監獄街







「裁判の取り消しを要求する!」
スナオは判事に向かい泡立った唾を飛ばしながら喚き散らした。
分厚いめがねの下で黒い切れ長の目がぎらぎらといきり立っている。
そんな事を喚いたところで裁判がやり直されるわけがないことくらいスナオは知っている。
けれども喚かずにいられなかったのだ。
判事は表情に鉄化面を付けてスナオを見ている。
十一人の陪審員達もだ。
裁判を見に来ていた一般人達がほっと胸を撫で下ろしているのを見てスナオは胸糞悪くなった。
こんな裁判無効だろう。
無効に決まっている。
「連れて行け。」
鉄のように冷たく判事は言い切った。
警官がスナオを取り押さえた。
抵抗する気力を失いがっくりとうなだれる。
黒髪が目に覆い被さる。
傍聴席で裁判の内容を聞いていた妹のナオキがわっと泣き崩れた。
「被告有栖川直樹は一等親族である母親有栖川直美と義理の父親であるトニー・D・ピーターソンを殺害した容疑により第三百五十二監獄星への送還を言い渡すものとする。以上。」
裁判長の声は太く長くそこにいる者達の腹に響いた。
スナオははっと顔を上げたが、何事かを悟った目をしてぐったりと項垂れた。
腕が抜けそうなほどに乱暴に引っ張られ、背中で裁判所の鉄の扉が音もなく閉まるのを聞いた。
この瞬間スナオは第三百五十二監獄星への送還が決まったのだ。
第三逆五十二監獄星は他の監獄として使われている惑星とは違い重罪人ばかりを収容する刑務所だ。
一度送還されれば生きて出る事は叶わない惑星。
刑期が数百年といった重い罰を与えられている囚人ばかり送還されるからそう言われているだけだろうと思われがちだがそれははなはだしい間違いだ。
まず第三百五十二監獄星には他とは違い看守はおらず、星全体が凶悪犯罪者達に支配され弱肉強食の世界が出来上がっている。
弱者はレイプされリンチに会い惨殺されてしまう。
生き残りたくば強くなるしかない。
毎月何人かが第三百五十二監獄星に送還されるが新人で生き残れる囚人は少ない。
そこへの送還は死刑が廃止された現在の地球での死刑宣告と同様の意味を持っていた。
裁判所から連れ出されたスナオを見る人々の目は冷たかった。
誰もがドライアイスよりも冷たく白い目でスナオを見、その目は死ねと言っていた。
石がスナオの頭に飛んでくる。
項垂れ、気力を失ったスナオに石をぶつけることは簡単だろう。
鈍い痛みの後に血が流れる。
「Murder will out!」
「Hey, LISTEN!We wanna you will die!」
「No!He must be DIE!」
「Go to HELL!」
その声は鉛よりも重くスナオの腹に響いた。
「空はなんて広く青く美しいのだろう。」
スナオが呟いた。
小鳥が朝日を浴びてさえずっている。
白い雲はただの水蒸気ではなく空を飾る宝石だった。
街路樹がアスファルトの下から大きく伸び、緑の葉を茂らせている。
二人の警官に引きずられてこれから流刑となるスナオには関係のないことであったが。


