検問だ!
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「目・肩・腰に○○!」
なんてドリンク剤のCMが昔あったような気がするけど、
腰の痛みはないんだけど、最近、肩と目の痛みが激しいです。
肩こりはお馴染みだから慣れている?けど、
眼球が飛び出るような症状が続いて、ふらふらする…。
でもね、食べ過ぎるくらい元気(笑)(*^_^*)
明日は、早朝からびっちり夜まで途切れ目のないスケジュール。
「法事」も「法話ライブ」も「お通夜」もある。
今の体調で、全スケジュールをうまく調整できるか心配…。
でも、
明日のスケジュールを自分なりに精一杯頑張るのが、今の僕の「夢」だ。
うん、
「夢」という言葉には壮大なイメージもあるが、
ちよっとした目先に、近いところで設定する夢もある。
夢、叶えるぞ!!
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いくら
現実に向き合う為の「掛け声」を
自分自身に言ってみたところで、
しょせん、弱っちぃ、もろい自分なのだ。
あまりにも容赦ない現実が連鎖すると、
ペラペラの「化けの皮」が剥がされ、
ひとりぼっちの自分に不安になる。
すっかり
やりきれなくなってきた僕は、
思わず、
「弱音」という愚痴をメールにのせた。
そしたら、
すぐ、
「言葉」が返ってきた。
「現実」は何も変わらないまま
僕が進まなきゃならないまま
だけど、
チカラが出た。
その存在に
ものすごく支えられて・・・・
ひとりじゃないって
いいね。
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いつも、僕のブログを読んで心配してメールをくれる人がいる。
ありがとう。
見守っていてくれて。
その「言葉」で頑張れます。
でもね、
私はいつもいつも忙しい訳じゃありません。
ただ、
忙しい日とヒマな日の落差が極端なんです。
最近、次から次へと集中しなきゃならない出来事が押し寄せるので、目の前の事には懸命になり、過ぎ去った事がボヤケていく?
気持ちを切り替えないと向き合えない場合もあるし…。
「先日はどうもありがとうございました。」
と挨拶されて、先日って何かあったっけ?とすぐ思い出せない場合もあるから、僕らしくない。
今日も時間に追われた。
49日法要のお宅でお会いしたジイチャンはものすごく愉快で、言葉使いは悪いが僕をからかったり、でもホメてくれたり、僕も逆にジイチャンにツッコミ入れたり。すっかり意気投合した。でも僕は次の時間が迫っていたから、
「ジイチャン、元気でな!」
「おぅ!坊さんもしっかりやれ!」
と別れた。もっとゆっくりジイチャンと喋りたかったなぁ。
時間に追われるスケジュールの日は
心が亡びる「忙」という文字のような自分にならないように……、ね。
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キツかった。
でも、気づいたことがある。
住職として、
「若者」とか 「哀しい亡くなり方をした人」の葬儀を勤めるのはキツくて、
逆に、
「お年寄り」の葬儀にはそれなりに慣れていたのだとしたら…?
そんな僕が問われている。
葬儀の「メインテーマ」は、
ひとたび赤ちゃんとして生まれてきた以上、若者であろうと、お年寄りであろうと、死に至る縁(キッカケ)が整えば死を引き受けなきゃならない、という真実。それを亡き人からキッチリと受け止めること、
そういただいている。
亡き人は、迷える「亡者(霊)」ではなく、先立って私を真実に導いてくださった「先輩(諸仏)」。
実は、僕の所属する「浄土真宗」では、「冥福を祈る」ことはしない。
そんな意外なっ!と思われるかもしれない。
実は
「冥福を祈る」ヒマもないほど、私たちは、いや、私たちも「死」に直面している存在であり、
それを教えてくれたのが亡き人だ、と学ぶ。
冥福を祈った時点で、「俺はまだ死なない。あなたはあの世でどうか幸せに…。俺はまだ生きるから。」と亡き人の示されたことが「他人事」になってしまい、知らぬ間に「生きていること」にうぬぼれていることになる。
だから
「眠れ」と言ってみたり、「見てて」と言ってみたり。亡き人との間にバッツリと線引きをしてしまう。
亡き人と同じ地平線に立つ為には、
「あなたが教えてくれたように、もしかしたらこの私も死ななければならない、その真実を忘れていました。」
という事実に目覚め、生きている事実をよりクリアーに受け止めながら、歩み続けること。
………とは言っても、やはり、キツかった。
若者の遺影を見つめながらお経をあげていると、泣けてきて。せつなかった。
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「枕経」の知らせ。
お宅へ伺う。
亡くなったのはバアチャンと二人暮らしの息子さんだった。なんで??
