【NPO通信】えいぶる(2) 就労への道自ら開く2008年6月10日 知的障害者が健常者とともに分け隔てなく働く「パン工房トースト」。理想的な職場を目指す事業所が誕生した背景には、親たちの強い思いがあった。今回は、NPO法人えいぶるの設立に至る経緯を紹介してもらう。 二〇〇五年十二月、知的障がい児の親が集まり「就労を考える会」が開かれた。中心は、高岡市手をつなぐ育成会中学高等部部会と高岡養護学校おやじの会のメンバー。みんな、子どもが養護学校を卒業した後の進路を真剣に思い悩む親である。卒業は社会に巣立つということだ。それは就職を意味する。しかし、知的障がい者にとって一般企業への就職は険しい道のりだ。 多くの卒業生が一般就労を願いながら、受け入れる企業が見つからず、作業所などへの福祉就労を選ばざるをえないのが現実だ。ほとんどの作業所では得られる賃金はわずか。定員にも限りがある。 ならば発想を変え、何か新しい就労形態があるのではないか? 働く場所がないなら、自分たちでつくってもいいのでは? それぞれが漠然とした思いを胸に会合を重ねた。 豆腐屋、パン屋、ワイナリー、ハウス栽培…。毎回、特定子会社や福祉工場、作業所など、全国のいろんな障がい者雇用の成功事例が紹介された。障がい者も役割を担っていきいきと仕事に取り組み、それなりの収入もある。素晴らしい事例ばかりであった。 しかし、現実に地元にそんな場所はない。始めるには資金もいる。何より、具体的にどう始めるのか、見当も付かない…。 〇六年の障害者自立支援法施行で、作業所への入所すら厳しい状況に追い込まれた。障がい児の将来を考えた時、明るい未来はなく閉塞(へいそく)感ばかりだった。 ここまで追い込まれると、もうやるしかない。会で話題に上がった新規事業を立ち上げ、障がい者の雇用の場をつくっていくしかないのだ。目的はあくまで知的障がい者の就労の場の拡大。いわば社会的な取り組みで、もうけようという話ではない。「だったらNPOだ」とNPO法人設立の機運が高まった。 毎年、養護学校からは次々と卒業生が巣立っていく。考えたり、迷ったりする時間はない。事業計画と並行し、設立の準備が進められた。 (えいぶる事務局長 松尾世志子)
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