なぜ、こんな事件が続くのだろう。なんらかかわりのない七人が凶行の犠牲になり、十人がけがをした。東京・秋葉原、日曜日の歩行者天国で白昼起きた無差別殺傷事件である。
調べによると、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は二トントラックで歩行者をなぎ倒し、車を乗り捨ててナイフで次々と人を刺したとされる。被害者には買い物客もいれば、映画を見るつもりで来ていた人もいる。たまたま居合わせただけで命を奪われた人たちの無念さを思うと、やりきれない。
容疑者は休日に秋葉原を何度か訪れ、にぎわいはよく知っていたようだ。その上での犯行である。「二、三日前に計画した。殺す相手は誰でもよかった」と供述しているという。
しかも、携帯電話サイトの掲示板で犯行を予告。「秋葉原で殺します」に始まり、「休憩」「渋滞」「ついた」と時間を追って書き込んでいた。事務的に経過報告するかのようだった。
三月には、茨城県土浦市で男女八人が男に包丁で刺され、うち一人が亡くなる事件があった。まだ、記憶は生々しい。一月には東京・品川の商店街で、包丁を持った男子高校生に男女五人が襲われた。昨年までの五年間では、通り魔事件は全国で三十件発生している。
相次ぐ無差別殺傷事件。土浦では警察が指名手配して警戒していたが、自暴自棄になった容疑者の犯行を防げなかった。今回、警察は別のインターネットの掲示板で漠然とした犯行予告はつかんでいたようだ。しかし、特定できないまま、事件は起きた。前日にレンタカーを借りるなどして周到に準備し、にぎわう歩行者天国でやみくもにナイフを向けられれば防ぎようがない。
動機は調べを待たなければならないが、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」という。容疑者は派遣社員だった。正社員と給与に差はあっただろうが、普段は自動車部品工場にきちんと勤務していた。しかし、携帯サイトでは、投げやりな調子で「友達はできないよね」と漏らしている。無口で孤独な若者の姿が浮かぶ。
今の社会は若者がつまずいたときに、もう駄目だと思わせてしまう仕組みになっていないか。事件の背景に、自分だけが取り残されている疎外感があるような気がする。それにしても、なぜここまで暴発したのだろうか。
折しも七年前のこの日、大阪府池田市の大阪教育大付属池田小で侵入男に八人の児童が殺害される事件があった。犯人は社会に理不尽な恨みを抱いていた。今回の事件でも、まず動機をしっかり解明したい。社会的背景も浮かび上がってくるはずだ。
さらに、多方面の対策も必要だ。ネット社会では、用途の限られたナイフでも比較的容易に手に入る。凶器になる恐れの強いものは規制を強化したい。若者のうっぷんや不満をどうすくい上げていくのか。そこに目を向けた社会システムづくりも欠かせない。
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