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イラク取材でメディアの罪を痛感「ライフ」に代わる雑誌をめざして
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レバノンでのイスラエルによる衝突など中東情勢が緊迫するなか、陸上自衛隊が帰還した。イラク戦争をめぐる報道では従軍取材のあり方が問われたが、いまだにしっかりとした検証はなされていない。同様に敵基地攻撃発言が米軍再編や改憲論と数珠つなぎで展開する国内情勢にメディアの反応が鈍いのはなぜなのか。フォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」(デイズジャパン)編集長でジャーナリストの広河隆一さんに聞いた。
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聞き手 レバノンでのイスラエル軍とヒズボラとの衝突をどのように見ていますか。
広河 空爆をやり一般市民を犠牲にして、地上軍を投入するのはお決まりのパターンです。イスラエルはレバノン南部から撤退する2000年までヒズボラ狩りを続けていましたから今回も同じ手口で狩りをやる気でしょう。しかし、あの周辺は村ごとヒズボラの支持者ですから、制圧してもベトナムの二の舞は確実です。
聞き手 イスラエルはヒズボラの非武装化を停戦理由のひとつに挙げていますが。
広河 ヒズボラの脅威を取り除くことは非常に困難です。そこでアメリカと共に、ヒズボラの支援国であるイランやシリアに圧力をかけている。アメリカの本音はイスラエルを使ってあの2国を直接戦争に引き込むことなのかもしれません。もし、イスラエルが爆弾を落とすなどの挑発で相手が反撃してくれば、イスラエル・アメリカ同盟軍として戦争をする。そしてイラクと同様の占領状態を作る。ですがその結果はイラク戦争を見ればわかる通りのドロ沼です。
聞き手 そのイラク戦争では日本の報道姿勢が問われました。フォトジャーナリストの現状をどう見ていますか。
広河 フォトジャーナリストに限らず、日本のジャーナリストのレベルは低い。どんどん落ちていくことを思い知っているところです。
たとえば、私たちデイズジャパンが主催する写真大賞は2年目に入り、約5300点の応募があったのですが、そのうちの90パーセントが海外の写真家による作品でした。
日本の作品が少ないのはなぜなのか。これは深刻な問題です。
聞き手 原因をどう考えますか。
広河 日本のフォトジャーナリストを目指す人の多くは、パレスチナやレバノンで写真を撮りたがります。それは「コンテストで賞を取りたい」とか「かっこいいから」という理由が先にあるからで、社会に対する問題意識を持って臨んでいる人はとても少ない。海外に興味はあっても、いま日本で起きている危機には非常に鈍いのです。
その問題がひとつ。もうひとつはメディアの問題です。
9・11時はフリーのフォトジャーナリストが大量に動員されました。
イラク戦争では、危険なバグダッドにフリーランスを配して米軍などの従軍取材には大手メディアがいるという構図でしたが、フリーが大手メディアの補完物としての役割を負わされている以上、メディアの視点でフリーの報道も決まってしまい、結局は内容に違いがないのです。
聞き手 従軍取材の姿勢も問われました。
広河 バグダッド陥落から1カ月後、私は、従軍記者が米軍と共に進軍したバスラからバグダッドに至る道を取材しました。米軍側の報道ばかりが目に付いたこの道で、本当はなにが起きていたのかを知るためです。
米軍によって大勢の一般市民が惨殺されていました。自動車で逃げる家族を撃ち殺す。トラックの荷台に乗り込んでいた子どもたちに砲撃を加える。道から30メートルほど離れた防空壕に逃げ込んだ女性や子どもたちに対して、上空のアパッチがミサイルを発射して皆殺しにする。
記者は米軍の銃弾が相手に命中したと喜ぶのではなく、こうした事実を報じるべきだした。ですが、テレビでは日本テレビの従軍取材がとくに印象的だったように、道の前で子どもたちが手を振り出迎えてくれる姿を報じるなど、軍の広報誌と化していた。
バグダッドのテレビニュースや新聞には米軍による被害は伝えられていたのです。
日本で報じようとするメディアがなかったのは、つまり、日本が戦争に加担した以上は、被害者の事実は報じずに正義の戦争を演出する必要があったということです。
聞き手 しかし、そもそも日本が戦争に加担していることに、メディアは無自覚だったように見えます。
広河 むしろ自覚的でした。知り合いの大手紙記者の話では、社の方針としてデスクから上には、難民キャンプや被害者の報告は上げるなとの「お達し」があったといいます。
一方で、テレビニュースはCMによって成り立っているので、被害者の悲惨な映像のあとで自動車のCMを流しても視聴者の購買意欲には結びつきません。スポンサーも嫌がります。ニュース番組はどんどんワイドショー化を進めて視聴率アップに走る。
それを見る視聴者にも責任はあります。自分たちが仕事から疲れて帰ってきて、テレビをつけたら少女の死体があった。そして戦争に私たちの税金が使われていると報じられていたなら、見たくないし責任を問われたくないとの気持ちが働くでしょう。
しかし、いずれにしても一番の責任は事実を知っていて報じないメディアです。
聞き手 次期首相候補による敵基地攻撃発言にもマスコミの反応は鈍かった。
広河 戦争被害者を報道しない結果が度重なって、あのような好戦論をものすごく有利にしているのです。
権力はもはや、メディアを自在に扱い、改憲も自衛隊の行動も思うがままだと考えているのではないでしょうか。
ジャーナリストの責任は「ミサイルが発射されました」「爆弾が投下されました」と伝えるだけではなくて、それらがもたらした被害を報告することです。
日本のジャーナリストがダメになっていくなかでも、がんばっている人はいます。しかし掲載できるメディアがない。そこでデイズジャパン刊行を計画したのです。
聞き手 そのデイズジャパンは通巻して29号を迎えました。
広河 1年目、2年目も超えて2年3カ月まで進みました。今日まで続いていることが奇跡だと感じています。
この手の雑誌は制作に毎月700〜800万円くらいかかります。この経費をどうやって維持する気か、1号でつぶれるぞと当初は友人たちの強い反対がありました。ですが、同時に今のメディアに不信感を持つ人たちも大勢いて、この人たちが刊行を定期購読という形で後押ししてくれたのです。
大手出版社のセオリーなら、別部門で生じた利益を雑誌に投入して赤字が出ても持ちこたえさせ、好転するのを待つのでしょうが、本誌は個人の集まりで制作しているので赤字が出ても補う力はありません。赤字が出たらつぶれるときだと思っています。
聞き手 編集者として写真はどのように選んでいますか。
広河 デイズジャパンのテーマは人間であり、人間の尊厳です。人間の尊厳が奪われたり、殺されたりしている事実をきちんと報告しているか、また問題の背景をしっかり伝えた写真であるかを基準にします。
以前に講談社の初代デイズジャパンで編集に携わっていたので編集は初めてではありませんが、今は編集長であり会社の経営者です。両方やるのは心理的にも負担が大きくて大変です。
聞き手 同誌の今後の方針は?
広河 英語版を年4回出しています。今月号で特集しましたが、東京・恵比寿の東京写真美術館で開催されている世界報道写真財団50周年展でデイズの写真が展示されました。海外でも「ライフ」に代わる雑誌として評価が上がっています。これを推し進めていきたいと思っていますが、我々の力がどこまで持つかです。
また、フォトジャーナリスト講座を9月と10月に開く予定です。5月の連休中、5日間にわたり開催した第1回は定員を大幅に超える予想以上の応募があって関心の高さに驚きました。10月の講座では、デイズ国際フォトジャーナリズム大賞受賞者のルハニ・コールさんを招いたワークショップを企画しています。
メディアの現場は今、社員教育はやるがジャーナリスト教育はやりません。だからこそ、ジャーナリストとは一体なにをする職業なのかを学ぶ場所にしていくつもりです。
(聞き手・写真:瀧本茂浩)
戦争責任、皇室など日本のマスメディアが口ごもりがちなテーマを、外国メディアはどう報道しているだろうか。記者クラブなど日本特有の仕組みの中で、外国メディアの取材現場に立ち会ってきた西里扶甬子さんの仕事の一端を紹介する。
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聞き手 海外メディアが関心を持って報道するものは?
西里 皇室のニュースには関心があります。皇太子のお妃(きさき)候補がなかなか決まらなかった頃から外国メディアは注目していました。雅子様が皇太子妃に決まってからも、ハーバード出の外交官が皇室に入ってどうなっていくのか、なかなか子どもができなかったり、適応障害を起こしたこともドラマのように興味を持たれました。
日本人はあけすけには言いませんが、男の子を産むマシーンだったのかという受け止め方をされます。
今度の皇室典範改訂問題でも、様々な発言が海外に発信されました。
「旧皇族を復活させてその家系の男子と愛子様を結婚させれば男系が保てる」とか「愛子様が留学して青い目の外人と恋愛して結婚すると言い出したらどうするのだ」など。
結婚する本人の意思を無視したこうした発言が堂々と飛び交う日本社会は海外から見ると、表面的にどう見えようとも、やはり封建的で、男尊女卑だったのかと思われてしまいます。皇室のありかたは日本の民度とか人権意識とかを計るバロメーターになっているのです。
天皇は日本社会の重要な要素として外国メディアから関心を持たれているわけです。
プレス・クラブの記者たちは遊就館の見学ツアーをしたり、終戦記念日の靖国神社を取材したり、 現代日本を伝えるとき戦争とのつながりでとらえる視点を持っています。
聞き手 日本の戦争犯罪についての理解は?
西里 欧米のマスメディアは、強制連行のことなど日本と中国、韓国の関係について、あまり深く理解していません。
しかし、いわゆる南京大虐殺については史実として日本人よりもよく知っています。
七三一部隊は森村誠一さんの『悪魔の飽食』以来、認識されてきました。
聞き手 七三一部隊の本を2冊お書きになっていますね。
西里 1冊は、生物兵器のドキュメンタリーを手がけたときに、その番組のリサーチャーがイギリスで出版した本を翻訳したものです。第6章を訳者として書き下ろしました。
84年にイギリスの放送局が生物兵器のドキュメンタリーを制作したとき、日本側のコーディネーターの仕事をしました。
そのときはまだまだ七三一部隊の関係者が存命でした。
生体解剖をやった軍医の話では、なんでもない中国人を連れてきてお腹に弾を撃ち込んで、それを摘出する手術の練習をしたそうです。内科医などを徴用して前線に連れてきても手術ができない。それで練習をさせる。それが常識のように行われていた。だから戦犯管理所に入れられて、お前のやったことを告白せよと言われても、罪の意識がないから初めは何のことかわからなかったそうです。
過去の事として追い始めたのですが、生物兵器を含むいわゆる「大量破壊兵器」はいつの間にか現代の問題になっていたんですね。
9・11事件の後にアメリカで起きた炭疽菌レター事件も未解決です。3回ほど家宅捜索された人がいるのですが、なぜか逮捕されない。彼はバイオ・ディフェンス・エージェント、生物戦戦士というべき人物です。医者、細菌学者であり兵士でもある。事件に使われたのはエイムズ株という米軍が開発した炭疽菌だから内部の人の関与は間違いない。
炭疽菌の粉末を郵送された上院議員二人は、愛国者法に反対していたのですが、結局、今も誰が何のためにやったのかわからない。
生物戦は謀略戦であり、無差別テロです。誰が何のためにしたのかわからない形で伝染病を流行らせるのです。
アメリカには生物兵器に関係する仕事をしている人は軍や研究所や製薬会社などを含め20万人います。旧ソ連には25万人いたといいます。新しい病原体を発見して兵器化し、同時にワクチンを開発する。兵器化するということは、炭疽菌の場合なら、フリーズドライなどの技術を使って、数ミクロンという非常に細かい粉末にして浮遊性を高め、肺に入りやすくする。肺炭疽は、皮膚炭疽や腸炭疽と比べて、致死率が高いからです。こうした生物兵器開発の思想は七三一部隊の時から同じです。七三一部隊は満州で「流行性出血熱」のウイルスを発見しました。感染した患者は腎臓で出血するのですが、後に、遺伝子組み替え現象が起こって、より致死率の高い、肺を攻撃する「出血熱」が発見されました。これは、「ハンタウイルス」と呼ばれていますが、一説では、この遺伝子組み替えは実験室で、生物兵器として「改良」されたものが、自然界に漏れ出したといわれています。
生物兵器はローデシア独立時の内戦で使われた疑いもあります。当時、千人といった規模で炭疽病の死者が出ました。自然発生の伝染では考えられない数です。アメリカの炭疽菌事件の犯人と疑われている人物は、ローデシアの大学の医学部を出て米軍の仕事をやってきたのです。
アメリカでは50年代、驚くような実験も行われました。サンフランシスコ上空から無害といわれているセラシアバクテリアを散布するとか…。実際はセラシア肺炎の患者が12人報告され、死者も1人出たそうです。
聞き手 外国メディアは変わったのでしょうか。
西里 ある時期、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれて、日本の経済的成功を賛美する論調が強かった。ロボットがロボットを作る工場などの取材に何度も行きました。でも日本の栄光は過ぎ去って、今は日本離れが進み、チャイナシフト現象がおこっています。
ドイツ国営テレビ(ZDF)を例にとっても小泉首相は知られていますが、ポスト小泉候補の5人などにはあまり興味がない。
アメリカのABC、NBCの東京事務所は日本人がたった一人。CBSはTBSのサポートでスタッフの陣容は維持していますが、年に数回しか制作しない。ドイツテレビも縮小の方針です。今までは東京支局が韓国、台湾、フィリピンと南太平洋諸国をテリトリーとしていました。これからは北京を拡充して、北京から日本をカバーしようとしています。
日本からのストーリーというと、皇室やひねったサブカルチャー、例えば漫画とかコスプレなど、あとは携帯電話、ロボット、そんな話題です。
聞き手 拉致問題は?
西里 欧米の理解はなかなか難しいですね。日本は「強制連行」や「従軍慰安婦」について何一つ賠償していませんね。ドイツテレビで横田夫妻の取材をしたことがあります。その時に、言葉を選びながら「日本は従軍慰安婦や強制連行について賠償していないので、何の罪もないめぐみさんの世代が、日本の過去の過ちのつけを払わされているといえるのではないのですか」と聞いてみたのですが、「従軍慰安婦って何ですか。本当にそんなことがあったとは聞いていません」という答えでした。
聞き手 記者クラブ制度について外国メディアは。
西里 ものすごく不満があります。ずっと要求しつづけて、今は希望があれば記者会見に原則として受け入れられるようになりました。定例会見などに出たい場合、幹事社に連絡をして全員の了解を貰います。外遊前の天皇会見にも、海外メディアの代表取材が許されるようになりましたが、質問は普通1問で、数週間前に提出しなければなりません。
今は日本語ができる外国人記者も格段に増えました。
(聞き手:保坂義久)
にわかに政治問題化した皇室典範改定問題は、一女性の妊娠で棚上げになった。なぜ政府は改革を急ぎ、保守派は強硬に女性天皇に反対するのか。天皇というポストへの就任条件を男女平等にしたような制度改革を、どう考えるべきなのか。天皇制や世襲制度から見えてくる日本について、私生子差別反対や指紋押捺拒否、ウーマンリブなど多くの運動にも関わってきた戸籍研究家で、フリーライターの佐藤文明さんに聞く。
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聞き手 皇室典範改定が急浮上し、秋篠宮妃の妊娠で議論が一気に下火になりました。
佐藤 宮内庁も内閣法制局もこんなに早くやる気はなかったのです。法制局と宮内庁はそれぞれ試案を作ってすり合わせをし、おそらく青写真はできていました。それをいつテーブルに上げるか。たまたま小泉内閣で、小泉首相はもともと女性天皇容認論者なのは、はっきりしている。他の政権では難しいから小泉政権が力のあるうちに反対派を抑え込んでもらおう、というのが法制局や宮内庁の思惑です。
小泉側も、郵政法案など一応自分の思う法案は通った。9月の任期切れに向け、政権がレームダックになる恐れがある。それを防ぐために政局に介入できる道具が欲しいのでこの問題を利用した。
聞き手 女性天皇を容認する「新天皇主義」の考え方は?
佐藤 宮内庁はもともと天皇を一つの職位と考えている。日本の官僚制は奈良時代から始まって、「天皇職」を操ってきた。明治に旧皇室典範ができたとき、天皇の側近は「女性天皇でもいいではないか」と言い続けていました。それに対し政治家の方は駄目だと言っていた。天皇の周辺は本質的には官僚で、天皇を自分たちにとって扱いやすい形にしたい。それに対して維新政府は、天皇を表に出すことで国の求心力を求めていた。
形式的男女平等と家父長制は矛盾しないのです。臨時の女帝を容認するのも家父長制と矛盾しない。戦前の民法は家父長制ですが、臨時の形態として女戸主を認めていた。
しかし今回の制度改革には、形式的平等を取らないと天皇制がもうやっていけないという危機感がある。その背景には日本社会の変化とともに国際世論があります。
アメリカはイラク侵攻のとき、民主化とくに男女平等を旗印にしようとした。そのアメリカを支援した国はどこも王族を持っている。イギリス、スペイン、オランダ、日本。他の国はまだ女王を認めているけれど、日本だけは男女不平等。そこで水面下ではアメリカから圧力がずっとあった。
戦後の憲法制定過程でも、宮内庁は女性天皇容認でした。だから皇室典範改定は、皇族男子がいないから男の天皇が途絶えるかどうかの問題ではないのです。有識者会議では「継承の安定性」だけを言っています。男子がいないという危機を改正派が利用したことは確かですが、本来今度の妊娠で議論が終わるはずのものではない。
聞き手 なぜ保守派は「女系」を拒絶するのでしょう。
佐藤 彼らは男系が天皇制の本来だと主張するのですが、実はそうではない。継体以後の王統が男系を志向したのは確かですが、初期は母系と男系の激闘の時代でした。推古から持統まで集中的に女帝が出ました。なぜ女帝が立ったかというと母系を父系に変えるためなのです。母系社会が父系社会に変わるときに行われるのが交差イトコ婚です。夫と妻が両方とも同じ出自を受けているので、その権威がどちらから来たのかが曖昧になる。それを何代も続けていれば全く不明になり、その権威が父系から来たと説明するようになる。天皇制もそうやってできたのです。
母系の氏族社会では婿入りした夫(将軍)についてきた兵は、争いになると出身部族を攻撃することになる。そうした争いを避けるために、妻と夫が出た二つの部族の中間に「宮」を建てて居住する。これが王室(王宮)の淵源で、天皇家のもととなる男系氏族があったわけではない。
推古天皇の時代、日本国家として成立するためには唐の制度を取り入れる必要があった。唐に倣って母系を父系に変えたかった。また母系社会でも武力は男が持っています。跡継ぎを誰にするかで乱が連続して起こった。それをおさめるためには唐の制度を取り入れて決める必要があった。ただ父系にはなりましたが明治維新まで長男相続ではありません。旧皇室典範は、継承制度が曖昧だと昔のような混乱が起きるので、長男相続に決めたのです。
維新を担った武士、名主、商家(豪商は養子を取ったが)などでは、それまでも男系で権威を継承していました。その人たちは欧米の市民社会を知っていましたから、個人中心の社会になることが不安だったのでしょう。自分たちの権威を系に依存している連中が明治の天皇制を求めたのです。
聞き手 その男系意識が定着、存続して保守派に受け継がれている……。
佐藤 天皇制だけでなく世襲が問題です。血で継承するときには子どもに順番をつけなければなりません。子どもの平等はそこで失われる。
明治の皇室典範を作るときに、誰を皇族と見なすのか皇族の範囲を定めたのです。そのときに非嫡出系の皇孫は皇族の範囲から排除されました。近代天皇制では、女性差別の前に子供(非嫡出子)差別があったのです。
非嫡出子差別に言及しないで女性差別だけを問題にする。女性天皇になれば男女平等になって憲法にも合致するという議論はおかしい。「嫡出男子に限る」という文言の「男子」だけが問題にされ、「嫡出」は自明とされています。しかし今日では子どもを嫡出・非嫡出で差別することは国連の人権規約でも禁止されている。
聞き手 血統といえば国籍も日本は血統主義ですね。
佐藤 前の国籍法改正で、父系制から父母両系制になりましたが、生地主義にすべきだとは誰も言わない。血統主義は侵略につながる。日本人の血を受けた二世がアジア諸国の日本企業の現地法人の社長になったりする。華僑も同じで、だから中国政府はアジア各国の批判を受けて、海外の中国人に国籍を与えるのをやめたのです。
アジアの中で日本がどうやるのかという視点がない。当時、世界中で父系制の国籍制度を変えましたが、父系制から男女両系制に変えただけの国はどこにもない。生地主義の原理を付加したり、一気に生地主義に変えたりしました。日本と韓国だけが純粋血統主義を維持した。血統主義は自明のことと法務省が言って、生地主義はアカデミズムでも議論にならなかった。天皇継承問題でも天皇制廃止論にはならずに男女平等論に終始するのと相似形ですね。
聞き手 アカデミズムもジャーナリズムも、明治以降の国家や家族制度の批判の射程が浅いように思いますが……。
佐藤 皇室典範の改定が憲法改悪と抱き合わせで出されてきたためか、ジャーナリズムの天皇制に対する切り込みは明らかに腰が引けている。天皇制の存続を疑うことなく、賛美する傾向が強まっています。
アカデミズムも同様で、論争はさながら敗戦直後の保守・革新の再現を見るようです。論争のレベルがあの時点で止まっている。でも、世界やアジアはあの時点よりはるかに進んでいます。家族のあり方や国籍の考え方など。こうした視点を取り込んで論議しないと、この国は伝統に押しつぶされてしまいますよ。
フェミニズムだけが新たな視点を提供していますが、これも天皇制の枠内でのものが多く、家族論などとうまく結合できていない。女性天皇を再評価するなど、宮廷詩人の役割を超えていない主張がほとんどです。天皇制を論じるに当たっては、女性より、さらにマイノリティーな視点が必要なのだと思いますよ。(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
国際社会での評判を気にする日本人は足元の国際問題には鈍感。在留外国人に被害者の多い犯罪「人身売買」についても長く無関心だった。ようやく政府が対策を講じ、ニュースにもなるようになったこの問題について、平塚らいてう賞を受賞した人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)運営委員の玉井桂子さんに、人身売買に関するメディア報道、ネットワークの活動について語ってもらう。
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聞き手 日本が人身売買受け入れ国かと驚く人がいるかも。
玉井 風俗産業や3K職場で働いていることを自分で承諾していても、その人を支配する立場の人によって、物扱いされ売買されていれば人身売買の被害者です。人身売買は人を搾取する目的で暴行や脅迫、だましたりして売り買いする行為全般をさします。
被害者は渡航費、生活費の名目で理不尽な借金を負わされるケースもあります。
風俗産業を例にとると、送り出し国の田舎で女性をスカウトする、その国の首都に連れてくる、出入国の書類を作る、日本に連れてくる、空港へ迎えにいく、そしてブローカーが仕事場を斡旋するなど人身売買の過程には、様々な人たちが関与しており、その人たちが犯罪に荷担している自覚がないこと場合もある。
人身売買は利ざやが大きい。原価は少ないし、武器や麻薬と違って人は自分で移動します。
人身売買問題では被害者が加害者になりやすい。風俗産業で働かされている被害者がサバイバルするには、ひたすら働いて借金を返すか、お客さんに借金を肩代わりしてもらうか。または同じビジネスのなかでオーナーやマネージャーに成り上がる。そうした人は加害者ですが元は被害者です。
日本では加害者処罰の法律はありますが、被害者の保護施策が法律によって担保されていないことが問題です。
聞き手 この問題の報道は?
玉井 メディアにありがちな報道には3つの「シナリオ」があると思います。人身売買問題に取り組む立場から見ると、シナリオに沿ってデータを集めて報道がなされているように感じるのです。
例えば、「彼ら、彼女らは好きで日本に働きに来て金を稼いで帰っている。母国ででっかい家を建てているじゃないか」といった見方からスタートするもの。
しかしお金を持って帰った人は成功体験を吹聴しても、日本でひどい目にあった体験は語らない。
失敗して一文無しで帰った人には故郷に居場所がない。だからまた仕事を求めようとします。そこに付け込むのはブローカー。「お前、今度こそ稼がせてやるよ」と持ちかける。誰でも故郷を出るとき、自分が負け組になるとは思わない。失敗したときにそれを認めることは辛い。人身売買問題の特徴は被害者からの証言が得にくいことです。
被害者は監禁や虐待されていても在留資格がないケースが殆ど。ごく最近まで、入管難民認定法違反で退去強制になって証言する機会もなかったのです。被害がなかなか表沙汰にならなかった。そこで「何のかんのいっても日本で稼いだんじゃないの?」あるいはその裏返しで「彼女たちはけなげに頑張った」という報道がなされがちです。
二番目のシナリオは、人身売買被害者は貧しい国から来た可哀想な人というもの。でも被害者が母国を離れる理由は経済的困窮だけとは限りません。
三つ目は人身売買問題を「外圧」の結果ととらえるもの。日本の人身売買対策がここ1年ほどの間に活発になった理由は外国からの圧力によると報道されがちです。
日本国内における人身売買問題は過去にも80年代、90年代、最近と三回大きく話題になりました。これまで被害者の支援活動に携わってきたNGOからみれば、この20年間培ってきた知識と経験があったからこそ、きっかけはともあれ、世論の目が問題に向いた瞬間に即座に改善策へ向けた情報提供することができたのです。
報道量は2004年6月以降から一気に増えました。なぜ増えたかといえば、2000年にアメリカが制定した人身売買被害者保護法で世界各国の人身売買に関する取り組みを査定することになり、そのなかで先進国である日本の取り組みの遅れが指摘されたことによります。でも日本の立ち後れが指摘されたのは2004年だけでなく、前年も前前年も同じ。以前は新聞で1段で500字ぐらいの記事でした。その当時は誰もニュースバリューがある問題だととは思わなかった。04年になってニュースとしての価値が再認識されたのは一応私たちの功績かな、と思うわけです。(笑)
人身売買は複合的な問題です。グローバリゼーション、ジェンダーイシュー、移住労働、入管行政など、さまざまな問題が絡み合った結果です。どこに視点を置くかによって問題への切り込み方も変わります。
メディアの人は被害者取材つまり可哀そうなAさんの証言を取ろうと試みます。でもAさんから話を聞けるだけの人間関係を作るのに、取材する側としてどれだけ時間がかけられますか。「あなたに話をして私に何のメリットがあるの」と問い返されることもあるのでは。
聞き手 問題はグローバル化とも関わりますね。
玉井 グローバル化で人の移動が自由になり、経済格差も広がりました。その中で社会的に弱い立場にいる人たち、特に女性や子供が最も影響を受けやすい。
海外へ出稼ぎに出る人たちはかつては男性が多かったのですが、近年は女性が増える傾向にあります。なかでも、女性の場合は家事労働や風俗産業に偏っています。
誤解しないでほしいのは移住労働と人身売買はまったく別の問題です。人身売買は搾取を目的に人を売り買いするという犯罪です。その犯罪が起きやすくなる背景に、別天地に就業の機会を求める人々の欲求があり、その心を利用してはびこる犯罪なのです。
ところが、日本の人の中には、在留資格外の風俗産業で働く外国人女性に対して、日本が仕事場を提供していることがあたかも国際協力のことであるように、大きな勘違いをしている人もいます。本当に国際協力を考えるのであれば、そうした女性たちが適正な仕事につけるように、就業訓練をして自立を助ける基盤づくりを援助するのが最も大切なことなのです。帰国した被害者たちへの精神面でのケア、被害の再発を防ぐために必要なことです。
聞き手 人身売買禁止ネットワークはいつできたのですか。
玉井 2003年10月に発足しました。その年の1月にアジア財団で人身売買問題のシンポジウムを開きました。シンポジウムでは日本のNGO、在日大使館、国会議員、警察庁、国際NGOが一堂に集まり話しあいました。それまでは政府は政府、NGOはNGOで話しあっていただけです。そのシンポジウムをもとに勉強会を作りました。
でも統計資料がない。そもそも人身売買の被害者というカテゴリーが法制度の中になかった。それまでの刑法では日本から外国へ人を売る行為を処罰していただけで、日本に売られてくることは想定していません。
まず実態調査から始め、御茶ノ水大学とJNATIPが共同で調査を行いました。
JNATIPは3つの目標を掲げています。一つは実態調査。二番目は実効性のある法律を作る働きかけ。三番目に一般への啓発キャンペーン。今のJNATIPの課題は政府の行動計画が実効性ある形で運用されているのかモニターすることです。現実と理想のギャップを埋めていくことが私たちの活動です。
JNATIPはそれぞれに主義主張の異なる組織や個人が、人身売買をなくすという一つの目的で集まっています。活動からどのような成果を得たのかを振り返りながら、次の一手をどう進めていくかを常に考えています。
(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
今年1月、女性国際戦犯法廷を取材したNHK番組に対し、放送直前に政治家が介入したことが内部告発により明らかになった。しかしNHKは追跡取材した朝日新聞報道を否定、「政治家への事前説明は通常業務の範囲」と開き直った。公共放送を揺るがすこの問題は、市民のためのNHK改革への機会でもあるが、苦境に立ったNHKが政権との癒着を強める恐れもある。NHK受信料支払い停止運動を展開する醍醐聰氏に聞く。
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聞き手 番組改変が明らかになる前、NHKについては?
