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2006.03.08
第3回 「特別対談・水野美紀」

「人の敷いたレールから降りて自分の足で歩くこと」

0052_2 05年12月、女優の水野美紀さんがバーニングプロダクションを辞めて独立したというニュースは「事務所トラブル!?」や「男女関係!?」などマスコミ的憶測を呼び、かなりセンセーショナルに騒ぎ立てられた。しかし彼女は言う。「表現したいから、表現するのが好きだから、この仕事をしているんです。芝居がしたいし、成長したいし、芝居がうまくなりたい」――そのシンプルな想い、そして芝居に対する限りない情熱が、彼女の独立の原動力であり真意だった。自身も大手事務所からの独立経験のある高木淳也氏が、彼女の今後の抱負を真摯にきく。

森道子●写真
遠山凪子●構成 ・文

Mizunomiki <プロフィール>
水野美紀(みずの みき)

1974年香川県生まれ。87年に雑誌モデルとしてデビュー、その後女優に転身。代表作にドラマ「逃亡者」、「踊る大捜査線」、「ビューティフルライフ」、映画に『恋人はスナイパー 劇場版』(04年)、『交渉人真下正義』(05年)、舞台に劇団☆新感線公演「髑髏城の七人」(04年)、阿佐ヶ谷スパイダース「桜飛沫」(06年)など。大人の女性役から、コミカルな役まで幅広く活躍する実力派女優。著書にエッセイ『ドロップ・ボックス』がある。05年12月に所属していたバーニングプロダクションを辞め、独立。