家の中に入った瞬間、皆さんの「雰囲気」で・・・・、分かる。
枕経をあげて、
葬儀の日程を打ち合わせるべく、皆さんと向き合う。
みんな無言だ。
重たい空気の部屋の中。
そして、僕も、どんな言葉を先ず言えばいいのか、戸惑う。
すると、
『死亡診断書』が僕の目の前に置かれる。
「(これを見て、察してください)」
という「無言」が、また引き続いていく。
「死因」と「備考欄」に書き込まれた内容に、
僕は、言葉を失う。
何度も何度も、その欄を見る。
皆さんの様子の意味が・・・分かる。
バアチャンが小さく呟く。
「若い人が先で、何で年寄りが後なんだ・・・」
部屋の壁に目をやる。
1箇所を除いて何の予定も書いていない真っ白な5月のカレンダー。その「28日」の欄に、バアチャンの字が書いてある。
「○○。たんじょうび」
ひとつ年齢を重ねたのは、2日前。病院のベッドだった。昏睡のままで。
バアチャンの介護をしたり、バアチャンの病院の送り迎えをしたり、
孝行息子さんだった。
僕が最後に会ったのは3月。
やはり、
バアチャンを連れて、お寺にお参りに来ていた姿を見た。
人なつっこそうな、優しい笑顔だった。
自分を取り巻く「状況」と、それを受け止める「心」の歯車。
その歯車がズレてしまったとき。
自らの手で「そっち」へ向かおうとする心の
何が「ブレーキ」になるんだろう?
もし、
タイムマシンがあって、「その時」に戻れるなら、
何が「ブレーキ」になる?
・・・・・・・・・・・・帰り道。
車の中で、
さっきの放心状態で座り込んでいるバアチャンの「姿」を思いだしていた。
横たわる息子さんの「姿」を思いだしていた。
僕はつぶやいた。
「ばかやろう」
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たとえば、女性から
「明日、ランチご一緒しませんか?
」
な~~~んて「お誘いのメール」が来たら、ワクワクするっス
ランチですよ、ランチ。「昼飯」じゃありませんって。「ランチ」だから、サバみそ定食とかカツ丼じゃないな、パスタとかピザとか、ちょっとオシャレな感じかなぁ。。でも、そんなオシャレな店が近所にないのも問題点・・・ま、妄想妄想・・・。
でも、
・ランチをする・・・・(昼飯を食う) とか ・ディナーに誘う・・・・(晩飯に呼ぶ)
なんて、単なるカタカナ言葉のイメージにちょいとダマされてるのかも(*^_^*)
逆のパターンもあるな。
意識してカタカナ言葉の使用を避けている場合。
例えば、
僕がススキノのライブハウスでライブに出演するために、どうしても檀家さんの法要の日程を変更してもらわなきゃならない場合、
「あのぅ、こんど、札幌でですね、私、公演を依頼されておりまして、お参りの日程を変更していただけないかな・・・と
」
しかも、「公演」が、「講演」と聞こえる効果もねらっている・・・
うーん、
言葉のイメージ。いろいろ。
云わんとする内容は同じなのに(*_*)
札幌での『みのや雅彦 コンサートツアー』に出かけるとき、駅で、檀家さんのバアチャンとすれ違い、「どっか遊びに行くのかい??」と言われ、咄嗟に
「はい、わたくしのお師匠サンの【公開講演会】が札幌でありますので、勉強も兼ねて、聴講に行ってまいりますっ!!」(←実際に使用した言い回し)
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