醍醐 メディアについて一般的な関心しかない門外漢でした。ただ何かあるとテレビ局に電話をして意見を言いました。
NHKの報道番組には、オピニオンを持たないことが中立だという悪い意味の中立性があると感じていました。
現代ではメディアの作為以上に不作為が問題でしょう。どんな報道をしたかも大事ですが、何を報道しなかったかにも注意する必要がある。怖いのは知覚しにくいバイアスです。今度の総選挙報道でも、郵政民営化問題の核心を伝えないというバイアスがかかっていたと思います。
NHKニュースでは毎日、松井やイチローの打撃成績が定番のように報道されています。特別な記録でもなければ、別のスポーツニュース枠で伝えればいいはず。しかし視聴者の関心が高いというだけで、無難な話題を選んでいるようです。
限られた放送時間の中で何を取り上げるのかは編集権の問題です。しかし編集権は報道機関内部に閉ざされるべきではありません。
週刊文春が、NHKは巨人戦放映権に他の球団の場合より1・5倍支払っているとして、NHKに情報公開請求をしたところ、個別契約については非公開として拒否されたそうです。国会で大リーグ放映権料について質問されても営業秘密を盾に答えませんでした。
しかし、NHKは視聴者から受託した受信料で成り立っています。口先だけではなく、実際の運営の面で視聴者に顔を向ける体制が必要です。
聞き手 番組改変が明らかになったときはどう感じましたか。
醍醐 ビデオニュースで放映された長井暁さんの告発会見を見ました。具体的な実名も挙がって信憑性があると感じました。問題は、番組改変の真相を明らかにするために、視聴者として、どのようなアクションを起こすのかです。
2月ごろ友人たちと10日間ほどメールでやりとりしました。そして視聴者がNHKにものを言っていくためには、受信料の支払いを保留するのもやむをえないという結論になりました。
受信料不払いではなく支払い停止としたので加わりやすいという人も多い。文化番組などを評価し、NHKを大事にしたいという人はたくさんいます。
次に議論したのは、私たちの要求がいれられたら、さかのぼって受信料を払うのかという点。最初からそういってしまうと、いずれは払ってくれるだろうとNHKが高をくくってしまうのでは、という意見もありました。しかし私たちはNHKが双務契約上の義務(公共放送としての責務)を履行していないことを理由に受信料の支払いを保留するわけですから、NHKが納得のいく対処をすれば、さかのぼって払うということにしました。
放送法では受信機を設置した人はNHKと受信契約を結ぶ義務があるとしています。受信料の支払い義務ではありません。受信料は税金のような性格ではなく、民法上の契約です。放送法ではNHKに対する視聴者の権利は明記されていません。しかし私たちは、放送法に則った契約が履行されていないと抗弁することは可能だと思います。
聞き手 要求項目は政治家への説明の禁止ですね。
醍醐 最初に掲げた項目は運動参加者との合意として大事にしたいと思います。私たちは政治家に番組の事前説明をすることを通常業務とした見解を撤回し、そうした事前説明を禁止するよう、NHKの倫理・行動憲章に明記することを求めています。
幾人かの視聴者の方から、NHKが支払い督促をしてきたらどうするのかという質問を受けています。そこで、私たちの会は、支払い督促への対処法をQ&A形式でまとめ、会のホームページに載せています。
しかし実際には、NHKに不満があるからといってテレビを撤去する人は少ないので、受信料を払わないことに負い目を感じる人もいます。この点で、視聴者はチャンネルの選択に関して、民放とNHKの間に非対称性があると考えられます。私たちはある民放局が気に入らなければその局だけ見ないことは可能です。しかしNHKが気に入らなくて契約を解除するとなれば、テレビごと手放さないとNHKへの受信料の支払い義務は続くことになる。NHKだけ見ないという選択はできない仕組みになっているわけです。
聞き手 国会で予算や人事を審議しているから、NHKには国民の意見が反映されているという建前なのでしょうね。
醍醐 国会ではどうしても政党のフィルターを通る。NHKは予算を通すことを優先させるため、与党の意向になびきがちになります。そのため、予算に限らず番組内容についても与党に説明するのが日常的になります。『週刊金曜日』の議員アンケートで明らかになったように、野党には個々の番組内容の説明はしていません。これでは国民の多様な意見が反映されているとはいえません。
聞き手 将来的にはNHKはどうあるべきでしょう。
醍醐 個人的には予算の国会承認制はやめるべきだと思います。今の経営委員会のままでは問題ですが、予算は経営委員会の承認制でいい。
視聴料もNHKのみに配分するのではなく、民放の報道番組を含め、公共性のある番組の財源に充てることができるようにする。8月に開かれた「放送を語る会」の集会で、あるNHK・OBの方が受信料をNHKが独占するのはもう限界だと発言されたのを聞いて、考えさせられました。
民放でも報道番組にはスポンサーをつけないほうがよいと思います。私は通信行政の審議会委員をしていました。規制の変更をめぐる審議が大詰めを迎えた時期になると、NTTグループ各社の全面広告が新聞各紙に連日掲載されました。
聞き手 支払い停止運動は、NHKやメディアの公共性を問い直すきっかけと思えます。
醍醐 これまでのメディアの公共性の論議はやや観念的だったと思います。問題が起こるたびに一過性の議論がされて終わりという繰り返しでした。メディアが公共性を果たす上で、実際にどういう障害があるのか、根本的な検討をしていかないと現実を変える力にはならないと思います。
そのためにも、視聴者一人ひとりがもっと声を上げていくことが重要だと感じています。
運動には適時性と周知性が欠かせません。特に、周知性という点では、私たちが支払い停止運動をやっていること自体を、もっと広める必要があると痛感しています。
聞き手 政治とNHKの癒着が、朝日新聞報道の問題にそらされてしまいました。
醍醐 朝日新聞の自己検証も問題です。取材に詰めの甘さがあったといいますが、これからは政治家に一対一で取材した内容を、報道した後で前言をひるがえされるたびに謝罪するのでしょうか。これでは政治権力を監視するジャーナリズムは滅びてしまうと思えます。
長い目で公共性について考えていくのも大事ですが、今回のETV特番改変問題は、今まで隠れていたNHKと政治の関係を明るみに出しました。これを改革のよい機会にすべきだと思います。
(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
「憲法改正」を掲げた政党が長期政権を続けながら、改憲が政治日程に上らなかった戦後。しかし今や、自民党は「現憲法の改正」どころか「新憲法制定」を前面に押し出し、新しい国家づくりを目指している。この状況下、憲法を獲得するために闘ってきた人びとから得るところは何か。ジャーナリストはどこを現場として、何に立ち会うべきなのか。
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聞き手 今の改憲の動きは、つまり九条を変えたいのだとも思えますが。
田中 「改憲」の目的は、単に9条を変えるだけではなく、その射程はもっと長い。戦後国家の在りようを根底から変えようというのが狙いです。それは自民党の改憲案が「新憲法」となっていることに端的に表れています。国家権力の側にとっての敗戦後から今日までは、ずっと国民国家の再編成過程だった。国民国家の最終的な狙いは「国のために死ねる国民」をつくることです。それは「国のために他者を殺す国民」をつくることと同じです。
日本の場合、敗戦によって「天皇のため/国のため」という「国民意識」は崩れました。しかし支配層は、冷戦を奇禍として国民国家の中心である国家の物理的暴力装置の軍事力を獲得した。続いて「国民」づくりのさまざまな装置の復活・復権に乗り出す。手始めが、戦没者を英霊として祀る靖国神社の国家護持と「建国記念の日」です。
先に制定されたのが、2月11日の旧紀元節に当たる「建国記念の日」でした(1967年実施)。しかし「靖国法案」は、74年まで5回提案され、結局潰れます。その後79年には、天皇一代に一元号という元号法が制定され、国家の側が「国民」の生きる時間軸を、天皇の時間で支配するということになりました。
さらに99年の国旗・国歌法によって、権力は教職員の身振りを通して子どもたちを国家に服従させる装置を手に入れました。こうして戦後国家は「国民化」のための重要な装置を、じっくり時間をかけて再編成してきた。
現在の支配的な政治勢力が構想しているような改憲の方向性は、「国民」を国家に服従させるような内容です。もしそうなれば、国民国家再編は第二ステージに入る。それは国家権力が、改悪された憲法を実践していく段階です。
聞き手 現代の世界では、国民国家にならざるを得ないのでは?
田中 日本国憲法は国民国家に当然認められていた物理的暴力装置とその行使を放棄しただけでなく、個人の尊厳を基本に、あらゆる人権を完全に保障する「非・国民国家」、「人権国家」を目指しています。
憲法前文から導かれる平和的生存権は、日本国民だけでなく少なくとも東アジアの民衆の権利です。憲法を考えるには国民国家を超える論理と想像力が欠かせません。
聞き手 現実には国会で護憲勢力はわずかになってしまった。
田中 「護憲」という言葉には以前から違和感を持っています。憲法の保障を実行すべきなのは、国家権力の側なのですから。私たちは憲法内容を獲得し、それを国家に実現させるよう求める。むしろ「護憲」は国の責務です。
世論調査では、九条の堅持と自衛隊容認が同居し、しかも自衛力については現状維持が多数を占めます。この捩じれは何十年も変わらない。実はそれが、自衛隊を世界有数の「軍隊」に押し上げ、今や海外派兵をするまでになった。これが「護憲運動」の現実で、これでは戦争国家化の流れは変えられない。
1972年に公務死した自衛官が、クリスチャンの妻の拒否を無視して、護国神社に合祀される事件が山口県で起きました。強制合祀に関与したのは自衛隊などでした。そこで妻は訴訟を起こした。
重要なのは、国は合祀について遺族の了解を前提にしておらず、祀るのは当然だという国家神道時代の考え方が、敗戦から25年たっても生きていたという事実です。
原告の中谷康子さんは、国家に、生きる上で最も大事にしている信仰が踏みにじられたから訴えた。憲法があったからではなく、精神的領域に国家が侵入してきたから、異議を唱えたんです。
自分の生き方は国家ではなく、「私」が決めるという中谷さんのような市民の登場は、敗戦以降です。人間の尊厳を確立する人たちこそ国家から自由になった市民です。それが憲法を自ら獲得する人びとで、そうした市民が歴史を動かしてきたのです。
聞き手 自民党改憲案は24条(婚姻における両性の平等)も信教の自由も見直そうなど復古調ですね。
田中 自民党の「新憲法草案第1次案」では出ていませんが、そうした考えの主張自体、「克服されざる過去」を思わずにはいられません。
一つの例は、「墨塗り教科書」です。敗戦直後、国家が戦争責任の追及から逃れるために、軍国主義や「現人神(あらひとがみ)天皇」などを教えた教科書の当該箇所を子どもたちに墨で消させた。だが、なぜ墨塗りなのかは教えなかった。だから教科書から「靖国」は消えても、戦争動員装置として機能した役割は、戦後教育では語られなかった。これでは「過去の克服」はできません。
聞き手 この状況にはメディアにも責任がありそう。
田中 情報報道機関としてのマスメディアへの期待は全くありません。国家権力化したマスメディアは、かつても今も戦争を支え、推進する装置です。以前は、少しはあったメディアとジャーナリズムの境界も消え、ジャーナリズム自体が権力化している。市民はそれに気づいています。その中で、個々のジャーナリストがどこまで権力との緊張関係を持って、批判し続けられるか。中には勇気と希望をつなぎとめてくれる記者もいて、励まされこともありますが、全体的には厳しい。
どうすればいいのか。少なくとも、最低三つのことが言えます。感情やイメージに流されないで、論理の射程を伸ばす。想像力の翼を広げる。さらに歴史認識を鍛える。
けれどもマスメディアにおけるジャーナリズムの論理と想像力の射程の短さ、歴史認識の欠落は無惨です。たとえば靖国問題でも「中国、韓国が文句をいっている」というレベルです。問題の本質は個人の心を侵害する国家神道の継承です。
またかつて九条を邪険に扱ったタカ派議員だった北海道の箕輪登・元防衛庁長官が、イラク派兵差し止めの違憲訴訟を起こした。これをどう書くか。まさにマスメディアのジャーナリストの論理、想像力、歴史認識が試されるニュースでした。
違憲訴訟を起こした箕輪さんの戦争体験や歴史認識はどうなのか。国防族やタカ派というのはどういう存在の政治集団なのかなどを掘り下げるチャンスでした。それが現場にこだわるジャーナリズムです。しかしそのような記事は、マスメディアの中には見当たりませんでした。
裁判でも記者たちが法廷に来るのは最初と終わりだけ。報道席はいつも空いています。「現場の不在」です。
市民集会を取材する記者も少ない。ジャーナリズムはもっと「市民の現場」に行くべきです。そこから国家権力化の歯止めの知恵や覚悟が生まれるのですから。
聞き手 ジャーナリズムの弱体化は最近のことでしょうか。
田中 厳密には敗戦後ずっとそうだった。しかし冷戦後に起きた湾岸戦争と日本経済のグローバリズム化が大きなターニングポイントになった。あのころからマスメディアの市場原理主義が顕著になった。
かつて小選挙区制度が国会で否決されて、株価が下落した。その時、ある高名なニュースキャスターが国会の否決に「市場がノーと言っている」と断定したシーンは忘れられません。まさにジャーナリストの国家権力化を表象していました。
確かに一人のジャーナリストができることは、限られています。同時に何事も一人からしか始まらないのです。
(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
BSデジタルの赤字は1000億円といわれる。さらに総務省の政策で地上波デジタル放送を強いられた放送界はどうなるのか。また多様な言論を実現するはずの多チャンネルは一向に市民のものにならない。アメリカの議会中継放送C―SPANを参考に国会中継TV局を立ち上げた田中良紹さんは、「正しい報道」があると幻想する市民を生み出した日本の既存マスコミの体制を、金融や道路公団などと同様に、すでに立ちゆかない「旧体制」だと指摘する。
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聞き手 日本のジャーナリズムはメディアの制度的特質に規定されているように思えます。
田中 戦後の政治は分配の政治でした。高度成長の成果をどう分配するかを調整する。その典型が田中角栄氏です。田中派はロッキード事件後も政権を裏から支えて権力を保ちました。
特定郵便局が増えたのは田中政権の時。それが自民党の集票マシーンとして働く。また郵貯は財政投融資の資金となり、その分配を握ったものが力を持つ。
マスコミは書きませんが、田中氏が作り上げたもう一つの仕組みが、電波行政と新聞社―放送局の系列関係です。
田中氏は放送免許の大量発行で新聞社を取り込み、メディアの統制を目指しました。
聞き手 戦後すぐからではないのですか。
田中 日本テレビは読売新聞社が作った。でも2番目にできたTBSは電通を中心に毎日・読売・朝日が同額出資したのです。朝日新聞はすぐには放送局を持とうとはしなかった。そのころはまだ健全でした。
世界で放送局と新聞社が系列関係にあるのは日本だけ。これでは相互批判が生まれません。
日本では新聞は最初から部数主義を目指していた。数百万部という部数はクオリティーペーパーではありえない。
私たちが提携しているアメリカのC―SPANという放送局は、「自分の頭で考えている人は全体の10%。その10%を対象とする。新しい価値は少数の10%から生まれる」と言っています。
聞き手 放送局の視聴率至上主義も顕著です。
田中 今では信じてもらえないでしょうが、私が放送局の報道にいたころは「視聴率に左右されるな」と言われました。娯楽番組を作る人が「金は俺たちが稼ぐから、君らはいい番組を」という雰囲気でした。それが変わったのは80年代からです。
民放3局目のフジテレビが取り入れたのが、スポットCMです。番組を提供するのではなく、その時間がどれだけ見られているのかで価値が決まる。同時にフジテレビは全日視聴率も大々的にアピールしました。それまでのテレビはゴールデンタイム、プライムタイムで稼いでも、昼の時間などは教養番組などを編成していました。
今はニュースも大衆に受けようとする。どの局もラーメンだ、北朝鮮だと同じになる。
かつての北朝鮮報道でも、拉致被害者が北朝鮮でどうしていたか全く取材していないで、被害者たちが今日どこへ行ったというニュースがトップに来たりしました。そうした報道では大衆のニュース感覚がおかしくなります。
聞き手 NHKも視聴率重視です。
田中 受信料不払いが止まらないのは、自民党におもねたからというより、民放と同じような放送になぜ受信料を払わなければならないのかと視聴者が感じるからでしょう。年配の政治家と話すと「民放と同じNHKに金など払いたくない」と言っていますよ。
NTT民営化のころに政治の世界では、NHKの民営化と国営化の二つの意見がありました。民営化論は中曽根氏らで、中曽根氏は瀬島龍三氏の「NHKを戦前の同盟通信のような存在に」という意見の影響を受けていた。NHK内部ではすでに民営化で労組とも合意ができていました。一方で梶山静六氏らを中心に、娯楽などを切り捨てて国営化という意見もありました。
ところが結局、どちらもせずに、系列に営利目的の子会社を作ることだけが認められました。その時から電通にNHK相手のセクションが作られ、営利事業で稼ぐ体質になりました。
NHK本体の予算が6千億円台、系列の売り上げが3千億円。子会社に収益を上げさせてそこに幹部が天下る。道路公団と一緒ですよ。不祥事が続きましたが、あれでは職員に公金意識はなかったでしょう。
聞き手 たしかNHKはBSの受信料で潤ったのですね。
田中 BS放送の大義名分は離島や山間地に電波を届かせるための難視聴対策でした。ところが始めてみたらBS1、BS2という別な放送です。
自分たちでは制作しきれないから外部のプロダクションを使うようになります。
世界でBS放送をやっているのは日本だけです。アメリカでも放送衛星を打ち上げる計画はありましたが、通信衛星(CS)でも放送できる見通しが立って、放送専用の衛星は打ち上げませんでした。
聞き手 なぜNHKはBSにこだわったのでしょう。
田中 NHKはハイビジョンをやりたかったのです。デジタルは多チャンネルの技術で、画質を良くするものではない。本当に画質の良いテレビはアナログです。でも世界はアナログのハイビジョンに向かわずにデジタルに向かった。
もう一つハイビジョンを推進しているのは日本の電機メーカーです。日本の電機メーカーはアメリカで言えば軍需産業のようなものと考えればわかりやすい。
聞き手 日本ではCS放送は存在感が薄いのですが。
田中 日本ではBS放送に視聴者がつくまでCSを打ち上げませんでした。まずそこにハンディキャップがあります。
アメリカではケーブルテレビやCS放送などは、今までの放送とは全く別の事業者が行う。3大ネットワークがCS放送もやるということはない。ところが日本では既存の放送局が仕切ろうとします。
衛星放送では衛星を打ち上げる受託衛星事業者と、衛星を利用して番組を送る委託放送事業者に分かれます。その中間にプラットフォームという会社が入る。宣伝や集金をする企業です。日本ではディレクTVが撤退して、スカイパーフェクTV1社になってしまいました。
立ち後れたCS放送ですがBS衛星と同じ方向に通信衛星を打ち上げる110度CS放送が始まれば盛り返せるかと期待されたのです。
多くの委託事業者が名乗りを上げました。私のやっている国会TVも免許申請しました。ところが直前になって、5チャンネルまとめた事業者しか申請できないと「天の声」があった。郵政族のドンの野中広務元幹事長に恐らく大マスコミが働きかけたのでしょう。これでは小さな事業者は諦めざるを得ない。
民放は外部制作会社に番組作りを任せ、社内の制作能力が失われています。制作会社が自立してCSで放送を配信しようとするのを、放送局は嫌います。
また日本のCSではベーシックチャンネルという方法を採りません。ドキュメンタリー専門チャンネルなど最初は視聴者がつかないチャンネルも他の娯楽チャンネルとパッケージで契約する仕組みであれば、分配金が入って存続できます。日本では個々の番組の自由選択制だから、ポルノと映画のチャンネルが30何チャンネル並ぶということになる。
日本は裏で新規参入を阻止しようと規制して表面は自由といいます。アメリカでは4%は公共的なチャンネルを入れなければいけないというルールを定めます。
聞き手 ライブドアの試みはどう思いますか。
田中 フジテレビにいいソフトがあるからインターネットで流すというのなら販売業者の発想で新味はないでしょう。本当のイノベーターはコンテンツ制作、もの作りの側から出てくるのだと思います。
(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
「高血圧で必ずしも脳卒中にならないかもしれないが、発作を起こさないために血圧コントロールは必要。鉄道事故も会社全体の体質を変えなければ事故の危険性は減らない」とJRや交通問題に詳しいジャーナリストの立山学さん。JR西日本福知山線事故は事故後のJR社員の行動に対する批判、記者会見での新聞記者の「暴言」など、過熱・迷走気味だ。事故の背景にあるものは何か。ジャーナリズムのすべきことは何か。
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聞き手 尼崎の列車事故の報に、まず何を思いましたか。
立山 JR西日本は、余部事故、信楽高原鉄道事故を全く教訓としていない。教訓にしていたら信楽の事故は避けられた。
私が鉄道事故問題を取材した最初が、この余部事故。国鉄が民営化される直前の事故で、山陰本線の名所の余部鉄橋からお座敷列車が転落して、下の住民5人と車掌1人の命が失われた。
信楽高原鉄道事故は、第三セクターの列車とJR西日本のイベント列車が正面衝突して死者42人を出した大事故。検察はJR西日本の責任を追及しなかったが、遺族が民事裁判に訴え、JR西に責任ありということを明白にした。
今回の尼崎事故の前から、以上のように、死亡事故が連続して起こっていて、事故に注意せよという「赤信号」は灯っていたのにJR西の経営者はそれを無視した。
聞き手 事故が起きて労務管理なども問題にされています。
立山 国鉄時代には「安全綱領」があって、職場に貼ってあった。鉄道員は、危ないと疑われる時には、事故が起こらないように最善の行動をするよう安全綱領に明記され、それに沿った鉄道員教育がされていた。
安全のために電車を止めて、ダイヤより遅れたからといって、運転士の責任が今のように問われることはなかった。その心配もなかった。
それが変わりだしたのは、国鉄民営分割政策が出てきてからだ。この政策は、安全を無視して9万人の国鉄職員のリストラを打ち出した。
当時、私は磯崎元国鉄総裁にインタビューした。マル生運動で合理化を推進した磯崎氏だが、「自分は鉄道屋だ。これ以上合理化すると安全運行にマイナスの影響が出ると思って退却した。運輸省の官僚は鉄道事故の怖さがわからないから、危ない合理化を進めている」と言っていた。
合理化の本場のアメリカのサザン鉄道の社長も、鉄道は独自の企業文化があって安全を支えているのだから、それを壊すようなリストラはできない、と言っている。
国鉄の「安全第一」の意識と伝統を目の仇として、これを崩すために取り組まれたのが、国鉄民営分割化の過程での「意識改革」キャンペーンだった。
儲け第一より「安全第一」だということにこだわる国鉄マンは、意識改革ができていないとして、新会社(JR)への採用を拒否された。無事故永年勤続で表彰されたべテランの運転手でも、安全闘争をやる国労などの組合員らは不採用になり、警察沙汰を起こしたものでも国労を脱退すると採用された。
「安全第一」意識から「利益第一」意識へ鉄道員の意識を変えるように強制するために「人材活用センター」というものが、国鉄からJRへの移行期に国鉄内に設置された。その収容所の伝統と「いじめ」のテクニックがJR西に引き継がれ、電車を少し遅らせた運転手には、日勤教育といって、草むしりをさせている。あれは「人材活用センター」のJR版ですよ。
政府・JRが本当に事故の反省をして、再発防止に取り組むというのなら、意識改革的な「安全第一の鉄道員」を排除する労務政策を転換すべきだ。その証として、まず不当労働行為で首切りした1047人の名誉回復・権利侵害のつぐないを政府はすべきだ。
聞き手 マスコミでも分割民営化を問う論調は稀です。
立山 「事故を起こしたら莫大な損失が出るから、民間会社になったら、経営者はもっと安全対策に努力する」と松田昌士JR東日本会長は書いている。
それは詭弁です。
私鉄とJRの競争は、安全性を高めるのではなく、安全を犠牲にしスピードアップする競争になっている。安全切り下げ競争です。しかも、事故を起こして、弁当屋さんなら営業停止、廃業にできるが、公益性の高い鉄道は廃業にできない。
だから、市場原理では、事故防止対策強化にはならない。事故防止についての高い使命感が、鉄道経営者には必要です。それと社会の側からの安全監視・安全要求、職場安全運動の強化が重要です。
世間と職場からの安全運動が強くならないと、経営者といのは、安全重視のふりをするが、中身は、手抜きする。
この事故の真相究明には国鉄民営化問題の検証に踏み込むべきです。
国鉄民営化路線全体が、破綻してきている。
その名分はこうだった。(1)膨大な債務を処理する(2)政治家介入の利権鉄道建設の排除(3)労使関係の正常化(4)効率的鉄道経営の確立(5)生活の足の保障です。
全て未達成です。 (1)長期債務処理に失敗し、国民負担分は最大化している(2)利権の整備新幹線建設は続行です(3)労使関係については、不当労働行為問題は未解決で、職場はますます荒廃している(4)ローカル線は廃止の危機に直面している(5)効率的経営の確立は、短兵急に追求しすぎて、事故を起こして、根底からの見なおしが迫られています。
民営化そのものが、失敗だったというべきだ。しかし小泉内閣は、ますます「民営化、効率重視は善だ」ということを強調している。それをマスコミが後押ししてきた。
だが「効率重視、安全軽視」の風潮が、国鉄から他の産業にも広がって、他産業の事故も増えている。関西電力の原発事故、あるいは三菱自動車の事故など、日本の大企業で事故や事故隠しが頻発している。
民営化、効率化の一番の悪影響はモラル破壊ですね。昔の経営者は、事故を起こしても、いまのように、事故隠しなどはしなかった。そういうことは恥とするサムライが多かった。
「民営化幻想」をマスコミも煽ってきた。国鉄民営化の場合は、汐留操車場跡地を、国とデベロッパーとマスコミとがつるんで再開発した。汐留の土地は百年に一度しか出ない一等地だ。これを超割安の値段で大マスコミは手に入れてビルを建ててている。マスコミの報道姿勢の背景にはこの問題がからんでいると私はにらんでいる(この問題については、「国鉄民営化問題研究会パンフ」300円に詳しく述べている)。
聞き手 JR西の経営が批判されています。
立山 JR西の柱は新幹線とアーバンネットワークだ。兵庫県の三田市は日本一人口が増加している。そうした利用者の増加した路線、そこで、安全を軽視して私鉄とのスピード競争にJRは走って、私鉄に勝ったが、事故を起こして、結局は敗北した。
このJR西の経営方針を決めてきた井手正敬元会長の責任は大きい。
国会は、彼を喚問すべきだ。
聞き手 事故の報道に対して批判も高まっています。
立山 事故を取材することは、責任を伴うと思う。再発防止責任だ。どれだけ継続して警告を発していけるのか。
信楽高原鉄道の時、新聞記者たちと私は、言い合いになった。記者協定だといって現場からフリーの私を排除しようとした。私は、彼らに「あなたがたはいつまで取材するのか」と言った。結局、3日でいなくなった。私はあれから18年間取材しつづけているが、事故を阻止できなかったことが残念だ。
今の報道は「棺桶取材」。棺桶が並んでいるうちだけの報道だ。事故が起こってしまったら、ジャーナリストにとっては敗北なんだよ。
事故の原因を伝え、安全重視の世論を作る責任がジャーナリストにはある。
安全は目に見えない。安全を守るため地道に努力している保線区員など多数の人がいて安全が維持される。
事故の時だけではなく、平時の地道な安全努力を世に伝えないのもいる。彼らのことを伝えるのがジャーナリストの務めではないのか。
新幹線についても活断層の多い日本で、これ以上高速化が必要なのか、むしろ、橋脚やトンネルの安全を確保することの方が重要ではないか、という視点で検証する必要がある。
(聞き手:保坂義久)
島根県の「竹島の日」制定の条例や「つくる会」の歴史教科書採択をきっかけに、韓国では反日運動が高まっている。NHK番組改ざんの根底にある歴史認識の問題、教育現場での「日の丸・君が代」強制は、次第に復古調を強めていく自民党の改憲案と深い関わりをもつ。高橋哲哉さんは、改憲反対の運動は戦後民主主義の価値、とくに「精神的自由」も重視すべきだと説く。
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高橋 3月30日にソウル大学に招かれ韓国文化研究所で講演しました。半年前からの予定で、まさかこんな緊張した状況で訪韓することになるとは思いもよりませんでした。
韓国は6回めです。当然、歴史問題について話すことを求められることが多かったのですが、今回はあえて少し視点を変えて、「精神の自由と日本の民主主義」というテーマを掲げてみました。
植民地支配や侵略はなぜいけないのか。それらを不正と見なす価値観が前提として共有されていなければ、歴史観も共有できない。自由、平等、平和という民主的な価値が共有されていなければ、「植民地支配は強者の権利だ」とか、「近代化させたんだからいいじゃないか」などという話にもなりかねない。歴史認識の共有のためにも、真に民主的な価値観を共有する日韓の市民で連帯していくことがとても大事なのではないかと提起しました。
日本国憲法と大韓民国憲法を比較すると、日本国憲法では19条、20条、21条、23条に「精神の自由」を保障する法文が並んでいますが、韓国の憲法でも第19条は良心の自由、第20条は宗教の自由と政教分離、第21条は表現の自由と検閲の禁止、第22条は学問・芸術の自由を定めており、とても似ているのです。
この事実を指摘して、日本ではこうした「精神的自由」が危険にさらされていることを話しました。分かりやすい例としては、第19条では、東京都の教育現場をはじめとする日の丸・君が代の強制。第20条では首相の靖国神社参拝。第21条ではNHKの番組改変問題があります。
昭和天皇と日本政府の戦争責任を明確にした女性国際戦犯法廷を取り上げたNHK番組「ETV2001」では私も出演者でした。政治圧力により、共演したカリフォルニア大学の米山リサさんのコメントが大幅に削られ、発言の意味すら不明になってしまったのは、言論の自由、学問の自由の侵害ともいえます。
憲法で保障された「精神の自由」が脅かされる事態が立て続けに起きているのはなぜか。多くのケースが天皇制に関わるのですね。
日本国憲法が第1条で天皇制を残したことについては、これまでそれを問題にすると改憲の呼び水になるなどとして問題にされなかった。
天皇制はアメリカの占領政策のもとで、日本の非軍事化と引き換えに残されましたが、そのことで大日本帝国の権力構造がかなりの部分温存された。冷戦の激化とともに第9条も空洞化されていった。そう話をしたのです。
聞き手 韓国人の反応は?
高橋 コメンテーターの一人はソウル大学のカルチユラル・スタディーズの研究者で、韓国民の反日感情を政治的に動員しようとする動きには警戒すべきだと指摘していました。
もう一人のコメンテーターは中国文学の研究者でした。植民地主義は植民地解放で終わるのではない。台湾では外省人が内省人を、内省人が先住民族を「植民地支配」する構造が今も存在しており、ポストコロニアルな状況は単純な加害、被害の関係では捉えられないと発言していました。研究者レベルの議論は、日本とあまり変わらない。
発言を求めて演説を始めた聴衆は右翼団体代表で、女性のキリスト者でした。私の講演に対しては「アメリカに対して批判的なのが最大の問題」と語っていました。韓国でも在韓米軍による被害問題が深刻ですが、右翼の考え方は「反日・親米」なのです。
韓国は「親日派」の系譜を注ぐ軍事独裁政権を倒して民主化しました。民主化の進展とともに言論も非常に多様化していますね。
この多様化した社会の特にどの部分と私たちは連携を強めるべきか。今回の訪問で一番感じたことです。
聞き手 日本では「精神の自由」への抑圧と平行して、改憲の流れが進んでいます。
高橋 自民党の改憲案は昨年の『論点整理』、改憲草案『大綱』、今月提出された新憲法起草委員会『要綱』と、その本質がほぼ明らかになっています。
『要綱』では現行憲法の3原則(国民主権、基本的人権、平和主義)を「維持・発展」させるといいながら、これら原則に対する「誤解」から戦後日本社会の退廃が生まれたとして、「国柄」という原理を持ち込みますが、結局は民主的な価値を後退させることにしかならない。
たとえば第20条の政教分離は、全面否定は不可能ですから、社会的儀礼や習俗・文化的な行事に属するものは宗教的活動であっても許容すると、首相や天皇の靖国神社参拝の合憲化を図っています。
90年代初めの岩手靖国訴訟・仙台高裁判決で、首相と天皇の靖国神社への公式参拝は違憲と断じられました。昨年の福岡地裁も憲法判断では違憲でした。これまでの靖国訴訟の多くは憲法判断を回避していますが、確定した判決5つのうち合憲の判断は一つもない。違憲が2つ、「違憲の疑い」が1つ、「繰り返せば違憲」が1つあります。こうした違憲判決の根を絶つのが、改憲案の狙いです。
国家神道を宗教ではなく「国民道徳」だとした戦前・戦中の考え方に近くなる。
国家神道を「国教」とすると仏教界やキリスト教徒からの批判があるので、国民道徳という形をとって宗教界を国民動員に巻き込んでいった。
戦前回帰を思わせますが、日本社会で神社参拝といえば、近所のお稲荷さんを拝むこと、七五三や初詣でと同様にイメージされ、参拝は宗教的行事ではないという主張が受容される危険は大きい。
70年代に国会提出された「靖国神社法案」は宗教界・民主勢力の粘り強い反対で廃案になりましたが、あの時代と同じような対抗運動ができるのか、危うい状況です。
第24条の問題も重要です。『論点整理』では「個人の尊厳と両性の本質的平等」の原則を「家族と共同体の価値を重視」して見直すとされ、『大綱』では社会の最小単位は「家庭」であると定義づけられている。
「個人の尊厳」よりも「家族」という共同体的な価値を優先させる動きの背景には、ジェンダーフリーバッシングや男女共同社会参画法に基づく行政的施策の後退、教育基本法「改正」の動きと関連した性教育攻撃や男女混合名簿の廃止があります。
聞き手 教育基本法「改悪」は説得力を持つでしょうか。
高橋 昨年秋の共同通信の世論調査では59%の人が教育基本法改正に賛成だと言っている。その理由で最多数を占めたのは「現在の教育に対応できていないから」というものでした。長崎や佐世保で起きた少年事件に対する保守派のキャンペーンが効いたのか、そういう誤解が市民の間に広がっている。現在の教育に対する社会の不信は非常に強い。
聞き手 ジャーナリズムも教育や「精神の自由」の危険には感度が鈍い?
