◎百万石まつり 加賀藩文化発信へ改革さらに
金沢百万石まつりのメーン行事である百万石行列で、加賀藩祖前田利家役を務めた俳優
の山下真司さんが「日本一のまつりじゃないでしょうか」と評したのは、リップサービスが含まれているとしても、「見せる工夫」を重視した改革が一定の評価を受けたと考えてよいだろう。
世界遺産登録運動を展開し、国の歴史都市支援制度の認定第一号を目指す金沢市にとっ
て、百万石まつり開催の意味はますます重くなっている。来年以降は「城下町」の価値を高めるという視点がより重要になろう。そうした視点で行列やまつりの在り方を見つめ直せば、まだまだ改善の余地はあるはずだ。加賀藩文化の厚みや、文化財指定が増える歴史都市の魅力を内外に発信する場と明確に位置づけ、改革を重ねていきたい。
今年の百万石まつりは行列のJR金沢駅から金沢城への新ルートが定着し、お松の方役
に女優の石野真子さんを起用したことで華やかさも加わり、利家の顕彰と金沢城入城というまつりの歴史性が一層鮮明になったように思える。変貌著しいJR金沢駅から国史跡指定が決まった金沢城跡へ至るルートは、城下町金沢の現代から過去へと深く思いを至らせる都市の主軸であり、行列もかつての商工まつりの色彩から歴史や伝統を見つめ直す場へと変わってきた。
来月の東海北陸自動車道の全線開通や北陸新幹線開業へ向け、金沢を加賀藩文化圏の「
藩都」として広域的に位置づける動きが広がってきた。百万石まつりも歴史を生かした金沢の都市づくりと連動するかたちで関心はさらに高まるだろう。山下さんが言う通り、いわゆる「時代まつり」で日本を代表する催しとしての評価を定着させることは十分可能である。
今年はまつり期間中に加賀藩ゆかりの文化財を特別公開する寺院がみられたが、「加賀
藩」を発信する仕掛けや催しを集中させれば、藩政期以来の文化や金沢の発信力は一層強まるだろう。観光イベントとしてだけでなく、「ふるさと教育」の現場という側面も重視し、市民、県民の歴史への誇りや地域の愛着が高まるよう、まつりに磨きをかけていきたい。
◎また通り魔事件 人間の崩壊食い止めねば
東京・秋葉原の歩行者天国を襲った通り魔事件の若者は警察の調べに「人を殺すために
秋葉原に来た。世の中が嫌になった。誰でもよかった」「人生に疲れた。生活に疲れた」と供述しているそうだ。インターネットの携帯電話サイトの掲示板に、殺人を予告する犯行前の書き込みがあったという。
しかし、人生に疲れたなどという理由が、なぜ無差別殺傷に直結するのか。いわゆる精
神鑑定が必要なケースなのかもしれないが、現段階では人知れず自らの命を絶てなかった卑怯者ともいえるのではないか。犯行の動機を「死刑にしてほしいため」といった、別の事件の犯人に通じるものがある。食い止めたい人間の崩壊だ。
こうした異常な事件は、ややもすると犯人の異常さに目が向きやすいが、正しくない。
とりわけ、被害者が誰でもよかったなどという通り魔事件は、突如として理由なき暴力に襲われた被害者や、その遺族の立場から考えることが非常に重要だ。
今度の事件では、就職の内定をもらった女子学生、やりたいことを胸に描いていた学生
、働き盛りの調理師、めったに行かない秋葉原に長男と一緒にパソコン関連の買い物に出掛けた高齢者らが被害者だった。不意に人生を奪われた悲劇に、どういえばよいのか言葉が見つからない。
遺族のためにせめて〇四年にできた犯罪被害者等基本法に基づき救いの手をしっかり差
し伸べてやってほしい。一九九八年一月、大阪府堺市で起きた少年による女児や母親ら三人に対する殺傷事件から、今年三月に茨城県土浦市で男が男女八人を刺して死傷させた事件まで、近年の主なものだけでも今回を入れて十二件も起きている。人混みを歩くのが恐ろしいと訴える遺族もいる。
無差別に不意に襲い掛かられては身を守るのは不可能なことが多い。危険人物が増える
ようでは歩行者天国などができなくなる。見ず知らずの他人の命をいきなり傷つけるようなことを前もって防ぐ手立てがほしい。「攻めの予防」を真剣に考えねばならなくなった。