2008年6月 9日 (月曜日)

ライブ衣装選び (ポイントは足袋)

  
久しぶりに落ち着いた夜。
少しゆったりした気分で「読書」ができるのがうれしい。
  
でも明日に札幌でのライブを控えている。
  
といっても、
本州や北海道のお寺の坊守さんが200人集合する研修会の懇親会の「余興」で30分ほど歌うもの。
  
前日の今夜は、最終の練習をしたり、ギターの弦を張り替えたり。
  
でもそれ以上に、「衣装」に悩む(笑)。
やはり研修会の席だから、派手な「私服」ではなく、「坊さんスタイル」にしよう。
  
  
  
*新しい「間衣」(上に着る黒い衣)を着よう。
*下には新しい「和服」を着よう。
*「帯」は先月通販で取り寄せたのにしよう。
*「サングラス」」は昔のカルヴァンクラインのにしよう。
*「輪袈裟」は先月買った新品のにしよう。
*「数珠」は愛知県のお寺サンから住職就任祝いにいただいたのにしよう。
  
  
でもなぁ、坊さんスタイルは衣装的に「遊ぶ」ところがないから……
  
*「足袋」は……… PPFMのタビックスにしよう!
 
  
派手かな?ま、客席から見えやしねーぜ(笑)
  
おっと!
そんなことより、俺よ。歌、大丈夫?

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2008年6月 7日 (土曜日)

検問だ!

本日の怒涛のスケジュールをなんとか無事に終えた。
  
疲れた。
  
でも、
やっぱり「法話ライブ」をした後には、自分が元気になっていたのが不思議だった。
  
  
お通夜の後、
ある「お祝い会」があり、洞爺湖へ車を走らせた。
  
  
洞爺湖サミットまであと1ヶ月。
  
 
色んな地方のナンバープレートの警察車両が来て、検問をしている。
そこを通るだけで緊張するの、なんでだろう〜〜〜〜〜♪(ふるっ!)
 

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2008年6月 6日 (金曜日)

夢叶えるぞ!

「目・肩・腰に○○!」
なんてドリンク剤のCMが昔あったような気がするけど、

腰の痛みはないんだけど、最近、肩と目の痛みが激しいです。

肩こりはお馴染みだから慣れている?けど、
眼球が飛び出るような症状が続いて、ふらふらする…。

でもね、食べ過ぎるくらい元気(笑)(*^_^*)

明日は、早朝からびっちり夜まで途切れ目のないスケジュール。
「法事」も「法話ライブ」も「お通夜」もある。

今の体調で、全スケジュールをうまく調整できるか心配…。


でも、
明日のスケジュールを自分なりに精一杯頑張るのが、今の僕の「夢」だ。

うん、
「夢」という言葉には壮大なイメージもあるが、
ちよっとした目先に、近いところで設定する夢もある。

夢、叶えるぞ!!

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2008年6月 5日 (木曜日)

ひとりじゃない

いくら

現実に向き合う為の「掛け声」を

自分自身に言ってみたところで、

しょせん、弱っちぃ、もろい自分なのだ。

 

あまりにも容赦ない現実が連鎖すると、

ペラペラの「化けの皮」が剥がされ、

ひとりぼっちの自分に不安になる。

 

すっかり

やりきれなくなってきた僕は、

思わず、

「弱音」という愚痴をメールにのせた。

そしたら、

すぐ、

「言葉」が返ってきた。

 

 

「現実」は何も変わらないまま

僕が進まなきゃならないまま

だけど、

チカラが出た。

 

 

その存在に

ものすごく支えられて・・・・

 

ひとりじゃないって

   

いいね。

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胸一杯の気配。

 
おっと!
法話ライブ6月版が迫っていた。
 
 
 
*7日(土)は、遠方のお寺の婦人部の皆さんが「バス旅行」でこの辺りを周りながら、最後にウチの寺にお参りに来る。その時に、その婦人部からのリクエストが僕の「法話ライブ」なのだ。
 
 
*10日(火)は札幌中心部の某老舗ホテルを会場に、真宗大谷派(お東)のお寺の「坊守大会」がある。関東・東北地方や北海道内から約200人のお寺の奥さんが参加するというデカい集まり。その懇親会の席のアトラクションとして、「法話ライブ」を30分程させていただく。      
 
 
今日はそれらの場所で歌う曲を選んだ。
今回は新曲は発表せず、あえて今まで歌い込んできた歌を選んだ。
 
いつも以上に、胸一杯に表現しようとする気配が、僕の中に漂ってきているのを感じる。
 
 

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2008年6月 3日 (火曜日)

「忙」にならないで。

いつも、僕のブログを読んで心配してメールをくれる人がいる。

ありがとう。
見守っていてくれて。
その「言葉」で頑張れます。

でもね、
私はいつもいつも忙しい訳じゃありません。

ただ、
忙しい日とヒマな日の落差が極端なんです。

最近、次から次へと集中しなきゃならない出来事が押し寄せるので、目の前の事には懸命になり、過ぎ去った事がボヤケていく?
気持ちを切り替えないと向き合えない場合もあるし…。

「先日はどうもありがとうございました。」

と挨拶されて、先日って何かあったっけ?とすぐ思い出せない場合もあるから、僕らしくない。

今日も時間に追われた。
49日法要のお宅でお会いしたジイチャンはものすごく愉快で、言葉使いは悪いが僕をからかったり、でもホメてくれたり、僕も逆にジイチャンにツッコミ入れたり。すっかり意気投合した。でも僕は次の時間が迫っていたから、
「ジイチャン、元気でな!」
「おぅ!坊さんもしっかりやれ!」
と別れた。もっとゆっくりジイチャンと喋りたかったなぁ。

時間に追われるスケジュールの日は

心が亡びる「忙」という文字のような自分にならないように……、ね。

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キツかった。せつなかった。

キツかった。

でも、気づいたことがある。

住職として、
「若者」とか 「哀しい亡くなり方をした人」の葬儀を勤めるのはキツくて、
逆に、
「お年寄り」の葬儀にはそれなりに慣れていたのだとしたら…?