高橋 敗戦後60年たつ。その間に2世代経過し、ジャーナリストでも若い人になるほど今の状況が危機的だといわれてもピンと来ない人が多いのではないか。
韓国では80年代の民主化闘争で民主主義を自分たちで手に入れたという実感がある分、運動にも活力がある。日本では敗戦で民主主義が転がりこんできた。闘って勝ち取ったわけではないから危機感も薄いのでしょう。
国旗・国歌への強制反対運動を「教師のわがまま」ととらえたり、首相の靖国参拝も「戦死者の追悼ぐらいいいではないか」と思う人が多い。
戦後民主主義の意味が大きく問い直されている今こそ、9条平和主義だけでなく、精神の自由や民主主義の本質論からも憲法価値の実現をめざしていく必要があります。
(聞き手:瀧本茂浩、保坂義久)
1945年6月19日、雨と風が荒れ狂う太平洋上を、爆弾を搭載した3機の特攻機が沖縄近海を目指していた。敵のレーダーをかいくぐるために、高度20メートルの海上を低空飛行する。時速300キロ。と、操作を誤った先導機が、海面に機体をこすり、それから空中に跳ね上がって真っ二つに分解した。後方を飛行していた2機は高度を上げると、機首を北に旋回させて引き返した。その日から約60年。日本でおそらく唯一の特攻出撃の生き証人・松浦喜一さんが戦争を語る。
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松浦 わたしが鹿児島県の万世基地から特攻に出撃したときは、戦況が極めて悪化していました。ですからだれかが特攻出撃しなければ米軍の北上を防ぎようがないという使命感がありました。ただ、命を犠牲にして守ろうとしたものは、国家や天皇ではなくて、自分の家族や愛する人々でした。出撃前は、国家や天皇を守るために命を捧げるのだと考えていましたが、いざ特攻機で敵に向かって飛行する段階になると、脳裏に浮かんでくるのは、自分の家族や愛する人々のことでした。
聞き手 死に対する恐怖心はありましたか?
松浦 それはありませんでした。ただ、先頭を飛んでいた特攻機が、暴風雨の中で海に墜落したとき、搭載している爆弾が破裂して自分も巻き込まれるのではないかという恐怖を感じました。
聞き手 墜落の後、隊長機はなぜ引き返したのでしょうか?
松浦 おそらく隊長は悪天候で自分が飛んでいる位置すら分からなくなり、標的としている沖縄近海の敵艦隊までたどり着けないと判断したのでしょう。わたしが操縦している特攻機までが嵐のために墜落するのを恐れたのでしょう。
しかし、隊長は「特攻から引き返したら生きていけない」という気持ちがあったようです。海に爆弾を捨てて、方向転換したのですが、隊長機の飛行方角が明らかに誤っていたので、わたしは何度も隊長機を追い抜いては、誘導しました。しかし、隊長機はなかなかわたしに従おうとはしませんでした。なんとか2機とも基地へ戻りましたが、おそらく隊長は海上で自決するつもりだったのではないかと思います。
それから2カ月後に戦争は終わりました。わたしは除隊となり、親戚がある長崎を経て東京へ戻りました。
ちなみに隊長は終戦から数年後に若くして亡くなっています。推測になりますが、「引き返した」という自責の念が肉体をも蝕んでしまったのかも知れません。優秀な軍人であればあるほど、精神的な苦痛も大きかったはずです。
聞き手 特攻出撃の命令はどのように出されたのですか。
松浦 最初、6月8日の午前5時に出撃せよという命令を前日に受けました。しかし,当日、わたしが操縦する特攻機はエンジンがかからなかったのです。それで出発が延期になり、次に6月19日の朝、午前3時に出撃せよという命令を受けました。戦争末期になって日本の指導者たちは「一億総特攻」という言葉でわたしたち隊員に呼びかけ、「決してお前たちだけを死なせはしない、わたしたちもお前たちの特攻に続くものである」と言っておりました。しかし、それを実行したのは、若い隊員だけでした。参謀とか軍司令官などの上級将校は、特攻を命じただけで、彼らの中で「一億総特攻」を実行したものなどひとりもいません。何千人という特攻戦死者を見捨てて自分たちは生き残ったのです。今も昔も戦争をする人たちは、自分たちが戦うのではなくて、若い兵隊という認識しかありません。イラクに自衛隊を派兵した人達も、かつての将校と同じような考えではないでしょうか。
聞き手 松浦さんにとっての戦後とはなんですか?
松浦 戦後は、焼け野原の中で普通の生活を取り戻すことで精一杯でした。だから過去のことはあまり考えないで生きてきましたが、昭和58年ごろに特攻の慰霊祭が行われていることを知り、わたしも参加するようになりました。しかし、それもある時期まででした。特攻慰霊祭の思想に違和感を感じるようになって、参加しなくなったのです。
普通、慰霊祭というものは戦争の犠牲者になった人々に対して不戦の誓いをするものです。広島や長崎の慰霊祭もそうです。
ところが特攻慰霊祭は、ちょっと性質が違う。特攻慰霊祭は、出撃して戦死した人の忠勇義烈(ちゅうゆうぎれつ)をたたえることが目的なんです。国のために特攻隊員が死んだ。それゆえに名誉ある戦死なんだと。死んだ特攻隊員を顕彰するのが特攻慰霊祭です。しかし、本当は死んだ特攻隊員たちは英雄ではなくて、国策の犠牲者なんです。特攻で死ななければならなかったのは、国家が戦争を始めたからです。特攻隊員といっても、だれも生き続けたかったのです。死ぬのはいやだったのです。平和で幸福な生活を目指したかったのです。死んでそのような生活があるはずがありませんから。しかし、軍国主義の体制に従わざるをえなかった。ですから特攻慰霊祭では、忠勇義烈を顕彰するのではなくて、反戦・非戦の誓いをすることこそが大事なはずです。
しかし、年を経るにつれて、英雄としての特攻隊員という考え方を放棄する人も少なくありません。特攻慰霊碑を作った時点では、忠勇義烈の考えに捕らわれていたが、年数がたつにつれて、特攻隊員は国策の犠牲者であるという観点が見えてきます。
聞き手 年齢と共に戦争体験を客観視できるようになったということですね。
松浦 実際の戦争を知らない60歳以下の人々は、戦争そのものが悪だという事が分かっていません。言論・報道界の議論が改憲論に押されるのも、「戦争は悪」という最も基本的なことを理解できていないからでしょう。戦争に「良い戦争」と「悪い戦争」の区別はありません。こうした考えは、”焼け跡の思想”から来ています。
要するに原爆や空襲で日本がめちゃくちゃになった。わたしが生活の場としている麻布十番商店街は、終戦時、一望すべて焼け野原でした。これこそ国家が国民を守るためと称して戦争を始めて、国民の生活を破壊してしまった証でした。そこから生まれ出た思想が反戦・非戦なんです。だから9条は国民に受け入れられたのです。9条に反対したのは、政府の一部の人々だけでした。国民の大半はまだ天皇を崇拝していましたが、だからといって憲法9条に示された平和の思想を受け入れることになんの違和感もなかったのです。だれもが「これで戦争は無くなる」と喜んだんです。ところがその平和憲法が今あやうくなっています。
聞き手 香田証生さんの事件で明らかになったように、政府は人命よりも国策を優先しました。また、マスコミも小泉首相の判断は「基本的に正しい」という論調が目立ちました。最近の言論界をどう見ていますか。
松浦 小泉さんは中国の胡錦涛主席から靖国神社の問題を指摘されて、「不戦の誓いをするために靖国神社に参る」と言いました。しかし、それは護憲派の人が言う言葉ではないでしょうか。(笑)不戦の誓いをするのなら、憲法9条を遵守しなければならないはずでしょう。つまり小泉さんは、憲法のことも、靖国神社のことも、特攻隊のことも、原爆のことも、なにひとつ分かっていないということです。香田証生さんが誘拐された時も、すぐに自衛隊を引き揚げるべきでした。そもそも最初から自衛隊を派遣すべきではなかったのですから。新聞やテレビはこうしたことを指摘すべきなのに何も言えなくなっています。戦争を知らない人々が政界を動かし、マスコミを動かしている結果、こういう状態になっているんでしょうね。
(写真・聞き手:黒薮哲哉)
4年前、NHK教育テレビ番組(ETV2001)の4回シリーズ「戦争犯罪をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」が急きょ改変されて放送され、大問題となった。当時、シリーズの企画書を書いた坂上香さんは、制作会社ドキュメンタリー・ジャパンのディレクターとして、第3回の番組を制作。また女性国際戦犯法廷を取り上げた第2回番組の取材も分担した。制作者の1人として、この異常事態について発言し続けてきた坂上さんに、NHK番組に対する政治介入が明らかになった今の時点で、改めて発言していただく。
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聞き手 改変され実際にオンエアされた番組を見てどう思われました?
坂上 えっ!なんなの、これ?という感じで、もう泣き笑いです。あんなに不出来な番組は見たことがない。
例えば編集でカットしたためにアナウンサーの顔の位置が何度も不自然に飛びます。よほど時間に追われて慌ててつないだのでしょう。
内容も私たちのものとは全然違いました。私たちはまず慰安婦の証言を聞いて、そこから考えていこうという姿勢でしたが、慰安婦の証言は大幅にカットされてしまいました。戦犯法廷がどんなものかの説明もない。
私たちは、戦犯法廷は過去のラッセル法廷のような民衆法廷であり、民衆法廷というのは国際法にも影響を与えたということを説明していました。ところが放映されたものでは「これは正式な裁判ではありません」とネガティブな説明だけです。
また最初に第1回目の内容を延々繰り返しています。
聞き手 他の回より4分も短いのにNHKはよくあることと強弁しているし…
坂上 信じられませんよね。普通番組は1秒、1フレームでも誤差は許されません。
聞き手 坂上さんのETV2001との関わりあいは?
坂上 2000年の8月にNHKエンタープライズ(NEP)のプロデューサーから連絡がありました。東大助教授(当時)の高橋哲哉さんに女性国際戦犯法廷の話を聞きに行くから一緒に行こうと誘われました。話を聞くだけならばと思い同行しました。するとその場で企画書を書いてほしいと頼まれたのです。
会社に戻り上司に相談したところ乗り気だったので、9月ごろ企画書を書きました。企画書がラフに出来上がった時点でNHKに行き、教養番組部のプロデューサーたちに引き合わされました。
企画書の冒頭では「戦犯法廷」がどういうもので、どういう人が関わっているかを説明してありました。NHKの人たちは非常に興味をもって、企画書についていろいろ細かい質問をしました。
長井暁さんもその場にいました。長井さんは自分から質問するというより、企画会議にかけたときに詰められそうなところをチェックする感じで、能吏タイプという印象でした。
ETVのようなルーティンの仕事を局が制作会社に委託するのに、こんな早い段階から積極的に関わってくることは私の経験ではありません。
ただNHK側はとても積極的だったのですが、難しいテーマだからどうかなというニュアンスのことも言っていました。だから10月半ばにこの企画が即決されたと聞いたときには驚きました。
聞き手 全体で4夜のシリーズ企画になったのは、NHKで決めたのですね。全体のシリーズ構成などを、NHKから送り返してきたのですか?
坂上 他の回のことはヨーロッパの戦争犯罪と責任の話が入るというぐらいで、あまり聞いていませんでした。
12月に戦犯法廷の取材が終わって、スタジオの対談部分を収録するときに、第1回と第4回の台本も置いてあったので見たのです。するとまだ収録していないのに出演者の話が一字一句まで細かく書かれていました。
「さすがNHKは構成主義」「これを出演者に読ませるのかなあ」とこちらのスタッフと苦笑いをしました。その時に「人道に対する罪」というのが4夜を通したキーワードだというのが、初めて分かったぐらいです。
シリーズのタイトルは「戦争をどう裁くか」ですが、も一つ「人道に対する罪」というキーワードを入れたら企画が通りやすいと教養番組部の人が判断したのだと思います。
また私たちとは別にヨーロッパの戦争犯罪に対する裁きを取り上げる企画が別にあって、それと私たちがあげた企画と共通性があるので、二つを結合させて企画を通したらしいのです。
だから第1回と4回のスタッフとは連携などは皆無に等しかったですね。
一夜一夜はそれぞれのテーマをもって独立していました。共通するのは、「戦争をどう裁くか」「戦争犯罪にどう対応するかについての今の世界の潮流」です。それで括られているから全体を通して自ずと見えてくるものがあるという共通認識だったと思います。
聞き手 途中から戦犯法廷に焦点を絞れといったのはNHK側だそうですね。作品性を考えれば総花的に作るより当然だと思えます。
坂上 それは12月に入ってからのことです。戦犯法廷の画がよく撮れたからでしょうね。
映像って”撮れだか”が大きいですよね。本当はこうしたいけれど、映像が撮れていないからそういうふうには編集できないということは多々あります。逆に予想以上によく撮れた部分があれば、それを中心に使おうということになる。
だから教養番組部の人も法廷の映像を見て、「法廷の画は強いから生かそう」と言ったのでしょう。
聞き手 今度、この改変の問題が明らかになってメディア界の体質も考えさせられます。
坂上 これまで労働組合も含めNHKサイドは制作会社の仕事ぶりの詰めが甘かったように言ってきました。一般のNHK職員に会ったときにも、この問題はタブーのようで全く語りません。まるで独裁下で言論弾圧されているかのようです。
民放でも、私が関わっていることがプロデューサーの耳に入り、「何であんな奴を使うんだ」と言われ、嫌な思いをしました。制作会社の分際で放送局に楯突く奴、ということなのでしょう。
朝日新聞が報道してから、民放の人が何人も取材に来ましたが、改変問題が4年前にあったことを知らない人が何人もいました。
ある民放の報道の人は、戦犯法廷を扱ったこと自体が問題だったと言わせようと引っ掛けてくるのですね。
「ぶっちゃけ、どうだったんですか」というノリです。
自分のことをテレビ屋と言い、「そんな真面目なこと、テレビでは無理じゃないっすか」と。
もっと真面目な人でも、どこかで天皇の戦争責任を扱うこと自体タブーで、テレビではしょせん無理だったと言わせたいようでした。
最初から「タブーに触れるほうが悪い。地雷を踏んだあなたが負け」という姿勢です。
ジャーナリストがこんなことでいいのかと思います。
聞き手 安倍晋三氏などがテレビに出て一方的に勝手なことを言っています。
坂上 めちゃくちゃですよね。あのETVの番組は視聴率が0・5%でした。もともと多くの人は関心をもっていない。そこへ安倍さんたちがテレビに出てきて、「北朝鮮との関係」などと繰り返したら信じてしまう人たちも多いでしょう。
NHKのニュースも、政治家の言い分、NHK幹部の言い分だけを伝え、「朝日新聞の報道は間違っている」と繰り返している。あのニュースを読んでいるアナウンサーや周りのスタッフの中には、こんな一方的なニュースを流していいのかと思う人もいるでしょう。でも誰も抵抗しない。昔の大本営発表を伝えさせられていた時代と同じになってきたのだなあと思います。
(聞き手:保坂義久、写真:瀧本茂浩)
戦後60年を迎えようとしている。「戦争の風化」が言われて久しい。だが、太平洋戦争はまだ終わっていない。戦後賠償の問題だけではない。今もあの戦争の犠牲者が出ている。そしてこれからも犠牲者が出る危険に直面している。それが毒ガスをはじめとする旧日本軍の遺棄兵器問題である。中国の犠牲者が日本政府に賠償を求めている訴訟は高裁段階に入っている。ドキュメンタリー映画監督の海南友子さん(33)は最新作「にがい涙の大地から」でこの問題に取り組み、上映会で全国を飛び回っている。
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聞き手 きっかけは中国旅行だということですね。
海南 昨年中国でリュウ・ミンという27歳の女性に出会い、お父さんが旧日本軍の遺棄した爆弾で亡くなったことを知りました。お母さんにもお話を伺いました。お母さんは弁護士以外の日本人が話を聞いてくれるのは初めてだと言って、4、5時間ずっと泣きながら日本に対する感情をぶつけられました。私よりも若い中国の女性が60年前の戦争が原因で苦しんでいるという事実は衝撃でした。仕事で行った旅ではありませんでしたが、これは避けて通れないと思いました。お話を聴くのは正直なところつらかったのですが、ここで逃げたら兵器を遺棄した日本軍と同じだと思いました。それで今年2月から1カ月間独りで中国ロケに入りました。アポなしで延べ約60人の犠牲者の話を聴くことができ、問題の深刻さを痛感しました。遺棄兵器の問題は、今日本に生きている私たち全員がきちんと向き合わなければならない課題です。
聞き手 第1作「マルディエム――彼女の人生に起きたこと」では元「慰安婦」を取り上げました。戦争責任をテーマにするのはなぜですか。
海南 原点はアジアの旅です。大学生の時から旅が好きで、特にアジアが好きでした。香港で水上生活を体験したりインドで井戸を掘ったこともあります。そんな中でいろんな人と親しくなると必ず出てくるのが戦争の話です。「日本人は許せない」という悲痛な訴えです。友だちになった女の子の祖父母は旧日本軍に殺されていました。そんな旅先での出会いから、アジアの隣人とこれから仲良く付き合っていくためには、日本の戦争責任問題は避けて通れないと痛感しました。戦争責任は過去の問題ではなく未来への大きな課題なのです。
聞き手 大学の卒論が「日本のインドネシアの戦後賠償」。戦争責任には以前から関心があったのですか。
海南 父の影響が大きいですね。父は日常生活の中で自然な形で戦争を話してくれました。アニメでピノキオが連れていかれる場面を見ていたら、日本も戦争中は隣の国で似たようなことをしたんだよとか、二人で旅行に行った沖縄で海を見ながら沖縄戦のことを教えてくれるという具合です。小さいころから戦争を身近に感じることができたのは父のおかげです。
聞き手 自主上映会は全国17府県、30回に及んでいます。そのほとんどで上映後にトークをされていますね。
海南 テーマが重いので、見ていただいた人たち、特に若い人たちが暗い気持ちになるのではないかと思い、制作の経緯などを話しています。自分とのかかわりを考えていただけたらと思うからです。
聞き手 反応はどうですか。
海南 満州事変など歴史的事実を知らなかったり、日本は戦争の被害者だと思っていたという若い人が多いのに驚きます。日本の教育の混乱を反映していますね。加害者としての日本の戦争責任がきちんと教えられていません。
聞き手 映画の中で毒ガス被害者の中国人夫妻が広島の原爆写真を取り出して悲しみにふるえる場面があります。被害者が加害者の国に涙する想像力には胸を打たれました。
海南 あのシーンはお宅に泊めていただいたときに撮影しました。言葉は分かりませんでしたが思いは空気を通じて伝わってきました。戦争で殺されたり殺させられたりするのは権力者ではなくいつも市民であることに想像力を働かせ、どうやって戦争のない世の中にしていくかが問われていると思います。
聞き手 遺棄兵器問題での日本の大手メディアの報道は極めて不十分ですね。
海南 被害者が多いハルビンが北京から遠いこともあるのかもしれませんが、被害者の取材に入った大手メディアの記者はいませんでした。被害者たちは日本人に話をするのを待っていました。戦争責任に限らず、加害者としての責任をきちんと追及する意思が日本のメディア全体から薄れつつあるのではないでしょうか。NHKでも以前は水俣病の実態に鋭く切り込むような番組があったのですが。誰しも自分が犯した悪いことは語りたがらないものですが、アジアの隣人たちと仲良く共生していくためには、戦争の加害責任から目をそらすことはできません。
聞き手 7年間のNHKでのディレクター生活を経て、フリーになって良かったことは。
海南 自由に一つのテーマに長期的に取り組めることです。その中で取材対象者と深く長く付き合っていくことができます。NHKでは番組がオンエアされると終わりで、良かったのか悪かったのか全然わからず、孤独でした。上映会ではその場でお客さまの反応がダイレクトに伝わってきます。テレビにはない醍醐味で、すごく楽しいです。
聞き手 フリーとしての悩みや要望もあると思いますが。
海南 戦争が厳しくなると大手メディアは社員を引き揚げます。その後は勇気ある個人の取材に頼っているのが現実です。そうした個人の勇気がきちんと評価される必要があります。またハリウッド映画と違って資金力や宣伝力のないドキュメンタリー映画にもっと光が当たるシステムが必要です。軍需産業ではなく平和・環境産業に豊かさが移行していくように、人を殺し合う映画より社会的テーマを扱ったドキュメンタリーを作る方がいいという世の中になるといいですね。
聞き手 上映後のトークでは裁判支援も訴えていますね。
海南 訴訟の支援として、募金、裁判官への要請はがき、遺棄兵器に関する情報提供の3つをお願いしています。作り手は当事者になってはいけないといわれますが、私には当事者と距離を置くことはできません。それが大手メディアと違う、いいところだと思っています。それでどういう結果になっても責任をとるのは自分自身ですから。
聞き手 ジャーナリストとしての使命感ですか。
海南 自分をジャーナリストというのには抵抗もありますが、被害者の支援はジャーナリストとしてというより、私自身の生き方の問題です。
聞き手 これからどんなテーマに取り組みますか。
海南 来春までは上映会を続けます。これからも戦争責任に限らず、戦争や環境問題に幅広い視点で取り組んでいきたいと思っています。また、夏休みに仙台の大学でメディアの講義をやっているのですが、テレビや新聞の報道はすべて真実だと思っている学生が多いです。若い人たちが受け手と発信者の双方向の体験を通して、どうやってメディアと共生していくかという企画もやっていきたいですね。
(聞き手・写真:鬼原 悟)
少年事件が増えている。かつて学校には校内暴力が吹き荒れた。それを「取り締まり」と「管理」で押さえ込んだ結果、暴力はイジメというかたちで水面下に沈んだ。さらにイジメにあった生徒の不登校や自殺を誘発した。近年の少年事件は、過去と同じ線上にあるのか。文教政策やメディアに問題はないのか。非行問題に取り組んできた能重真作さんにインタビューした。
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能重 神戸市で14歳の少年による殺人事件が起きた後、ある中学校の教師が社会科のテストで、「最近の事件で印象に残ったものをひとつ取り上げて感想を書きなさい」という問題を出しました。すると生徒全員が神戸事件を取り上げ、そのうちの約7割の生徒が少年Aに共感を示したといいます。しかも、友達ができないとか、親から勉強を強要されるとか、自分自身の問題に照らし合わせながら、少年Aに共感を示したものが多かったといいます。
現代ほど子供に対する抑圧が強まっている時代はありません。子供たちは大変なストレスにさらされています。学歴社会は崩壊したかのように言われていますが、巧妙なかたちで生き残っています。
かつては一元的能力主義の下で、中学生ぐらいになると、「落ちこぼれ」と呼ばれる挫折感をもつ者が現れていましたが、今はその年齢がもっと下がっています。
さらに競争は学科以外の分野にも及び、たとえば親の期待を担って第二のイチローを目指し、少年野球のチームに入る。ここも激しい競争の世界ですから、挫折感を味わう子供が出てきます。
日本の未来に希望が見えない中で親たちは、「わが子だけは勝ち組に入れたい」という強迫観念にとらわれ、幼児期から子供の教育に過剰な期待をかけます。だから学校から脱落すると、親も子供も次の見通しが立たなくなってしまうのです。
聞き手 国の文教政策に問題はないのでしょうか。
能重 現代の子供たちは、かつてないほど人間関係を築くことが困難な状況に置かれています。文部科学省は個性の重視を強調し、一人ひとりの子供の能力や関心、意欲などに応じた習熟度別の授業を奨励しています。共同で問題を解決するように指導するのではなく、個々がそれぞれ問題解決にあたるように指導するように奨励しています。コンピューターの導入も進み、子供は画面と向き合い、教師や友人とコミュニケーションしたり、共同作業する機会がどんどん奪われています。携帯メールなどの普及により、意思疎通の方法そのものも無機的になってしまいました。
さらに学力低下が問題となり、学校5日制の導入で減った授業時間を補うために、文化祭など子供たちが共同でなにかを創り上げるための時間も削られる傾向にあります。
一方、地域社会に目を向けてみると、かつて子供たちは学校とは別に、自分たちの地域で大人が直接介入しない「異年齢集団」を作っていました。その中では、上級生が下級生をたしなめることもする。いたずらや喧嘩もする。生身の触れあいの中で子供たちは、対人関係の力を身に付けたり、知力を発達させていたのですが、工業化・商業化が地域社会も「異年齢集団」も消してしまいました。こうした状況の下で、現代の子供たちは孤立させられ、非常に希薄な人間関係に置かれています。だから校内暴力の現れ方にしても、かつてのように集団という形ではなく、個人という形で表面化しているのです。
聞き手 ここ数年の少年事件は手ロが特に残忍だと言われていますが。
能重 たとえば佐世保の事件のばあい、事件そのものは本人を追いつめる要因が二重にも三重にも重なって発生したのだと推測しますが、カッター・ナイフという凶器による暴力は、やはり社会の中にモデルがあったはずです。メディアの影響が否定できません。連日、大人の残忍な事件がワイドショーなどで過剰に報道されるだけではなく、週刊誌の中吊り広告でも同じ事件が目にとまる状況です。子供は被暗示性が非常に強いですから、事件に連鎖反応を起こしがちです。
90年代に問題になったイジメなどは、まさにメディアを介した流行現象でした。テレビ局は視聴率を上げなければならないので、報道が与える影響を配慮しません。大人たちはカッターナイフによる殺害を特異な事件と考え、加害者の少女に病名を付けることで安心感を得ようとしていますが、同じ病理が社会に根を張っています。
ちなみに過去の少年による殺人事件をみると、戦後、最も多かったのは61年の448人です。現代は100人前後です。71年には神奈川県の中学3年の少年による殺人事件が起きています。成績のいいおとなしい生徒です。生徒会役員選挙で、応援演説を押しつけられ、そのことを苦にしたあげく、候補者の女生徒を殺害した事件ですが、現代のような過剰な報道はなされませんでした。
マスコミによる過剰報道が、「子供たちを厳しく取り締まらなくてはならない」という世論を生み出し、結果的に少年法の改悪や文教政策の反動化に繋がっています。しかし、子供の管理を強化しても解決にはなりません。
聞き手 佐世保の事件では、教師が女の子の変化に気付いていませんが。
能重 教師には、子供の内面を見ることが求められます。表面では仲良しに見えても、本当はどうなのか分からない。佐世保事件の加害者と被害者はチャット仲間でした。だからそれだけを見れば、教師が険悪な状況はなかったと判断しても仕方ないかも知れません。ただ、学級集団として生徒を伸ばしていく教育実践がなされていれば、状況は違ったかも知れません。
聞き手 『ブリキの勲章』の中にも、生徒が仲間の異変に気付いて、能重さんに知らせに来る場面がありますね。
能重 はい。現代の教師と生徒の関係は、希薄というよりも無機的になっています。昔は『坊ちゃん』などの文学作品にも見られるように、「教える側」と「教わる側」という関係以前に、人と人の関係があったのです。
聞き手 少年非行をどのように見ていますか。
能重 大人の視点からすれば、非行少年とは学校や社会に適応できない少年ということになります。「反抗」という言葉も、学校や社会への不適応を悪とみなす伝統的な価値観を前提に使われてきました。しかし、今の社会や学校は、子供が人間らしく成長するための環境からはあまりにもかけ離れています。問題があるのは、子供の側ではなくて、むしろ学校や社会の側ではないでしょうか。既存の制度が現代の子供に合わなくなってきたと見るべきでしょう。
最近、子供の中には、学校から「離脱」する者が増えています。「脱落」ではなくて、みずから「離脱」するのです。しかも、そういう状況を自分の言葉で認識している者もいます。
たとえば学校を「離脱」して非行に走った中学生のこんな事例があります。ある日、彼は学校から帰ると、母親に向かって「今日からお母さんのいい子になるのはやめた」と宣言しました。おそらくその背景には、イジメなど何か引き金になる出来事があったのではないかと思いますが、とにかく勉強の放棄を宣言した。それから彼がとった行動は、自分の部屋から机を放り出すことでした。過剰に自分を学校や母親に適応させられることが自己喪失を招くと直感した結果でしょう。
子供が真に子供らしく生きることもできなければ、将来に対する希望も持てない社会にしてしまった責任は大人にあります。そのことを認識しなければ、これからの混迷した社会状況のもとでは、ますます少年非行は広がるでしょう。
聞き手 「『非行』と向き合う親たちの会」ではどんな活動をされているのでしょうか。
能重 月例会が基本的な活動です。例会では、「非行」に直面している親たちが支え合い、互いの経験から学び合っています。年3回以上の無料の電話相談や全国各地に会を作る運動などの活動も行っています。「非行」の問題は1人で悩まずに、お互いに手を組んで助け合うことがなによりも大切です。(聞き手 黒薮哲哉)
運動が広がっている。日の丸・君が代を入学・卒業式で強制し、起立や斉唱しなかった教員を大量処分した石原都政に反対する運動には、卒業生の保護者や教職員をはじめ多くの団体や個人が参加。4月29日、6月12日の「学校に自由の風を!」の集会に結実した。
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「今の状況は『日の丸・君が代』戒厳令」、6月12日、中野ゼロホールで開かれた第2回「学校に自由の風を!」集会は呼びかけ人の一人、小森陽一さんの挨拶で始まった。
集会では天木直人さんの講演をはさんで、前半に4人、後半に4人がいろいろな立場から発言した。七生養護学校の保護者は、都議たちが産経新聞の記者を連れて視察に来て、性教育の教材を持ち去ったことを報告。その他、4大学統合が予定される都立大学の学生、国連の子どもの人権委員会で定時制高校の統廃合問題を訴えたOGなどが発言した。
都教委は教員が不起立だった場合だけでなく、不起立の生徒が多かった学校の教員も処分対象とした。その処分対象者の教員が発言。また卒業式について生徒同士で話し合い、多くの生徒が斉唱時に着席した高校の卒業生が、話し合いの様子や先生の処分について語った。(生徒は大勢の前では話せないと舞台袖からの発言だったが、学校が特定され先生に迷惑をかけない配慮かもしれない)
教員も卒業生も、生徒の不起立を教師のせいにする都教委は、生徒には判断力があるのにそれを認めない非教育的態度だと怒る。
後半は斎藤貴男さんの講演。斎藤さんは「日本はアメリカに追随しながら自らも海外派兵して権益を守る『衛星プチ帝国』になろうとしている。本来は星条旗を仰ぐべきだが、それでは悔しい。日の丸はプチ帝国の癒し」と、軽妙に米国追随と国粋主義の関係を解き明かした。
最後は29日の集会でも感銘を与えた定塚才恵子さんの歌。小学校を卒業する子どもに贈るその歌は、式という子どもの成長の節目に寄せる親の思いを温かく伝えている。
運動を進めてきた丸浜江里子さんにお話を聞いた。
丸浜 3年前に子どもが卒業した杉並の中学校では卒業式は卒業生の描いた絵を壇上に飾り、入学式はその絵で新入生を迎えることが伝統で、そういう学校は東京中にたくさんありました。
ところが都教委が10・23に通達を出したら、11月4日に杉並区教委がほぼ同じ通達を区内の小中学校に出しました。日野、小平、八王子をはじめ各地で同様の通達が出ました。地方分権、学校の独自性と言いながら全く上意下達です。
最初は「日の丸・君が代」がいやということでは必ずしもなくて、壇上に子ども達の作品を飾っていたのをやめて、一律に国旗と区旗にしろというのが納得いかなかったのです。母親同士で杉並区教委に「何とか認めて欲しい」と申し入れをしましたが、らちがあきませんでした。
ふと思うと、自分の子もこの春、高校卒業。昨年の卒業式の様子を、たまたま友人がメールで送ってくれていました。そこには「内心の自由があるので起立、着席は自由です」という教頭のアナウンスがあるとても良い卒業式だと書かれていました。ところが、今年はアナウンスはないそうだという話が聞こえてきました。なぜ、今年はダメなのか不思議でした。
今年の1月4日に、たまたま近所のお母さんたちと「お茶でも飲もう」と集まった時にその話になって…。「これ、おかしいよね。皆と相談してみよう」と声をかけたのです。
次に集まったのが1月7日で、14人集まりました。そこで話し合って、「都教委に要請に行きましょう」ということになり、文書を作ってメールとFAXで伝えて、賛同する人を募りました。
1月7日には4校の都立高校保護者が来ていて、「あの人にも声をかけたらもっと広がるわね」ということになり、4校が10校になり、1カ月ほどで50校になりました。素敵だったのは、都立青鳥養護学校の保護者と友人のお母さんがいて連絡して下さったことです。養護学校保護者も仲間に加わりました。
皆で都教委に申し入れに行こう。ついては記者会見というものも、やってみようということになりました。
その月の都議会記者クラブの幹事社は産経新聞で、都庁へ直接行って頼み、2月18日に記者会見をしました。その時の養護学校の父母の話が素晴らしかったですね。
フロア形式なら子どもが自分で車椅子を操作して証書を受け取れるのに、壇上に上がるとなるとスロープがあってもとても危険で介助者が必要です。節目の式に自力で受け取ることに意味があるのに、卒業式の意味が変わってしまうと訴えていました。その時にこんな話も聞きました。子どもたちは通学バスで通うけれど、住所が点々としているため学校に着くまでに1時間半かかる。学校には冷房設備もない。バスがもう1台増えれば時間が短縮されるが、いくら陳情しても予算がつかない。ところが今回、子どもたちを壇上に上げて証書を渡すために一つ80万円以上かかるスロープがポンとつく。それには簡単にお金を出す。おかしいですよね。都教委は親の声を聞く耳を持たないのかと言っていました。
聞き手 それで都議会へ?
