医療から介護に飛び込んだ女性にとって、そこは別世界だった。
看護師として25年のキャリアがある中田京子さん(50)は06年4月、福岡市内の介護付き有料老人ホーム「はぴね福岡野芥」施設長に就いた。
東京に本社を置く企業が展開するホームの一つ。7月のオープンに向けて早速、スタッフの指導が始まった。
だがスタッフは、高齢者の体の向きを変えるにも物を扱うように動かす有り様。「前の職場でそういう教育しか受けていなかったのだろう」。スタッフ指導に時間を割くことにして、どんな重度者も拒まないという受け入れ方針を立てた。「人生の最期を支える仕事。手は抜けない」
胃ろうや酸素吸入が必要な重度者を受け入れ、事例集を作った。終末期医療の専門医らを招いた勉強会も開いた。さらに、本社の方針に背いて看護師と介護士すべてを正社員にし、給料を月5万円ほど上げた。
だが、やればやるほど業界の矛盾も感じた。
あるホームにいた認知症の80代の男性は、入居からわずか2週間後、「暴力を振るう」と病院に移され、ホームの入居契約を解除された。その後、はぴねに入居した男性は、暴力を振るうこともなく落ち着いて暮らす。接する前に一言、声をかけるかどうかだけの違いだった。
今年2月。開設当時に2人しかいなかった利用者は64人になり、満床になった。
だが人件費がかさみ、利益は月70万円ほど。介護で「優等生」でも営利企業としては「劣等生」だった。
「重度者も断らなかったコムスンは、ある意味正直な介護事業者。だが採算が取れず、それを不正で補ってしまった」。鹿児島大法科大学院の伊藤周平教授(社会保障法)はこう分析する。そして「不正をしなければ、人件費を削って採算を取り、破たんを待つほかない。根本的には介護保険制度を変えるしかない」と述べる。
2010年代には団塊の世代が介護保険サービスの主たる対象となる65歳に達し、15年には要支援・要介護者が現在の450万人から620万人に増えると予測されている。だが政府は、社会保障費の伸びを毎年2200億円抑制する方針を崩さない。
中田さんはこの春、辞表を出した。
後任に引き継ぐまでは施設長を続けるが、「この業界は、一生懸命やればやるほど報われない」との思いはぬぐえない。施設の豪華さをPRする一方、手が掛かるようになると、入居者を見放す有料老人ホームの多いことにも閉口した。
現場の善意に支えられ、ようやく成り立っている今の介護保険制度。このままでは、崩壊への足音は止まらない。【関谷俊介】=おわり
毎日新聞 2008年6月8日 地方版