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岡本唐貴と小林多喜二 ブームの中で関係に注目 /岡山

 ◇倉敷出身の洋画家・岡本唐貴と小説「蟹工船」の小林多喜二

 ◇東京ではご近所同士、ともに生誕105年--多喜二のデスマスク描く

 日本のプロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~33)の小説「蟹工船(かにこうせん)」の文庫本(新潮社)が異例の大ヒットになっている(5月15日や同31日の本紙記事)。その背景には、ワーキングプア問題があるとも。ところで、岡山で多喜二といえば、やはり岡本唐貴(とうき)(1903~86)だ。倉敷市出身の洋画家で、「カムイ伝」などで知られる著名漫画家、白土三平氏の父親であり、多喜二のデスマスク(現在、北海道・市立小樽文学館蔵)を描いた人物だ。2人ともに生誕105年の今年、ブームの渦中?の多喜二と唐貴の関係に注目した。【小林一彦】

 ■前衛的芸術家

 唐貴の故郷の倉敷市立美術館が01年に「尖端(せんたん)に立つ男・岡本唐貴とその時代・1920~45」を開催した。唐貴の戦前・戦中の作品を中心に、同時代の青年作家たちによる前衛的美術運動にスポットを当てていた。

 唐貴は16歳の時に画家を目指して神戸に行き、さらに同年上京。神戸で出会った彫刻家の影響で前衛的美術運動に加わった。同展を見ると、唐貴の作風は短期間にめまぐるしく変化していた。20代前半は欧州発の美術潮流に敏感に反応してシュールレアリスムやキュービスム風のものがあったり、ダダイズム風であったり、今でいう舞台パフォーマンスもやった。

 しかし、革命後の旧ソ連から同国の最新美術として印象派風作品が紹介されると、影響を受けて具象画に変わり、さらに社会主義思想に共感してプロレタリア芸術運動にのめり込んだ。労働争議を題材とし、当時の特高警察に検挙されて拷問を受けた。

 プロレタリア芸術運動が弾圧され、戦時色が強くなると、セザンヌやゴッホなどの後期印象派を研究、戦時中に大変明るい色彩の風景画を描いた。また、戦後は松川事件や三鷹事件などの被告らを支援し、絵手紙で交流した。

 唐貴が人生を振り返り、記憶している情景を描いたり、記述した「岡本唐貴自伝的回想画集」(83年)によると、多喜二とは、運動の同志というだけでなく、東京・杉並で狭い路地を挟んで住んでいた時期があり、多喜二の母親から北海道産ジャガイモを分けてもらうこともあったという。

 多喜二の弟がバイオリンの練習をすることがあり、その音が聞こえてきた。多喜二は「(弟の)上達をたのしみにしていた」。また、唐貴がストライキをテーマにした作品を制作していた時、多喜二は「時々見に来て何かと気のついたことを指示」したことも。

 多喜二が東京・築地署で拷問を受けて死んだ時は、唐貴が住んでいた東京・目黒に知人が「多喜二が殺された。遺体は自宅に帰った」と知らせ、すぐにデスマスクを描くため多喜二宅に行ってイーゼルを立てた。多くの作家や演劇人の同志が集まる中、約3時間で10号キャンバスに写生した。その場に唐貴夫妻と交流のあった若い女性が訪れ、さめざめ泣いているのを見て、多喜二がつきあっていた女性が彼女だったと気付いたエピソードも記している。また、「多喜二虐殺」を知らせるチラシ「多喜二略傳(りゃくでん)」に印刷された多喜二の肖像も手がけ、その原画が倉敷市立美術館に唐貴の遺族から寄贈された資料から見つかったことは、2人の生誕100年の03年に本紙岡山面で紹介した。

 ■ブームの次に来るものは

 「蟹工船」(29年)では、カニを捕って缶詰に加工する船の過酷な労働に怒った労働者がストライキに立ち上がる。

 先の本紙記事によると、今年1月に毎日新聞東京本社版の文化面に掲載された作家の高橋源一郎さんと雨宮処凛(かりん)さんの対談で、自らの体験を踏まえてワーキングプア問題で積極的に発言する雨宮さんが「今のフリーターと状況が似ている」「法律の網をくぐった船で、命が捨てられる」などと小説に触れ、高橋さんも「(船は)今でいう偽装請負」などと応じたのがブームのきっかけという。

 元フリーターだったという東京・上野の書店員が、この対談をヒントに「この現状、もしや『蟹工船』じゃないか?」となどと書いたミニ広告を店頭に置き、文庫本を平積みにしたところ、それまで週1冊ペースの売れ行きが突然、数十冊になり、さらに他店にも広がって社会現象のようになった。

 約80年前の小説に今の若い世代が共感している。多喜二の生誕100年・没後70年だった03年には無かった現象で、この5年でそれだけ問題が深刻化したことを反映している。労働現場で若者が使い捨てにされ、その次に何が来るか?

 多喜二が拷問で死んだのは、「蟹工船」発表からたった4年後、30歳になる前だ。同時期に唐貴も拷問を受けた。権力が思想や言論、表現の自由を“堂々”と踏みつぶし、“尖端”の若者たちを犠牲にして戦争に突入した時代は、そんなに遠い過去ではない。2人の生誕105年で「蟹工船」ブームの今、その点も思い起こしておきたい。

毎日新聞 2008年6月4日 地方版

 
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