丸浜 都議会へは2月25日に陳情書を提出に行きました。3月17日に文教委員会で審議するというので傍聴しました。共産党議員が「10・23通達に国旗は左で都旗は右とあるが、その根拠は?」と尋ねると、自民党議員が「そんなことは国際的常識だ」と野次ったので、本当にそうなのか、外国人記者クラブで聞いてみよう、私たちの訴えも聞いてもらおうと、3月31日に記者会見をしました。
自分たちで資料を翻訳し、通訳を手配しなければなりませんが、素晴らしい仲間が翻訳と通訳を買って出てくれました。市民のネットワークの力がそれだけついてきたということでしょう。
聞き手 29日の集会は?
丸浜 署名を送ってくれる方たちはどんな人だろうと思って「お会いしませんか」と4月4日に集まったのです。
いろいろな人がいて互いの話が面白くて。その時に集会をやろうという声が出ました。実行委員会形式にしたら、会議に40人ぐらい集まるんですね。40人もいると「こういう人がいるよ」と知恵が出て運動が広がりました。誤解をおそれずに言えば、今、女性たちは男性たち、とくに会社に勤めている男性たちにはない空間、時間を持っている。いろんな集会に行き、いろんな出会いを持っている。そんな市民たちの財産が生かされたのだと思います。
6・12集会では、市民が中心だったせいでしょうか、128の団体が賛同団体になってくれました。相手の足を引っ張るのではなく、人と出会う楽しさを大切にすれば、運動は広がるのではないかと信じています。
(聞き手:保坂 義久 写 真:瀧本 茂)
「ハンナン」の元会長、浅田満氏がついに逮捕された。しかし問題はまだ終わっていない。企業の組織的不正が内部告発などで明らかにされる一方で、個人情報保護法など、表現の自由を規制する動きが不気味に浮かぶ。時代が激変していくなか、今回の事件の背景を描き出した著作で2003年度JCJ賞を受賞した溝口敦さんは、メディアと社会の動きをどう見ているのだろうか。
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聞き手 浅田満氏がとうとう逮捕されましたが。
溝口 2001年11月に広島の食肉卸会社「平成フーズ」の加工輸入牛肉94・5トンを、浅田がまずグループ企業を通じて買い取った。買い上げ対象外のその肉を浅田自身が副会長を務める大阪府食肉事業協同組合連合会(府肉連)、全国食肉事業協同組合連合会(全肉連)経由で農畜産業振興事業団に国産牛と偽って買い取らせ、5000万円の利ザヤを手にした。当時の伝票や関係者の証言をもとにして、大阪府警が今回の逮捕に踏み切ったのです。
最近では、浅田が専務理事を務める全国同和食肉事業共同組合連合会(全同食)でも同様の偽装があったとして、浅田をはじめとする10人を再逮捕、さらに浅田満の弟、暁を含む関係者6人を新たに逮捕しています。
聞き手 これを突破口に今後、捜査の手がどこまで及ぶのかが気になります。
溝口 先日、大阪のメディアから捜査状況を聞いたのですが、今回、浅田と一緒に逮捕された平成フーズ社長の供述によれば、彼は浅田のグループ企業に牛肉を買い取らせる以前に農水省の食肉鶏卵課を訪れ、輸入牛肉買い取りを要求していたという。課のナンバー2に「(BSEの影響で)輸入牛肉も売れなくなった。買い取れ」と。ナンバー2は「そういう話は浅田さんのところへ持っていきなさい」と答えたそうです。
食肉鶏卵課の課員は、浅田とその関連会社が申請していた「国産」と称する牛肉1633dを焼却した「柏羽藤クリーンセンター」で最初の焼却にも立ち会っている。
農水省と浅田との強い癒着を思わせるとともに、本来は「国産牛」の市場隔離政策だったはずの牛肉買い上げ制度に、輸入肉や加工肉まで一緒くたに処分しようとしていた疑いが深まっている。
今後の捜査が農水族議員に及ぶのかどうかはわかりませんが、農水省の役人を巻き込む可能性はあると、府警周辺の記者たちは見ています。
聞き手 今回の事件の背景については溝口さんの著書「食肉の帝王」(JCJ賞受賞)に詳しい。これまでタブーと言われてきた構造に切り込めたのはなぜですか。
溝口 私も職業的な文筆業者として、連載をはじめたからには責任を持って完成させたいわけで、そのための配慮はしてきた。浅田は被差別地域の出身で、同和利権を利用して富を築いた人物です。同和問題を扱うことへの慎重さは必要です。ですが、社会的不正については事実としてはっきりと指摘しなければならない。
とは言え、週刊現代に掲載した当初は、街宣車が取り巻くような事態をある程度想定していました。
しかし、なにも起こらなかった。
それで関西地域のメディアは驚いたわけです。なぜ連載し終えることができたのかと。
私自身の考えでは、BSEの発生をはじめとする一連の事件や、鈴木宗男の逮捕、「同対審答申」に基づく後継法の失効などで同和利権にひび割れが生じはじめた、92年の暴対法以降の暴力団排除の世論や、暴力的な糾弾を許さないという風潮の広まりもある。こういった意味で今は大きな転換期にある「時代の風」を読んでいたから、なにごともなく終えられたのではないか。そう思ってますね。
聞き手 しかし、その「時代」は、今回イラクで人質にされた人への「自己責任バッシング」という面も見せましたが。
溝口 言うまでもなく、あらゆることは自己責任です。フリーランサーだろうが、新聞、雑誌に所属していようが、NGOだろうが関係がない。監禁されたとしても撃ち殺されたとしても「俺はいやだから誰か代わってよ」というわけにはいかないのは当然です。
ただ、国家には自国民を保護する義務がある。だから国民は税金を払っているわけで、それで役人が動くのは当たり前です。経費を返せなどと言うのはあきらかに間違っている。本来ならば議論することすらおかしいと思いますが、今こうしたことを改めて話し合わなければならなくなっている。
聞き手 「お上意識」が強いんでしょうか。
溝口 というよりも、問題は納税者意識ではないでしょうか。今回の牛肉買い上げ制度にしても、組まれた買い取り予算の大もとは輸入牛肉にかけられた38・5%もの関税です。輸入牛肉を高く買わされている国民の財布から出たお金が食肉業界の利権にばらまかれた。納税者ならこうした税金の使途を見定める権利もあるし義務もあるはずだけど、その意識があまりにも希薄なのではないか。
浅田が日本でトップを争う食肉業者になれた発端がここにあって、そもそも同和利権とは端的に言えば補助金を食うことです。食う側は食うのは「公」だから被害者は誰もいないと思っている。官僚は官僚で予算をもらってそれを年内に使い切るという発想です。血税を一銭でも有利に使おうという意識がない。解放同盟と国税局との間で交わされた「7項目の合意事項」にしても、解同に対しては非課税にするという一般国民に対する「逆差別」でした。
聞き手 以前よりも利権構造への告発や証言が増えている気がするんですが、そうした意識を問い直す声があがりはじめているんでしょうか。
溝口 今さらハコものでもないだろうという声はあって、公共事業予算も縮小の傾向にある。地域の業界団体も地元にカネが落ちないのだから、選挙でも自民党のためには動かない。支持基盤の揺らぎで公明党と連立しましたが、「毒まんじゅう」を食べたとがめが出てきている。
とは言え、楽観もできない。今、風力発電について取材しているんですが、風力発電をアリバイ的に続けながらも風力は安定供給にはならないという理屈を使って原発を推進しようという動きが経産省のなかに根強いことがわかってきた。風力発電に携わる担当者からもあきらめに似た声を聞いて、簡単には変わらない構造も感じています。
聞き手 最近ではメディア規制の声に対する賛否両論もあって、週刊文春に対する出版差し止め問題などはまだ解決したとは言い難い。
溝口 マスコミは第四の権力という言われかたをしている。報道する側が一般人の人権を犯してはならない。ですが、公人の場合はスキャンダリズムだったとしてもオッケーだと思いますね。私は。
今回の記事は、たしかに取材の薄さがある。だが出版差し止めを許可するのはあきらかに行き過ぎです。
ただ、なんというか、文芸春秋には昭和初期を思わせるサロン的な体質、仲間うちの噂話をするような安易さが残っている感じはしますね。
聞き手 マスコミにも変わらない構造があると。
溝口 そうですね。たとえば記者クラブ制度に見られるような権力に依存した取材システムに対して、組織ジャーナリストのなかからも声を上げる人がいても良さそうなものです。
便宜を提供されている半面、不便宜も提供されているのだという自覚がないままでは、浄化作用が働かない。そうなると一般人と遊離したかたちであたかも権力者のお仲間のような取材、報道がはじまる。なかには記者をステップにして政治家になろうと考える人まで出てくる。
取材者はあくまでも見る役割であって動かす役割ではない。「名もなき者の一人として取材させていただく」スタンスで時代の方向性を見抜き、足跡を残せるような仕事をやりたい。平凡な言い方ですが、私はそう思っています。
(写真・聞き手:瀧本茂浩、保坂義久)
昨年第1回黒田清JCJ新人賞を受賞した報道写真家の宇田有三さんは、10月にビルマ取材から帰国。「ジャーナリストはジャーナリスト論を語らず、作品で勝負すべきでは」という宇田さんだが、現場取材だけでなく、大学院で学び、ビルマに関する政策では研究者と論争できるぐらい理論武装もしていたいという。
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聞き手 受賞後のお仕事から。
宇田 ビルマに1年ほど行ってきました。これまでも何回も国境取材などをしましたが、ビルマの長期取材は初めてです。最初の3カ月はビルマ語の学習。もちろん込み入った質問はできませんが、少しでもビルマ語を話すと、ビザを更新するときに、担当部署にも印象がよくなります。
スーチーさんに注目が集まりますが、軍事政権下の普通の人々の暮らしを見たかったのです。
ビルマは93年から取材しています。かつては日本のODAが軍政を支えてきました。そもそもビルマ軍は旧日本軍の影響を受けている。
ビルマの軍政はひどい。国内避難民が60万から100万人。世界で一番古くから続いている内戦です。でも、20世紀は戦争の世紀だったという記事で、ビルマのことにふれたものを見たことがない。忘れられた内戦です。
ただヤンゴンなどに行ってみると、プノンペンなんかより豊かに見える。軍政の影はなかなか見えません。戦前の日本でもね、東京だけ見れば豊かで人々は親切で、一方で軍部が侵略していたなんて思えなかったんやないか。若い人などにはそう説明しています。
将来、軍政はそんなに悪くなかったと言われないように、記録を残しておきたい。
内戦、地域紛争には宗教戦争、民族戦争などいろいろあります。取材すれば私の場合、中立といってもどちらかに入れこみそうです。それなら軍政下の民衆がいいかなと。軍政下で声をあげるのは危険なことですが、それでも声をあげる人々がいる……。
聞き手 最初は中南米をテーマにしたのでしたね。
宇田 はい。27歳でアメリカのボストンに写真の勉強に行ったころ、よくデモがあり、私は写真の勉強でデモを撮影していました。その一つにエルサルバドルで司教たちが殺されたことに抗議するデモがあったのです。多くの報道人が取材していました。ところがその後2周年のデモで、写真で取材に来たのは、私ひとりでした。それから中南米を取材し始めたのです。
中南米ではアメリカの存在が巨大です。自分たちの民主主義が正しいのだと押し付けるアメリカは、とんでもないですね。
聞き手 それから東南アジアヘフィールドを広げた。
宇田 中南米でも東南アジアでも、社会の矛盾は相似形です。土地問題ですね。農村で土地を失った農民が都市に流入し貧困層になる。世界史でも古くからの問題です。多国籍企業など新しい要素もありますけど。
去年の受賞式スピーチでも言うたんですが、スラムを取材し、子供たちの目は輝いていた、とみんな言う。そこにとどまらず、なんでこの人たちが貧困なのか。そこを問う写真でなければダメやないか。
聞き手 中南米、東南アジアから見ればグローバル化がはっきり見える?
宇田 偉そうに言えば、冷戦後の世界はどうなっているのか、ということですけど。
僕の場合はそれをテキストでなく、ビジュアルでやりたい。言葉を超えたい。
95年にアメリカでJ・ナックウェイという写真家の展覧会を見て、写真でもここまで表現できるんやと感動しましたから。
聞き手 でも日本では海外ニュースに興味が薄く、報道写真も報われない。
宇田 メディアの責任だと思います。バンコクの英字紙なんかアフリカのニュースを大きく報道しています。日本では特派員が、この問題は重要だと念押しをして記事を送っても、本社デスクで没になるようです。安直に日本人向けの情報を求めるだけで、世界で何が起こっていて、それが日本にとってどういう意味があるのか考えるような報道が少ない。
外国の新聞は写真の扱いも大きくて、テキストは短い場合もよくあります。
アメリカで「お前、日本に帰るな。日本に帰ると説明写真になる」と言われました。
日本では紙面を作る責任者はテキスト出身の人で、ビジュアル畑出身ではないからではないかな。
聞き手 そんな内向きの日本が、国際貢献といって、イラクに自衛隊を派遣するという…
宇田 理解できませんね。だいたいイラクの人が望んでいないでしょう。
「国際貢献」を言う人たちは、自分の汗や血を流すわけではないですし。
1年間海外に行っている間に、有事法制はできてしまったしね。海外へ長期間行って帰ってきても、前は感じなかったのですが、今度帰ってきたときは、世の中が変わってきているなと思いました。
身近なところではアパートを借りるのが大変です。海外に行っていて昨年度の収入がないというと、うさんくさい奴と思われるようです。
聞き手 それでも昨年のスピーチで語られた不利な条件、関西・フリー・報道写真を貫く?
宇田 東京へ移ったらマスメディアのシステムにもっと組み込まれてしまうでしょう。フリーでやるのにもこだわりがあります。フリーでも共同してやっている人はいて、僕の場合は、僕に協調性がないだけなんでしょうけど。竹中労にたしか「群れると弱くなる」という言葉があって、それが好きなのです。
こだわりはもう一つあって、現場で、もう一度歩いて欲しいなとか、「ヤラセ」をしたくなることもあるのですが、絶対にしない。自分だけでなく被写体が嘘に思われるのはいやですから。
聞き手 JCJ賞新人賞を受賞して、なにか変化は。
宇田 報道関係の人は、受賞を知っている人が多く、なんで新人賞なの?とも言われました。僕は写真を始めたのが遅く、新人といわれても違和感はありません。
大学やNGOの集まりなんかで講演する機会もあって、そういうのは受賞の効果かなァと思います。
ホームページも開いています。1カ月間で60万のヒットがありました。30カ国以上から反応がありました。「作品に感動した」と言われると励みになります。
(写真:植木純生 聞き手:保坂義久)
「ここはいいところですよ」と地域への愛着を語る梅川照子さん。神奈川県逗子市で長年、池子の米軍住宅建設に反対する運動に取り組んできた。03年8月、新たな米軍住宅を池子の森の横浜市側に建設する計画が明らかになり、追加建設はないと定めた国、県、逗子市の「3者合意」違反だとして長島一由逗子市長は民意を問うために辞職。再出馬して対立候補に大差をつけ当選した。選挙で長島候補を応援した梅川さんは国の背信を厳しく批判する。
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聞き手 市長辞任、選挙には批判もありました。
梅川 今度の市長選はやってよかったと思います。「逗子は関係ない」と国に無視されたでしょう。辞職で国はだいぶ慌てたようです。来年度予算で米軍住宅の調査費を取り下げました。大きなアクションになったと思います。 長島市長、池上候補とも「白紙撤回」を訴えましたが、池上候補は「国は約束を守れ」ということは、はっきりとは言えませんでした。
聞き手 約束というのは国、県、逗子市の「3者合意」?
梅川 はい。これ以上、米軍住宅は建てないという沢市長の時の取り決めです。
池子弾薬庫返還は逗子市の市是として、71年には市民が衆議院に上げた請願が全会一致で可決されています。ところが80年、ここに米軍住宅を建設する計画が明らかになりました。全市をあげて反対しましたが、33項目の条件で市長が妥協。その市長をリコールして、皆で当選させたのが富野さんです。それから議会もリコールして変えました。
その後、富野市長が県の示した調停案を持って帰ってきて総スカンを食います。富野さんはいったん辞職し、撤回して選挙になり、今回と同じように再選されました。
こうして沢市長誕生までに9回、住宅建設反対の意思が示されました。
聞き手 女性が中心になった運動でしたね。
梅川 最初に立ち上がったのが「米軍住宅に反対し自然と子供を守る会」の人達です。運動は大きく広がりました。
運動の中心は昼間も地域にいる女性達でした。(私の連れ合いも東京に通勤する逗子都民です。)
やがて首長は2期以上やるべきでないと富野さんが引退し、富野さんと一緒に反対運動をやっていた市議の沢さんが市長になりました。
聞き手 米軍は、本国の生活習慣を頑なに守っていますね。
梅川 日本は至れり尽くせりのサービスですよ。幼稚園も含めた平均ですが、住宅内の仮設小学校も平均20人学級です。日本では私たちがいくら30人学級要望の署名をしても取り上げてもらえません。
県営住宅は1戸あたり1700万円。米軍住宅は5200万円だそうです。全部思いやり予算で作って差し上げ、どうぞお住まいくださいという。日米安保がどうこういう以前に割り切れませんよね。
聞き手 米軍住宅を池子に建設するのはなぜでしょう。
梅川 防衛施設庁の文書では、「横須賀海軍施設への通勤にあたっての利便性」と「住宅地区を集約することにより管理上の観点から効率的」とはっきり言っています。池子のゲートを出て国道16号にのれば横須賀基地へはすぐです。
米軍住宅は恒常的に不足しているといいます。今ある池子住宅は1200戸の予定を854戸にしました。根岸住宅を400戸返還するとすれば、今度の800戸建設の計画は合いますね。
つまり将来の原子力空母横須賀母港化に備えてではなく、現在足りない分を建設するということです。原子力空母になると今のキティホークより500人以上乗員が増えるというから、今度の建設だけにとどまるとは思えません。まだ後背地の緑が残っていますが、そこもどうなることか…。
以前は池子の森は一体として、国は逗子側とか横浜側とか言っていませんでした。防衛施設庁の出したパンフレットでも、建設地は全体の緑の3%ですと説明して、少な目に少な目に見せようとしています。ところが今度は、横浜市域だから逗子とは関係ないという。
前の計画でも私達の「小学校が必要なのではないか」との質問には「横須賀地区の学校に通うから必要ない」と言っていたのに、入居が終わったら、小学校を作るという。国にはずーっと騙されてきました。
空母ミッドウェーが73年に横須賀に寄港したときの約束も「両3年だから」ということでした。ところがその後も横須賀基地に空母は居続けています。30年間です。
聞き手 今度の計画は高層住宅だそうですね。
梅川 20階建て5棟です。池子の森でも横浜側は特に手つかずです。昭和13年に日本帝国陸軍に接収されてからそのままという感じです。鬱蒼としていますよ。
池子の森は豊かな自然が残って、中には沼もあるそうです。フクロウもリスもタヌキもいます。また歴史的な遺跡もあります。首都圏に残された貴重な緑として、たとえ日本の施設を造るのでも反対していかなければならないのに、まして軍隊の施設を造るわけでしょう…。どこでも基地を抱えているところ、特に沖縄などは理不尽な思いをしていると思いますが、私はアメリカよりも、国民の立場にたって交渉してくれない日本政府のほうに、より腹が立ちますね。池子住宅には、851億円かかっているそうです。今度はもっとするでしょう。木を伐採し、山を削り谷を埋め、というところから始まるわけですから。そうした大規模工事は地元の中小業者ではできません。大手の建設業者が請け負うでしょう。
聞き手 横浜の4施設返還もあるようですが。
梅川 でも、防衛施設庁が配った文書のニュアンスでははっきりしません。米軍住宅ができるから施設は必要なくなるだろう。そうしたら「その時点で考慮することが可能になる」という言い方です。逗子が反対したから返るものも返らなくなるという住民対立を煽るように思います。
横浜側でも住民集会が開かれるそうです。保守系の人も含め反対運動を展開してほしいですね。
聞き手 マスコミの報道はどうでしょう。
梅川 国が約束を破った点をきちんと押さえて、また米軍住宅建設の背後には横須賀基地の増強があることも見すえてほしいですね。厚木基地のNLPの騒音問題の背景など神奈川の基地問題の根底は横須賀基地の存在ですから。
(聞き手:保坂義久、瀧本茂浩)
超高齢化時代を目前に年金への不安が広まるなか、5年に一度の年金改革に向けた議論が進められている。しかし、ともすれば複雑な年金制度。横浜市で26年間、国民年金の窓口相談に携わってきた松本行雄さんは「煙にまかれるだけでは……」と危惧する。その改革案のポイントについて聞いた。
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聞き手 7月24日、国民年金の未納率が4割という記事が出ました。
松本 国の言い分は、不況、免除制度の厳格化、制度移管が始まったためと、3点出しているわけですが、窓口に立って区民の相談を受けている者としては、制度移管こそが最大の原因だったろうと思っています。
昨年4月から、地方分権一括法により、徴収の主体をそれまでの市町村から、社会保険庁に引き上げてコスト削減を図ったわけですが、人口が最も多い横浜市の場合、18の区に対して、社会保険事務所は五つしかないので、住民がせっかく相談に来ても人手不足で込み合い、待たされるばかりで相談に応えることができません。各区役所が徴収業務などを代行していたときとは違って、住民がきめこまかなサービスを受けられなくなってしまっています。
年金制度はとにかく複雑なので、業務に携わる者としては、住民に制度への理解を求めることが第一なんです。しかし、政府は「国民年金特別対策本部」を設置して、未納者への罰則を強化すると言っています。最近の報道などでは、生命保険料は支払っても年金を支払っていない人には、税金の控除を認めないとか、パスポートを発行しない、場合によっては財産を差し押えるとまで言っていて、これでは年金制度への不信が広まるばかりではないかという気がしています。
聞き手 年金改革案の影響は?
松本 昨年12月に政府が出した「年金改革の骨格に関する方向性と論点」は、少子高齢化で年金制度が今のままでは立ち行かないことと、年金不信を改善することを目的に、いくつかの案を出しているんですが、問題が多すぎます。
一つは将来の保険料を段階的に引き上げた後に固定して、給付はその中で行うという案。保険料固定方式と呼んでいますが、そうすることで見通しのつかない保険料納付の不安を取り除こうというタテマエですが、給付に関しては賃金と物価の変動がそのまま給付額に反映される「マクロ経済スライド」を導入させているので、年金が不安定な市場動向に左右され、今の経済情勢では毎年引き下げることになってしまいます。
今年4月に初めて、年金額が0・9%引き下げになりましたが、通知を受けた女性が窓口で「下がっては生活できないんです」と切々と私に訴えるのです。こういう人を増やしてはいけないと思います。
もうひとつは、パートタイマーなど、短時間労働者への厚生年金加入の下限を更に引き下げるという案。今は、厚生年金に加入する夫をもつ妻への保険料は年収130万円以下ならば、第三号被保険者の扱いで、払わなくてもよいことになっているんですが、これが、週20時間以上働いて、年収65万円以上なら、保険料を取りましょうとなっています。
年金を保障することで、女性の社会進出を促しているように見えますが、これには大きな落とし穴があって、たとえば、第三号被保険者として40年間、専業主婦を続けた人と、年収65万円で厚生年金に40年間加入した人で、年金を受け取る額を比べてみると、専業主婦の場合は保険料がかからないので、受給できる月額が6万6417円なのに対し、厚生年金加入者は、保険料と給付額との差し引きでみると2万1000円と大きな違いが出てきてしまいます。
更に、年金の扶養から外れるということは、健康保険の扶養からも外れるということですし、加えて夫の所得税控除もなくなり、扶養手当も受けられない。なんでもかんでも負担ばかりということになってしまいます。
聞き手 広く薄く徴収しようと。
松本 第三号被保険者については、夫婦共に国民年金保険料を払わなければならない自営業者からの批判もあって、彼らの意見を代弁するふりをして年金の加入者を1人でも多く増やそうという狙いです。
今回の改革案は、9月中にまとめて法案として国会に提出され、決まれば来年4月から実施されます。
改革案のなかにはもう一つ、国庫負担を現状の3分の1から2分の1に引き上げるということが94年の段階ですでに決まっていましたが、財源確保が困難だと言っています。
聞き手 ますます「年金不信」が広がるような気がします。
松本 それに追い討ちをかけたのが、厚生労働省の特殊法人「年金資金運用基金」による国民年金の積立金の運用失敗です。
現在、145兆円あるといわれている年金積立金の一部を株式市場で運用した結果、累積で6兆円もの大赤字を出しています。
また、積立金は保養施設の整備・運営などにも使われていて、この施設事業のうち「グリーンピア」というリゾート施設が経営破綻していて、すでに廃止が決まっています。
年金改革だと言って、加入者を増やし、保険料の引き上げ、給付水準の切り下げ、国庫の負担増を行わず、払わない人間には、強制徴収などという一方でこんなムダなことをやっている。
これでは誰だってバカバカしくて払う気をなくします。
聞き手 不信は解消できるんでしょうか。
松本 年金は社会保障ですから、「社会保障の理念」で訴えていくことが筋なんです。国が年金制度に責任をもって、国民の面倒を見るというメッセージを送る必要があります。
その方法としては、さきほど言った145兆円の国民年金の積立金をこれからの保険料と給付のために取り崩すことです。
最近の試算では、30兆円あれば、1年間の年金受給者の給付が賄えると言われていて、これを前提に単純計算すると保険料を1円も払わなくとも、4年は持つということになります。
積立金を取り崩して保険料と給付の調整に当てれば、今の納付率が60%とはいえ、集まっているわけですから、少なくとも強権的な「保険料アップ、給付金ダウン」は避けられると思います。リスクの高い株式で運用するのではなく、年金は年金のために使うべきです。それがひいては、国民への「安心メッセージ」になるのではないでしょうか。
聞き手 最後にマスコミに期待することなどありましたら。
松本 国民年金制度は国民年金法第1条により、憲法第25条に規定する「生存権」に基づき保障された権利です。
その権利を良くするも悪くするも、人それぞれの自覚的な取り組み次第ではないでしょうか。例えば障害年金の改善は、障害者団体・家族などの運動で進みました。マスコミがそこに光を当てていけば年金はもっといいものに変わっていくと思っています。私はまだあきらめていません。ジャーナリストの奮起を期待しています。
(聞き手:瀧本茂浩、写 真:清水雅彦)
JCJ機関紙に、61年12月25日にJCJ議長が熱海在住の広津和郎さんのところへJCJ賞(松川事件に関する長年の活動)のトロフィーを届ける旨の記事がある。これが佐藤忠良さん作《柏》が受賞者に渡された最初らしい。また三上正良氏(元JCJ事務局長)追悼集には「佐藤氏がブロンズ像を材料費同然の価格で提供して下さった」経緯を作者と同郷(北海道)だった三上氏の力添えであったかと推測させる記述がある。
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佐藤 その経緯を知りたいというお手紙を先日いただいたけれど、なにしろ40年以上も昔の話でしょ。悪いけどあんまりよく覚えてないんだよ。とにかく、とてもまじめな団体が表彰する賞だということで、心をこめて創った記憶はあるんです。
聞き手 “柏の束”を持つ女性像にされた理由は?
