名古屋市近郊のトヨタ系部品メーカー。
「これで三社目だわ」。四十代の若手社長は一人愚痴った。取引先の上位メーカーからかかってきた電話の内容はどれも同じ。「今度の選挙は自民党をよろしく」。まるで命令口調。「分かりました」と受話器を置くと、社長は三回目のため息をついた。
二〇〇五年夏、当時の首相小泉純一郎が声高に「郵政民営化」を問うた総選挙。トヨタは当時、「財界総理」と呼ばれる経団連会長奥田碩(ひろし)会長(75)=現相談役=の号令の下、グループ挙げて自民党支援に走った。
愛知県三河地方の一次メーカーの役員はトヨタ本社から「何回、行ったかが大事」と聞かされ、仕事中、幾度も地元の選挙事務所へ足を運んだ。大抵、顔見知りの下請け役員もいて「お互い、大変ですね」と苦笑い。
先の若手社長も地元候補の後援会員集めを求められた。役員たちは妻子らの名前まで名簿に書いた。だが、当たり前のように上から降ってくる「指示」が、内心不思議だった。
「トヨタってこんな会社だったっけ」
トヨタは元来、政治とは一定の距離を保ってきた。創業者の豊田喜一郎を支え、トヨタの大番頭と呼ばれた石田退三は「自分の城は自分で守れ」と自主独立を説き、政治どころか財界活動にも慎重だった。
長年、東京本社の広報担当として政界との付き合いも深かった神尾隆(65)は、郵政選挙について「財界総理のいる会社として特殊なケース」と、政権与党へのらしからぬ肩入れを説明する。
しかし、票集めの駒にされた違和感はぬぐいがたく残る。「昔のトヨタなら投票先を命令するなんて考えられない。何でも命令できると思ってるんですかねぇ」
最近、社長の会社は上位メーカーの指示通りに工程を変更して、不良品を出した。「十年ぐらい前なら、どうして出たのか一緒に話し合って改善策を見つけたもの」。それが今では、社長の説明を聞こうともせず、弁償を認めるまで“口撃”され続けたという。ちょうど口ぶりはあの選挙のときのよう。「お宅の責任でよろしく」
自分は指示された候補に投票したが、社員にまでは頼めなかった。
「コストだけでも精いっぱいなのに、皆に思想信条まで押しつけられたくないですから」 =文中敬称略
<石田退三> 戦後の経営危機で創業者の豊田喜一郎に代わり、社長に。政財界と距離を置き「三河モンロー主義」と揶揄(やゆ)される一方で、下請け工場や販売店育成に力を注ぎ、松下幸之助をして「経営の師」と言わしめた。喜一郎の死で実現しなかったが、経営安定後に社長の座を返そうと考えていた。