*公式サイト「628DRIVE 水野美紀オフィシャルサイト」http://www.628drive.com/

芸能界という特殊な世界で自分を守るためにできること

水野 私、一時テレビにずっと出させてもらっていたんですけど、自分の中の感性とか表現欲とかが、かれちゃったと感じたときがあったんですよね。これ以上、これからやる新しい作品で、前よりもいい芝居、いい表現をする自信がもうない、と思った時期があった。
高木 充電する時間がなかったの?
水野 そうですね、なかったのかな……。それで舞台に目を向けたときに、ここから学べることがある!と思ったんです。
高木 それは、拘束されずに自由に演技ができるから?
水野 というよりも、違う刺激があるからかな。舞台とテレビは表現も方法論もすごく違うし、ぜんぜん違う感覚を使うから。
高木 たとえば一般の視聴者の人たちは、タレントを一つのキャラクターとして見るでしょう。それがいきなり独立する。しかもその理由を金銭トラブルや男女関係とか考える。
水野 なにかトラブルがあったんじゃないかと思われますよね。でも普通の人が思うあの会社のメリットを、私はメリットと感じられなかったんですよね。バーニングのような大手事務所にいれば、守ってもらえるし、テレビにでも出られる、CMにも出られる。お給料ももらえるし、安定している。売れているタレントとして認識されて、万々歳だろう。そう思われると思うんですけど、私は人気タレントになりたいのではなくて、表現したいから、表現するのが好きだから、この仕事をしているんです。芝居がしたいし、成長したいし、芝居がうまくなりたい。
高木 それは最近思ったの?
水野 いえ、それはずっとですね。20代にテレビドラマを中心に演じていて、そこで吸収できることや刺激があって、次はもっといいものにしたい、次はこういうことにチャレンジしたい、というテレビの中での成長があったんですけど、あるときなんかかれちゃったと感じたんですよね。
高木 その「かれちゃった」というのを具体的に言うと?
水野 だいたいオファーされる役が決まってきたし、求められるキャラクターも決まってくる。その中で自分なりに冒険とか新しい試みをするって限界があるじゃないですか。それで、もうこれ以上見せてない部分や引き出しはないなと。引き出しが空っぽになったんです。これ以上いいものや、前より新鮮な芝居、表現を見せられない。そのときにすごく怖くなっちゃって。
高木 すごく真面目だよね。(笑)
水野 (笑)真面目だと思います。
高木 オレなんて金持ちになりたくて、この世界に入ったヤツだからね(笑)。
水野 そういう理由はシンプルでわかりやすくていいですよ。有名になりたい、お金持ちになりたい、芸能という世界が好き、テレビのタレントになりたいという人にとって、バーニングはすごくいい会社だと思います。でも私には合わなかった。私もっと、地味にこつこつやっていきたいタイプなんですよね。
高木 血液型は何型?
水野 B型です。
高木 B型なの?(笑)それにしちゃ真面目すぎない? 実はオレもB型なんだ。あんまり縛られたくないし、団体生活できない。
水野 団体行動は厭ですね。
高木 自分の実力を発揮できるところで頑張ろうという感じはあるけど……。水野さん、オレよりもっとカタイよね(笑)。
水野 うん、そうかなあ……。
高木 カタイよ。いい意味でいうと、しっかりしてる。
水野 頑固かもしれない。
高木 わかるよ、オレもそうだから。それでいつも失敗してる(笑)。でも本当に思うけど、タレントは今の芸能界の方法論では絶対に潰れる。まず契約書を交わすことが大事だよ。だいたい15~6歳の社会も知らないようなコたちがテレビに出て、大騒ぎされて、そのうち感覚が麻痺してくるよね。
水野 そうですね。
高木 しかも芸能界の独自のルールで生きなければいけない。それは続かない。人間として生きられないもの。
水野 最初にいた事務所がそうなんでした。当時13歳、世間知らずな年齢にあった私が、周りの人と接して情報や知恵を得て成長することを、とても拒まれたんです。「現場では誰とも喋るな」とか、完全に隔離されたんですよ。それで16歳で上京して一人暮らしを始めたんですけど、親とも電話しちゃダメ、友達も作っちゃダメと言われて。週に3つほどレッスンを受けていたんですが、レッスンに行く前に事務所に「今から行きます」という電話をしなくてはいけなかったんです。
高木 理由は訊かなかったの?
水野 訊けないですよ。というより、みんなこういうものなのかなと思っていたんです。田舎から東京に出てきたばかりで、こうしなさい、ああしなさいと言われることが常識なのかなと思っていた。とにかく自分が今どこで何をしているかを事務所が把握できるように連絡をしなくてはいけないんですよ。勝手に遊びに行っちゃいけないし、友達を呼ぶのもいけないし。
高木 壊れなかったの?
水野 壊れましたよ、1回。でもだんだん仕事が増えてくると、事務所の人の目の届かないところで、人と話す機会も増えてくる。それでうちの事務所は少しおかしいんじゃないかと気がついた。気付かずに洗脳されていれば狂わなくて済むけれど、気付いちゃったらそこから葛藤だから。もう、すごく精神的に苦しかったんですよね。
高木 なるほどねえ。今日はもうちょっと暴露話が聞けるかなと思ったんだけどな(笑)。
水野 (笑)でも本当に独立の理由は地味にこつこつやりたいだけですから。金銭トラブルもないし、お給料に不満もなかったし、男性関係、たとえば妊娠とか結婚とか、交際を反対されてとか、そういうこともないし。
高木 ただ自分のやりたい仕事のフィールドを広げたかっただけ?
水野 ええ、自分でチャレンジしたかっただけ。
高木 反対されたりしなかったの? ひと悶着なかった?
水野 「半年後に辞めたいのですが」という手紙を、最初はまったくなきものとされました(笑)。
高木 でも今までのような露出量ではなくなるし、舞台や映画を中心とした仕事ということで路線が変わる。虚像を追いかけるのがファンの心理だから、そのカタチが変わると、ファンの人は寂しいんじゃないかな。
水野 どうなんですかね。
高木 いや、逆に新しいファンも増えるかもしれないけど。
水野 でも舞台はファンの方と直接会えるじゃないですか。そういうところで喜んでもらえたらなあと思うんですけど。あとは露出が少なくなる分、新しく作ったホームページで、日記をマメに更新するとか、状況をいろいろわかるように発信しています。
高木 ファンの反応はどう?
水野 そんなに変わらないですよ。前の事務所で作ってもらっていたホームページを辞めるときに閉鎖して、新しく作ったんですけど、前のホームページに来ていた人たちがごっそり遊びに来てくださっているので。
高木 では今後の抱負を。
水野 そうですね……、これから地味にこつこつ(笑)、でも実力を確実につけていきたいと思っています。
高木 その「地味に」がよくわからないんだけど(笑)。
水野 (笑)テレビ、CMの世界が華やかな世界だとしたら、その反対として露出が少ないと思われている舞台とか、執筆活動とかですかね。エッセイの本を1冊出したんですけど、書き続けたいと思っていて。新しいエッセイのオファーももらっています。
高木 順調なんだね。
水野 今のところ順調ですね。夏にはまた舞台をやりますし。今年は舞台2本ですね。
高木 老婆心ながらくれぐれも気をつけて(笑)。
水野 何をどう気をつけたらいいか、今はわからないですよ(笑)。

