太平洋戦争緒戦のインドネシア沖海戦で艦隊が撃沈されて海上を漂流中、帝国海軍駆逐艦「雷(いかずち)」に救助された元英海軍士官が、救助を指示した艦長の墓参のため7月にも、来日する。関係者は「日英間の新たなきずなになる。来日実現に向け支援の輪を広げたい」と話している。
来日するのは元英海軍中尉、サムエル・フォール卿(89)。戦後、英国外務省に勤務し、駐スウェーデン大使などを歴任。同時に、英国海軍OBの会合などで、「雷」の工藤俊作艦長(海軍中佐)をたたえる講演を続けてきた。
ただ、工藤艦長の消息が分かったときは、すでに艦長が亡くなって数年が経過しており、それ以降も公務員のため来日する機会に恵まれなかった。平成15年、ようやく初来日を果たしたが、日本で工藤艦長の遺族の存在について答えられる関係者はいなかった。
このため、来日時にフォール卿と知り合った元自衛官で作家の恵隆之介さん(54)が、工藤艦長の出身地の山形県などで調査。工藤艦長は妻、かよさんと2人暮らしで昭和54年に77歳で他界、2人の墓が埼玉県川口市内にあることが判明した。また、山形県では工藤艦長のおいが健在で、「雷」の関係者では、存命する士官でただ一人確認できた元航海長の谷川清澄さん(92)=静岡県在住=が戦後も工藤艦長と親交が続いていたことも分かった。
長年探し求めた命の恩人の“所在”が分かったフォール卿は「元気なうちに艦長の墓に参り、関係者に礼を言いたい」と再来日を決意。66年前、自分と戦友らの救助に汗を流してくれた谷川さんとの対面も楽しみにしているという。
恵さんは「フォール卿が話さなければ『雷』の英雄的な行動は間違いなく歴史の闇に消えていた」と指摘。「艦長や乗員の行動は日英間の新たな友情のきずなとなるはず」とし、乗員の慰霊・顕彰碑建立のための事務局「故海軍中佐工藤俊作顕彰会」を立ち上げ、フォール卿の来日と墓前祭の実現に向けた多方面からの協力も呼びかけている。
事務局への問い合わせは090・8839・3783。
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【用語解説】駆逐艦「雷」の敵兵救助
1942(昭和17)年3月、オランダ領インドネシアの資源確保をめぐるスラバヤ沖海戦で、英駆逐艦や僚艦が日本海軍に撃沈され、約450人の乗員が24時間近く海上で漂流。「雷」は工藤俊作艦長の号令のもと、全乗員が救助にあたり、重油まみれの将兵らを艦上に引き上げ、体を洗い流して衣服や食料を提供した。工藤艦長は救助劇について家族や親類にも一切語らなかったという。
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