佐藤 私には《柏》と題する作品が7〜8点ありますが、JCJの像はそのどれとも似てないと思います。野外に置く大型の像を創る前に、構成やバランス検討のために小型の試作品を制作する場合も結構ありますが、JCJ賞のものは小型でも最初から作品として創ったものでしょう。
聞き手 柏の葉はいつまでも枝に残るので、西欧では宗教的に神聖な木とされたり、“永遠の生命”のシンボルにされたりしているそうですが。
佐藤 そんな深い意味や哲学的思考はなく、とにかく私は木が好きなんです。今でも散歩のときに、樹木のスケッチをしているくらいですからね(とスケッチブックを取り出して2〜3枚見せながら)、最近は自分が長生きしたせいか、幹にねじれやコブや穴があったりすると、そんな懸命な姿に人の生き方を重ねて見たりしますね。木は決してカッコつけたり偽ったりしないから、好きなんですよ。
聞き手 (アトリエの一隅にある)あの制作中のレリーフは、絵本「おおきなかぶ」ですね。
佐藤 そう、東北地方に初めてできる小児医療総合病院の依頼です。何にしようかと考えて、結局カブを抜くためにみんなで力を合わせて大声を出す…元気が出てくる楽しい話がいいだろうということになったんですよ。
(福音館版の絵本とその4倍ほどの大型絵本を取り出して)民話を元にしたトルストイの作ですが、私のこの絵本がいちばんよく知られているそうで、実際に今も結構増刷されるんです。でも、挿絵が私だということを知っている人は少ないし、作者名を見ても、私と同姓同名の画家だと思っている人が多いんです。
聞き手 描かれたときは、そんなロングセラーになるとは想像もされなかったでしょう?
佐藤 文章が非常に簡潔で、物語もカブにとりつく一人から始まるので、話に忠実に描くと、どうしても余白部分が多くなる。で、そんな場所におじいさんやおばあさんの住む家を描き、農家なら納屋とか農具小屋があるはず…、家や敷地の周りには柵も必要…とあれこれ描き加え、囲いの遠くには犬も加えました。
実をいうとこの絵本では、カブの葉っぱをよく見るとギザギザで、ダイコンの葉になっている。描いた頃はまだ観察力が十分じゃなかったね。
聞き手 レリーフの図柄が絵本の構図とまるっきり反対向きになっていますね。
佐藤 飾る場所を考えて、入口から入ってくる人たちの視線の流れに沿うようにしたからなんです。これも眺めていると、引っ張っているはずなのに押しているように見えたりする。で、一部を修正すると、不自然な個所が次から次へ波及して、また手直しをする。そんなことがつづいて、なかなか仕上がらないね。
特にレリーフは、限られた厚さ(4〜5センチ)のなかで、いかに立体感や遠近感をそれらしく見せるかという点でも力量が素直に表れるものだから、苦心するんですよ。
聞き手 3年間のシベリア抑留体験は、その後の創作態度に何か影響を与えましたか。
佐藤 美術学校時代(39年)に仲間と研究会をつくり、みんなで唯物論の本を読んでいただけで、練馬警察署の留置場に1カ月も放り込まれたことがあるんです。今では想像もつかないでしょう。そして兵隊で1年、そのあとシベリアに3年ですからね。
そんな辛い体験をすると、それを契機として制作・発表するものが大きく変わる人が多いですよ。しかし私が作品に取り組む姿勢は、兵隊に行く前と少しも変わらないんです。ということは、私は感じないほうなんですかね。
ただ少し変わったかなと思うのは、シベリアから帰ってしばらくの作品は、割合に農民ふうの木訥な顔立ちを表現したものが多いんです。
それほど強く意識したわけではないけれど、抑留生活で社長や教授という社会的地位や肩書のある人よりも、名もない普通の人たちの生き方にひかれたからでしょう。
《群馬の人》(52年作)とか《常磐の大工》(56年作)など、市井人のまじめな、無骨といってもいい顔を創っていた時期には“きたなづくりの佐藤”
といわれましたが、それは私なりの、そういう人たちの心に飛び込もうとした表れだったんでしょうね。
美校時代からずっと作品の模範はヨーロッパが全盛で、ギリシャ彫刻ふうの彫りの深い整った顔をモデルにするのが普通だから、そんなジャガイモ同様の顔は、きっと目立ったんですよ。
聞き手 お仕事の依頼は相変わらず多いのでしょうが、偉そうな肩書や勲章の類いは、やはりずっとお断りですか。
佐藤 忙しくても多少難しくても仕事は受けます、お金がほしいですから。私は自分を職人だと公言していますが、最近の芸術家には、創作の向上より自分の地位や肩書を利用して、後輩や弟子たちをどう遇するかに力を入れている向きが結構多いですね。
大きな展覧会で誰にどの賞を与えるか、誰を次の芸術院会員に推薦するか… その裏で莫大なカネが物を言っているという噂は、あなた方も聞いたことがあるでしょう。と偉そうに言っていても、目の前に札束をいくつも積まれたら、私もやはり気が弱いから、札が1枚でも多い人に票を入れざるをえない局面がきっときますよ。だから私は、そんな立場に身を置かないように心がけているんです。
特に断っているのは、お上の設定した勲章の類いです。でもフランス・アカデミー会員とローマ・アカデミア会員の場合は、こちらが知らないうちに推挙されて、あとで知らせてきたので仕方がない。
殊にフランスが81年に国立ロダン美術館で私の作品展を2カ月近くも開いてくれたのは、ほんとに驚きました。
その展示会で評判のよかったのは《母の像》(42年作)だったのが意外でした。学校卒業直後の作品で、技術的にも未熟なのに、この作品が向こうの雑誌や新聞にいちばん多く紹介されました。
作品は、作者が仕上げたときではなく、鑑賞者に評価されて初めて完成・完結することを改めて知らされました。
最近のお断り事件は、名誉都民をめぐって石原東京都知事と、初めて電話で話し合ったことですね。
聞き手 いきなり、都知事から話があったのですか。
佐藤 最初は都庁の方が2人みえて、ぜひ名誉都民にというから驚いて、これまでそういうものは一切いただかないことにしていますからと極力断ったので、そのときはそのまま帰られた。2〜3日後に、今度は副知事さんがやってきた。それも丁重にお断りしてお引き取りを願ったんです。
その後昨年の秋、私が美術展の審査をしていたとき、自宅で聞いたといって美術館へ電話がかかってきた。私が出ると、都知事が代わって出られ、いきなり「あなたの彫刻を私も持ってます」などと言うんです。そう言われても私の決意は変わりませんよ。
そこでも丁重にお断りしてようやくおしまいになったんですが、副知事も説得できなかったので、石原さんはじきじきに説得してウンと言わせようという意気込みと自信で電話されたんでしょう。
いろんな理由を言って断っても、向こうもなかなか引き下がらない。そこで私は「90歳になるまでそういう身分や肩書みたいなものは一切なしで過ごしてきましたので、どうかこのまま気持ちよく死なせて下さい」と言って、ようやく分かってもらった。なんてガンコな奴だと思ったでしょうね。都知事も粘りましたが、私も負けないようにがんばりましたよ。
(聞き手:奥田史郎、道家暢子 写真:難波竹一郎)
「焔(ほむら)打ち消せ 戦争の/地球の上の 人々の/ひとりひとりの せせらぎは/優しい心 魂だ/ひとりひとりの せせらぎが/平和をつくる歴史(とき)がきた……」。イラク戦争が始まろうとしていたさなか、日本ジャーナリスト会議のメールマガジン「JCJふらっしゅ」3月2日号に出版人作詞家・石井彰さんの詩が投稿された。うてば響くように、国際政治学者の武者小路公秀さん(元国連大学副学長、左下写真)が作曲した=下の楽譜。「JCJの良心に期待する。歌で若い人たちにも働きかけてほしい」と。イラク戦争の結末がどうあれ、この歌は生きつづけるだろう。
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創作―詩「大河」をつくった石井さん(右下写真)は、法学書専門の「国際書院」代表。五年ほど前から本格的に詩作を手がけてきた。
今年2月、バグダッドを訪れた沖縄出身のミュージシャン喜納昌吉さんが歌を歌いながら歩いたら、子どもたちが「サラーム(平和)、サラーム」といって駆け寄ってきたという新聞記事に「感動しちゃって」、一気にこの詩を書き上げたという。
詩はこう続く。
「思いつくままに書いたので七五調のような韻もふんでいないし、曲はつけにくいだろうなあと思っていました。それに、実は武者さんが曲をつくるとは全く知らずに“魔がさして”メールを送ったんです」と石井さん。すると、ただちに返信が届いた。
「メール拝見、とても時宜を得た、すばらしい詩です。早速、作曲をはじめました」
石井さんとは仕事柄、十数年来のつきあいという武者小路さんは、父親が外交官で、ブリュッセル生まれの欧州育ち。小学校高学年のころ帰国したが、いじめられて中学1年のとき登校拒否して落第、兄が持っていたフランス語の百科事典で和声法などを学び、家にあったピアノでミサ曲をつくったのが最初だった。のち1960年代に日系2世の友人でピート・シーガーの弟子にシカゴでギターを習い、作曲では、韓国のキム・ジハ(金芝河)の詩にフォーク調の曲をつけたりしたという。まさにグローバルな音楽歴である。
久しぶりにギターを手にしたという武者小路さん。
「『大河』については、初め『原爆許すまじ』のような曲想があったのですが、それでは悲壮すぎるので、8分の6拍子に変えてみた。さらに、かつて沖縄の友人に、沖縄の曲は上がるときにソシド、下がるときにドラソ、これは『君が代』がソラドと上がり、ドシソと下がる5音音階とはちょうど逆だと教わったのを思い出した。その沖縄の音階をもとにつくってみたら、どんどん曲ができていったのです」
一晩でできたという曲の楽譜は4部合唱つき。自らギターを弾きながら、しぶいバリトンの声で歌ったテープとともにJCJに送られてきた。たんたんと、しかし躍動感を秘めたリズムに乗せ、「ほむらかき消せ――(=原詩は『打ち消せ』)戦争の」の主旋律がやや変化しながら何度も繰り返され、心に刻まれる。いま、喜納昌吉さんに歌ってもらう企画も進んでいる。
昨年12月初め、武者小路さんは、「グローバル・ファシズムの時代―イラク戦争の『裏』を読む」と題したインタビュー記事をホームページに載せた。「戦争が起きなければいい。しかし、すでに戦争準備は整いつつあり、拳を振り上げたアメリカがおとなしく引き下がるとはとても思えません」と開戦を予測。「イラクが核兵器や化学兵器を作っているという疑惑からイラク戦争が始まることは確かです。けれどもそれは氷山の一角で、裏にはアメリカ側の(石油の権益など)いろんな計算と思惑がある。ところが日本のマスコミはそんなことは全然報道しないで、ただイラクのことばかり問題にしています」とマスコミを批判している。
不幸にも、その予測が的中したイラク戦争について、武者小路さんはいう。
「気の毒なのはブッシュ大統領です。本当の覇権には道理がなければならない。それがこれほど明白に国際法を破ったのでは、長くは続かないだろうということです。
小泉首相はアメリカのイラク攻撃を明確に支持したが、かつて植民地主義の誤りをおかして、いま米国がイラクを『民主化』する模範にしている『改心した、ならず者国家』日本が、今回国際法を自ら破って『ならず者国家』の新参者になったアメリカによる新たな植民地主義のグローバル化のなかで、再びその道を歩もうとしている。
平和憲法に矛盾する立場を迎え、平和に生存すべき世界の民衆がその犠牲になろうとしている。どこで踏みとどまるか。平和を愛する優しい心を持っている一人ひとりのせせらぎを、どううねりにし、大河にしていくかというこの歌の訴えが、非常に大事になってくるわけですね」
国連大学の副学長として学生たちに語りかけてきた武者小路さんが、この歌をつくったもう一つの動機は、JCJと若者への期待であった。
「マスコミの現状を見ていると、JCJはおそらく最後の良心の砦になるかもしれない。でもそうさせてはならない。良心の声というのは、平和のためだけではなくて、日本という国の将来のイメージを考えるときに重要になってきます。自由主義史観よりも日本民族の役に立つような歴史観をしっかりと構築していかなければなりません。
いま、日本の権力者たちは平和国家としての道理を捨てようとしている。このままではこの50年前からの努力が水泡に帰しかねない。
私はこれまでのJCJの活動に敬意を表していますが、これからは若い世代をまきこんでいくことがとても大事だと思います。
理屈だけではなく、何か感性に訴えるような働きかけが必要でしょうから、この『大河』の歌もそういうお役に立てればと願っています」
詩の最後の「サラーム、サラーム」というリフレーンが好きだという武者小路さん。猛烈な空爆にさらされたバグダッドは4月上旬、米英軍によって制圧された。
「サラーム、サラーム」といって、あのとき駆け寄った子どもたちの何人が傷つき、命を奪われたことだろうか。(取材・文:小島 修、写真:清水雅彦)
法外な高利を要求され、暴力的な取り立てに苦しめられる闇金融(ヤミ金)被害が急増している。埼玉県桶川市の被害者団体「夜明けの会」にも連日、被害者の相談電話や訪問が後を絶たない。相談に応じるのは元被害者たち。自らの体験を生かし、一人でも多くの被害者を闇から救い出そうと闘っている。会の設立者で「夜明けの会」世話人会代表の司法書士・柿崎進さんに話を聞いた。
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聞き手 ヤミ金被害の現状を教えてください。
柿崎 ヤミ金被害が急激に増え出したのは昨年春ごろだと記憶しています。被害者は20歳代の若者から70歳代の高齢者まで幅広い。最近、新聞やテレビなどで頻繁に報道されるようになり、社会認知が高まっているとは思いますが、被害はなかなか減らないですね。
店舗を持たない業者が多く、尻尾をつかませない。公園や車の中で携帯電話1本で商売する「090金融」や、勝手に銀行口座に金を振り込む「押し貸し」などの被害が増えています。貸金業登録業者でも利息が10日で5割はもちろん、年利10000%というケースもあります。
業者間で借金額や返済状況、口座番号などの顧客情報が安く売買されており、返済に困っている被害者に突然、見ず知らずのヤミ金業者から融資を呼びかけるダイレクトメール(DM)が届いたり、口座に勝手に金が振り込まれたりします。実際、複数社から同じ管理番号でデータ処理されたDMが届いており、その数は1週間で数百通に及ぶこともあります。
聞き手 返済トラブルだけでなく、被害者の弱味に付け込んだ二次的被害も増えていると聞きましたが、どういうケースですか。
柿崎 身に覚えのない業者から返済を求められたり、あたかも裁判所に裁判の申し立てを行ったかのように文書を偽造し、強引に取り立てる業者もいます。被害者は追い詰められて冷静な判断ができなくなっている状態。「借りてもいない金を無理して返済してしまった」という話もよく聞きます。
また、救済を装って被害者に近づくケースも増えています。「紹介料を払えば弁護士や救済団体を紹介する」「手数料を払えば、業者に掛け合って返済額を減らしてあげる」など、うまい言葉で大金を騙し取るヤミ金被害が増え、救済活動を行う団体も増えたが、NPOの看板を掲げていながら高額な着手金を請求したり、業者と裏でつながっている悪質な団体もあるので、注意が必要だと思います。
先日、私の名前を騙る人物に突然の電話で救済話を持ちかけられ、手数料を騙し取られたという北海道の被害者から連絡がありました。困ったものです。
聞き手 「夜明けの会」ではどのように被害者を救済するのでしょうか。
柿崎 「ヤミ金に借りた金は返さない」が基本姿勢。ヤミ金は違法業者ですから、返済義務はありません。それまで返済した分も過払い金は取り戻します。基本的には被害者と業者で話しあい、相談員らが手助けする形。相談員は元被害者だから業者の応対方法も分かっていて、説得力があります。世話人会では法律的な助言をします。
聞き手 「ヤミ金から借りても、夜明けの会で返済しなくてすむようにしてくれる」と考える悪質な相談者もいるのではないでしょうか。
柿崎 いないとは言い切れないが、その一人のために本当に救済が必要な人を助けられないのであれば、我々の活動の意味がないと思っています。相談を受けた際、詐欺的状況はないかを注意してよく聞き、救済は一度きりだということも徹底しています。業者とのトラブルが解決した後も、会の活動に参加するよう勧めたり、頻繁に顔を合わせることで再発防止を呼びかけています。
聞き手 法律的なサポートをする上で、苦労されることはありますか。
柿崎 ヤミ金業者から「弁護士じゃないのに、司法書士が出すぎたことをするな」「法律違反じゃないか」と言われることもよくあります。でも被害者はひっきりなしにやって来ます。そんなことを言っていたら、助けられる人も助けられない。
聞き手 なぜ、ヤミ金被害はなくならないのでしょうか。
柿崎 日本人は本当に真面目で、返済できなければ自己破産する方法もあるのに、ひたすら家族や親戚からかき集めたり、別業者から借金してまで返してしまう。中には1億円返した人もいますよ。
脅迫すれば返済すると見た業者は、どんどん融資するし、強引に取り立てる。ヤミ金は無担保融資をうたっているが、実際は日本人特有の家族観と借りたことを家族にも内緒にする秘密主義が「担保」になっていて、だからヤミ金業が続くんだと思います。
聞き手 「夜明けの会」では昨年9月と今年1月、2度にわたってヤミ金業者の集団告発を行いました。埼玉県も県警と協力して、本格的に被害撲滅に動き出す姿勢を明らかにしています。皆さんの活動が認められたのでは。
柿崎 昨年9月に約700社、今年1月には約1000社の被害をまとめ、告発しました。これまで警察はヤミ金が犯罪行為だという認識が薄く、「金の貸し借りだから」と民事不介入の原則を守り、訴えても取り合ってくれない場合が多かった。警察がもっと積極的に動いてくれれば、業者を追い詰めることができると思います。
ヤミ金を扱うには専門知識が不可欠。行政は被害者から相談を受けたら救済専門機関の連絡先を教えてあげてほしい。決して「早く金を返して手を切った方がいい」など、間違ったアドバイスはしないでほしい。
聞き手 最近、ヤミ金被害に関する報道をよく目にしますが、どのような感想を持っていますか。
柿崎 「夜明けの会」の活動も多くのマスコミに取り上げられました。取材でよく質問されるのが「相談者の何割がギャンブルで借金したんですか」。実際は遊ぶための借金なんてごくわずか。バブルが弾けた影響で生活苦がほとんどです。面白おかしく、センセーショナルに取り上げないでほしい。
大手サラ金業者のコマーシャルや広告は、芸能人や動物、キャラクターなどを登場させて、安心感や簡単融資を安易にアピールしており、悪影響だと思います。こうしたコマーシャルについて、民間放送連盟が時間帯によって放送を自粛するような声明を出したと聞いていましたが、どうなったのでしょうか。
サラ金業者がスポンサーになっている番組の取材を受けることもあるんですよ。「おたく、駄目じゃないの」なんて言うと、「すみません」って申し訳なさそうに言ってましたよ。
聞き手 今後、法定金利29・2%を引き上げる可能性があるということですが、ヤミ金被害は減るのでしょうか。
柿崎 6月に出資法が見直され、金利が上がる可能性があります。「金利を上げて大手業者が儲かればどんどん貸し出せるから、ヤミ金から借りる必要がなくなる」というのが大手サラ金業者の言い分のようです。正直、金利が上がってもヤミ金被害が減るとは思えません。融資からあぶれ、ヤミ金に行くしかない人間は必ず出てくるでしょう。
聞き手 今後の課題と目標は。
柿崎 相談員の数が全然足りない。被害は増え続ける一方で、できるだけ多く対応するには相談員の育成を早急に行わなければ追いつかない。でも、協力してくれる元被害者たちも仕事の合間に手伝ってくれている。しかし相談員の育成は、なかなか難しいでしょう。
4月にまた集団告発を行う予定。これまでに告発した業者は、ほとんど名前や連絡先を変えて新たな営業をしているはず。警察や行政と連携して、被害撲滅に向けてさらに頑張っていきたい。
(聞き手:埼玉新聞支部員、写真:難波竹一郎)
「議会侮辱罪じゃないか」「裁判係争中に身ぐるみはぐようなことはやめなさいよ!」。11月15日、衆議院財務・金融委員会で、参考人の三木繁光・東京三菱銀行頭取に野党議員から批判が相次いだ。変額保険訴訟をめぐって東京高裁で一部敗訴した同行が、「誠意ある話し合い」という国会での約束を破り原告宅に突然競売をかけたからだ。いったいどんな問題なのか。“銀行の貸し手責任”を問う原告・田崎アイ子さんに聞いた。
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聞き手 4月23日、東京高裁は東京三菱銀行と生保などに対し、原告・田崎さんに8000万円の損害賠償を命じる判決を出しました。融資一体型変額保険をめぐる訴訟で被害者が勝訴したのは高裁段階で初めてですが、今回の判決と一審敗訴判決、その違いはどこにあったのでしょうか。
田崎 地裁判決では変額保険を解約していなかったことで損害が確定していない。リスクは説明されていた、といったことが指摘されての敗訴でした。高裁判決では保険の解約によって被害額が明確になったこと、変額保険が「欠陥商品」であったこと、主人がつけていた日記が証拠として認められたこと、などが主だった理由となって勝訴しました。
聞き手 そもそも変額保険に加入した経緯は。
田崎 旧三菱銀行(現東京三菱)支店の行員から紹介されたのが始まりです。
彼は、度々自宅を訪れては、「相続税対策をしておかないと、ご主人に万一のことがあってからでは大変になる」とくり返しました。私自身も、近所で相続税の支払いに苦労している人の話を知っていたので不安に思っていた矢先でした。
そんな折、保険代理店から相続税対策になる保険の説明をしたいと電話がかかってきて、主人と二人で伺ったんです。
そこで見せられたコンピューターには、なぜか私たち家族の生年月日や資産内容などがあらかじめ入力されていました。担当者はそれを示しながら「相続税対策のためには3億から4億の保険に入らなければ間に合いませんよ」と驚くような金額を口にして、保険加入を勧めました。
私たちはその額に愕然としたのですが、その後、三菱銀行の行員からも「天下の三菱が大切なお客様だけにお勧めする商品です。融資も三菱がつけます。安心してください」と言われ、信用しきって加入を決めたのです。
結局、保険料1億、5年分の前貸し利息、諸経費合わせた合計、1億6000万円の融資を三菱銀行から、土地と家を担保にして受けました。
私は広島で被爆し、頭を手術したこともあって、生命保険には入れなかったので、保険を紹介してくれた行員にはそのときは本当に感謝しました。
聞き手 払い込んだ保険料が運用次第では元本割れするリスクは、わかっていましたか。
田崎 それが全くわかっていなかったんです。借金をすれば相続税が安くなる。勧誘時に聞かされたことはその一点だけでした。元本割れの説明などありません。私は「普通の生命保険」だと思っていたんです。
「実際は12〜13%で回っているんですが、大蔵省がそれ以上のことを言ってはいけないというので最低の9%で説明しているんですよ」と言われた被害者もいます。 リスクの説明があれば絶対に加入しませんでしたよ。銀行にまかせておけば問題ないだろうという気でいたのです。
それから4年6カ月ほどして三菱銀行から呼び出され「こんな資産価値のない保険は持っていてもしかたがない。解約して返済しなさい。残りは娘を保証人にして30年ローンで返しなさい」と手のひらを返すように強く迫られました。
副支店長にヤクザまがいの態度で脅されて返済をせまられ、自殺を考えた日のことは今もはっきりと覚えています。
聞き手 それからですね、旧三菱銀行などを相手取った訴訟を起こすのは。
田崎 95年8月のことです。しかし4カ月を過ぎたとき、信用保証会社から代位弁済通知が届き、担保に取られた自宅の競売が始まりました。
代位弁済も競売のこともまるでわからずにいて、弁護士に相談に行くとすぐに抗議行動を起こすように言われ、翌年の1月から早速始めました。自分の加入した保険が変額保険という名前で、社会問題になっていたということを知ったのもこの頃でした。
幸い一度目の競売では買い手はつかず、3カ月の延期となり、その間の運動や弁護士、議員の方々のお力添えもあって97年3月に、取り下げることができました。高裁での勝訴は、このときの連帯が実を結んだ結果だと思っています。
聞き手 ところが勝訴判決直後の今年5月、銀行は2度目の競売をかけてきた。
田崎 はい。自宅兼店舗の家賃も差し押えられ、追いつめられています。人権も、生きる権利もないに等しい行為ですよ。ですが、今回かけられた競売も取り下げさせるため、現在奮闘中です。
10月から、「変額保険被害者の会」で競売取り下げを求める抗議行動として、毎朝、東京・丸の内の東京三菱銀行の本店前で出社してくる行員にビラを配っています。
無愛想に通り過ぎて行く人もいれば「ごくろうさま」と言って受け取っていく人もいます。銀行内にも私たちの訴えを受け止めてくれている人もいるのだとほっとしています。
聞き手 最後にマスコミに望むことがあれば。
田崎 今回の判決を機会にして、不良債権をめぐる議論の進め方でも、私たち、個人債務者の苦しみとバブル期に銀行が犯した罪、“貸し手責任”に、マスコミはもっと着目してほしいと思います。
(聞き手:瀧本茂浩、写真:難波竹一郎)
ある日突然、「戦地」への出張を命じられる。郵便ポストがのぞかれ、家族、親戚の身元まで調べられる――。日本を代表する兵器メーカーの現場で起きていることは、有事法制が成立したら社会全体に広がるかもしれない。会社ぐるみのいじめにあいながらも“ものが言える職場づくり”をめざして係争中の石川島播磨労働者原告団長の渡辺鋼さんに聞いた。
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聞き手 5月4日付の朝日新聞(朝刊)に、「防衛庁、民間人派遣を要請 テロ対策インド洋周辺で装備修理 石播など受け入れ」という見出しの記事が載りました。1面トップでしたが、渡辺さんも取材されたとか。
渡辺 昨年12月に、小学生の子どもを持つ同僚から「自衛艦と一緒にインド洋に行くことになるかもしれず、心配だ」と相談を受けていました。彼は防衛産業に携わる者としての使命感を持っている人で、「行くことはやぶさかではないが万が一のことが起こったときの保障が曖昧なままで行かされるのは不安」とのこと。
阪神支局襲撃事件の時効を前に「職場での言論の自由」についての取材にきた朝日の記者にその話をすると、「これは大きな問題ですね」ということで、記事になった。
朝日新聞が取り上げるまでは、会社も防衛庁も、平時に自衛隊基地に出張して、壊れた機器を修理することの延長として安易に考えていたようですが、報道によって戦地出張を強要する動きはとりあえず止まり、「あなたたちに相談してよかった」と礼を言われました。
聞き手 戦地出張は有事体制の先取りですね。
渡辺 石播の組合は残念ながら有事法制・兵器生産賛成の立場で、職場の不安や心配に耳を貸そうとしないばかりか、私のような活動をする者を企業破壊者と決めつけて攻撃します。それも関係してか、職場内での反応は私個人へのメールや手紙です。波紋が広がっている感触はありますが、目に見えて雰囲気が変わるようには、なっていません。
先月、三菱重工や川崎重工などの社員に会って、「兵器を輸送する運輸労働者が有事法反対の先頭に立っているのに、兵器をつくっているわれわれが黙っているわけにはいかない。兵器生産の現場から戦争NOの声をあげていこうじゃないか」と話しあってきました。
聞き手 会社の対応は?
渡辺 職場差別が続いています。私はもともと航空機エンジンの部品を買いつける仕事をしていて、自分で言うのもなんですができる社員と評価され、中心的な役割を任されていました。しかし大量首切りに反対したことを機に、仕事を取り上げられました。
今は「海外のベンダー情報収集」という名目で、月に2、3冊とどく海外のカタログを見て必要事項をパソコンに入力するという作業のみ。唯一許されるようになったのは、「情報収集」の名目で新聞を読むことなんで、休刊日はつらいですね(笑い)。「会社に逆らうと、こういう目にあう」という見せしめにされているわけです。
聞き手 ひどい仕打ちですね。
渡辺 当初は拷問のように感じましたが、今は、会社のこうした圧力は私たちの活動が無駄に終わっていないことの証明だと思うようになりました。
先月の初め、勤労課長と次席に突然呼び出され、「あなたは昭和18年1月1日生まれです。従って今年の12月31日をもって定年退職となります」と通告してきました。しかし、私は昭和19年1月1日生まれで、免許証にも健康保険証にもそう記載されています。しかし、なぜか戸籍と住民票には「昭和18年1月1日」と記載され、会社側は鬼の首でもとったように突きつけてきたのです。幸い私が生まれたときのへその緒が残っていて、その桐の箱に生年月日が書いてあったので「昭和19年生まれ」と証明できそうです。
それにしても、会社が今ごろ何で人の住民票をとって調べたのか。問いただしてみると、「あなたの記事(朝日新聞「私の視点」)を読んだ読者から、『渡辺は58歳と書かれていたが実際は59歳のはずだ』と連絡があったので、調査した」。そんな連絡をしてくる「一般読者」なんかいるのか、不審に思いますね。
それで思い出したのは、1986年に7000人もの人員削減が行われたときの話です。退職を強要されていた社員が上司に、「娘さん、就職決まったそうですね」と言われた。何で娘の就職の内定まで知っているのか。「子どもの内定を取り消されたくなければ退職せよ」という脅迫だと感じたそうです。
聞き手 防衛庁リスト問題を連想させる……。
渡辺 防衛庁は石播の「お得意」なわけですが、防衛庁関係の重要なポストに就く者への調査は防衛庁も加わって徹底して行われます。
まず身上書というものを書かされます。この内容は、二親等以内の家族をはじめ、出生以来の住所、所属する団体、その加入期間、辞めた理由など。記入が終わると、「防衛庁がこれにもとづいて調査する。場合によっては自宅ポストの中も見る」と告げる。そのため、私に「うちにビラを送らないでくれ」と頼んでくる社員もいます。
聞き手 息が詰まるような状況ですね。
渡辺 最近会社では、多くの新入社員が2、3年で辞めてしまう、社員が寮に引きこもって出てこない、といったことが問題になっています。
この間の全員集会では事業本部長が、「品質管理と安全も大事だが、メンタルヘルスも重要だ」と強調していました。メンタルヘルスは大切ですが、さらに締めつけるのは逆効果だと思います。
航空宇宙部門のような先端技術の開発では、高度な情報のやりとりが欠かせません。なのに、個々人を極限的に競わせる成果主義賃金のため、一人ひとりが自らの目標管理に精一杯で、必要なことでも教え合うことがなくなっています。それで責任だけは負わされる。おかしくもなりますよ。
聞き手 最後にマスコミに望むことがあれば。
渡辺 職場差別もサービス残業もそうですが、憲法や労基法、働くものの人権を無視する「会社の常識」を「社会の常識」の眼差しから批判、検証して欲しいと思います。私たちの運動が大きく報じられて、職場にいる者は大変はげまされたし、JCJ賞受賞作など素晴らしい報道もある。まだまだ日本のジャーナリズムは捨てたものではないと感じます。
(聞き手:瀧本茂浩・北健一 写真:難波竹一郎)
有事法制反対運動のなかで、報道不信が激しさを増している。毎日新聞の防衛庁リスト問題スクープなどの成果はあったものの、集会報道も調査報道も総じて低調だったからだ。秋の臨時国会にむけて、何が問われているか。陸海空20労組の中心をになう海員組合・平山誠一さんに、新聞やテレビに感じていることをきいた。
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聞き手 先の通常国会では、国民的な運動で有事法案の制定をひとまず止めることができましたが、反対集会の報道が小さいとよくお叱りを受けます。
平山 5月の有事法案反対の4万人集会は「毎日」がベタ記事、6月の6万人集会は「朝日」がわずか10行。「読売」に至っては「デモで逮捕者」としか記事にしない。有事関連報道では地方紙が頑張ってくれたことは救いですが、こんな国民的重大事を、全国紙やテレビはなぜもっと大きく取り上げないんでしょうか。
印象的だったのは『サンデー毎日』7月7日号のカラーグラビアに6月16日の「ストップ!有事法制」全国集会の空撮写真が載って、「雨の降らない日曜日、しかも政治集会に、これだけの人たちが集まった。プロ野球の観戦は楽しい。興奮する。では、代々木公園の人たちはなぜ――」と、ちょっと皮肉っぽく書いていたけど、印象に残るいい記事でした。
この間、記録的な大集会が続きましたが、事実としてきちんと報道する姿勢くらいは報道機関としての最低要件ではないのか。集会記事ひとつみても大マスコミには不信感が募ります。まあ、有事法制問題の追及など、あまりに弱いですね。
取材をする記者のみなさんもおしなべて勉強不足だし、デスクなり会社も本気で真実に迫ろうとしているのかと疑ってしまうときがある。
聞き手 「記者の不勉強」とはよく言われるんですが。
平山 有事法制といったら、思い浮かべるのは旧国家総動員法であり三矢研究でしょう。どこがどう違うのか、何が同じなのかくらいは勉強してほしい。今、「国民保護法を先行させて」といった議論がありますが、1941年の3月に制定された「船舶保護法」って法律、知ってました?