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2006.03.01
第2回 「特別対談・水野美紀」

「人の敷いたレールから降りて自分の足で歩くこと」

Mizunotakagi_2 05年12月、女優の水野美紀さんがバーニングプロダクションを辞めて独立したというニュースは「事務所トラブル!?」や「男女関係!?」などマスコミ的憶測を呼び、かなりセンセーショナルに騒ぎ立てられた。しかし彼女は言う。「表現したいから、表現するのが好きだから、この仕事をしているんです。芝居がしたいし、成長したいし、芝居がうまくなりたい」――そのシンプルな想い、そして芝居に対する限りない情熱が、彼女の独立の原動力であり真意だった。自身も大手事務所からの独立経験のある高木淳也氏が、彼女の今後の抱負を真摯にきく。

森道子●写真
遠山凪子●構成 ・文

Mizunomiki1_1_3 <プロフィール>
水野美紀(みずの みき)

1974年香川県生まれ。87年に雑誌モデルとしてデビュー、その後女優に転身。代表作にドラマ「逃亡者」、「踊る大捜査線」、「ビューティフルライフ」、映画に『恋人はスナイパー 劇場版』(04年)、『交渉人真下正義』(05年)、舞台に劇団☆新感線公演「髑髏城の七人」(04年)、阿佐ヶ谷スパイダース「桜飛沫」(06年)など。大人の女性役から、コミカルな役まで幅広く活躍する実力派女優。著書にエッセイ『ドロップ・ボックス』がある。05年12月に所属していたバーニングプロダクションを辞め、独立。

