EXFA新作 「FOOTBALL FANATIC」 発売開始

2008年06月08日

■ジャレド・ダイアモンド博士と司馬遼太郎が下した共通の結論の紹介が中田氏推奨のTAKE ACTION+1

いろいろとツッコミを入れてきた、
中田氏主宰の理解不能の環境運動イベント&擬似チャリティーマッチ、
TAKE ACTION2008だが、
正直言って、地球のためにナニかやらなくてはいけないという
啓蒙活動それ事態には大賛成だったりもする。

そんなわけで、SOCCER UG BLOGとしても
TAKE ACTION+1として本棚にある環境問題についての本を紐解きながら、
エントリーをひとつ書いてみたい。

最近話題になった環境問題の啓発本と言えば、
映画化もされ、著者のゴア元副大統領がノーベル平和賞も受けた

不都合な真実
不都合な真実

不都合な真実だろう。

不都合な真実は文章少なめで、
殆どがページ一面の写真とキャプションで構成された本なので、
ちょっと物足りなかったりもするのだが、
興味深い写真も多数掲載されている。

その中でも一番印象的だったのが、この写真だ

P6100217.jpg

左のハイチと右のドミニカ共和国は同じ島にある隣国同士なのだが、
森林の多さがこうも違っている。

domi11.jpg

この写真には恐怖を感じずにはいられない。
環境政策の間違いひとつで、国はここまで変わってしまう。

↑写真からは想像もつかないが、かつてはハイチのほうが農業政策を成功させ、豊な国であった。
過去にはドミニカ共和国を支配したこともあった強国ハイチだが、
現在その地位は逆転している。

ハイチの一人当たりの所得はドミニカの5分の1しかないが、
人口密度と人口増加率はハイチのほうが数倍高い。

過密人口とそれを補うための森林伐採から国が衰退する典型例がハイチには見受けられる。


このハイチとドミニカ共和国の命運を分けた環境問題を取り巻く歴史の比較は
ジャレド・ダイアモンド博士の


文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
文明崩壊

「文明崩壊」に詳しい。

環境問題を考えるうえでもの、この「文明崩壊」は強烈にオススメします。
読んで損無しです。

この「文明崩壊」では過去に滅んだ文明や国、
イースター島、マヤ、北米アナサジ、ノルウェー領グリーンランド、ハイチ、ドミニカ、
そして現代のアメリカ、オーストラリア、中国、アフリカ、などなどの原因と要因を
多方面から考察していくのですが、その中で日本も様々な形で登場します。

良い例えでも、悪い例えでもね…

ジャレド・ダイアモンド博士によると、
17世紀の日本はハイチのような文明崩壊の危機に瀕していたという

1650年に外部から日本を訪れた観察者なら日本社会は増え続ける国民が減りゆく資源を争うなかで、破壊的な森林乱伐が招く崩壊の危機に瀕していると予言したかもしれない。

17世紀当時の日本は戦国時代を経て国土が疲弊していたのに、
秀吉や家康と言った大名が豪勢な建造物を競うように日本中に建てていた
環境破壊の時代でもあったと文明崩壊は書く。

これは「文明崩壊」の中で繰り返し書かれる
文明が衰退と滅亡を迎える典型的なパターンだ。

17世紀の平和と繁栄が日本にもたらした環境および人口危機のおもな要因は木材消費の拡大による森林乱伐だった。

平和と繁栄に伴って人口が急成長し始めると田舎でも都市でも数を増す住民の需要を満たすため、建材としての木材使用が盛んになった。

1570年頃から秀吉、その後継者である将軍家康、そのほかの大名の多くが先頭に立ち、壮大な城や寺を建造して自己満足に耽ったり、互いを圧倒しようと試みたりした。家康が築いた城のうち最大の三城だけで、約25平方キロの森林を伐採する必要があった。

そして次代将軍のもとで、約二百の城下町が生まれた。市街地の住宅建設が木材の需要の面で支配層の巨大建造物を上回った。

1570年から1650年頃には建築の急増と森林乱伐が頂点に達した

この「文明崩壊」に多数の例が載っている、
多くの文明が滅ぶ直前の状況と当時の日本は酷似していた。

しかし、日本は他の衰退していった文明や国とは異なり、
この危機をトップダウン方式の徹底的な浪費抑制と根気強く植林を続ける事で、
再生どころか、これまでを上回る自然を作り上げ、200年近くに渡る繁栄を手に入れる。

