太極旗:朴泳孝は考案者ではなかった(中)
朝米条約締結当時の通訳官が考案、朴泳孝が制定
だが最近、新たに資料が発見されたことで、李応浚が考案した太極旗についての詳細が分かってきた。朝米修好通商条約締結から2カ月後の同年7月19日、米国海軍省航海局が作成した文書『海洋国家の国旗(Flags of Maritime Nations)』に、中央の太極模様と四つの卦が描かれた太極旗が掲載されていたことが明らかになったのだ(本紙2004年1月27日付)。現在の太極旗とは四つの卦(乾坤離坎)の左右の位置が反対になっており、また太極模様の形が多少異なってはいるが、それでも現在の図柄と非常によく似たものだった。
金源模、李泰鎮、韓哲昊の3教授とも、これが朝米修好通商条約の締結当時に掲げられた「李応浚の太極旗」という点で同意した。この太極旗について金教授は、「最初の朝鮮国旗であり、最初の太極旗だ」と評した。一方、韓教授は「壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮侵攻)当時、すでに太極模様の描かれた旗が存在していた。朝米条約の締結時にはまだ公式な国旗が制定される前だったため、“最初の太極旗”ではなく“国旗の原型”と考えるべきだ」と主張した。だが、「太極旗」を一般的な通念に従い、「太極模様と四つの卦が描かれた旗」と定義する限り、この旗は事実上の国旗として使われた、現存する最古の太極旗であることは明らかだ。
◆朴泳孝が卦の位置を入れ替え、国旗として制定
だとすれば、朴泳孝が日本へ向かう「明治丸」の船上で太極旗を作成したという記録はどうなったのだろうか。朴泳孝の日記『使和記略』には、彼が用意してきた「太極八卦図」を見たイギリス人のジェームズ船長が「あまりにも複雑すぎて区別できない」という意見を述べたため、「八卦図」のうち四つの卦を省いた「四卦図」に直した、と記録されている。これに対し、韓哲昊教授は新たな解釈を発表した。それによると、朝米修好通商条約の締結当時、清の特使の馬建忠が「李応浚の旗(太極四卦図)は日本の国旗と紛らわしい」として、太極模様の周りに八つの卦を描いた旗を新たな国旗として提案したという。当時の朝鮮は清の提案を無視することができなかったため、朴泳孝はジェームズ船長の意見を口実として、自然な形で馬建忠の提案を排除したというわけだ。一方、李泰鎮教授も「ジェームズ船長は“八卦図”と“四卦図”のうち、“四卦図”を選ぶ上で役割を果たしたものとみるべきだ」と述べた。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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