聞き手 いえ。それ何ですか?
平山 この保護法、結局のところ商船保護のためには「海軍の指示に従え」ということで、船長が逆らえば懲役刑。それだけの中身です。国民保護といっても「国の統制に従え。拒否する者は非国民」のレッテル。こんなことになるのでは、と思いますよ。
聞き手 歴史的視点が弱いと…。
平山 強い弱いの問題ではなくて、足りないのは真実に迫る姿勢、国民に本当のことを知らせようとする意欲じゃないですかね。
たとえば、この前の東シナ海の不審船事件などは、ある種の世論操作に使われている。権力サイドの狙いを見抜く力と意欲というか使命感がマスコミになければ、民主主義は危ういですよね。
不審船事件では、日本領海外で船体船尾に対して20ミリ砲で射撃した。これがどのような法的根拠によって行われたのか。
それと、陸上では警察官の職務質問を振り切って逃げても、ピストルで威嚇射撃されるくらい。それが海では「漁業法違反の疑い」という容疑で20ミリ機関砲に追い回される。最後に不審船から海に投げ出された15人も、結局救助されなかった。「海での命はなんて軽いのだろう」と痛感しましたね。
とにかく日本は海洋国、変化は海からやってくる。だから日本のジャーナリストは海のルールを定めた海洋法、海戦法規のこと、海運や船員のこと、いろんなことを勉強しておいたほうがいい。特に海に関する勉強が足りない。そうしないと政府サイドの世論操作や誘導策を見抜けない。事前によく勉強しておいて、「来たな」っていうときに当局ご提供の情報だけに頼らず、それを批判的に検証し追及して欲しいんです。
ところで、海の海戦法規と陸のルール(国際人道法)では大きな違いがあることを知ってます?
聞き手 すみませんが……。
平山 民間の商船に対しては、陸の戦争ルールと違って軍事目標とされる範囲がすごく広い。武器、弾薬を運ぶ船はもちろん、軍艦や軍用機によって護衛されている船は攻撃してもいいとされている。
つまり、有事法制が通って日本が戦争当事国になると、どういう戦争であれ、船乗りの職場は常に軍事目標にされます。だから命と職場の安全を守ろう。これは政治闘争ではなくて安全闘争なんですよ。有事法制反対の理由はともかく、この一点で共に立ち上がろうというメッセージを私たちは発信したわけです。
しかも今日、日本が生きていくために不可欠な食料、原材料、資源エネルギーのほとんどは海外からの輸入で、しかも海路を通ってくる。それだけに諸外国との協調と友好をね、国是というか国の基本にすべきです。海の平和は日本国民にとっても絶対的な生存条件なんですよ。
聞き手 「海の平和」は日本の安全に不可欠なんですね。ところで、有事法制問題を扱うマスコミに不足する視点は?
平山 政府がなぜ必要なのかを主張する理由の解明ですね。朝日新聞の田岡俊次記者は、「軍事的能力の点では脅威はアメリカだけ。しかし、対米戦に備えて整備するわけではあるまい」といっていました。
1981年に有事研究の中間報告が出たときには、読売の社説も「こんな研究は危険だ」といった。あれから21年で何が変わったのか。むしろ冷戦構造が崩壊して、意図はともかくとして唯一侵攻する能力を持っていた旧ソ連体制が崩壊し、日本が軍事的侵攻を受ける可能性はほとんどなくなった。
だから推進側は、今、一生懸命にテロやゲリラ攻撃の危険を言う。たとえば日本海側の都市にゲリラ部隊が奇襲侵入して火の海にするとか。
では「ゲリラ」の目的は何だといいたい。やがて日本全土を軍事占領し政治経済の支配を目的に火付けしようというのか。こんなの荒唐無稽な話だ。江戸時代の火付け強盗の類いでも、金を強奪する目的があってやるわけで、テロだってちゃんと目的がある。クラウゼヴィッツは『戦争論』で「戦争は政治の手段」といった。「備えあれば憂い無し」論者は、こうした視点を意図的に隠蔽しているとしか思えない。極めて低い可能性しかない「危機」や「脅威」をあおり、マスコミがそれを垂れ流す。これだけはやめてもらいたい。かつての戦争で大本営情報を垂れ流し、戦意高揚記事を書きまくったマスコミの責任は重いと思っていますが、今こそ、言論の自由とは何なのか。自ら真摯に問い掛けてほしい。
聞き手 たしかに、そうした報道に携わる者の自己点検は、市民と手を携えていくために不可欠だと思います。最後に一言。
平山 有事法制問題は、つまるところ、わが国安全保障政策の問題だと思う。この間一貫して「継子扱い」されてきた平和憲法ですが、戦後日本の安全保障を現実に担保してきたのは、この憲法じゃないですか。この点をもっと掘り下げてほしいですね。
(聞き手:保坂義久、北健一 写真:難波竹一郎)
1950年12月、九州各地で働く日赤看護婦に「赤紙」が届けられた。同年6月に勃発した朝鮮戦争が激化し日本が後方基地になるなか、米軍病院の要員として召集されたのだ。突然動員された若い看護婦たちは何を経験し、今という時代に何を感じているのだろうか。日赤佐賀支部から赤紙召集された牧子智恵子さんに聞いた。
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聞き手 戦後、それも平和憲法下で、「赤紙」で召集された方がいるとは驚きました。
牧子 昭和25年(1950年)12月8日の夜半のことです。私たちが勤務していた国立筑紫病院の宿舎で、非常ベルが鳴りました。
飛び起きると私をふくめ数名が山田さんという事務長に呼ばれ、「赤紙召集令状が来た」と告げられました。全員、日赤出身者でした。
聞き手 赤紙はそのとき渡されたんですか。
牧子 山田さんに渡されたのか、日赤佐賀支部に行って受け取ったのか。
記憶は定かでないんですが、黒ずんだ赤で、厚くはないけどきちっとした和紙でした。枠の中に黒い字で私の名前が書いてあったと思うんですよ。赤紙を破らないで持ってれば、今ごろ高い値段がついたでしょうけど(笑い)。それで翌日、日赤佐賀支部に行きました。
聞き手 日赤佐賀支部が出した『百年のあゆみ』に引用されている毎日新聞佐賀県版の記事によれば、占領軍の命令が日赤本社から届いたので、日赤佐賀支部では「書だなに残っていた戦争中の赤紙をだれかが引っ張り出してきた」ということです。朝鮮戦争への動員の強引さを象徴する話ですね。ところで仕事内容の説明は。
牧子 いっさいありませんよ。「(福岡市)西戸崎のアメリカ軍のキャンプに今から行く」ということだけは教えてくれたんです。「内地だなあ」と、ホッとしました。
日赤佐賀支部には20人ほど看護婦が来ていたんですが、太平洋戦争で従軍した先輩たちが「帰ってきたばかりなのに、戦争なんか行かれますか」って泣きながら赤紙をびりびり破いていました。「あんたたちも破りなさい」って言われて。たしかガダルカナルから生還した方だったと思います。
私もいったんは断ったら、日赤の参事と書記官に「喜んでお国のために働いてくれると思ったのに、日赤への恩をあだで返すのか」と叱られて。
聞き手 『百年のあゆみ』によると、市役所で壮行会があったと。
牧子 市長の激励に対して、従軍看護婦の経験をもつ婦長が「日本人の真価を発揮して頑張ってきます」と言ったことが耳に残っています。
出発のとき、婦人従軍歌を歌うように言われました。「火筒(ほづつ)の響き遠ざかる/あとには虫も声たてず……」というんですが、私たちは歌いませんでした。
結局、召集された21人のうち16人が米軍のホロをかけたジープに乗り込み、西戸崎の「第141国連軍病院」に向かいました。
聞き手 病院での仕事は。
牧子 私たちは、「日本人看護婦のなかで正規の看護婦として扱うのは日赤の者だけだ」と言われてたんですが、実際にはアメリカ人看護婦の下働きで、注射器などを消毒するシュンネルブッシュ磨きやリネン整理などの雑用に明け暮れました。
あるとき、私が勤務していた手術室に若い米兵が運ばれてきました。ケガが痛かったためか、ストレッチヤーの上から「ママー、ママー」と泣いていたのを今も思い出します。朝鮮半島からくる傷病兵には、骨折や凍傷、それとなぜか性病が多かったですね。
聞き手 看護婦以外にも日本人が働いていましたか。
牧子 マイクさんと呼んでいた通訳や警備係など、大勢いました。ゲート(門番)も日本人でしたが、感じの悪い男性で、私たちが出入りするたびに必ずボディチェック。通いの日本人従業員は弁当箱まで開けられていました。
召集された翌月のある日のことです。私がゲートに入ろうとパスを突き出したら、「(見せ方が)生意気だ」と言われ、キャンプの外に立たされました。そこは玄界灘の波打ち際で、吹雪にさらされ全身が凍えるようでした。悔しくて涙も出なかったですね。
2時間して戻された警備室には、火がガンガン燃えていました。そこで私は「これはリンチだ。司令官を呼べ」と頑張った。若いから、無鉄砲だったんですね(笑い)。それから3日して、私を立たせたガードはいなくなりました。
聞き手 食事など生活はどうでしたか。
牧子 お米のご飯は出なくて、3食パンでした。食堂の大きなテーブルには、牛乳やバター、砂糖にソルト(塩)と、それはもう、いっぱい置いてありました。私たち飢えてるものだから、バターは持ってきちゃうし、砂糖は持ってきちゃうし。しばらくしたら、少ししか出なくなって(笑い)。
トイレに仕切りがまったくなくて、抗議して付けさせたこともありました。敗戦国ということで、低く見られていたんでしょうか。
聞き手 米軍病院からはどうやって抜けられたんですか。
牧子 召集解除後の身分保障が心配だったので、佐賀日赤に「召集令状はいつ解けるか。日赤佐賀支部の支部長の県知事に交渉してくれ」と頼みましたが、らちがあかなかったので、キャプテン・スチューウェイという直属の上司に「私たちはいつ帰れるんだ」と迫ったんです。すると、「特に期限はない。辞めたら帰れる」。
どうもアメリカは、私たちを“個人契約で雇っていただけ”という形になっていたようです。
それで日赤佐賀支部から「元のとおりの身分で国立病院で働ける」という約束をもらい、一緒に米軍病院を辞めました。
家族や親戚は「ああ、帰ってきんさったってよ」というぐらいで深い話はなかったんですが、元の筑紫病院に戻れたときには、やっぱりほっとしましたねえ。
聞き手 国会で審議されている有事法案では、日赤が「指定公共機関」とされています。
牧子 再度の召集令状ですね。
「日赤というのは敵味方の区別なく救護しなければいけない。それがナイチンゲールの精神だ」と、私たちは学びました。
戦時に傷ついた人を救護すること自体は、日赤の大切な仕事だと思います。けれども、それと有事法制は違うんじゃないですか。一方の戦争当事者の側に日赤看護婦が組み込まれてはいけないと思うんです。
戦時中の日赤は、軍隊と同じシステムで看護婦も動かされていました。私が敗戦の前年に入った山口日赤の看護婦養成所でも、上級生には口もきけない。言えるのは「恐れ入りました。以後気をつけます」だけで。
新入生は掃除でも洗髪でも湯は使えず、いじめもありました。精神に変調をきたして、父親が連れて帰った同級生もいます。軍隊の新兵いじめと一緒ですね。
その頃は戦局が悪化し、卒業して南方に送られたら、2度と生きて祖国の土は踏めない。上級生もつらかったのだと思います。
看護や医療の精神とは正反対のそんな荒廃した世界を、絶対に繰り返して欲しくはありません。
(インタビュー:北 健一、写真:難波竹一郎)
各地で上映され、深い感動を呼んでいる映画「折り梅」。これは、単なる痴呆老人の「介護映画」ではない。介護保険制度導入から2年、きれいごとでは済まされない老いをテーマに、ごく一般的なサラリーマン家庭の日常を通して、「人間らしく生きる」ということを見つめた人間ドラマだ。「折り梅」を製作・脚本・監督した松井久子さんに聞いた。
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聞き手 「折り梅」は、東京・銀座で11週のロングランを記録した後、全国各地で上映中です。松井監督自身、映画作りの体験を語る講演活動に奔走していますね。
松井 おかげさまで、年齢を問わず、幅広い層が上映館に足を運んでくださって、「若い人こそが観るべき映画」と言ってくださる方も多いですね。
聞き手 私は、「折り梅」の原作となった実話『忘れても、しあわせ』(小菅とも子・日本評論社)の担当編集者に勧められて、公開前の昨秋、東京国際女性映画祭で初めて「折り梅」を観ましたが、上映終了後、自然と拍手が起こったことが印象的でした。
松井 ああ、そうでしたか。
聞き手 その時、この映画は、人間の尊厳とは何かということを見つめる人間ドラマだと思いました。今、私たち一人ひとりが向き合わなくてはならない介護という、最も身近な社会的テーマに託して問いかけているのだと。
松井 そのように受け取ってくださるとうれしいですね。
高齢化問題や介護問題は、誰もが正面から向き合わなければならないことですが、現実にはまだ考えたくないと避けていることが多い気がします。「折り梅」は、痴呆症の介護映画という高齢者に特定した映画ではなくて、老いた人にも若者にも通じる、普遍的な人間愛を描きたいと思って作りました。
聞き手 映画では、痴呆症状を見せる母に家族が振り回されますが、ある時、苦労続きだった義母の人生を知った嫁が、義母に寄り添い、義母を尊重することにより、義母の潜在能力や可能性が導き出されます。生きる意欲と希望を見出した母とその家族の姿に励まされます。
松井 高齢者に限らず、痴呆の方も男も女も子供もそれぞれ、「私」という人間を認められたいと思っています。けれど、社会が複雑化するにつれ、個々の思いも人間関係も希薄になってきている。ところが痴呆症は、そうした人間関係を突き破って、人間の本質そのものがむき出しになるのではないか、という気がします。
たまたま痴呆症になった一人の女性の姿を通して、介護という問題から目をそらさず、人間って、生きるって、人と人とのふれあいってなんだろうということを見つめる映画にしたいと思いました。
今の時代は、たくさんの情報が氾濫して、生きる実感がなくても生きている気にさせられているというか、「人はなぜ生きているのか?」という究極の命題に真正面から向き合うエネルギーが摩滅しているような気がします。ふだんの生活で、しんどいことに向き合うのは辛いけれど、それを乗り越えた先にしか真の喜びはないのではないかと思います。
聞き手 「折り梅」の前作「ユキエ」の主人公も、アルツハイマーになった女性でした。
松井 「ユキエ」は、戦争花嫁として米国に渡った日本人妻と妻を献身的に介護する米国人の夫との夫婦愛の物語です。原作に出会った時、これこそが今の社会に求められているテーマだと思いました。でも、視聴率を第一に考えるテレビ関係者は、今は若い人向けのものじゃないと採算が取れないと。それなら自分で作るしかないと、製作費を集めて、単身米国に渡りました。
聞き手 海外で初めての映画作りに臨んだのは……?
松井 映画の現場は、個性の強い職人の世界ですが、そうした方たちを束ねること、やはり、日本のスタッフと作ることが怖かったんだと思います。米国のスタッフで作ったから第1作はうまくいったと思っていましたが、今回「折り梅」を作って、すべては自分の問題だったのだと思いました。
私が、監督として明確なビジョンを持っていれば、「女性だから、新人監督だから」といったことはありません。映画を観てもらえば分かるように、のびのびとした現場の雰囲気が画面にも反映されています。それは、私の思いを形にするため、みなさんが優れた技術を発揮してくださったおかげであると、感謝しています。
聞き手 「ユキエ」は、1998年の公開以来、4年間に全国各地で650回もの自主上映会が開かれました。
松井 そのとき分かったのは、地方の町では、観たい映画があっても映画館が少ないため、なかなか観られないという実態でした。新聞の小さな記事で知った「ユキエ」という映画を観たいと思ったら、自分たちで自主上映会を開催するしかないということで、地元の女性たちが立ち上がり、主催者となって、会場を押さえ、行政に働きかけ、足を棒にしてチケットを売り歩く。地道な活動を重ねる女性たちのエネルギーに、私は驚きました。
全国各地の「ユキエ」の自主上映会で、地域に根ざした女性たちとの出会いを重ねて語り合う中で、彼女たちは、たんに良い映画が観たいというだけではなく、同じ映画を観ることで「共感」を求めているということを知りました。
上映会をきっかけに、地域の人たちと新しい関係を築いて、穏やかに暮らせるあたたかい社会を作りたいという純粋な思いに突き動かされて上映会を開いていたのです。
それまでの私は、東京で、マスコミ芸能の第一線に生きている気がしていましたが、それはなんて特殊で狭い世界だったのだろうと目を開かされ、世界が広がった気がしました。
彼女たちが、一つの上映会を開くまでには何度も挫折しそうになりますが、成功させた時の喜びと達成感は、私自身の映画作りの体験にぴったり重なるのです。上映会場で、「さらに痴呆症を掘り下げて。あなたが作る映画ならまた応援するから、絶対作りなさいよ!」と励まされるうちに、「ユキエ」を完成させるまでの孤独で苛酷な道のりを少しずつ忘れてしまって、またこの方たちに会うために新しい映画を作らなければと、いつの間にか前向きになっている自分に気付きました。
「折り梅」という映画を多くのみなさんが待ち望んでくださっていると信じて、思いを語り続け、1億5000万円の資金を集め、シナリオを書き上げました。
聞き手 映画制作実行委員会や「折り梅」応援団など、監督を支援する市民ネットワークが各地で盛り上がり、一つの映画が完成した。「折り梅」は、作り手と受け手が一体となって生まれたのですね。
松井 そうですね。映画を世に送り出したら、どれだけたくさんのお客さまが観てくださるかという現実の問題がありますから、1人でも多くの方に観ていただきたい。今は、次回作なんてとても考えられません。
(インタビュー:吉田悦子、写真:難波竹一郎)
5月7日、日本にどこかの国が攻めてきた時に備えるという触れ込みで、有事3法案の審議が始まった。審議入りを前に、小泉首相はA級戦犯を神としてまつる靖国神社に参拝し、改憲の動きも強まっている。こんな日本は、アジアの隣人たちにどう映っているのだろうか。戦後補償裁判原告・劉煥新(りう ほあんしん)さんの訴えは。5月28日の控訴審開始を前に聞いた。
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「戦時中日本に強制連行され、炭鉱で働かされていた父は、『このままでは殺される』と思い、逃げ出しました。人里離れた北海道の山に潜んで昆布や雑草を食べて命をつないでいたある日、熊に遭いました。熊は、驚いて逃げて行きました。父の姿がとても人間とは思われなかったからでしょう。父の方も驚き、呆然と立ち尽くすばかりでした」
有事法制の国会審議入りから4日後の5月11日、さいたま市で「2002平和のための埼玉の戦争展」実行委員会結成のつどいが開かれた。
憲法改悪や有事法制制定の動きの渦中に準備する戦争展とあって、活発な討論が交わされた。つどいには、中国人強制連行の責任を問う裁判の原告・劉煥新さん(57歳)が、高橋融弁護団長とともに駆けつけた。
かつての「有事」に、そして「有事の後」に、日本国家は“隣人”に何をしたのか。劉さんの生々しい話に、参加者は固唾をのんだ。
劉さんの父・劉連仁(りうりえんれん)さんは、1944年9月、生まれ育った中国・山東省から強制連行され、北海道の昭和炭鉱で働かされた。食事は1日“蒸しパン”状のもの3個だけ。仕事が遅れると監督官が暴行し、落盤で次々に死者が出た。
命の危険を感じた劉さんは仲間4人と逃亡。仲間はほどなく捕まったが劉さんは逃げ延びた。日本の敗戦を知らずに山中に穴を掘って潜み、移動しながら逃亡生活を続けた。
1958年、劉さんはついに地元の猟師に発見される。償いを求めたが、日本政府は国会で「契約にもとづいて来日し、就労中に勝手に逃亡した」と答弁した。劉さんは憤り、官房長官が渡そうとした「餞別」の10万円を拒否して日本を後にする(その経緯は早乙女勝元さんの著書『穴から穴へ13年』=草の根出版会=に詳しい)。
「事実を認め、真の謝罪を」。劉さんは98年、国を相手に東京地裁に提訴。2年後、判決を聞くことなく87歳で亡くなったが、煥新さんら遺族が訴訟をひきついだ。
01年7月12日、東京地裁は、劉さんが山に逃げていることを知りながら保護の努力を怠った責任を認め、2000万円の賠償を命じる画期的な判決を出す。
「除斥期間(いわば民法上の時効)の20年を過ぎているから門前払いすべきだ」とする政府の控訴で、闘いの舞台は東京高裁に移った。劉さんら原告と弁護団は、控訴審でも勝利するため、国際署名運動を呼びかけている。劉さんはアピールの最後に「みなさんの戦争反対と、私たちの裁判は同じものです」と語った。
つどいの後、控え室で劉さんに聞いた(通訳は同行している黄英蓮さん)。
聞き手 お父さんは帰国した後、どんな様子でしたか。
劉 13年間の山の中の生活で父は心に傷を負いました。小さな穴に住んでいたので、帰国後も身を縮めて寝ていました。夜中に突然飛び上がって、「日本人に捕まる夢を見た」と話すこともありました。父は死ぬまで、4時間以上続けて眠れたことはありませんでした。
聞き手 お父さんの遺言は。
劉 「日本の支援者や弁護士に感謝する」。また「公正な判決を求めたい。生きているうちに無理なら息子たちの世代で、それも無理なら孫たちの世代で、努力して欲しい」と。
聞き手 裁判のことは中国ではどう報じられていますか。
劉 東京地裁判決は、28のテレビと67の新聞で大きく報じられました。控訴には怒りが強く、支援署名が60万も集まりました。
聞き手 最近、靖国や有事といった、日中友好に逆行する動きが目立ちます。
劉 靖国に参拝する小泉首相は、一握りの右派勢力を代表しています。けれども、きょうのような市民の会に出ると、みんな友だちのように感じます。国民同士の理解から、リーダーの認識を変え、真の友好を築いていきたいと思います。
同席してくれた高橋弁護士は、「細かい法律論よりも、戦争と連行で中国人を苦しめたという事実を見て、国の責任について考えて欲しい」と報道に注文し、「有事立法だとか改憲だとか言う前に、なすべきことがあるはずです。道理がなければ国は立たないでしょう」と力を込めた。
別れ際、劉さんと握手をした。大きくて温かい手。長い冬の間すべてが凍りつく北海道の山中で、たった一人で生きぬいた劉連仁さんの強さが、受け継がれているような気がした。この人たちと、ずっと友人でいたい。
(聞き手、文:北 健一、写真:難波竹一郎)
夫を過労自殺で亡くした女性が主人公の一人芝居『星逢ひ』。山男で天文ファンの夫を想い、七夕の夕べに小学生の息子の帰りを待っている。短冊に彼女が書く願いは「労災が認定されますように」……。おりからの停電。流れ星にたくす、様々な思い。社会問題を題材とした演劇で、人間ドラマはいかに描かれるのか……。自ら脚本を書き、一人芝居を上演している劇団民藝の女優荒牧瑞枝さんに聞く。
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聞き手 過労死問題を劇にしたきっかけは?
荒牧 身近な人が、くも膜下出血で亡くなりました。ショックでした。身の回りでも過労死一歩手前という話はよく聞きますよね。自分でも仕事が詰まっている時など、こういう心理状態になるのかと思いあたります。
聞き手 取材はどのように?
荒牧 裁判闘争などになると組合から聞き書きなどの資料が出されます。そうした資料を読んで脚本を作っていきます。
聞き手 清瀬の公演で客席から身につまされたようなすすり泣きの声があがっていました。
荒牧 公演後に楽屋に来てくださった方が「自分の夫も東京オリンピックの頃、出版の翻訳の仕事が忙しくて過労で亡くなった。その頃は過労死という言葉もなく、労災など思いもかけなかった」とおっしゃっていました。多分そういう経験をしている人も多いはずです。
いただいた感想で一番嬉しかったのは、子供づれで来たお母さんの「ぜひ夫に見せたい」というものです。
今、働き盛りの男の人は、生活そのものを組み替えなければならない時だと思います。子供と遊んだり劇場に足を運んだりして欲しい。
聞き手 七夕という設定はロマンティックですね。
荒牧 子供が七夕のお願いに「お父さんの残業が少なくなりますように」と書いたエピソードがヒントです。
恋愛物というか、逢いたい人に逢えない話でもありますね。こうした芝居は四十代、五十代の働き盛りの人に一番見て欲しいですよね。では、そういう人に「過労死の芝居、見て」と言ったら、「やだよ」で終りそう。
多くの人に見てもらえる形をとりたいと思うようになりました。
聞き手 中で「パートしか仕事はないし」といった台詞もあって、過労死遺族の問題は女性の問題でもある…。
荒牧 あれはほとんど自分の不安をそのまま書いたようなもので、自分に取材したようなところもありますね。
聞き手 「何であの時、夫の出勤を止めなかったのだろう」と妻が後悔するところがあります。そういう個人の思いを描きこむことで社会問題も浮き立ちますね。
荒牧 プロパガンダなら構造が単純で、ここに悪い人がいて、ここに可哀想な人がいて、悪い人が心を改めればすべてうまくいっちゃうようなことですね。でも、彼女は会社は悪いけど自分も悪いと思う。誰がこうと単純に言えないように作りました。
そういうことを考えたのは、戦争の問題を取材して沖縄の全滅したガマの村へ行ったからです。自決を指導した人の遺族とそれについていった人の遺族と、村が真二つに分かれて深い亀裂があるという話を聞きました。誰が悪いといちがいに言えない。
物事は教科書的な対立構造ではとらえられないことを取材の過程で感じましたので、自分がお芝居を作るときでも、わかりやすくしたくないのですね。
あの『星逢ひ』でも、問題は全然解決していない。解決はどこにあるのか。裁判に勝ったらいいのか。それだけじゃすまないこともたくさんある。たくさんあることを丸ごと投げだしたいみたいな気持ちがあるので…。
聞き手 ジャーナリズムも図式的な視点では世界を捉え切れないと思います。演劇でこれからも社会問題を扱っていこうと?
荒牧 お芝居の場合は見る人が主人公に感情移入して、事件を追体験できる。感覚から社会問題を考えるきっかけになりうることと、自分で取材して自分で書いた台詞なんだけれども、稽古を重ね本番をやっていくうちに「あの台詞ってこういう意味だったのか」とか、「絶望するとこんなになるんだ」とか「こういう状況ってこんなに怖いんだ」とか、いろんなことをもう一遍体験しなおす、新たに発見するような気持ちになることがよくあるのですね。それが自分にとっても刺激になって、こういう仕事を自分はやっていこうという原動力になっています。
聞き手 一人芝居を始めたのはどういう思いから?
荒牧 劇団で『アンネの日記』に出ていたのですが、「日本人なのに、なんで同盟国ドイツがユダヤ人をいじめたという話をやるのだろう。自分の国の話を取り上げればいいのに」ともやもやしたものがありました。そこへ「JCJで司会しているのを見ました」という、静岡で憲法劇などをやっている方から「30分、何かやって欲しい」という依頼があって、茨城のり子さんの『りゅうりぇんれんの物語』を芝居仕立てで朗読したのがきっかけです。その後、富山妙子さんのものをやりました。30分程度の一人芝居の脚本はあまりないので、では自分で書こうかと始めました。
『アンネの日記』もユダヤ人差別のことだから、最初から差別の問題を考えたいというのがありましたね。
聞き手 一人芝居はモノローグだけだから、電話で話すところなどはいいけれど、お芝居としては難しそうですね。
荒牧 どんな芝居でも最初の5分が大切だと思うのですけれど、一人芝居は特に観客が引いたら難しいですから…。一人でぶつぶつ喋っている不思議さを納得してもらわなければなりません。『星逢ひ』でも停電のシーンにたどり着くまでは大変です。
聞き手 会場はそのつど違う?