しかし、日本は次の二世紀のあいだに少しずつ、これまでよりずっと持続性のある資源消費率を達成してみせた。 この方向転換は代々の将軍の上からの主導で行われた。

1666年、将軍が森林乱伐による浸食、河川の沈泥、洪水の危険性を警告し、人々に苗木の植え付けを促す布告を行った

覆いのない炊事炉に代わって燃費のよい竈が設置され、家全体を暖める習慣に代わって移動可能な小さい火鉢が使われ、冬の間は太陽を頼りに暖を採を取る事が多くなった。

家を建てるのに使用できる木材の量は社会的地位によって異なった。
名主には30間。その名主の跡取りには18間、ひとつの村の名主には12間。組頭には8間。本百姓には6間。小作農や漁師には4間がそれぞれ割り当てられた。

また将軍は家よりも小さな対象にも木材使用の許容量についての規則を公布した。1663年のある公布は江戸に住むすべての指物師にイトスギやスギで小箱を作ること、スギで家庭用品を作る事を禁じた。

1668年、将軍はイトスギ・スギその他の良質な樹木を公共の看板に使用することを禁じ始め、その38年後には正月飾り用として承認されていた樹木の一覧から大きなマツを外した。

同じ1660年代に、日本は社会のあらゆる階層において森林利用を規制する全国的な取り組みに着手し、1700年には森林管理の緻密なシステムを整えた。

このように江戸中期の日本は
徳川幕府が主導して、細かいところまで樹木の使用に規制が入る事となった。

現在でいうところの「エコライフ」の徹底だろうか。


また、資源の無分別な使用を制限する一方で、
徳川幕府は森林の再生にも心がけ、
実に日本的な細かさで、森林管理・国土保全が徹底的に行われる

同じ1660年代に、日本は社会のあらゆる階層において森林利用を規制する全国的な取り組みに着手し、1700年には森林管理の緻密なシステムを整えた。

将軍も大名も金をかけて所有する森林のきわめて詳細にわたる目録を入手した。

管理者のこだわりを示す一例を挙げると、
江戸から130キロほど北西に位置する軽井沢近辺の森林に関する1773年の目録には面積7.73平方キロの森林に4114本の樹木があり、そのうち573本には湾曲または瘤が目立ち3541本は良質である事が記録されている。その4114本の樹木のうち1778年に収穫可能なのは樹幹7〜10メートルで外周2メートルの高木針葉樹78本、外周1.5メートルの中木針葉樹293本のうち長さ2〜5メートルで外周30センチないし1メートルの良質な低木針葉樹2474本だった。また1778年に収穫可能な(あまりにも細かいんで以下略)

と、尋常じゃない細かさで森林に気を使っていた実例が描かれる。

この徳川幕府と当時の日本人の森林と国土に対するきめ細かい管理を
ジャレド・ダイアモン博士は

このような集計作業は個々の農民の判断に委ねるところの一切ない、トップダウン形式による管理の極限といえるだろう。

指導者たちが、受動的な策ばかり採らず、危機を予測して早めに行動に乗り出す勇気を持ち、鋭い洞察によって”上から下へ”の管理を決断すれば、社会を見違えるように変化させる事ができる。それと同様に勇敢で活動的な住民たちは”下から上へ”の管理を実行に移す事ができる。
徳川家の将軍たちは自らの長期的な目標に加えて、その他おおぜいの利益を追求しているという点で、それぞれの管理方法の最高の範例と言えるだろう。

と褒め称える。

派手好きの石原都知事は
外国人が喜びそうな江戸城の天守閣を再建して、東京観光の目玉にしよう
などと言っていたが、むしろ環境破壊が進む建造物の構築を我慢して
質素に、自然と共存して生きる道を選んだ武士の決断を城跡に示し
世界に誇るべきなのではないかと思う。

この徳川時代の数世紀に渡る森林管理と国土保全の働きについては、
司馬遼太郎のエッセイ


十六の話 (中公文庫)
十六の話

に興味深いエピソードが載っている。

明治初頭、エコロジーに気を配り続けた徳川幕府を滅ぼし、
政治的実権を握った大久保利通が京都の嵐山を訪れたところ、
あの美しかった嵐山が荒れ放題になっていてショックを受けたというのだ、