*公式サイト「628DRIVE 水野美紀オフィシャルサイト」http://www.628drive.com/

芸能界という特殊な世界で自分を守るためにできること

高木 仕事的にはどういう路線でやっていきたいの?
水野 やはり舞台と映画ですね。
高木 テレビはもうやりたくない?
水野 やりたくないわけではないです。テレビは一時期、本当に出すぎて、そろそろ飽きられているんじゃないかって思ったことがあった。テレビは少し離れて、時間を置いても大丈夫という気がします。
高木 独立したとき、その結果、潰れてもいいと思った?
水野 これで女優生命が終わったとしてもいいやって思った。
高木 その原動力は?
水野 自分の足で歩きたいという気持ちですよね。
高木 オトコができたとか、そういうことじゃないんだ?(笑)
水野 まったく関係ないですね。
高木 たとえば、本当に潰れちゃったらどうするの?
水野 潰れちゃったら潰れちゃったで、そこからまた考える。
高木 何を考えるの?
水野 今後どうするか。食べていかなきゃいけないから。
高木 別の仕事をするとか? 芸能以外の?
水野 そうですね。
高木 そうか。オレは15歳でジャパンアクションクラブ(JAC)に入って、17歳でデビューして、19歳で辞めたのね。オレの場合は金銭問題。給料が月額5万円ぐらいだった。
水野 そうなんですか。
高木 そう。テレビドラマの主役をやっているのに、月5万円。しかもまだ研修生だったから、そこから2万円の月謝も支払わなきゃいけなかったわけ(笑)。
水野 ええ!?
高木 3万円しか残らないわけ。それにマネージャーもついていなかったので、撮影から取材から何もかも自分でやっていた。公衆電話から事務所に電話をして、「仕事が入っているから今から××へ行け」と言われて、そこへ自分ひとりで行く。まだ16~7歳の、ド田舎から東京に来たばかりで右も左もわからない男の子がね。でも家賃、光熱費、交通費、飲食代なんて、3万円ぽっちじゃ足りないわけ。だから日雇いの仕事やってたの。未成年だから働ける場所がないので、新宿の西口に“立ちんぼ”といって、トラックの日雇いの人たちが来て、手を挙げると、道路工事とかに連れて行ってくれる。結構やってたよ。で、あるとき、東映の映画『伊賀野カバ丸』の主演を貰って。真田(広之)さんと黒崎(輝)さんとオレで映画の主題歌を歌うコンサートなんかもね。で、3ヵ月ぐらい拘束されたんだけど、その給料が3ヵ月分で10万円だったの(笑)。
水野 ええ、そうなんですか。ひどいですね。
高木 ひどいよ(笑)。それからテレビの主役がまた入ったんだけど、給料が入らないので、「どうなっているんですか?」とJACに訊いたら、その頃サニー千葉プロダクションの所属にされていたので、「サニーに行って」と。サニーに行くと「いや、JACだから」と。そんなのが2ヵ月続いた。主役やっている最中だよ。いや、役者を目指したからって、趣味でやっているわけじゃないからね。もちろんJACのおかげでデビューできたし、感謝もしていたけど、これはもう肉体的にも25~6で限界も来るだろうし、それで辞めようかなと。当時は、角川春樹さんや深作欣二監督などブレーンがすごかったし、真田さんも絶好調。そんな最中辞めたわけ。それで8年干された。まだ19歳の頃で、若かったし、海外に行って映画を撮ったんだけど、撮影中に足を怪我して、その怪我がひどかったんだよ。まあ、とにかく28歳ぐらいまで8年ほど干されたね。
水野 その間、どうされていたんですか?
高木 自分で個人事務所を立ち上げて、それを維持していた。自分で営業に行ったりね。でもファンがあっという間に減っちゃってね。芸能界は力がないとダメなんだなと思った。それから政治方面に進んだんだ。今は40歳も過ぎて、何があっても関係ないと思えるようになったけど、当時はまだ20歳ぐらいだからきつかったね。どこに行っても出入り禁止。「高木淳也はJACを辞めたので、お付き合いしないでください」という回状みたいなものが回っていたんだよ。それが業界のルール。結局、社会常識から逸脱した世界だからさ。労働基準法にも違反してるし、契約書も交わさない。労働に対する知識や常識がまったく通じない場所。アメリカのユニオンのようなものもないし、マネージャーは会社に囲われている人だからタレントよりも事務所が優先だしね。
水野 そういうの、すごく感じたんですよね。守ってもらえないなって。大手プロダクションとか個人事務所とか事務所にもいろいろあるけれど、契約書を交わして、ギャラをオープンにするところもあるじゃないですか。そういう事務所は、所属している人と会社のトラブルも少ないと思うんですよ。
高木 それが本当なんだけどね。
水野 なぜほとんどの大手事務所は契約書を交わさずに、「ギャラには触れてくれるな」みたいな、タブーな雰囲気があるのかな。メリットは?
高木 お金でしょう。結局契約書を交わすと、詳細にわたって決めていかなくてはいけない。おおまかな契約書は法的に効力がないからね。それで詳細にわたって契約すると、タレント側に「知る権利」が出てくる。「私のギャラは今、幾らなんでしょうか」とかね。でも給料制にしておけば、とりあえず1年間トータルで仕事を入れておけば、ギャラを引いた分が会社の利益となる。それをタレントに知られたくない。アメリカはエージェントがいて、そこはハッキリしている。ギャラは幾らとか、出た映画の作品の何パーセントはタレントにバックしてくださいとか、細かいことが決められ、保証されている。作品に出演したという労働の価値が尊ばれているんだ。労働基準法もあるし、「一番いいコンディションで働きましょう」というのがベースにある。日本はないから。よく労働基準監督署が黙っているよね。
水野 そうですよね。
高木 といっても、独立だってこれからが大変だよ(笑)。
水野 (笑)ある程度はわかってます。でもバーニングに所属していた後半に、「舞台がやりたい、映画がやりたい」と言っても厭な顔されたのは、やはり月々いただいていた給料と見合わなくなってきたのかな、とかつくづく思いましたね。
高木 テレビで露出していればCMが来るわけで、そこで一気に稼げる。舞台だと露出が少ないからね。
水野 そうですね。