そんな僕が問われている。

葬儀の「メインテーマ」は、
ひとたび赤ちゃんとして生まれてきた以上、若者であろうと、お年寄りであろうと、死に至る縁(キッカケ)が整えば死を引き受けなきゃならない、という真実。それを亡き人からキッチリと受け止めること、
そういただいている。

亡き人は、迷える「亡者(霊)」ではなく、先立って私を真実に導いてくださった「先輩(諸仏)」。

実は、僕の所属する「浄土真宗」では、「冥福を祈る」ことはしない。
そんな意外なっ!と思われるかもしれない。

実は
「冥福を祈る」ヒマもないほど、私たちは、いや、私たちも「死」に直面している存在であり、
それを教えてくれたのが亡き人だ、と学ぶ。

冥福を祈った時点で、「俺はまだ死なない。あなたはあの世でどうか幸せに…。俺はまだ生きるから。」と亡き人の示されたことが「他人事」になってしまい、知らぬ間に「生きていること」にうぬぼれていることになる。

だから
「眠れ」と言ってみたり、「見てて」と言ってみたり。亡き人との間にバッツリと線引きをしてしまう。

亡き人と同じ地平線に立つ為には、
「あなたが教えてくれたように、もしかしたらこの私も死ななければならない、その真実を忘れていました。」
という事実に目覚め、生きている事実をよりクリアーに受け止めながら、歩み続けること。

………とは言っても、やはり、キツかった。

若者の遺影を見つめながらお経をあげていると、泣けてきて。せつなかった。

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2008年6月 1日 (日曜日)

学ぶぞ。

昨日(31日)は、僕の街の仏教会主催の“花まつり”があった。
 
法要のあと、「お稚児さん」として参加したちびっ子達53人が街中をパレードをした。
 
 
 
僕もちびっ子達と一緒にパレードの列に入り歩いた。
ちびっ子達に声をかけたり、「変なお坊さん!」とからかわれたりしながら、楽しいパレードだった。
 
 
 
そして、夜は前回投稿した方の「お通夜」だった。お経をあげて、緊張しながら法話をさせていただいた。
 
 
そんな1日の出来事を振り返りながら、
色んな「いのち」の場面を考えていた。
肩こりがバンバンに酷くなっていた。
 
 
 
 
今朝目覚めたら、また悲しい知らせが入った。若者が交通事故で。
 
 
現実は容赦なく、僕の想いを超えて、押し寄せてくる。
 
 
 
しばらく、めまいが止まらなくなっていた。
 
 
さ、学ぶぞ。
自分のいただいたいのちをよりクリアーに受け取る為に。

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2008年5月30日 (金曜日)

死亡診断書

 「枕経」の知らせ。

 お宅へ伺う。

 亡くなったのはバアチャンと二人暮らしの息子さんだった。なんで??

 

 家の中に入った瞬間、皆さんの「雰囲気」で・・・・、分かる。

 

 枕経をあげて、

 葬儀の日程を打ち合わせるべく、皆さんと向き合う。

 みんな無言だ。

 重たい空気の部屋の中。

 そして、僕も、どんな言葉を先ず言えばいいのか、戸惑う。

 

 すると、

 『死亡診断書』が僕の目の前に置かれる。

 「(これを見て、察してください)」

 という「無言」が、また引き続いていく。

 「死因」と「備考欄」に書き込まれた内容に、

 僕は、言葉を失う。

 何度も何度も、その欄を見る。

 皆さんの様子の意味が・・・分かる。

 バアチャンが小さく呟く。

 「若い人が先で、何で年寄りが後なんだ・・・」

  

 部屋の壁に目をやる。

 1箇所を除いて何の予定も書いていない真っ白な5月のカレンダー。その「28日」の欄に、バアチャンの字が書いてある。

 「○○。たんじょうび」  

 ひとつ年齢を重ねたのは、2日前。病院のベッドだった。昏睡のままで。

 

 

 バアチャンの介護をしたり、バアチャンの病院の送り迎えをしたり、

 孝行息子さんだった。

 僕が最後に会ったのは3月。

 やはり、

 バアチャンを連れて、お寺にお参りに来ていた姿を見た。

 人なつっこそうな、優しい笑顔だった。

  

  

 自分を取り巻く「状況」と、それを受け止める「心」の歯車。

 その歯車がズレてしまったとき。

 自らの手で「そっち」へ向かおうとする心の 

 何が「ブレーキ」になるんだろう?

 もし、

 タイムマシンがあって、「その時」に戻れるなら、

 何が「ブレーキ」になる?

  

  

 ・・・・・・・・・・・・帰り道。

 車の中で、

 さっきの放心状態で座り込んでいるバアチャンの「姿」を思いだしていた。

 横たわる息子さんの「姿」を思いだしていた。

 

 僕はつぶやいた。

 「ばかやろう」

  

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