革命は自然を荒らすものなのです。革命後6年しかたってないのに嵐山の山は荒れ放題でした。倒れたままの木もあれば、あまりにも葉が茂って醜くなっているのもある、護岸工事もいたんでおる、とビックリしたのです。
大久保は土地の人を呼んで、なぜこんなに荒れたのだと聞いたら

「昔の幕府はえらいものでした、この嵐山の景色が悪くならないようにお金をだして保存していたのです。この山には景色をきれいにするための手が入っていたのです。絶えずそのために人が雇われて働いておったのです。それが新政府になって、そういう人は金がもらえないものですから山に入らなくなり、このように荒れたのです。」
と言われたというのです。

そして、この事を旧幕臣で政権闘争で敗れた側の勝海舟に相談しところ
勝海舟は

「そうなんだ、幕府は目に見えないところにお金を出してきた、政府というのはそうあるべきものなんだ。新政府はそういうことをやっていない。それはよくない」

と大久保に説教したそうだ。

司馬遼太郎に触れたついでに、
司馬遼太郎の晩年のエッセイで繰り返し述べられる自然観についても書いておきたい。
なぜなら晩年の司馬遼太郎が行き着いた歴史・自然観は
ジャレド・ダイアモン博士とほぼ同一の結論に達しているからだ。

司馬遼太郎はギリシャ文明が滅んだ理由をこう綴る

ヨーロッパ人というのは、一度ひどい目にあっています。メソポタミア文明、そしてその後のギリシア文明の2つの文明が滅んだのは、人口が増えすぎて、そのあたりの樹木を全部切り倒して畑にしたり、牧場にしたりしなければならなかったからです。
とくにギリシャの風景を思い浮かべてくだされば簡単ですが森を畑にしますと、あの熱い太陽に土が照りつけられて、フライパンの上で小麦粉をいっているように土がいりつけられてしまいます。そうすると、すぐに乾きまして、2年、3年は作物ができても、あとは風が砂を、土を吹き飛ばして、しまいには地球の骨ともいうべき岩がでてきて、ついに畑もつくれなくなる。そしてかつてはさかえていたたくさんの森もなくなる。森がなくなって、畑も滅んで、人類も滅んた、つまりギリシャ人も滅んだわけです。メソポタミアの場合もそうだと言いいます。

晩年の司馬が書くのは、ジャレド・ダイアモンド博士の文明崩壊を要約したような歴史観だ。

ギリシアの例にあるように多くの土地では
一度森林を伐採してしまうと風雨にされされて土壌が流失してしまい、もう元には戻らない。

最近TVのCMで「私たちは木を植えています」みたない環境への配慮のアピールを多々見るけど、
土壌が失われてなければ樹木は放っておいても再生するですよ大抵の土地では。
樹木をまた植えられるところなら大して問題じゃないんですよ。
問題は樹木を伐採した事により土壌が流失してしまった土地が地球中に溢れている事なんだよね。


そして、この森林伐採と文明崩壊のスパイラルから日本が抜け出し
東アジアで独自の歴史と文化を誇るに至った理由を
鉄を主題としながら、古代中国、古代朝鮮と比較して描き出すのが
晩年の司馬が得意にしていたテーマだ。

