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【結いの心】

トヨタの足元(3) コスト削減『誰のため』

2008年6月1日

社長は創業以来の機械を今も操る=愛知県尾張地方で

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 「サインはしません」

 電話の向こうで、担当者が絶句していた。

 トヨタ系ではすっかり恒例となっている春と秋のコスト削減の要望。「納得済み」だと確認させたいのか、書類には了承のサイン欄がある。

 一昨年春、主に自動車部品をつくる下請け企業の五十代の社長は、トヨタ系の上位メーカーからの求めに初めて、署名を拒んだ。杞憂(きゆう)に終わりはしたが、取引中止も「覚悟の上」だったという。

 背中を押したのは「モノづくりの誇り」だった。二十代の半ば。人生を見失っていた。社会人野球の選手だったが、プロになる夢をあきらめ、野球で入った企業も退社。「何をしていいか分からなかった」

 ある夜、居酒屋でたまたま隣に座った客と話が弾んだ。「ええ体、しとるやないか。いっぺん遊びにこんか」。トヨタ系の、小さな工場を営む社長だった。

 ギュイーンという研磨機の音と、油のにおい。壁にかかった二次元の図面が、立体になり、手に触れられる。「すげえ…」。その場で「修業させてください」と頭を下げた。

 賃金は前の会社の半分で、仕事は倍。一日十時間の残業もいとわず働き続けたかいあって、三年で独立にこぎ着けた。

 トタンぶき、ノコギリ屋根の十二坪(約四十平方メートル)の工場兼倉庫。部下は妊娠中の「嫁さん」ひとり。やがて、生まれた子供のゆりかごが片隅に陣取った。

 社名の看板は、小さな機械を使い自ら刻んだ。従業員七十人、年商十億を超えるまで成長した今も、機械は本社工場に鎮座している。社内からも「古くさい」と言われるが、忘れたくない。

 「情とか、人情とか、そういうのがいいモノをつくるんだ」

 たとえ利益が出なくても、下請け仲間から「何とかしてくれ」と頼まれたら段ボールのゴザを敷き、泊まり込みで仕上げた。逆に、そんな仲間が「あんたのためなら」と注文を出し、苦境を救ってくれたこともある。

 自ら設計し、つくり上げてきた部品は、価格一つにもなぜそうなのか「ストーリーがある」。毎度毎度、決まりごとのように求められるコスト削減。そこにはモノづくりの現場に息づく「物語」や「哲学」がない。

 「トヨタさんのおかげで大きくなれた」。経営者として反論する言葉はない。ただ「いったい何のため、誰のための削減なのか」。職人として、それを知りたいと思う。

 

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