荒牧 すごく横に長かったり、縦が深かったり、舞台の広さが毎回違うから、ものの距離や角度が変わり、動きが違ってきます。
普通、本番の舞台を採寸して、ここに何を置いてといって、そこで稽古します。それをそのまんま、どこでやる時にも持っていきます。
私の場合はとても狭いところで稽古していますから、小屋が小さくても、少ない予算でも、会議室のような所でも成り立ちます。病院の研修に呼ばれて、経営者と働いている人で観客が8人ということもありましたが、充実した時間を過ごすことができました。
予算はいかようにもなりますから、どうぞ呼んでください。
(聞き手:保坂義久、写真:難波竹一郎)
11月16日、政府は閣議で、米軍支援のための自衛隊派遣の大枠を定めた基本計画を決めた。小泉首相は「テロとの戦いに態勢ができた」と胸をはった。だが、最も重要なテロ対策であるはずの「日本の空の安全」は瀬戸際に立たされ、国の対応も鈍いという。乗客の命と安全を預かる航空労働者の訴えを、東京・羽田で聞いた。
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聞き手 アメリカでのテロ事件の後、航空業界は激変したそうですね。
村中 国際線の乗客は30%以上減りました。米国線にいたっては55〜60%減という惨状です。
収入が激減したうえ、セキュリティのコストと保険料がはねあがって、トリプルパンチなんですよ。
このままでは日本全体が航空不況に入る。外国の航空会社ではすでに解雇問題が起こっていますし、日本航空でも、人件費削減の方向が打ち出されています。
聞き手 一方で保安強化、他方で人員削減では……。
村中 現場は限界に近づいています。私たち航空労働者はテロ事件以降、「フェーズE」と呼ばれる最高レベルの保安体制を必死で支えています。
乗客の命に関わることなので事細かにはお話しできませんが、通常は行わない保守・監視業務が膨大になった。もちろん航空機は時刻表通りに発着させなければならないから、デスクワークの人も含め、飛行場内を、日夜駆けずり回っている状況です。
保安の仕事は安易に外の業者には任せられませんし、経験を積む中でだんだんわかってくる領域が多い。
ところがテロ事件以前に、リストラで極限まで人が減らされていた。空の安全を支えてきたベテランの従業員が肩叩きにあい、有期雇用化(パート化)や外注化が進められたんです。無理なリストラにテロ事件の直撃で、空の安全は瀬戸際にきています。
日本政府が真っ先に取り組むべきテロ対策は、国費を投入し国の責任で空の安全に万全を期することだと思います。
聞き手 ところが政府は、米軍支援に自衛隊を送り「旗を立てる」ことに躍起ですね。
村中 9月11日の民間航空機を使ったテロには、仲間の誰もが言葉にできないような衝撃を受けました。私たちはもちろん、動機や原因が何であれ絶対にテロを認めません。
けれども、報復戦争は新たなテロの引き金になりかねない。そもそも今回のテロ自体が、アメリカの中東外交に対する報復だったと言われています。
決して他人事ではない。アメリカによる報復戦争に協力すれば、日本の民間航空機が標的にされる可能性は確実に高まるでしょう。
聞き手 民間航空は有事の際の邦人救出や難民支援に協力しないから自衛隊を出さなければ、という議論もあります。
村中 「組合が反対するから」とも言われますが、私たちは人道輸送に反対したことはありませんし、実際に何度も飛んでいます。
けれども、運航の安全確保が大前提となります。
たとえばイラクのクウェート侵攻後の1994年、国際移住機構から、「被災民をカイロからベトナムまで運んで欲しい」という要請がありました。
ところが日航機はカイロ―ベトナム間の運航を予定。私たちは、十分な安全策が講じられていないことから、計画の見直しを求めましたが、運航自体には反対しませんでした。
民間航空機は法律に従って飛ぶものです。「難民をC130大型輸送機に乗せて運べ」などと主張する人がいますが、難民は貨物ではありません。乗客の安全が守れないようなフライトは問題があります。
聞き手 民間航空機に武器・弾薬や兵員を運ばせようという動きも強まっています。
村中 有事立法などの動きは、空の安全を損なうので絶対反対です。「補給だから安全だ」とか、「後方支援だから心配ない」と言いますが、それらは前線での戦闘を支える生命線ですよ。戦争になれば、必ず相手国から叩かれる。
誤爆も心配です。1987年には、イランの民間航空機が米軍のイージス艦が発射したミサイルで撃墜されました。米軍側の明らかな判断の誤りでしたが、極度に緊張した戦闘地域周辺では、そうした危険も避けられません。
民間航空の軍事利用に私たちが反対するもう一つの理由は、それが明らかに違法だからです。国際民間航空条約は民間航空の軍事利用を明確に禁じています。そして日本の航空法は、第1条で同条約に準拠すると定めている。武器や兵員を運べば、国際条約上は民間航空機とはみなされなくなり、それに伴う保護も失ってしまう。
聞き手 民間の有事動員は「協力」であって「強制」ではないという説明もありますが。
村中 日本航空のパイロットたちが「軍事協力はするな」と会社に申し入れたことがある。会社が「政府から要請があれば応じる」というので、「違法な行為を強いるならストライキを講じざるを得ない」と応じると「それなら厳しく処分する」と返されました。
仮に政府が強制でないと言っても、労使間では業務命令等によって服従が強いられる。しかも何がどうなっているかはすべて「防衛秘密」とされ、自主的な検討もままならない。労働者としての経験的実感からいって、協力要請が強制になるのは間違いありません。
聞き手 テロ対策法制定反対の取り組みについては。
村中 私たちは9月17日付で、テロにも報復戦争にも反対する声明を出しました。以降、ブッシュ大統領と小泉首相あての書簡を出す、各政党と内閣官房に要請と説明をする、扇国土交通相に保安強化問題で要請するなどの取り組みをしてきました。
10月15日からは、連日のように国会前などでの集会や行動に参加し、労組や市民、宗教者の方々と一緒にテロ特措法反対の声をあげてきました。もうすぐ年末一時金闘争ですが、報復戦争の中止と保安の抜本的強化、生活防衛を一体の課題として求めます。
労組、市民団体や宗教者の方々からは、私たちにいろんな団体の接着剤になって欲しいという期待が寄せられ、頑張らにゃいかんなあと奪い立ちました。しかし労働組合の運動の立ち遅れが悔しい。
同時に、これだけの反対運動が連日展開されたのに、ほとんど報道されません。私たちも10月10日に記者会見したんですが、一般紙にまったく載らなかった。
「あなた方は何をするんだ」。ジャーナリストのみなさんに、そう問いかけたい。マスコミが戦争反対の声や動きを伝えてくれれば、世の中の見方はきっと変わると思うんですよ。
(インタビュー:北健一・保坂義久、写真:難波竹一郎)
アフガニスタンへの「報復攻撃」は、ふだん私たちが見過ごしている途上国に対するさまざまなNGOの援助に目を向けさせることになった。アフガニスタンやパキスタンで18年間医療活動を行っている「ペシャワール会」もその一つ。会の現地代表の中村哲医師は、今も現地と日本を往復し、アフガニスタンの実状を訴え続けている。
今、戦火にさらされている人々の心を最も知る中村医師に、日本の報道への批判も含め、話を聞いた。 |
聞き手 タリバンは「悪い面」ばかりが報じられていますが。
中村 タリバン政権の軍隊はわずか2万から3万。それが全土の9割を支配できるはずがない。アフガニスタンはジルガと呼ばれる地域の長老会議がものごとを決めている。旧ソ連が侵攻して以来、20年以上も内戦が続き、犯罪も絶えなかった。それを元に戻して犯罪をなくしてくれたのがタリバンなので、長老会議はタリバンを支持しているのが実情。タリバンでなくても平和な生活を保証してくれる政権なら思想や政策は問わなかった。
ソ連侵攻までは、世界で一番治安のいい国だった。国民は「復讐法」と「客人歓待」を規範に生活している。「復讐法」は「目には目を、歯には歯を」の文句で知られる。イスラム教の奥義で、これは相手から受けた被害以上の攻撃はしないという趣旨だ。
「客人歓待」は、例え敵といえども、保護を求めて来たら守るというものだ。
聞き手 日本にはどういう感情をもっていますか。
中村 きわめて平和な国民だし、世界で一番親日的だ。なぜなら国民は日本人を知らなくても「日本」をよく知っている。アフガニスタンを侵攻して被害を与えた旧ソ連(元ロシア)に日露戦争で勝った国だし、広島、長崎もよく知っているからだ。もっとも「日本はオランダの隣か」とか「歩いて行くと、どのくらいかかるか」といった認識の国民が大多数だが(笑い)。
だから日本が後方支援してアフガニスタン攻撃に加担するとなると対日感情に変化が起きるだろう。これまでの日本の「掟」は平和だった。これが崩れてくるし、私たちの仕事もやりにくくなることが懸念される。
聞き手 日本の「テロ報道」についてはどのように?
中村 欧米側のニュースソースが多く、アフガニスタン側からのニュースが少ない。アフガニスタン側が報道管制を敷いているのではとの指摘があったが、タリバン政権に報道管制をする力はない。実質的に報道管制を敷いているのは日本ではないか。
日本を含め西側のジャーナリストは国連機で首都カブールに行って取材して、その周辺だけの状況を報道している。これでは本当のアフガニスタンは分らない。
また「米国が正義でタリバン政権は悪の塊」といった論調が多い。タリバン政権は、平和なイスラム教信者がつくる政権だし、アフガニスタンから犯罪をなくしたので国民に支持されているだけだ。安全と食糧、水を保証できなくなれば、国民は離反するだろう。
聞き手 アフガニスタン国民は、同時多発テロや米国の「報復攻撃」などの海外情報をどうやって得ている?
中村 国民は英BBCの現地語放送を一番信頼している。そこからニュースを得ているが、今回のことで、米国が「報復戦争」に出ると知って国民一人一人が自らを守るために抗戦意欲は高まっている。
反米的な動きはテロ事件直後はなかった。しかし、ビンラディン氏の容疑も示さないで米国が「テロの報復」をすると知って、国民の米国に対する「けたはずれの敵意」が盛り上がった。20年以上も内乱が続いているので、国民の大多数は、これ以上の血なまぐさいことは「ごめん」と思っていたところに、米国が容疑理由も明確にしないで攻撃するといえば、これは当然だ。しかし現地はそれほど騒いでいない。内戦が長かったので、戦争で騒ぐ国ではない。
だから帰国して日本や米国が大騒ぎになっていて驚いた。アフガニスタンやパキスタン北部は、私たちの活動地域を中心に昨年から何世紀に1、2度という大干ばつに見舞われ、400万人が飢餓線上にいて、100万人以上の餓死者が出ている。そこに米国が報復しようというのだから、とんでもないことだ。
アフガニスタン国民は米国の「テロ報復」を知って「どこに行っても食べるものがなくて死ぬんだったら、家族と住み慣れた場所で死んだほうがいい」と考える人がほとんどだ。日本人は報道に惑わされないで「日本の掟は平和」を世界に宣伝していくほうがいい。
聞き手 今回「日米同盟」にのっとって日本がアフガニスタン攻撃への支援に回れば長年活動してきた「ペシャワール会」の活動はやりにくくなるのでは。
中村 影響は免れないだろう。日本は国連や赤十字が好きだが、国連や赤十字は組織維持(自分たちの人件費など)に寄付金を含めた活動資金の90%が使われている。禁酒国なのに現地に派遣された国連や赤十字の職員はワインパーティまでやっている。建物から外に出ない人が大半で、現地の人や考え方が分らない。アジアの人々に対する人種差別、辺境の地に来て援助活動している優越感も強い。とんでもないことだ。「ペシャワール会」は逆に予算の96%が現地に送られ、医療のために使っている。
「人権を守る」というが、一番大切な権利は「生存権」だ。そのことは私自身、これまでのアフガニスタン、パキスタンでの経験で学び、たいへん感謝している。
聞き手 中村さんは10月に入ってもパキスタンと日本の往復生活を続けているが、アフガニスタン入国は。
中村 パキスタン国境は封鎖されたと報道されたが、国境は約2400キロメートルもあり、しかも5000から7000メートル級の山々が横たわる。そこをタリバン政権が完全封鎖できるはずがない。国境を越えるには車が通らない道なき道も多い。私たちは3000メートル級の場所を行き来している。ロバに乗ったり、歩く他ない所を片道1週間かけて診療に行くこともある。詳しい方法は「企業秘密」でいえないが、安全なルートがあるので出入国は十分できる。
聞き手 日本政府に対して言いたいことは。
中村 日本の「掟」は平和なのだから、米国に呼応して自衛隊を派遣したり、報復支援はしないほうがいい。つまり日本はなにもしないほうがいい。それに日本政府は「安全はほしいが、ある程度の生活は守りたい」という考えから抜け切っていないことが、日本の姿勢を歯切れの悪いものにしているのではないか。
(聞き手、写真:JCJ福岡支部 白垣詔男)
フリーのライターや雑誌編集者などが結成した「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」が世論喚起に果たした役割は大きい。言論規制へのジャーナリストたちの憤りは、深化して日本社会の構造を問うものとなっている。9月2日午後2時から日比谷野外音楽堂で2000人規模の集会が予定されている。この集会を呼びかけている吉岡忍さんに、メディア状況を含めてお話を聞いた。
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聞き手 吉岡さんたちが運動をはじめたきっかけから。
吉岡 4月18日に日本出版クラブで記者会見を開いた。足立倫行さん、岩上安身さん、最相葉月さん、橋本克彦さん、久田恵さん…、いろいろな人が来て、「私を最初に捕まえろ」とか、ラディカルな意見が次々に出てね。(笑)そこに集まった人たちは書くものもセンスもそれぞれ違うのだけど、バブルとその後の失われた10年を含めて、根こそぎ動いている時代状況に対するいやな感じというのかな。それがみんなに共有されているな、とそのとき感じました。
最初のアピールは「言論封殺法」だという観点で出しました。でも、どうもこの法案は、はねたフリーのライターをやっつけようという単純なものではないのではないか。権力、個人、個人の持つ情報、産業、この四つの関係を再構築しようというものだろう…。官僚と激しい議論をしたり、いろいろ答申を読んだり、国家におけるIT戦略は何かと考えたりしていくうちに、共同アピールの会として、この法案のねらいは社会構造の上からの変革ではないかと認識するようになった。その観点で出したのが6月に出した第二次のアピールです。
聞き手 今は市民社会の規制だという点を訴えてます。
吉岡 メールには相手のアドレスが蓄積される。これは個人を特定する情報です。運動をやっている市民ならすぐ「個人情報取り扱い事業者」とみなされる程度の情報はたまる。ネットを介した市民の連帯活動が、環境運動であれ消費者運動であれ規制される危険性がある。
ところが「個人情報保護法」と言う名前だけ聞くといいように思えるでしょ。言葉の上ですでに僕らは負けている。だから「通信傍受法」を「盗聴法」と呼んで本質をはっきりさせたように、言い換えようと試みる人もいる。「情報強奪法」とか言ってみるのだけど、どれもちょっとずれるんだね。
でもそのことは逆にいいことだとも思う。「第二の治安維持法」のように、過去を持ち出して警鐘を鳴らすというのはすでに有効性を失っていると僕は思っているのね。
戦後の半世紀、僕らは過去とのアナロジーでものを考える癖がついている。そうではなくて、権力というのは何なのかをはっきり考えていかなければいけない。権力はその本能として国家統合をしようとするものなのだね。
聞き手 話は個人情報保護法一つだけにとどまりません。
吉岡 3点セットの全体がねらうもの、また他の法律も含めて今の政治権力が何をねらっているかというと、新しい国民づくりだと思う。新しいアイデンティティー、新しい愛国心を持ち、今の時代に合った国家への忠誠心を持ち、服従していく国民。そこにはITや高度な消費状況や快適な生活圏なども含まれます。決してモンペ姿ではない、新しい国民を作り出そうという意思が政治権力の側にある。
これだけグローバル化が言われても、われわれは解散しますという国家はない。EUが経済統合しても、国家が歴史やアイデンティティーを含め、なくなる方向にはいかない。国際化が国粋化と二人三脚でやってくる時代を、われわれは目撃している。
国際化しないとやっていけない市場経済になった。だから一方で国粋化しないと国家統合ができない。そういう危機感を権力は持って、国旗を掲げさせようとしたりする。今の日本で起きている事態は、そういうことです。
聞き手 根源的な言論がメディアには欠けていますね。
吉岡 日本のマスコミが権力という言葉を使わなくなってから久しい。「プーチンの政治権力は」という使い方はします。政治権力を政権というけど、権力だという意識を欠いた略しかただよね。でも、マスコミの誰も小泉首相のことを権力だとは思っていない。
権力という言葉を使えば政治的だと思われる。本来はアカデミズムの用語なのにイデオロギー的な意味合いの言葉のようにとられる。ここのところは重要だから、私たちは個人情報保護法について、権力と個人との関係の再編だという言い方をしている。もとより他の人や団体にに押しつけはしないけどね。
聞き手 メディア状況がこうした法案を惹起した面も。今のメディアをどう変えていくか。
吉岡 テレビもインターネットも情報はただで手に入る。若い人で新聞を読まない子はいっぱいいるでしょ。ここへきて、急速に情報はただなんだという感覚が広がっている。しかも情報はあふれかえっている。
それに対して新聞も雑誌もただで浮遊している情報をまねて、主張する機関ではなくなっている。こうした状況は大きな危機をはらんでいると思うね。
ヨーロッパでは無料新聞が出始めている。費用は広告でまかなって、100万部とか出ている。ニュースも載っているけどあとは広告。そして読者は、新聞はそれで十分だと思い始めている。
テクノロジーが進んだら、持ち運べて折りたたみのできる紙のようなディスプレイが出ますよ。それをただで見る時代になる。ブロードバンドでは映像を快適に見られることだけが強調されるが、新聞や雑誌などの形態が変わるという点のほうが、社会的意味は大きいと思う。
そうなった時、活字メディアにおける商品価値ってなにかというと、深い取材と分析と評論、そこにしかない。
記者クラブで発表される情報を流してもしょうがない。本当に問われるのは世界観であり分析力。それを持った記者をメディア界はどれだけ育てているのだろうか。
そうしたジャーナリストを育てていくシステムがないのが危機なのだと、メディア経営者には感じてほしい。
ブロードバンド時代にはもっと安価に個人の新聞も出せるようになる。3点セットなどもそういう状況にそなえたものだと理解したほうが正確だね。
聞き手 私たちJCJも視野を広く持たなければ…。
吉岡 ジャーナリズム論とかジャーナリズム運動を考えるときに、情報というのがこの社会でどういう役割を果たしているのか、グランドデザインをした上で理論を作っていかないとだめだと思う。最近、気骨のある記者が少なくなったとか、そんな問題ではないね。
共同アピールの会ではいろいろな議論をします。こうした運動は知的刺激にあふれてないといけないと思う。戦略や戦術を議論するばかりでなく、参加する一人ひとりが、世界についてとか、人間のイマジネーションとは何かとか、自由に議論できる雰囲気がなければ。また、そういう議論をすることで、個々の課題への認識も深まると思う。
数年前も、数人のエイズ患者とつきあい、最期を看取ってきましたが、そのときもエイズのことだけ考えるわけじゃない。性と死の問題、結核菌であれHIVであれ、病原菌と都市との関係とか、人間とは何かということを考え、僕自身がいろいろな影響を受けてきたからね。
聞き手 9月2日の集会は、どんな会にしたいですか。
吉岡 今の日本の社会が不思議な混沌の中にいるなと感じている人たちにきてほしい。この法案に賛成か反対か意見を決めた人が参加するだけでなく、今の世の中をおかしいと感じている人にとって、何かのヒントがつかめる場になればいいなと思います。
人と人をつなげるきっかけになるといいね。最近市民運動とか労働運動とかの人が一緒に話す場は少ないから。
今、みんな一人ひとり孤立して生きている。そういう人たちが生きてものを考えていくときのヒントになったり支えになったりできればと思います。それは、市民になっていくということだよね。国民ではなく…。
(聞き手:保坂義久、写真:蔵原輝人)
スクープやキャンペーンで権力を震撼させてきたフリーランスと出版社の運動は、先の国会での個人情報保護法案の制定を阻む大きな力になった。だが、週刊誌への風当たりは強まる一方だ。雑誌出版はいま、どんな問題を抱え、どう向き合っているのか。小学館総務局の責任者で、日本雑誌協会「個人情報保護」プロジェクトチームの一員でもある山さんに、言論の自由への規制と闘う「雑誌報道スピリッツ」を聞いた。
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聞き手 山さんは訴訟対策も担当しているということですが、小学館が名誉毀損などで訴えられているケースはどれぐらいあるんですか。
山 いま約15件です。刑事告訴も含まれます。主要週刊誌を持っている各社だいたい10数件前後といったところでしょうか。
聞き手 最近、雑誌記事に対して高額な賠償を命ずる判決が増えているそうですね。
山 4、5日前、女優の大原麗子さんとご近所との「トラブル」を伝えた光文社の『女性自身』の記事について、東京高裁の裁判長が一審同様500万円の賠償を命ずる判決を出しました。裁判長はその上で、「(慰謝料額は)1000万円を下回るものではない。多少の賠償金では違法行為が自制されない」と述べたんです。
賠償金高額化の狙いが典型的に現れているのが、5月16日の衆議院法務委員会でのやりとりです。公明党の冬柴幹事長が、週刊誌などによる名誉毀損事件での賠償額が低すぎる、アメリカなどでは懲罰的賠償を課しているではないかと質問した。それに対して最高裁事務総局の千葉民事局長や森山法相が、賠償額を高くする方向で検討するという答弁をしているんですね。
さかのぼれば99年8月、自民党の「報道と人権等のあり方に関する検討会」が報告書をまとめ、雑誌に関して「扇情的なタイトル、不確かな憶測記事などで人権を侵害するケースが後を絶たない」と断じ「法的措置の検討」を主張しています。
聞き手 メディア規制の動きの一環として、名誉毀損訴訟での賠償金の高額化もあると。
山 メディアを縛ろうというはっきりした国家的意図があると考えざるを得ません。賠償額が200万円でも弁護士費用などを含めればたいへんな額です。それが500万、1000万になると、雑誌の儲けなんか吹っ飛んでしまいますよ。
新聞のメインは1次情報なんですが、雑誌はそこから先が勝負です。現場に行って関係者から話を聞くと、警察発表と全然違ったというケースが新潟の少女監禁事件でもあったし、桶川のストーカー殺人事件もそうでした。
ただ、新聞より踏み込んだ記事を書くときに、プライバシーにふれる場合がある。法務省の人権救済機関についての最終答申では「行き過ぎた取材」が非難されています。けれども、取材にも行ったことがない人が、どうやって行き過ぎかどうかを判断するんでしょうか。
聞き手 事件・事故の被害者から、取材の殺到に対する批判が強まっていますが。
山 当事者から見たらそういう要素があるかもしれない。だけど社会的関心の高い問題を当事者の判断だけで決めていいのかどうか。もちろん被害者のところに集団で押しかけて踏みにじるような取材は論外です。しかし徹底して取材しないと真実に迫れないこともあるんです。
聞き手 雑誌協会の担当者として個人情報保護法案についての折衝にも行ったそうですね。
山 いや、折衝なんかできません。こちらの主張なんか全然聞かない。質問も受けない。一方的な質問だけされて、あっという間に終わっちゃう(笑い)。まあ、法案をつくるに際して業界の話も聞きました、というまさにヒアリングのみです。
個人情報保護法案を制定する最初の段階で、雑誌協会の事務局が「もう週刊誌や写真誌は、隠し撮りのような勝手なまねはできませんよ」と言われた。言ったのは、法案制定の担当者である内閣官房におかれた個人情報保護担当室の方です。個人情報保護検討会(堀部政男座長)ができる前ですが。
だからぼくはヒアリングで、「初めからメディア規制の意図があったんじゃないですか」と言ったんです。園部さん(個人情報保護法制化専門委員会委員長)は、「私は聞いてない」と憮然としていました。雑誌協会側は一致してメディア規制反対の意思を示したんで、えらく心証を害したようです(笑い)。
ある種の政治的意図があるなあと思ったのは小渕政権ですよね。今までどの内閣もできなかった国民を管理する法案をどんどん通した。
盗聴法、国旗・国歌法、周辺事態法、改正住民基本台帳法……。そうした流れの集大成が、個人情報保護法、青少年社会環境対策基本法、人権救済機関設置法のいわゆる「3点セット」ですよね。
聞き手 では報道によるプライバシーや人権の侵害という訴えに対しては。
山 取材や報道に行き過ぎた面があるなら徹底批判や直談判という手もあります。
これは一例ですけどね。97年3月に東電OLの方が殺され被害者のプライバシーにもふれる大量の報道がなされた後、お母さんから、「これ以上の辱めをしないで下さい」という手紙が報道各社にきました。その文面は、テレビや雑誌の報道を自粛させる効果が大でした。
当事者からの直接の問いかけがあれば、そうそう無視できません。そこから対話が起こって、取材や報道のあり方を問い直すことができます。
報道によって人権侵害された方の意見を、もとの記事と同じくらいのページ数できちんと載せるのも一つの方法です。編集部としても反省点や改善点を示しながら、読者に逆に投げかけていく。報道評議会も考えられますが、コミュニケーションや自己検証をすることが先決です。
聞き手 「外部の目」から検証することが必要な場合もあるんじゃないでしょうか。
山 そのような私人の人権を侵害するケースが雑誌記事で頻発しているとお思いですか。
聞き手 松本サリン事件で、被害者なのに犯人扱いされた河野義行さんのケースとか。 山 それを持ち出されたら何も言えません。メディアの大失態です。ただし間違いの元は警察発表でしょう。
聞き手 そうなんですが、警察が発表したり、リークしたウソを、マスコミが拡声器になって広げてしまった……。
山 逆にいうと、警察発表とは異なる角度から真実を明らかにするのもメディアなんです。いまうちの『週刊ポスト』では、仙台の「北陵クリニック事件」(警察側は筋弛緩剤混入による殺人・殺人未遂と主張。被告側は患者の急変は病気や医療ミスによると反論)について、「被告は冤罪ではないか」という視点から取り上げています。
まったくの私人の人権に触れるケースはそれほど多くはないんですよ。一番多いのは政治家、特に与党の方です。その人たちの抗議が一番多い。野中広務さん(自民党元幹事長)など、主要週刊誌をほとんど訴えています。次に芸能人、それからスポーツ選手です。これで9割以上ではないですか。
聞き手 朝日・毎日・産経に掲載された個人情報保護法案に反対する出版16社の意見広告には「出版社も適用除外に入れてくれ」という趣旨で生ぬるいという批判もありますが。
山 こういう法律をつくっちゃいけないという点で、雑誌のあるなしにかかわらず出版業界は一致しています。まあ業界全体で一致するために、折衷的な文章になっちゃった側面もありますけどね。
個人情報保護法案が通ったら解釈と運用でどんな目に遭うかわからない。雑誌の記事を訴える損害賠償請求訴訟の訴状には「個人情報保護法の定める透明性などを無視した強引な取材は許されない」などと必ず書かれるでしょう。
フリーライターも含め、雑誌はこれまで自由に取材し報道してきた。それが戦後の民主主義を支えてきたんです。取材や報道のあり方を「お上」が管理するような法律は、何としても阻止しなければいけないと思います。
(インタビュー:北 健一、保坂義久 写真:難波竹一郎)
今国会も会期末が迫り、「言論・表現の自由の法規制3点セット」との闘いも大詰めを迎えた。新聞は規制の動きをどう伝え、どう向き合っているのか。規制の動きの口実ともなっている新聞不信、取材・報道による人権侵害、記者クラブの弊害、目線の高さ……といった批判にどう応えようとしているのか。「開かれた新聞委員会」事務局で、読者の苦情を受けとめた取材―報道の自己改革にとりくんでいる毎日新聞編集委員の橋場義之さんに聞いた。
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聞き手 メディア規制の問題点について、新聞は自分たちの問題なのに十分に報道、批判してこなかったという指摘がありますが。
橋場 毎日新聞では、一昨年の秋からメディア面だけで10回扱ってる。きょう(6月12日)の紙面もそうだけど、1回だいたい200行ですから、半ページ使う扱いです。
個人情報保護法案については、法制化の最初の段階から紙面で問題点を指摘し、自分たちの考えも主張してきました。
聞き手 IT化のなかでこれだけ個人情報が電子的に集積されると、漏れたり悪用されることを防ぐルールづくりが必要ではありますね。
橋場 立法趣旨はそうだったと思いますよ。けれども法案が出てくるまでの流れをみると、だんだん質が変わり、メディア規制の色合いが非常に強くなってきた。事務レベルやその後ろにいる自民党の強硬派の意向が強く働いているんですね。
聞き手 個人情報保護法がいまの形で制定されると、取材にはかなり制約が出てくると。
橋場 一番大きな問題は事前の情報開示ですよね。個人情報の開示をもとめることができるという開示権がある。ある政治家の汚職を潜行取材してるのを本人が知ったとする。そうしたら「何の目的でどんな情報をお前は持ってるのか」という開示請求がくるわけですよ。
もう1つは、この法案では内部告発者が全然保護されていないんです。ぼくら取材者の側が適用除外されたとしても、ぼくらに情報をくれる人が「個人情報取扱事業者」となれば適用除外対象じゃない。その人は罪に問われちゃうんですよ。
たとえば政治家の後援企業の人が贈収賄を告発すると、その人は政治家にOKをとらないで政治家に関する情報をぼくらにくれちゃいけない。内部告発にも萎縮効果が強く働くでしょう。
聞き手 メディアによる人権侵害も対象に法務省がつくろうとしている「人権救済機関」についてはどうですか。
橋場 この話が最初新聞協会に来たとき、「お前らは人権を侵害している。加害者としての意見を聞きたい」といってきた。「事前の検閲までふくめて考えてます」と。これでは黙っていられるわけがない。検閲のほうはその後一応撤回したけどね。もうメディア規制が前面に出ている。
聞き手 それに対して、権力による取り締まりではなく、メディア自身が読者と対話しながら自律していこうと、毎日新聞社では「開かれた新聞委員会」をつくった……。
橋場 いや、それもきっかけの1つですけども、もっと広く取材や報道に対する社会的な不信や批判に応えていこうという取り組みです。
「新聞という商品」をいかにいいものにしていくか、欠陥のないものにしていくか。外の人の目を反映させ、なおかつ読者に開かれた、ということで「開かれた新聞委員会」ができたわけです。
毎日新聞という1つの独立した新聞社が、読者の苦情にきちんと対応しているかどうか。それをチェックするのが第1の役割です。
その上で毎日新聞で対応しきれない、どうしてもトラブルが解決しないというものについては、委員会でも独自に調査して解決しましょうと。2番目に人権救済的な要素が出てくる。
聞き手 読者からの苦情はどのようなものが、どのくらいあるんですか。
橋場 おおざっぱにいって毎月平均100件、そのなかで新聞報道のあり方にダイレクトに絡みそうなのが30〜40件ですかね。
たとえばある陶芸家の作品づくりに触れた記事のケースがある。陶芸家が県の展覧会に応募するときに、自分で土をこねて形にしたけども、焼くのは別の窯に持っていって焼いてもらった。その作品が入選する。取材した記者はちょっとおかしい、最後まで自分でやるのが陶芸なんじゃないかと思い、記事を書いた。
ところがよく聞いてみると、いまの陶芸界にはそうじゃないのもあって、意見が分かれている。焼くところまでやらなくても自分の作品だという人もいるんですね。
あと原稿の書き方です。このケースでは、最初からその陶芸家の名前を出し、批判するような形で書いちゃった。それだと書かれた方は「何だ」という気持ちになる。問題意識はよかったんだから、もうちょっといろんな声を聞いてから、問題提起型のスタイルで書けばよかったんですね。
そうした具体例に即した勉強を、ぼくらは毎月しているわけです。
聞き手 なるほど、そうした例は、取材や報道のあり方を考えさせられる生きた教材ですね。しかし、1社ごとの機関では限界があるから、業界横断的な機関をつくるべきだという意見もありますが。
橋場 今は個別新聞社のアレルギー体質の改善に取り組みはじめた時だと思うんですよ。読者の苦情や不満に対するアレルギーです。
そういう現実を考えて新聞社が読者と一緒に新聞をつくっていくという姿勢に変わっていかなきゃいけない。読者の苦情を集め、記者が自分だったらどうするかを考えていくことの積み重ねによって体質改善ができる。開かれた新聞委員会は、まさにそのための「実践講座」なんですよ。それなしに業界横断的な機関をつくっても、現場は聞かないと思います。
聞き手 マスコミ不信といえば記者クラブ批判も盛んです。最近では長野県の田中康夫知事が「脱・記者クラブ」を打ち出すなど、行政側の動きも目立っていますね。
橋場 問題はいくつかあるんですが、まずメディア側が主催するのが記者会見だと。それはもう絶対譲れない。情報を発信する側の人がやるのは記者発表なんですよ。
聞き手 役所とかが資料を配って発表することが記者会見じゃないんですか。
橋場 発表する側の人たちも、記者の方もそう思ってる。でも違うの、そこは。記者会見って何かというと、共同取材、共同インタビューなんですよ。共同で取材したい人を呼んできて、こっちが聞きたいことに対して答えろと。
ぼくらは、行政などが隠したい情報や、意識しないで出してこない重要な情報を探し出して伝えなけゃいけない。記者発表ではそうした情報は明らかにされないんです。
極端なことをいえば場所としてのクラブなんてなくたってちっとも構わない。喫茶店で原稿書いて携帯で送れる時代なんだから。
クラブなんかなくたってネタはいくらでも取れる。ただ、そういう元気な記者、意識ある記者がどれだけいるか。楽観できないところですが。
聞き手 会見の主催はメディア側で、というのは重要なことだと思いますが、記者クラブ主催の会見の閉鎖性には、雑誌やフリーのジャーナリストから強い批判があります。
橋場 クラブの自主的な仕切りが下手だといった運営上の問題もあるんですが、“記者発表”には新聞、テレビはもとよりジャーナリストなら誰でも参加できるようにすべきです。
読者や社会の批判を真摯に受けとめて、新聞はさらに開かれていかなけりゃ。
それを前提にした上で最後に言いたいのは、マスコミを追い込み、力を削いでいくと、権力をもつ者の思うとおりになっちゃうってことです。メディア規制3点セットにはそういう危険性があるわけで、絶対に認めることはできません。
(聞き手:北健一、保坂義久 写真:難波竹一郎)
メディア法的規制の動きの中で、マスコミ報道現場の考え方はなかなか伝わってこない。今回は「TBS報道倫理ガイドライン」の作成に携わり、99年、個人情報保護法制定の動きに対応して民放連がスタートさせた報道問題研究部会のメンバーとして、メディア規制問題に関わってきたTBS報道局編集主幹の植田豊喜さんに、放送局からみた「3点セット」の問題点を伺った。
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聞き手 挑発するわけではありませんが(笑い)、「官庁発表に依存したテレビや新聞に、メディア規制は関係ないのでは」という意見もあります。
植田 ぎりぎりのところで取材しているのはテレビや新聞も、雑誌やフリーの人も同じです。新たに規制ができたとしても、私たちがそれでひるむわけではない。脱法行為はしませんが、現場記者に「必要な情報を取って来い」というでしょう。
しかし、問題の多い規則、不必要な法律はないほうがいい。個人情報保護法の場合、取材対象者が、本人の個人情報を開示しろとか、適正な入手方法か示せとメディア側に言って、「汚職議員メディア撃退法」になってはいけない。
聞き手 そもそも取材活動が個人情報保護法に抵触するとは…。
植田 意外でしたね。個人情報保護の法案づくりは住民基本台帳法の改正から始まったんですよ。コンピュータに入った住民個人の情報をきちんと扱わせ、商業ベースで膨大な個人情報を電子的に取り扱っている業界にもルールを法律で整備する。この出発点は正しかった。
しかし、すべての「個人情報」が斉しなみにされてしまった。このままでは報道も学術研究も大きな悪影響を受ける。あくまで「電子データ化された個人情報」を対象にすることを、はっきりさせるべきです。
個人情報の取り扱いは利用目的をはっきりさせるべきだという原則も、報道機関の場合、そう単純な話ではありません。
放送局の場合、膨大な資料映像がある。今の複雑な番組編成で、この情報はこの報道のためと特定するのは困難です。報道を「個人情報取り扱い事業者」とするにはもともと無理がある。
もう1つ問題なのは個人情報とプライバシーとの混同です。取材で得られる情報は、今問題になっている「個人個人の識別が可能な情報」だけではありません。取材や報道は個人の私生活や思想信条にまで踏み込むことがあります。しかしこれを、テーマの公共性から離れて無闇に行うとプライバシーの侵害になり、内容が間違っていたりすると名誉毀損になることもあります。今の法体系でも責任をとらされるのです。個人情報保護法は本来こういうものを対象にしようというのではないのです。
聞き手 しかし名誉毀損を裁判で訴えても、お金も時間もかかる。だから強制力をもった独立機関で救済を、という議論が法務省の審議会で続けられ、近く最終答申が出されます。
植田 いったん法律で報道内容に、あるいは取材内容に行政機関が口をはさめるような制度をつくるときわめて危険です。「独立性の強い救済機関をつくる」という考えも人権擁護推進審議会にあるようですが、お金を出すのは国だし、その「独立機関」は法務省の系統に属する見通しです。これで真に独立しているといえるでしょうか。
聞き手 もともとは「公権力による人権侵害」から市民を救済することが目的だったはずなのに、話が変わってしまいましたね。
植田 審議会が出した「中間とりまとめ」では、公的機関の人権侵害以上にメディアのそれを問題にしていて度肝を抜かれました。メディアってそんなに悪役なのかと(笑い)。
「ではどうすればいいか」と常にいわれるんですが、テレビ業界では4年前、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)をつくりました。日本では裁判はちょっと一般の人から縁遠いのですが、BRCは比較的簡易な手続きで苦情を受け付けます。実際、苦情もかなり寄せられ、これまで犯罪報道などを対象に6件の正式決定を出しています。
このうち人権侵害としたのは1つですが、人権侵害にはいたらないけど報道倫理上問題があったという決定でも非常に深刻なことです。われわれ放送業界自身がつくった裁定機関が「問題があった」という以上、絶対に改めなきゃいけませんから。
個々のケースは今後の参考にします。現場でもBRCの存在は十分に意識されている。
聞き手 権利回復とともに、これからの現場の指針ともなる?