このテーマは上記した十六の話だけでなく連載エッセイ

この国のかたち〈1〉 (文春文庫)この国のかたち〈5〉 (文春文庫)
この国のかたち

でも何度も出てくる。

このテーマは本当に興味深いので引用しつつ書いていきたいところだが、
あまりに長くなってしまうので、箇条書きにまとめてみると

古代のある時期まで中国の黄河流域は大森林地帯だった。

しかし、中国の自然破壊が大規模の行われた漢の時代に殆ど滅んでしまった。

中国の鉄は大部分が鋳物で、数トンの鉄を得る為に膨大な木を燃やす必要があった。

漢の時代に北方遊牧民の帝国「匈奴」との戦争があった。

漢の武帝は中国史において唯一、遊牧民族の匈奴の撃退に成功するのだが、その勝因は弓矢の先に鉄を用いて、匈奴の騎兵の青銅の鎧を貫通させる事に成功した点にあった。

その為にますます森林が伐採され樹木が燃やされた。

漢の時代に編まれた「菅子」には"森が鉄を生む"という表現まである。

古代中国は植林をしなかったために森林が減り、鉄の生産量も激減してしまった。

漢の武帝は鉄の生産業者を全部潰し、鉄を官営にした。

製鉄業は衰え、技術的な進歩も停滞した。

武帝は精神面でも儒教を国教化しコレ以上の進歩発展を戒めた。

以降、あれほど偉大な文明を持っていた中国は、 失ってしまった大森林と共に近代にいたるまで長き眠りにつく事となってしまった。


そして、これは古代朝鮮も同様だったと司馬は書く、

古代朝鮮でも2世紀ごろまでは盛んに製鉄が行われていた。

朝鮮の製鉄は花崗岩質の山を掘り崩して得た砂鉄を使っての製鉄だった。

その為に山が大きく切り崩され自然破壊に繫がった

さらに中国同様、鉄を作り出す炉に火をくべる為に木炭が使われ森林伐採も進んだ。

朝鮮半島の山々は石のような山に僅かな表土があるだけの山で、木を切ってしまうとギリシャのように土が吹き飛ばされて禿山になってしまった。

古代朝鮮の製鉄業者は山を裸にしては山から山へとさすらう人々だった。

そして朝鮮の山はほとんど禿山になってしまった。現在でも朝鮮は禿山が多い。


そして、朝鮮の山を全部平らげた製鉄業者は海の向こうの島に目をつけたと司馬は書きます。
つまり、彼らはまとめて日本に移住してきました。


古代朝鮮で製鉄が盛んだった現代の韓国慶尚北道にある迎日湾に船を浮かべると海流の関係で日本の島根県に流れ着く。

出雲である。

出雲の山々は素晴らしく砂鉄を含んでいたので、3世紀から5世紀に掛けて朝鮮の製鉄業者がぞろぞろと日本にやってきた。

ここでも彼らは木を伐採し、鉄を作ったが日本の土壌は地層学的に若くモンスーン地帯で潤湿な気候だったため再生力が強く、植林をすれば禿山にはならなかった

古代朝鮮よりやってきた製鉄業者は出雲神話においてヤマタノオロチとして描かれ、出雲神話は”国譲り”を以ってクライマックスを迎える。”国産み”の神話を持つ大和の大勢力に吸収されるのである。


以降、日本は植林をすれば約30年経てば元の森林に戻る再生力の強い土壌のため、途切れる事なく安価な鉄の生産が可能になる。

豊富な鉄を使った農具で大規模灌漑工事が可能になり、関東・東北地方の開墾が進み、多くの美田が作られ、また高度に発達した製鉄技術により日本刀が作られる。

自分達で開墾した土地は自分達のモノという意識と鉄製兵器による武装が混ざりあり武士が誕生する。

彼らが12世紀に鎌倉幕府という武家政権と作る。

中国・朝鮮・東アジアから独立した日本らしい歴史はここからはじまる。

つまり日本の土壌が日本史と日本人らしさを作ったのである

このように司馬は日本史を総括します。

日本は自然に恵まれて本当に良かったなぁ〜
こんな美しい日本を愛さず、
富士山にゴミを捨てて帰るような馬鹿を死刑にする法律は作れないもんでしょうかね?


また一昨年ベストセラーになった

国家の品格 (新潮新書)
国家の品格

では、こうした日本の豊穣な自然と弛まぬ努力によって作られた美田がために、
日本人は世界で一番の感受性を持つ事になり、
遥か昔からノーベル賞があったら、文学賞で100個は確実、
数学賞があったら20個は確実だったと書きます。
国家の品格の著者の数学者・藤原正彦によりますと、
数学の天才は自然が美しい場所からしか出ないそうです。

地震はあるけど、本当に自然に満ち溢れた日本に生まれてよかったですね。

自然溢れる神の国、日本万歳!!

自然を守る日本人の英知は素晴らしすぎる!!!


ニッポンまんせーーーーーーー


と、こんな感じで締めくくりたかったんですけど、

では、日本に住む我々のような一般的な日本人が
そんなに自然を大事にしてきたのか?
というと、それはどうだろうか?
司馬遼太郎もジャレド・ダイアモンド博士も疑問を呈します。

司馬遼太郎は

日本人はとくべつ自然が好きだと思い込んでいます。げんに日本の短歌、俳句をごらんになれば自然ばかり詠んでいるといいますけど、日本人が本当に自然が好きかどうかはよくわかりません。

