長が「小さな一歩」と言いながら着陸船を降りてくる遠景撮影の写真が今でも残っています。
「アメリカともあろう者がインチキするはずが無い」は、宗教に限りなく近い現代の迷信ですよ。
アルバイシンさん。何事であれ、真面目に討論できるのであれば、これ以上嬉しいことは有りません。
同じことは「ミャンマー」と軍事政権が言ってる「ビルマ」や,かつての「コンゴ」「カンボジア」など,第三世界の国々にも言えます.そういう意味では「日本」も「倭」に国名を変えるべきかも知れませんが(笑)
| 例えば、マスコミすべてがイラクのサマワと表記していたのにNHK一社だけが最期までサマーワと横棒が入っていた。
ところが,同じ現象は身近な言葉にもあるんですよ.例えば文科系の方は「コンピューター」と伸ばしますが,私たち技術屋は「コンピュータ」「PC」と言います.同様に文科系の人は「HP」と言いますが,技術屋は「 Webページ」と言います.なぜなら「Hewlett Packard」というコンピュータ会社が先に米国にあるから.先発見主義の米国人たちは日本人が「HP」と書くのを見て,完全にバカにしています.
つまり,理解できるかどうかの問題ではなく,誤った言葉が広まっていれば,それを修正する義務が公的機関にある,という話なのです.多数決よりも,科学的な見地から言葉を使う必要があるということです.あいにくですが,私は科学の立場ですので,その一点に関してはブログ主さんの命令に背かせて頂きます.
# 東西南北さんの与太にはコメントをつける意欲もないので,無視させて頂きます.
双方がすでに或る結論に達している場合は,互いに押し付け合いにしかならず,議論になりません.つまり,陰謀論などは互いに結論を出してしまっているので互いに言い合いをしてもどうなるものでもありません.ということで,陰謀論などは議題にふさわしくありません.互いに干渉しないでいきましょう.(当然ですが批判は独自になされてください.私もやりますので)
ただ,逝きし世さんは,宗教や歴史,文化,政治などの中に,時折り私が感心する意見をお持ちの時があり,非常に参考になることがあります.そのような話題についての議論は有益なものになるものと思います.よろしければぜひ.
『陰謀論』などと既に結論を出しているのはアルバイシンさんの方だけですよ。
当方は『疑惑がある』が結論で、これは『既に結論が出ている』とする立場の対極に有る考え方です。
アメリカ政府公式報告書でも、まだ結論は出ていず、9・11事件では未だ議論は収束していない筈です。
それに、其々『双方がすでに或る結論に達している場合』だからこそ討論や議論が必要だとするのが、民主主義の基本原則ですよ。
アルバイシンさんが、そんな簡単な基本的事実が判らない筈が有りません。
単に私と議論になって、自分の無茶な論法が破綻する事を恐れているだけでは有りませんか。?
小さな子供でも有るまいし、ある程度の水準にある大人なら、誰でも『すでに或る結論に達している』のが常識です。
それぞれの結論部分や考え方に、違いが有るから『討論できない』ではなく、
それぞれの結論部分や考え方に、違いが有るから討論や議論が必要になってくる。
そもそも考え方や結論が同じなら、議論は起こりません。最初から討論になるはずがありません。
まぁ,お互いの「立ち位置」を確認するという意味では,今までの議論は有益だったとは思います.そういう意味で私はブログ主さんの発言に賛成します.
# 昨晩も秋葉原事件の記事を書いたら,感情論たっぷりの「非常識」なコメントがたくさんついていた.みんな,殺人事件というと,何であんなに理性を忘れてテレビの言う通りだ,って思い込むんでしょうね.討論や議論じゃなくて,互いの感情を確かめ合って仲間はずれを探すだけのコメントがうじゃうじゃ.
『それぞれの結論部分や考え方に、違いが有るから討論や議論が必要になってくる』
それは一般論としてそうですが,議論を行ってここまで来たのですよね.
だから,kaetzchenさんの仰るとおり,互いの立ち位置が確認できたわけでしょう.それは議論のおかげですよ.
ただ,これ以上は今のところ無益,ということです.私の言い分は記事にしてありますが,すでに何度も議論をやって途中で打ち切りになりましたね.
議論を再開してもそうなるのがオチだ,という意味です.これはやめておきましょう.当分,置いておくのが正解です.
恥ずかしい、水騒動(陳腐な道徳論を振りかざして解同集団が行った恥ずかしい大人のイジメ)を引き起こした連中が不思議な事に、大勢集まってきて、理論も道理も常識も無視して真面目な討論を妨害する。
仕方なく私が、一番悪質な妨害者を徹底的に論破したら、突然逆切れして暴言を喚き出す展開になり、突然ブログのコメント欄が閉鎖される。
この悪党は、其の後自分のブログで『陰謀論者とはこの程度』と私のコメントの一部分だけを切り取って批判?したつもりになっている。(余程論破された事が悔しかったのでしょう)不道徳で非常識、こんな程度の人物を相手に討論していたのかと思うと情けないこと夥しい。
このときの私のコメントは、『ホロコースト、陰謀論』のシリーズで纏めて有りますので、少しでも討論する気があるなら、何か一言でも反論できるならコメント下さい。異論反論を歓迎します。
この問題でも私の立場は一貫しています。
『アメリカには9・11事件だけにではなく、色々な疑問や不思議、矛盾、疑惑が存在している』『判らない事がある』です。
そして、アルバイシンさんの主張がその反対だとは驚きとしか、いえませんね。
何故そんなに『自分がみんな知っている』必要があるんですか。?
