2008年05月31日 18:00 [Edit]
ごめん、降参 - 書評 - 最強の集中術
エクスナレッジより献本御礼。
なぜか二重に献本されてきたのは、「早く書評せよ」とのことだろうか。
だとしたら申し訳ない。私には本書の書評は無理です。
本書「最強の集中術」は、集中力のコントロールの指南本。いかにして集中し、またいかにして集中しすぎないかを一冊かけて解いた本なのだけど....
目次 - 【スゴ本】「最強の集中術」はキテます!:マインドマップ的読書感想文より- はじめに
- 第I部集中ゾーンを知る
- 1・集中ゾーンとは何か?
- 2・3つの行動パターン
- 第II部集中ゾーンへの8つの鍵
- 第1の鍵 まずは自分を知る
- 第2の鍵 気分転換のスゴ技
- 第3の鍵 先延ばし撃退法
- 第4の鍵 不安を打ち負かす
- 第5の鍵 緊張をコントロール
- 第6の鍵 やる気を奮い起こす頭の使い方
- 第7の鍵 段取りを整える
- 第8の鍵 生活習慣から意識する
- おわりに
ごめんなさい。私には書評無理です。
なぜかというと、私はこの話題で悩んだ記憶がまるでないから。
いわゆるハウツー本というのは、まず出来ない自分がいて、そして出来るようになった自分がいて、その間をいかに最短距離で結ぶかというのが課題。まさに知の高速道路。それを「自分ごと」として読むためには、「出来ない自分」を思い出すか想像するかした上で、本にしたがって実際にその道を走ってみて、そして今度は「出来るようになった自分」を思い出すか想像しなければならない。
本書に限って、この「出来ない自分」を思い出すことも想像することも出来ないのだ。なんといえばいいのだろう。「直立二足歩行入門」という書物を読んだらこんな気持ちになるのだろうか。出来るようになったのがあまりに昔のことなので、そのことを想起できないのだ。
例によって、本書にはところどころに「ひとつでも思い当たるところがあるなら必読です」といったような自己チェック問題が出てくる。困ったことに、私はこれに一つも該当しない。私も悩み多き一介の男なのだが、こと集中力となると、全く悩んだ試しがないのだ。
どうやら、私は集中力に関しては天性なのか早熟だったのか、もう六歳の頃には「できる」ようになっていたようだ。私の実家あたりで、御柱祭という六年に一度の祭りがあって、我が家の目の前を六年に一度御柱が通るのだが、そこに連れて行かれた私はあろうことか御柱どこ吹く風とばかり本を読んでいたそうだ。
「人は人、オレはオレ」という姿勢は、どうやらそれ以前から確立していたらしい。これでは教師がムカつくのも当然だとは思うが、誰がなんといおうが集中したいものに集中し、それ以外は頭の外に追いやってしまう私の性癖は、長じるに従って利点となっていったようだ。
それは大変にありがたいものであるはずなのだが、このように私は「集中できなかった自分」というのを全く思い描くことが出来ない。これでは本書のよさがわかるわけもない。確かに、「他人ごと」として本書を読むと「そんなもんかなあ」という気にもなるのだが、いかんせん自分ごとと感じることが出来ないのだ。
しかしおかげで一つ自覚できた。
集中力というのは、私にとっては gift だったのだな、と。
それに気がつかせてくれたという意味では本書に感謝なのだが、いかんせん上述のとおり私には本書を論評する資格がない。ただし、本書というより読書という行為が集中力のバロメターとして使えるというのは、あちこちで指摘されるところである。まずは一冊読み通してみる。これを繰り返していけば、集中力はいやがおうにも高まるのではないか。
Dan the Disqualified
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ただ、dankogai氏はそのgiftを見事giftたらしめている。普通の人はgiftが次第にgiftでなくなっていくんだけどね…。
dankogai氏は、やりたくないことは初めから「やらない」としてきて、そのままそれでおkな人生を獲得したから、「あぁ、集中しなきゃ…」と思うことがないのではなかろうか。
弾さんのgiftは集中力というよりも、好きなこと・熱中できること・得意なことしかやらない。そういうところにあると思います。