と、やんわり書いていますが、
ジャレド・ダイアモンド博士はもっと厳しく書きます、、

江戸中期・後期の日本の成功を解釈する際にありがちな答え−日本人らしい自然への愛、仏教徒としての生命の尊重、あるいは儒教的な価値観−は早々に退けてもいいだろう。これらの単純な言葉は日本人の意識に内存する複雑な現実を正確に表してはいないうえに、江戸時代初期の日本が国の資源を枯渇させるのを防いではくれなかったし、現代の日本が海洋及び、他国の資源を枯渇させつつあるのを防いでもくれないからだ。

この現代日本が他国の資源を枯渇させつつあるという言葉は本当に耳が痛いでござる。

このジャレド博士の「文明崩壊」では衰退を続けるオーストラリアの自然について
丸々1章が取られているんですけど、
そこに書かれるオーストラリアの現状は
一般的な日本人が思い込んでいる自然豊な国という印象とは正反対なショッキングな内容です。

そして、そのオーストラリアの国土衰退には日本人が深く関わっています。

↓文明崩壊13章:搾取されるオーストラリアより引用

1788年のヨーロッパ人の入植当時に残っていたオーストラリアの森林のうち40パーセントはすでに開墾され、35パーセントは部分的に伐採され25パーセントのみが、そのまま保たれている。
しかし現存する小さな面積の原生林も伐採され続けておりオーストラリアの地表の搾取の一例を示している。
残った森林から伐採される材木の輸出利用には目をみはるものがある。林産物の輸出のうち半分は最終製品でなく木材チップに変えられ、おもに日本に送られる。
日本がその木材チップの代金としてオ−ストラリアに支払う金額は1トンあたり70ドルまで下がったが、そこから作られる紙は日本で1トンあたり千ドルで売られる。(中略)

オーストラリアの林産物貿易には二重の皮肉が存在する。第一に先進国の中でも特に森林の少ないオーストラリアが縮小する森林を伐採し続け、生産物を日本に輸出しているが、日本は先進国の中でも国土にしめる割合が最も高く、その数字は更に伸びつつある

また、日本が自国の国土を守るために他国の国土を傷つけている例は
オーストラリアに限った事ではない。

「文明崩壊」の最終章、世界はひとつの干拓地の中では

先進国の裕福な住人たちのあいだに広く浸透しながらめったに表明されることのない見解として自分たちが多くの環境問題をかかえながら不自由のない生活を送れているのは、その問題をおもに第三世界の人々に押し付けているからだというものがある。

現在では日本の木製品輸入が第三世界の熱帯雨林破壊の最大要因となっている。

と厳しく断罪する。

我々日本人がこの現実に眼を向けずに、
自国を自然豊な国などと誇るのは決して許されない欺瞞だろう。

と、ここまで長々と書いたうえで、SOCCER UNDERGROUND BLOGの
TAKE ACTION+1、地球環境の為にナニか一つできる事をまとめると、

とりあえず日本の木材輸入を少しでも減らすために
割り箸を使い捨てにするのは、もう止めます。

そして、

サニーサイドアップの集金イベントに金を使うぐらいなら、
ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」と
司馬遼太郎の晩年の歴史エッセイを買いましょう!

ってブログで訴え続けます!!!


イタリアVSオランダ戦が始まってしまったので続き&推敲はまた明日

コメント

環境経済学をかじった身としては
大変興味深かったでござる

ただ今は「オランダ最高」と言わせてください

Posted by: at 2008年06月10日 06:04

割り箸は木材の残りカスから作っているから使おうが使うまいが大した影響無いんじゃなかったか?
そもそも話の中でも触れているが、まず中国に言うべき件だろ。
あと、取り敢えずチャリティーと称して電力大量に消費するイベントやるのはマジで本末転倒だと思うのだがどうか。
その為の免罪符たる「グリーンエネルギー」とやらも、正に「免罪符」並に胡散臭いと来た。
とにかく木材と石油をなるべく消費しない事が手っ取り早いエコだと思うのだが。
それと人類はさっさと宇宙に出るべき。
いなくなるのが一番のエコだ。

Posted by: at 2008年06月10日 09:31

 秋葉原の火病連続殺人事件の影響もあってか、耳ざわりの良さそうな文言の中に毒を混ぜる方針にしましたか、切腹氏と同じなりすましチョンさんや。(^_^;)