知らないこと、判らない事があることが、そんなに怖いのですか。?
この世の『総ての真理を知っている』『判らない事はない』は、一神教的なカルト宗教の考え方ですよ。
その反対に、自分の周りには『判らないことがある』と考えるのが科学的思考方法の出発点です。
日本惑星協会のホームページの、アームストロング船長が「小さな一歩」と言いながら着陸船を降りてくる遠景撮影の写真を見ましたか。?
本職のペテン師は、普通の知識人の持っている常識とか知識を利用して騙すんですよ。
だから常識や知識の無い子供よりも、常識を持っている大人の方がペテン師詐欺師には騙されやすいともいえます。
「アメリカともあろう者がインチキするはずが無い」は、宗教に限りなく近い『現代の迷信』ですよ。
ここでブログ主さんが云ってる「宗教」という言葉はそのまま「常識」「日常規範」と言い換えても良い.
所謂,英会話スクールってやつが目標にしているのがアメリカ留学で,その他の英語を母語にしてる国じゃないってことに疑問を挟まない日本人は多い.私も国費留学生に受かったとき,某英国連邦を第一志望にしたら「変な奴だ」と頭から云われましたよ(笑)
アメリカよりも自然科学が進んでいる国は幾らでもあります.日本だって,特定の分野に関しては世界一の分野がある.コンピュータの Windows にあたるオペレーション・システムだって,以前は日本製が携帯電話や大型コンピュータに組み込まれていることが多かったが,現在ではエアコンや冷蔵庫や電気釜や洗濯機などの日常家電などに限定されている.
ちなみにパソコンというと皆さん,Windows しか知らないと思うけど,私は Linux りなっくす というオペレーション・システムを使っている.なぜなら,高速かつ「無料」で ( WindowsXP だと約2万円する),Windows のソフトが互換で使えるからだ.逆に言うと,パソコンを買うまたは携帯電話を買う= WindowsXP が最初から入っている=自動的にアメリカの Microsoft が2万円儲かるということなのです.
アメリカが儲かって儲かって仕方ないのは,このような中間搾取が目に見えないところで行われているからです.
それではまた.
自分の間違いを指摘されるのは、そんなに嫌なものなのでしょうしょうか。?
不思議でなりません。
なにも議論に負けたからといって、べつに命まで取られう訳でもなし。
私の考えでは、自分の間違いを誰かが指摘してくれるなら、授業料が無料で勉強出来たのですから喜ぶべき事柄だと思うのですが。不思議です。「うーむ,やはり無理か・」は私が言いたい台詞ですね。
長いコメントを書きすぎたのでしょう。
内容を理解せず「何か文句を言っている」程度に判断したのでしょう。時間の無駄だったようです。
半年前からの同じ態度ですから、別に今更驚きません。
kaetzchenさん。
他所のブログ記事(ブログ主催者は左翼ではないが)の中で『左翼護憲派の争いを嫌う「お花畑の住人たち」』という表現があり、思わず膝を叩きました。
言い得て妙。
実に、真理の一端を見事に突いていると思いませんか。?
その護憲派の、お花畑に突然、仁義も道理も常識も弁えないたんぽぽを名のる解同3悪人が乱入して乱暴狼藉の限りを尽くす。
みんなはただ逃げ惑うばかり。
何やら秋葉原の歩行者天国に乱入した刃物男の話に似ていますよ。
外国でも良く似た事件はあるが、みんな銃を何丁も用意している。
有り得ない話ですよ。
たった13センチの刃物で、何で7人も死ぬんですか。?
刃物では簡単には人は死にません。手で庇った場合に致命傷はなかなか難しい。オウムの村井幹部のように油断している状態で刺されているのか。?実に不思議な事件です。
其れより不思議なのは、犯行現場での携帯による近距離からの撮影です。
望遠機能の付いた携帯電話の話は聴きませんから、刺されている人を、周りの人が見物していたとしか解釈できない不思議なアングルの写真が出回っている。
撮影するカメラがあるなら、犯人に投げつけるぐらいのことは出来るはずだ。
相手(犯人)が一瞬怯んだ隙に、大勢で取り押さえる事も考えられるが、写真を撮ることに忙しすぎて誰も犯人に抵抗していない。
今日は私のブログは「右翼」そのものに見えて,実は全く反対の内容を語っています.逆に言うと,議論を仕掛けようとしても「無駄」な造りになっています.つまり,最初から読者を「おちょくっている」んですよ.それが分かった人は賢明な人です.
ブログ主さん,刃渡り13センチの刃物でも,十分に殺傷能力はありますよ.極端な話,カッターナイフの作業用の大きいやつがありますよね.あれも刃が折れない限り,銃刀法違反で検挙は可能です.工場の中では大てい皆んなポケットに入れているものですけどね.重傷の11人も運良く止血が成功しただけで,意識不明の方も多いはずです.
要するに,臓器の内部に走っている冠動脈・冠静脈を切断できれば,そこから瞬間的に血液が噴き出します.いわゆるアーミー・ナイフと呼ばれるのがその13センチクラスのもので,最初から陸軍で人を殺すために作られたナイフです.肋骨などの柔らかい骨も切断することが可能です.恐らく,犯人はどこからか,その手のマニュアルを手に入れて研究していたのではないでしょうか.(米軍経由なら簡単に手に入りますし)