訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

松宮一彦さん

松宮一彦さん 自殺のため死去

 TBS出身のフリーアナウンサー松宮一彦(まつみや・かずひこ)さん(45=写真)が28日午前1時ごろ、東京・渋谷区の自宅マンションで、首をつって死亡しているのを交際中の女性が発見した。警視庁代々木署では自殺とみている。遺書などはなかった。松宮さんはTBSテレビ「ザ・ベストテン」などに出演していた人気アナウンサーで、昨年同局を退社してフリーになった。今年春に愛人騒動が持ち上がり、この影響もあって仕事を失 い悩んでいたという。

交際女性が発見

 代々木署の調べによると、松宮さんは自宅マンションの玄関内側のドアノブにネクタイを輪にして結び、首をつって自殺していた。松宮さんと交際中の女性が28日午前1時17分ごろ、合いカギを使って部屋に入ったところ、松宮さんの遺体を発見した。死亡推定時刻は27日午後4時ごろとみられている。松宮さんはパジャマ姿で、両足を前に投げ出ししりを床に付けるような姿勢だった。遺体は同署に搬送され、早朝に駆けつけた松宮さんの母親が引き取った。

 遺書はなかったが、同署では状況などから自殺とみている。松宮さんは今年3月、所属事務所社長Aさん(43)と愛人関係にあったことを女性誌などに報じられた。それによると、松宮さんはAさんと30年越しの交際を続けていたが、昨年夏に松宮さんの運転する車が事故を起こし、同乗していたAさんが大けがを負った。それを境に、松宮さんが急に冷たくなり、別離を言い出したという。

自殺未遂騒動も

 報じられた直後、松宮さんはファクスでAさんあてに「自殺する」と予告状を送り、警察が出動する騒動も起こした。一連のスキャンダルの影響もあって、松宮さんはラジオのパーソナリティーなどを打ち切られ、仕事のない状態となっていた。松宮さんは3度の離婚歴があるが、知人は「離婚した妻たちへの慰謝料の支払いも残っていた。経済的に苦しんでいたようだ」と証言する。

愛人の事務所に

 松宮さんは日大芸術学部を卒業後、1976年(昭和51年)にTBSに入社。同期には現フリーアナの生島ヒロシ氏(48)らがいる。当時の同局の人気音楽番組「ザ・ベストテン」で、コンサート会場などからの生中継のリポートを担当し、“追っかけマン”として売り出した。スキーはプロ級の腕前で、明るく快活なスポーツマンのイメージで人気を集めた。朝の情報番組「おはようクジラ」のスポーツキャスターなどを経て98年(平成10年)にTBSを退社、フリーで活動していた。

 松宮さんは、愛人騒動が持ち上がった後もAさんの事務所に在籍するなど奇妙な関係を続けていた。Aさんは自殺の報に「新しい仕事がようやく決まったばかり。なぜ自殺したのか分からない」と絶句したという。通夜、葬儀などは行わない。


松宮さん自宅

愛車にはホコリ

 松宮さんが自殺した渋谷区内の自宅マンションは、タイル張りの3階建て。郵便受けにはこの日の新聞や郵便物が残っていた。1階駐車場には、愛車の赤いアウディが止められていた。近所の人は「ほとんど使っていなかった様子」といい、車もほこりまみれのまま。運転席と助手席には、おそろいのハワイのTシャツがかぶせられていた。後部のボードには趣味のスキー用ヘルメットやサイン入りの台本が置かれていた。同じマンションの住人は「いつも見かける時は1人だった。リュックを背負ってさっそうと仕事に出かけていくという感じだった」と話していた。(写真)

30年前から関係

 ◆松宮さんの愛人騒動 今年3月、女性誌などで大々的に報じられた。愛人のAさんとは約30年前にスキー場で知り合って恋に落ち、結婚も約束した。ところが松宮さんがTBSに入社すると連絡が途絶え、松宮さんは別の女性と結婚した。しかし、離婚するとまたAさんと交際が復活。その関係は松宮さんが結婚、離婚を繰り返すたびに続いた。松宮さんはTBSを退社後、Aさんと共同で事務所を設立し、Aさんが社長に就任。この時松宮さんは独身で「これからは(公私とも)パートナーとしてやっていきたい」と結婚をほのめかしたという。

 しかし昨年8月に訪れたハワイで、松宮さんの運転する車が電柱に衝突、同乗していたAさんは背骨などを折る重傷を負った。この事故をきっかけに松宮さんの態度が一変。昨年12月に松宮さんからAさんに「仕事はやりますが、私生活は逃げます。自由人でいたい」とファクスが送られてきた。これにAさんが激怒、女性誌に暴露した。

◆松宮一彦(まつみや・かずひこ)1953年(昭和28年)12月11日、東京都生まれ。日大芸術学部放送学科卒業後、76年TBSにアナウンサーとして入社。同年10月に「今週の歌謡ベストテン」でデビューした。以後、人気歌謡番組「ザ・ベストテン」などテレビやラジオの音楽畑を中心に活躍、同局の看板アナに。98年(平成10年)6月に同局を退社、フリーアナウンサーとなった。趣味はスキーで、入社後もアルペン種目の競技大会に出場した。77年に番組で知り合った女性と最初に結婚したが80年離婚した。81年にアシスタントと再婚したが83年離婚。88年にラジオ局関係者と3度目の結婚をしたが95年に離婚した。


私を支えてくれた真面目な人

黒柳徹子さん  TBSテレビ「ザ・ベストテン」で司会を務めた黒柳徹子(66=写真) 松宮さんは「ザ・ベストテン」の元祖“追っかけマン”として最初から最後まで活躍した功労者でした。最初の中継は山口百恵さんだったと思います。仕事に生きがいを感じているというのが印象的でした。特番の時は100位から11位まで超スピードで読み上げるのが松宮さんの仕事で、元気のある発表はほれぼれしました。番組では私と久米さんを陰で支えてくれました。まじめでキチンとした折り目正しいアナウンサー、これが私の印象です。とても悲しいニュースで心を痛めております。ごめい福をお祈りいたします。

自律神経失調症で休んだことも

生島ヒロシ氏  TBS同期入社の生島ヒロシ氏(写真) 驚きました。昨春から僕がTBSラジオで仕事をするようになり、彼が退社するまで毎週火曜日にはいつも会っていました。独立について相談を受けたこともありましたが、自律神経失調症になって1カ月ほど休んだこともありました。退社後は、お互いに忙しく会っていませんでした。

 彼は学生時代からテレビ局でアルバイトをしていて、テレビのことはよく知っていました。アナウンスも無駄がなく、正確な発音は参考にさせてもらいました。

 でも、彼と自殺とが結びつきません。もっと腹を割って話してくれればよかったのに。残念のひと言です。

明るくて優しい人

 松宮さんがTBS退社後、昨年10月から3月までパーソナリティーを務めていたFM局「NACK5」の音楽番組「松宮一彦のサーフアンドスノー」のプロデューサー清水誠氏(48)は「明るくて優しい人でした。リーダー的な存在で番組を引っ張った。仕事もまじめに取り組んでいた。自殺なんて本当に信じられない」と肩を落とした。


交際女性は無言

 松宮さんと交際中で第1発見者となった女性が住む都内の自宅には、多数の取材陣が詰め掛けた。本人は取材には応じず、代わりに母親がインターホン越しに「娘から聞いておりませんので何も言えません。ノーコメントです。すいません」と話した。B子さんは英会話学校の講師を務めていて松宮さんと知り合い、交際に発展したと伝えられる。


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