次回3月8日公開

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2006.02.22
第1回 「特別対談・水野美紀」

「人の敷いたレールから降りて自分の足で歩くこと」

0011_1_2 05年12月、女優の水野美紀さんがバーニングプロダクションを辞めて独立したというニュースは「事務所トラブル!?」や「男女関係!?」などマスコミ的憶測を呼び、かなりセンセーショナルに騒ぎ立てられた。しかし彼女は言う。「表現したいから、表現するのが好きだから、この仕事をしているんです。芝居がしたいし、成長したいし、芝居がうまくなりたい」――そのシンプルな想い、そして芝居に対する限りない情熱が、彼女の独立の原動力であり真意だった。自身も大手事務所からの独立経験のある高木淳也氏が、彼女の今後の抱負を真摯にきく。

森道子●写真
遠山凪子●構成 ・文

Mizunomiki1_1_4<プロフィール>
水野美紀(みずの みき)

1974年香川県生まれ。87年に雑誌モデルとしてデビュー、その後女優に転身。代表作にドラマ「逃亡者」、「踊る大捜査線」、「ビューティフルライフ」、映画に『恋人はスナイパー 劇場版』(04年)、『交渉人 真下正義』(05年)、舞台に劇団☆新感線公演「髑髏城の七人」(04年)、阿佐ヶ谷スパイダース「桜飛沫」(06年)など。大人の女性役から、コミカルな役まで幅広く活躍する実力派女優。著書にエッセイ『ドロップ・ボックス』がある。05年12月に所属していたバーニングプロダクションを辞め、独立。