植田 そうですね。現場への影響といえば、もう一つ委員会があります。青少年向け番組のいわゆる有害情報の問題でも、放送と青少年に関する委員会、原寿雄さんが委員長をしているので私たち原委員会と呼んでいますが、そこが11月末に画期的な見解を出しました。これを対象とされた2つの番組の関係者だけでなく、民間放送の経営者もまじめに受け止めました。
原委員会だけでなく、民放連とPTAの方々との真摯な話し合いも始まっています。視聴者のみなさんも是非、放送局に直にいってきていただきたい。今時、聞く耳を持たないようなテレビ業界人はいませんから。
しかしメディア不信は根強くあります。この2月、有名女優二男の覚せい剤容疑事件の公判で、ワイドショーなどが取材に殺到し大混乱が起きました。
たしかにその取材は社会的な非難を浴びました。公判に証人として出た弁護士さんが、これはあんまりだとBRCとか民放連、新聞協会に強く申し入れたことをきっかけに話し合いが始まりました。このケースはテレビのワイドショーやスポーツ紙、週刊誌という、記者クラブに入っていないところが中心になって起きたものですが、クラブへの加盟、非加盟をこえた話し合いがまとまり、4月の公判時の取材は混乱がなかった。非常に稀な経過をたどりましたが、よかったと思います。
抗議なさった弁護士は、2月の公判取材について激しく怒っていましたが、「政府がメディアに介入するのは反対である。だから自浄作用を働かせてほしい」と言っていました。
聞き手 法規制をはね返すためにも、そうしたやりとりを通じた改善の努力は大切ですね。ところで、市民のメディア不信は、調査報道を通じた権力のチェックという報道の重要な役割が、きちんと果たされていないことにも一因があると思いますが。
植田 公共性の高い問題を追いかける調査報道系の番組枠がもうちょっとあるといいな、と報道の現場にいる人間としては正直なところ思います。
TBSの場合、日曜日の『報道特集』が伝統的な調査報道番組です。デイリーの番組のなかでも特集コーナーで時間をかけた取材がおこなわれています。もうちょっと枠が欲しいんですが、トータルなネットワーク間の競争のなかで「もっとよこせ」とはなかなか。
聞き手 メディア規制の動きが出てくる背景には、メディアの事が一般に知られていないためもありますね。
植田 政治家などにインタビューするとき、絶対に質問事項を前もって渡してはいけない、と決められている。そうしたアメリカのガイドラインの考え方は、日本の放送局でも以前から知られていて、報道マンの拠り所の一つになっていたことなども知られていないかもしれませんね。
最近、メディア・リテラシー(メディアを読み解く能力)ということがいわれています。やはり自発的、批判的に番組をみる視聴者の方々との対話が、制作サイドにとっても非常に大切だと思います。対話をつうじ番組内容や取材方法を不断に検証し改善していく。そうした積み重ねこそ、健全な民主主義をささえる情報の多様性を生かす道だと思います。
(聞き手:北健一、保坂義久、写真:蔵原輝人)
公権力によるメディア規制3点セットとの攻防が正念場を迎えている。記者クラブに所属せずゲリラ的取材を身上とする雑誌ジャーナリズムも狙われている。雑誌記者は今、どういう問題に直面し、法規制をどう考えているのか。桶川ストーカー殺人事件で、殺された女子大生の「遺言」を手がかりに粘り強い取材を続け、「警察の犯罪」をも明らかにした『FOCUS』の清水潔記者に、事件取材最前線からみえることを聞いた。
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聞き手 近『HERO』というドラマをみて、キムタク演じる型破り検事に、「こんな格好いい検事、現実にはいないだろうな」と思ったんですが、清水さんが書いた『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』に描かれた『FOCUS』の記者、カメラマンたちもなかなか格好いい……。
清水 えっ、格好いい? ああ、今時まだこんなことやってる奴がいるのかということですね(笑い)。
聞き手 取材ではいつもこんなに手間隙かけているんですか。
清水 『FOCUS』はタイトルが派手なんで誤解されやすいんですけど、「100取材して10書く」というポリシーで、取材は徹底的にしています。桶川事件とは違い形にならない事件ものも多いんです。
特に人権に関わる問題は慎重に扱っているつもりです。「怪しい奴がいる」とやりたいのは山々なんだけど、安易な報道は書かれた相手にとって命取りだし、間違ったらこちらも命取りなんで。
聞き手 桶川ストーカー殺人事件では殺された女子大生の人権が報道によって侵害され、報道規制の議論が高まりました。清水さんたちの報道は、被害者のプライバシーにふれることを非常に抑制していたのが印象的でしたが。
清水 桶川事件の場合、他の雑誌やワイドショーは殺された女子大生のアルバイト先を誇張し報じた。そこが事件の起点なら、ぼくらももちろん書いたけど、そうじゃない。
要は「それが事件に関与してるかしてないか」です。たとえば女性が殺され、その人が過去20人の男性とつき合っていたとする。でも、たまたま21人目の男だけが悪かったから殺されたとすれば、過去の交友関係はまるで関係ありません。
けれども締め切りが近づくと苦しくなる。「殺された美人OLと20人の男たち」とタイトルつけて原稿出せば、編集長は喜ぶでしょう。読者にも受けるかもしれない。でもそういう方向に何とかブレーキをかけないと、「一番必要なことを報じる」という責任の放棄になってしまいます。
自由と責任というのは一体じゃないですか。うちは(神戸事件の容疑者として逮捕された)少年Aの顔写真を掲載し批判を浴びたわけですが、法にふれ責任を問われても報じなければいけない時があると思うんです。
責任をとりたくないからもう面倒なことを報じるのはやめようという方向に、ほとんどのジャーナリズムが雪崩をうっている。その方がはるかに危険じゃないでしょうか。
聞き手 私たちは少年写真の掲載にも先の少年法改定にも賛成できませんが、法の条文や警察のお墨付きばかりを「報じるかどうか」の基準にするというのでは困りますね。
清水 メディア自身が、加害者の少年の将来や更生の可能性を真剣に考えて載せないというなら、立派な見識だと思います。でも「少年法があるから」と加害者の写真は載せないで、殺された少年の写真だけ載せる。その選択は、ぼくには理解できませんでした。
法律は何のためにあるのか。突き詰めていったら「弱い人を守る」ということでしょう。警察の仕事もそうだし、マスコミの役割もそうです。
桶川事件では、誰がどう考えたって殺された女子大生が弱者です。だけどもストーカーチームはもとより、警察もメディアも、みんな弱者への総攻撃ですよね。「それって変じゃん」という想いが、150日に及んだ取材の根底にあったんです。
桶川事件報道でわれわれは、「警察は主犯を逮捕する気がなかった」とまで書いたんですけど、そうとでも考えなければ100人もの県警捜査員が、たった1人の雑誌記者に犯人探しで先行されるなんて理解できません。
いまの警察は「仏さん可哀想やないか、早く犯人あげてやらなあかんで」とつらい聞き込みを重ねる、もうそういう世界じゃないようです。
聞き手 警察とマスコミの関係も問題になっていますが。
清水 警察が情報を独占し、記者クラブに所属している大新聞やテレビに自分たちにとって都合のいい情報だけ出すことで管理している。警察が発表しない事件も山のようにある。ニュース素材の選択権を警察が握っているということです。
そうしてマスコミが警察広報のように使われ、事件記者ならぬ「警察記者」がつくられるんですね。だから、管理できない「3流」ジャーナリストが目障りで仕方がない。
聞き手 人情報保護法案は規制対象から雑誌・出版社を除外していません。権力にとって目障りな雑誌ジャーナリズムやフリーランスの取材の自由が侵害されかねませんね。
清水 法律があってもなくても、自己情報の保護はほんとは各人の権利だと思うんですよ。それに、事件取材では今でもぎりぎりの攻防をしているので、そういう法律ができてしまったとしても、そのなかでまたきちっと取材していけばいいとは思います。
ただそれを盾にとって政治家などの強者が取材を妨害する危険が常にありますね。
聞き手 この問題では、「ではメディアによる人権侵害をどうするんだ」という話がでます。写真週刊誌は人権を侵害するメディアの代表格のように見られているわけですが。
清水 スポーツ紙や週刊誌は1号1号売らなきゃどうしようもないから、派手な見出しやセンセーショナルな扱いになりがちで、その悪い面が目立っているのかな。宅配される新聞がつまんないと言われるのと対照的ですね。
ただこういうこと言うと怒られるかもしれないけど、人間の関心ってわりとくだらないと思うんですよ。くだらないところをスタートとしていろんな出来事が起こる。法には触れないけれど「こんなこといいのかよ」と思えることもたくさんある。そこから社会の断面を切っているつもりなんですが。
いずれにしても、メディア規制で一番狙われるのはわれわれ雑誌メディアですよ。それはもう多大な影響を受けるでしょう。でも、官庁の発表に依存した記者クラブ加盟のテレビ、大新聞なんかは、あんまり関係ないんじゃないですか。
聞き手 痛烈な指摘ですが、お役所と新聞はいつからそんなに近しくなったんでしょうか。
清水 20年くらい前はそうでもなかった。ぼくはかつてカメラマンだったんだけど、事件現場で写真撮ってると、だいぶたってから後ろの方で、「ロープ張るからみんな出てくれ、捜査の邪魔だ」と警察がいう。
そういうときにはみんな規制と闘って取材のポジションを必死に守った。それが今では、「はいそうですか」と従ってしまう。
こんなこともありました。もう10年くらい前になるけど、埼玉県の畑和知事が引退した日のことです。県庁のホールに行ってセッティングしてたら背広の人が来て、「すいません、ここクラブ以外だめなんです」。県の広報部員かと思ったら、なんと時事通信の記者で(クラブの)幹事。
それから記者クラブ加盟社から罵声を浴び続け、100対1くらいでずっと喧嘩状態。知事が入ってきてなんとか収まったんですが。その時になって、『FRIDAY』のカメラマンが入ってきて撮り始めたんで、今度はぼくが怒った。「お前、闘わずして撮るな」と(笑い)。
権利は自分で守らなきゃいけない。「われわれは法律で認められてる」とかいくら怒鳴っても弾が次から次へと飛んでくる。本来ジャーナリストの仕事場はそうした「戦場」であって、寝言いってたら死んじゃうんですよ。
ときには時代遅れの法律や理不尽な警察とも闘って、報道の自由を守る。その上で自らの報道に責任を負う。フリーだろうが社員だろうが、ジャーナリストであるかぎりそれが基本だと思います。
(インタビュー:保坂義久、北健一 写真:蔵原輝人)
昨秋、日弁連人権擁護大会シンポジウムで「人権委員会設置法に関する要綱試案」が、さらに人権擁護推進審議会から「人権救済制度の在り方に関する中間取りまとめ」が、立て続けに発表された。
いずれも報道の自由に制限を加え、国民の知る権利と民主主義を脅かす危険性を帯びた内容であった。報道被害救済や表現の自由への法的規制に反対する活動をしている梓澤和幸弁護士に問題の現状と展望を伺った。 |
聞き手 まず、報道被害者救済と報道の自由との関係について伺いたいのですが。
梓澤 私は報道被害を救済する実践において、新聞・雑誌・テレビなど数多くのメディアと交渉体験を積み重ねてきました。なぜ報道被害が発生するのか、その防止と救済の道を探るうちに、これは報道の自由の在り方をめぐる一つの現象だという所に気がつきました。
報道被害者救済の体験を持つ弁護士は、報道の実態、生理や病理に触れていきます。その過程で、報道や取材の構造にまで立ち入って変革しなければならない、とりわけ現場の人達とは連帯しなければならない、と認識するに至ります。その結果として、国家権力を立ち入らせてはならない、と気づくのです。
報道の自由については、報道機関も一般の人も、“報道機関の表現の自由” と誤解している場合が多い。実はそれは“市民の人権”であり、“人民の権利”
なのです。所与の前提として報道の自由・表現の自由があるわけではない。それは血で闘い取ったものです。それはメディアという企業に属するのではなく市民に属するもの、私達のものなのです。
私達にはそのあり方について批判し、「直しなさい」と言い、権力が入って来たら「あなた方の来る所ではない」と言う権利があるんです。我々の、民衆の権利としての表現・報道の自由。それを私は徹底的に守ります。
聞き手 今回の日弁連人権擁護大会シンポで「要綱試案」が出され、「独立した人権機関の設置を求める宣言」が採択されましたが、その問題点は?
梓澤 要綱試案は大会前日のシンポジウムで基調報告として提出されました。国内人権救済機関の検討は、98年11月に始まりました。国連の規約人権委員会が日本政府報告書審査を行い、「最終見解」で代用監獄の存在や刑務所・入管での暴行などといった公権力の人権侵害を是正するために独立した機関を早く作るよう日本政府に強く求めたのです。
日弁連はそれを受けて、会長声明などを出して救済機関の早期設立をめざしてきました。公権力の人権侵害が問題なのだから、救済機関はまずこれを何とかしなければならない。だからこそ政府からの独立が必要なのです。
ところが、日弁連の中に作られた実行委員会の手による要綱試案は大幅に違ったものでした。まず、公権力の人権侵害という中心点がボカされています。次に、民間に対して罰金という刑事罰を背景に強制調査をやることが打ち出されています。
これでは大学でも組合でも、どこへでも乗り込んで行ける。その上これには刑事訴訟法にとっての刑法に相当する実体法がない。手続法だけで乗り込んで行ける。人権侵害という抽象的な要件だけで発動できる。団交中に「使用者が労働組合に吊るし上げられている、人権侵害だ」という電話があれば、すぐ乗り込んで行って「責任者は出てきなさい」と言える。従わなければ現行犯逮捕できます。刑事罰には刑事訴訟法が一緒に動く。しかも刑訴法では警察官が現行犯逮捕する時は裁判所の令状なしにガサ入れが出来る。これが報道機関に対してやられたらどうなるか。
なぜ日弁連の実行委員会はこんな危険なことまで考えたのか。メディアを含め民間の人権侵害がひどいからです。かと言って権力を安易に入らせたら何をやるか分からない。この試案は自分で自分の首を締めるようなものじゃないか、と私はシンポジウムで発言しました。
翌日の大会で出た宣言案は要綱試案の危険性を払拭するものではありませんでした。そこで私達は、「公権力による人権被害を中心にする」「民間に対しては強制調査権限を持たないようにする」「メディアに対してはとりわけ強制調査で臨むようなことはしない」「他の人権との衝突調整については慎重であるように」という修正案を出し、擦り合わせが行われた結果、「慎重に検討」ということで持越しになったのです。公権力についてのみ強い機構にすれば良いのですが、民間も含めてそうしようとするから問題が起こるのです。
聞き手 人権擁護推進審議会の中間取りまとめが出て、「権力の最後通牒が突きつけられた」とも言われますが…。
梓澤 中間取りまとめの問題点の中心は、事務局が法務省から横滑りすることです。人権擁護局地方法務局の改組も視野に入れる、と明記しています。
一方、公権力については全くやる気が無い。しかしメディアには強制調査権限も含めて対処する。民間へは罰金・過料も含めて強制調査する。これは要綱試案とそっくり同じです。
日弁連はこの「中間取りまとめ」について論議した結果、大会で私達が出した修正案と殆ど同じ趣旨のパブリック・コメントを1月19日に出しました。
まず「独立性が無いことは誠に危惧が持たれる。独立性がはっきりしない以上、最後にはその存在意義さえ疑われる」としています。
さらに「公権力についてはもっと強くしなさい」、民間に対しては「罰金はダメ、過料でやりましょう」。メディアについては「強制調査権は確かによろしくない。メディアが作った自主的な救済機関があったら、その先議を尊重しよう」という内容のものです。
このパブリック・コメントの最後には「もしこの独立性が危ないまま、とりわけ法務省の所管の下に置かれるなどの場合は、人権機構の調査権限、調査対象を含め、日弁連として見直しが迫られる」という内容の条件が書かれています。6月の最終答申が出た段階で、日弁連は再度討論のやり直しをすることになるのはかなり明白です。
聞き手 事態を打開するために、報道する側には何が求められているのでしょうか?
梓澤 弁護士会の中からこのような意見が出てくる背景を研究すべきです。報道被害問題へのメディア側の対応ができていない。報道評議会を作るんだ、と言っても、やっぱり現実に出来て働いて一所懸命助けているのとでは随分違います。朝日、毎日、東京、新潟日報が作ったような、各社ごとの救済組織を作る。新聞労連が提言しているような業界横断的な報道評議会を作る。英国のプレスカウンシルのように実績を積み上げている組織が目の前で動いていれば、権力が入ってこなくても大丈夫と誰もが思う。
市民による自治が求められているのですが今は無い。被害者からすれば「俺達が酷い目に会った時助けてくれる所なんかどこにも無いじゃないか。なら法務省が出てきて害が生じない程度にやって欲しい」となる。
次に調査報道の強化です。オウム報道の江川さんや桶川事件のフォーカスの清水さんの活躍が見直されるべきです。新聞やテレビの記者が発表ジャーナリズム、記者クラブ・ジャーナリズムをぶち破っていかなければ。そうすれば民衆は、自分達の事をやってくれていると思える。報道機関が権力からやられそうな時は「私達が助けようじゃないか」と、民衆が声を上げてくれます。個人情報保護法案にしても青少年社会環境対策基本法案にしても、みんなそうです。
聞き手 最後に、今後の展望をお聞かせください。
梓澤 私達の活動としては6月に法務省審議会の最終答申が出た時が一つのヤマとなります。日弁連は6月に全国30の弁護士会で「報道被害110番」にとりくみます。市民でも報道機関と対等に交渉出来る、こうすれば改善される、という実績が拡がることによって、権力の出てくる隙間がなくなると思います。
ただ、被害者はなかなかカミングアウトしてこない。もう一回叩かれるのか、と恐がります。私達は今からマニュアルを作って準備しています。また、広く知ってもらうため、自治体にビラを置いてもらったり、記事に書いてもらったりしたいと思います。この活動の意義をご理解頂き、ご協力を頂きたいと考えています。
(インタビュー:川田豊実 写真:難波竹一郎)
教育が荒廃し学級崩壊が叫ばれて久しい。なぜこうなったのか。打開の道はないのか、これからの学校はどうあるべきか、地域・住民とはどう関わりあうべきか―。千葉県習志野市の秋津小学校のPTA会長を務め、いま秋津コミュニティ会長である岸裕司さんは、学校と地域の融合を主張し、これらの疑問に身をもってぶつかり、解決の方向をみつけた。その体験を聞いた。
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聞き手 岸さんは学校と地域の融合を主張されています。それはどのような理念ですか。
岸 融合とは関わりあう者や機関同士が互いにメリットを生み出しながら物事を進める考え方です。PTAの役員を7年やりました。まず感じたことはPTAで活動しているのはほとんどお母さんだということでした。
さらに保護者は学校に子どもを人質にとられた感じを持っていると思いました。親はどうしても学校にその後どう展開しましたか。おもねてしまうのでしょうか。
それをみて、「お父さんたちは何をしているのか」と思いました。
家庭でも妻に「外で社長といっても家では一人の男性」「子どもは2人が生んだでしょう」「家庭内労働を担ってよ」などといわれ、洗濯などもわたくしがするようになりました。同時に一人の親としてPTA活動に熱中しました。
聞き手 秋津コミュニティは男性参加が多いですね。
岸 10年前ころから週休2日制が普及し、男性は2日も家でゴロゴロしているか気の進まない接待ゴルフかです。「それより地域で何かしたい」という気持ちになるものです。
ちょうどPTA創立10周年の時に会長になったので、お父さんの出番と考えて飼育小屋作りを呼びかけました。たちまち40人が参加し、いもづる式に3ヵ月で延べ240人になりました。学校にも家庭にもメリットがあります。これも融合の一つです。
聞き手 その後どう展開しましたか。
岸 飼育小屋の完成式のとき、あるお父さんが「つぎは何を作ろうか」というのを聞いて「これは大成功だった」と思いました。何かしようとの意欲の現れだからです。そして教室を図書室に改造するほか、さまざまな活動につながりました。
ここから学校と保護者で「秋津小を基地にしたまちづくり」の関係ができたといえます。
聞き手 ―学校はふつう閉鎖的といわれています。しかし宮崎校長(当時の秋津小校長)やその前の石橋校長は余裕教室を地域に開放して、コミュニティールーム化する立派な決断をしましたね。
岸 学校の土曜休みは92年は月1回、93年からは月2回に増えました。地域の人はコミュニティルームを休日も利用します。しかし鍵を管理する校長は休日出勤となります。そこで校長了解のうえ、わたしたちは市の教育委員会に要望書を出し、余裕教室のカギを預かり、休日も自主運営できるようにしたのです。学校も校長管理から教委管理に代えました。この間の校長の努力は大へんなものでした。こうして秋津小は国の施策の先駆となりました。
聞き手 いまサークル活動で利用する人は年に1万3千人いるそうですね。
岸 陶芸、コーラス、英会話、琴、釣りなど41のサークルがあります。パソコンクラブもあり「秋津のまち紹介ホームページ」を運営しています。コミュニティルーム運営管理委員会をつくり50人の委員がいます。すべての人が楽しいから参画しているので「無理にやらせられている」という感情はまったくありません。
聞き手 役員にはずいぶん多忙な人もいますね。
岸 健康な人が土日の2日家にいるのは苦痛ですよ。「時間があれば子どもと外へ出てみよう」という気になるはずです。そこで子縁(こえん=子どもを通して知り合う関係)ができます。
学校には「有形な機能」と「無形な機能」があることを発見しました。
聞き手 それはどういうことですか。
岸 「有形機能」は学校施設の開放です。その開放により、地域のさまざまな年齢層が交流し、まちづくりまで高められることが「無形機能」です。
聞き手 多くの人に参加してもらうにはどうしたらよいですか。
岸 きっかけはなんでもよいので、入口を多様にすることです。「防災の井戸を校庭に掘ろう」と決めたら地域に住むポンプ会社の社員、地層や土木の専門家が参画してきました。
聞き手 自主・自律・自己管理が運営委員会のモットーと聞いていますが。会社や労組にも参考になりますね。
岸 「デイリー(日常の)民主主義」とでもいうべきでしょう。行政には多数決原理が作用しますが、コミュニティ(地域社会)にはなじみません。少数を排除しかねないからです。一人ひとりが24時間365日、そして何十年も暮らしているから折り合いが大切です。いまでは自主や自立の延長線上に自助共助があり、最後に公助がくるとの発想になりました。
聞き手 財政的にはどうですか。
岸 必要な費用は消耗品費のみです。行政の支出は年3万円です。各サークルは自己完結型で運営されています。バザーをやり売上げをプールしています。いま30万円の貯蓄があります。バザーは収入が主目的ではなく楽しむためのもの。子どもバザーも世の中で働く感覚が身につき、子育ての支援にもなります。
聞き手 文部省も評価しています。
岸 近代日本の第1回の教育改革は明治5年の身分差別撤廃や機会均等、第2回は戦後の戦前・戦中の皇国史観の反省からの民主教育。そして第3回がいまです。それは地球社会の人間を育てることです。日本の食料自給率は38%。輸入がなければ国民の3分の2が餓死する勘定です。誰とも友達になれる地球市民を育てることが必要なわけです。その見本が秋津だから文部省も取り上げるのでしょう。
聞き手 学校はいよいよ完全週休5日制になりますね。
岸 2002年度からです。これを施設面からみると、1年の45%が未稼動になります。公共施設で稼動率が半分のところがあるでしょうか。有馬文相(当時)は「学校を開放し、社会活動の場にも活用していただきたい」といっています。
聞き手 岸さんは講演、テレビでも活躍していますが。
岸 講演は来年3月までの1年で120回。教委、教組、労組その他から呼ばれています。秋津小学校ではこの5年間不登校は1件もありません。地域社会の子育ての力によると思います。改革は一人ひとりが担う一種の住民運動です。地域社会の大人すべてに「何が起きても主体的に子育てしよう」といいたいですよ。
聞き手 岸さんは古くからのJCJ会員ですよね。斎藤茂男さんは最晩年に秋津の取り組みを高く評価していました。
岸 99年6月13日の読売新聞の斎藤さんを偲ぶ記事に「ひとつだけやり残したことがある…といい残して静かに息を引き取った」とあります。斎藤さんの「やり残したこと」が何であるかは皆さんそれぞれ思いはあると思います。しかしわたしは「それは秋津小学校のことだった」と思いたいのです。斎藤さんは『学校を基地にお父さんのまちづくり』(太郎次郎社刊)のオビに「これからの教育を指し示している原動力である」と書いてくれました。
斎藤さんからはたくさん学ばさせていただき感謝しています。
(インタビュー:荒川 恒行、大野 博 写真:難波竹一郎)