 ギリシャの場合は、焼き畑等の開墾だから、木の根っこまで掘り起こして綺麗にならして耕した上に、連作で土地が痩せるから表土の疲弊が起こるわけで。
 燃料の薪に使うのに、わざわざ根っこまで掘り起こす必要はないわけで。「本当に植林しようとしていれば」森林が1800年以上も禿げ山のままってことはありえませんなw。
 同じく、漂流物が流れ着くだけで、朝鮮の製鉄業者がぞろぞろ来たと言われてもw。もしホントに来てたら日本もあっという間に禿げ山状態ですな。
「現代までを見ても分かるように、奴らは移住先に気を遣うような民族では全くないので。」
 第一、製鉄業者なら、出来た重い鉄を持って海流に逆らって帰らなければならないのに。近場の大陸や南方諸島でなく島根?日本製鉄器の半島大陸への輸出って、とっても盛んだったんだ。w

 あと、建築材の消費量では日本に対するインパクトが無いから木材チップの話にしたのだろうが、チップの原料って間伐材や建築材の端材でしょ。
 森林環境を整備するには、間伐や枝打ち等の整備が必要不可欠だが、それは直接利益に繋がらないので林業の手間と経営を圧迫している。そこで間伐材の有効利用と商品化を推し進めようと、付加価値のある割り箸の開発などを日本でも行っているぐらいなのに。(^_^;)
(むしろそこまで手間を掛けない、切って作って売るだけの安い海外製に阻まれているのが現状)

 あと、日本が海洋資源を・・・と言っている奴の同胞が、なぜわざわざ日本近海で密漁を繰り返したり、北朝鮮産海産物を騙して市場に流通させたりしているのか。訳わからんわ。(^_^;)

「詐欺、泥棒、狼藉が最も効率的で愉悦の源。」
「自分たちがやるために悪事を投影転嫁。」
「後世に悪名が残らないかって?歴史は後から変えるもの。(だから良心や正義感の歯止め無し)
ニダシナの歴史書はこの影響が色濃い。
「それで足りなければ、都合の良い耳ざわりのよさそうな価値判断基準を捻くり出す。」

 それが、総じて特亜やユダヤの性格で、綿々と行ってきたことだ。ね?(爆)

Posted by: visitor at 2008年06月10日 11:05

>江戸中期・後期の日本の成功を解釈する際にありがちな答え〜

 「自然への畏敬の念」
でしょうな。育まれたり、苦労させられたりしてきましたから(^_^;)。

 自然への畏敬の念=神道をブサヨやなりすましや創価学会wが不条理に抑圧して(上記)の如くやっているのが、環境破壊の主な原因だと思いますよw。(^_^;)

Posted by: visitor at 2008年06月10日 11:17

文明崩壊は翻訳がいまいちなのが惜しい

Posted by: at 2008年06月10日 11:28

勉強になりますた

Posted by: at 2008年06月10日 11:57

司馬と並べて評価するのが面白いかな
しかし、朝鮮半島の話を少し持ち出したら
脊髄反射で叩き始めるネット国士様の
頭の悪さには困ったもんだ・・・

なんでも起源を主張する国に付き合って
反対方向の嘘で塗り固めても意味無い

Posted by: at 2008年06月10日 12:39

江戸期は単に鎖国、幕藩体制による中央集権で地方の発展を許さなかっただけでしょ。
おかげで国家の中心地・江戸は自給自足できないほどに莫大な人口を抱え込んで、自然を破壊しましたけどw

Posted by: at 2008年06月10日 13:59

江戸時代のエコ気質などについては、徳川家当代の人が「江戸の遺伝子」って本にも書いてるよ。
結構、明治政府から捏造された歴史を信じ込まされてる部分もあるよね。
やっぱ自分で勉強しないとなあ。UGタソありがと

Posted by: at 2008年06月10日 13:59

>>Posted by at 2008年06月10日 12:39
 どこがじゃw(^_^;)。
ついでに言うと、同じ民族で帰るべき実家でもある半島を引き合いに出して、
「ヒドイネ、そう言っているからウリ達はマシ・・・」
と言いながら、なおのこと素行の陰湿ななりすまし在日さん達の方が、訳が分かりません。(^_^;)

 ケダモノの中でも、国の造営の為に腰を据えて取り組んできた人々と、『泥棒、詐欺、放火、強姦』目的の為に、戦後の混乱期に捏造、裏切り、不法入国、不法滞在してきた人々との違いです。

Posted by: visitor at 2008年06月10日 18:08

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