「スナオ、ナオキのような出来損ないと話をしてはいけないわ。あなたは私の自慢の息子なのよ。」
家に帰って来た母親はスナオにそう言った。
返事をしないスナオに彼女は腹を立て足音荒くキッチンへと行きあの糞餓鬼のせいで私の人生が終わった、私の人生を返せ、と喚き始めた。
スナオはぐっと耳を押さえて皿が割られる音をふさぎテキストに集中しようとした。
鼓動が速くなり心臓が痛くなってくる。
スナオの背骨の上を一本の指先がなぞった。
ひゃあ、と声を上げて振り返れば妹のナオキがにかっと笑いながら逃げだした。
スナオは笑顔で部屋を飛び出しナオキを追いかける。
「よくもやったな!こちょこちょー。」
「きゃははははは!」
スナオは逃げるナオキを捕まえ押し倒すと脇腹をくすぐった。
ナオキが可愛らしい笑い声をあげる。
スナオとナオキは二卵性双生児だった。
彼ら二人の母親は一流大学の物理学科を首席で卒業したエリートであった。
母は卒業前に精子バンクへと赴き、いくつかの難しいテストをパスして先の天才物理学者の精子を自分の卵子と受精させ子宮に戻した。
それがスナオとなる胚であった。
卵子に受精させた時、彼女はいくつか注文をつけた。
彼女は天才的な頭脳を持つ我が子の誕生を待ちわびていた。
決して愛情からではない。
これから先キャリアを積んでいく自分にとって、たった一つでも他人に自慢する要素が欲しかっただけだ。
日本に生まれた彼女は生まれてすぐにエリートへの道を歩み続けてきた。
有名幼稚園、有名小学校、有名中学、有名高校、有名大学、そして渡米し世界屈指の一流大学への編入。
スナオが生まれる頃にはNASAへの就職も決まっていた。
彼女の人生は順調だった。
染み一つなかった。
順調に思えた。
スナオをナオキと共に出産するまでは。
スナオを出産したにも関わらず彼女のお腹は大きいままだった。
異常を感じ取った医者はすぐさま彼女を検診し、あまりの出来事に悲鳴を上げた。
スナオとは別の赤子が彼女の肝臓で成長していたからだ。
子宮外妊娠だった。
すぐに手術によりもう一人の赤ん坊が取り出された。
その赤黒い塊はナオキとなった。
ナオキは彼女が大学にいた頃、年老いた教授と寝た時に受精した胚だった。
教授と寝たのはその教授のクラスで彼女の最終成績がA−だったからだ。
彼女はAが欲しかった。
何が何でも首席で卒業したかった。
A以外の成績を取るのは彼女にとって屈辱的な事であった。
Aを貰う条件として彼女は教授に身体を許した。
それがトニー・D・ピーターソンであった。
しばらくして病院に行き検査を受けたが子宮の中は空っぽで何もなかった。
その足で彼女はスナオとなる胚を受精するために精子バンクに赴いたのだった。
ナオキが生まれるとピーターソンと彼女は結婚した。
形だけの結婚だった。
すぐに二人はうまく行かなくなり家庭内は冷え切って崩壊寸前となった。
彼女の人生はナオキのせいでめちゃくちゃになってしまった。
彼女は事あるごとにナオキを責め立てスナオを猫かわいがりにした。
だが、スナオは妹であるナオキを大切にして母親を冷たくあしらうようになっていった。
それが彼女は気に入らなかった。
スナオがぼんやりとしているとナオキが彼の腹を軽く蹴った。
やったなぁ、とスナオは声高に、だが楽しそうに言いナオキをさらにくすぐった。
スナオとナオキはとても仲の良い兄妹だった。


スナオは囚人護送船に放り込まれた。
身体がよろけ、無様にひっくり返る。
掛けていた黒ぶちめがねが吹っ飛んだ。
やけに癇に障る笑いが起こった。
両手を床に付け立ち上がるとめがねを拾いに行った。
目を左右に走らせるとそこにはスナオを含めきっかり十人の囚人達がいた。
全員男だ。
彼らの中で十四歳のスナオが一番年齢が低いのだろう。
ふらふらとスナオは壁に背を預け、崩れ落ちるように座り込んだ。
船内の様子など見たくもない。
目を伏せた。
首に巻かれた鎖がじゃらと音を立てる。
現在は死刑が廃止されている。
変わりに監獄星という惑星に凶悪犯罪者が送り込まれることとなった。
それは死刑宣告と同様の意味を持つ。
監獄星は人間の手によって改造され大気も自然もあるらしい。
だが、そこに送り込まれる囚人は皆数百年の刑、短くとも八十年の刑を言い渡されている。
船が発射した。
大気圏に突入する。身体にGがかかって気持ちが悪かった。
スナオは窓を探した。
窓から地球を見る。
これが、地球と繋がっていられる最後の機会だったからだ。
美しかった。
まるで凍った涙だ。
暗い宇宙に浮かび上がる青い惑星、地球。
スナオがナオキと共に生まれ育った星。
そして二度と帰ってくることのない惑星。
しかしスナオは信じたかった、いつかまた地球に帰ってこれる日のことを。


二話