*公式サイト「628DRIVE 水野美紀オフィシャルサイト」http://www.628drive.com/

女優を目指したきっかけと、今回の独立の真意について

高木 独立はいつですか?
水野 去年の12月1日からなので、まだ1ヵ月半ですね(取材時)。
高木 その真意は?
水野 30代に入って、やりたいことがハッキリ見えてきたんです。
高木 デビューは幾つ?
水野 13歳です。
高木 というと芸能生活は……?
水野 もう17年以上になりますね。
高木 結構長いんだね。13歳で女優になろうと思ったきっかけは?
水野 『ガラスの仮面』というマンガを読んだのがきっかけなんです(笑)。主人公の北島マヤに憧れて。そんなに美人でもなく何のとりえもない女の子が劇団に入り、天才的な女優になっていく、という話なんですよ。大竹しのぶさんみたいな。
高木 大竹しのぶ?(笑)
水野 のような大女優。大竹さんは本当に天才だと思います。
高木 それで女優になろうと思ったんだ。
水野 女優というより、最初は劇団や舞台に立つことに憧れたんですよね。それで13歳の夏休みに、東ハト<オールレーズン>のCMオーディションに応募したんです。東ハトと渡辺プロダクションが共同で主催している新人発掘のためのオーディションで、グランプリ受賞者はCMに出演できて、ナベプロに所属するという。それで準グランプリを受賞したんです。
高木 じゃ、最初はナベプロだったの?
水野 いえ、私は準グランプリだったのでナベプロには入れなくて。でもスカウトの電話が何本かかかってきて、その中のひとつの小さな個人事務所に入ったんです。そこに21歳ぐらいまで所属し、その後にバーニングプロダクションに移りました。
高木 それはバーニングからスカウトがあって?
水野 バーニングの社長の周防(郁雄)さんとご縁があったからですね。たまたま別の人と待ち合わせしていた喫茶店に周防さんがいらして、私はその頃事務所を移りたいという気持ちがあったので相談をしたら、「行きたい事務所とかあるか? 探してあげるから」と。それで、気がついたらバーニングの所属になっていたんですね(笑)。
高木 周防さんマジックだね(笑)。
水野 そうですね。
高木 では今回独立しようとしたきっかけは?
水野 それまでテレビ中心に仕事をしていたんですけど、もともと30歳になったら舞台や映画とか、執筆などをメインにやっていきたいなという想いがあったんです。バーニングではお給料をもらっていて会社員という立場だったんですね。
高木 会社員だったの?
水野 そうなんです。会社員という立場だから、自分が「この仕事をやりたい」とあまり声高には言えず、会社として利益になるような仕事を優先しなければならなかった。それで自分で好きなことをやりたいと思うようになって、独立したんですよね。
高木 独立の理由は、マスコミに結婚・妊娠説、または事務所間トラブルというような憶測をされていたよね。
水野 すごく突然のことのように思われてしまったんですけど、実は2~3年前からマネージャーや社長と話をつづけていたんです。だから「満を持して」という感じなんですけど。
高木 実際に金銭的トラブルとかなかったの?(笑)
水野 ないです(笑)。月々きちんといただいていました。
高木 それは充分な金額?
水野 充分な金額です。
高木 それも捨て、バーニングという看板を捨て、独立したわけだ。
水野 普通に考えるとリスクが大きいと思われるかもしれないですね。
高木 度胸いいよね。
水野 うーん……、私はバーニングではレールに乗っけてもらって、人に押してもらって、走ってきた感じなんですけど、ふと、このレールから降りて自分の足で歩いてみたいと思ったんですよね。新しいフィールドの仕事を開拓したかった。
高木 普通は有名になりたいし、テレビに出たいから、バーニングのような力のある大手プロダクションに行くじゃない? それを捨てて、今何をやりたいの?
水野 私はタレントになりたいんじゃなくて、女優になりたいんですよね。お金じゃなくて、舞台が好きで、舞台がやりたいというのもありましたし。舞台ではまだド新人で、これまでに2回舞台に出演したんですけど、自分の力の足りなさを感じましたね。露出度と、女優としての実力、実績との間に、とてもギャップを感じたんです。
高木 なるほど。実力を付けたかった、もっと勉強したかったということだね。それはバーニングではできなかったの?
水野 バーニングではやっぱりテレビやCMが優先されましたし、マネージャーがあまりドラマや映画をフィールドとして開拓してこうという人ではなかったので。私は劇団☆新感線の舞台に出たくて出たくて、まずマネージャーを口説き落としたんです。でも最初はダメと言われて。舞台はあまりお金にならないし、そのわりに拘束期間が長いので、会社からすると効率の悪い仕事なんですよね。でもどうしてもやりたくて、今度は社長を口説きにいったんです(笑)。それで了解をもらった。その後はマネージャーも少しずつ舞台や映画のオファーを受けてくれたんですけど…、でも、限界があるなと思ったんですよね。
高木 限界を感じるってどんなとき?
水野 うーん……、限界を感じるとき……。単純に舞台のオファーが来ないということですね。
高木 それはバーニングが舞台には目がいかない会社だからだよね。
水野 そもそも舞台のオファーしてもムリだろう、と思われているフシもありましたしね。だから独立して仕事が来る保証もどこにもないし、どうなるかもわからないけど、でも一度、自分でやってみないと気がすまなかった。実際、独立して始めてみたら、舞台のオファーも来たりして、今のところ順調に滑り出しています。

次回3月1日公開