金融機関から見た水俣病(その1)
耐震強度偽装の被害にあわれた方々をどう救うか?肝心の企業の方に補償する能力の無い場合、被害者は泣き寝入りするしかないのか?
実は、内容はかなり異なり同じ土俵での議論はおそらく出来ないのですが、この種の問題は、私自身がずっと悩んできた問題でもあります。
それは私が、水俣病問題を引き起こしたチッソ(株)に対する融資業務を興銀時代に約4年間にわたり担当したからです。
現在のチッソの財務状況を見てみますと、1,400億円を超える債務超過に陥っていることが分かります。
水俣病の被害にあわれた方々への補償金支払いなどがかさみ、多額の水俣病関連累積損失を抱えるに至ったチッソは、本来であれば、企業として存続していくことさえ難しいような状況にあるわけですが、国、熊本県、および銀行などが協力して支援にあたり、被害者の方々への補償金などの支払いに支障の無いように留意しています。
チッソの方でも、業態を汎用化学から液晶原体などの高付加価値のエレクトロニクス関連機能材料分野へと進化させるなど、必死の企業努力を行ってきています。
ところで、チッソという会社は戦前は、ドイツのI・G・ファルベン、アメリカのデュポンと並び称せられる世界3大化学会社の一つであったと言われています。
チッソは戦前には、興南(現在の北朝鮮にあります)に世界有数の電気化学コンビナートを築きましたが、終戦により、全財産の8割にあたる海外資産を失いました。
さらに財閥解体を受けて、当時の国内の主力であった日窒化学工業が独立して、残された日窒水俣工場としての再出発を余儀なくされ、現在に至っています(ちなみに独立した方の日窒化学工業は現在の旭化成になっています)。
なおもう一方の敗戦国であったドイツのI・G・ファルベン。1939年までにドイツの外貨の90%、輸入高の95%を稼ぎ出したこの会社も、戦後は、アグファ、バイエル、ヘキスト、BASFへと分離されることを余儀なくされました。
終戦後 アメリカ政府高官は 「 I・G・ファルベン社の巨大生産能力、その徹底した調査能力、巨大な国際的つながりがなければ、ドイツの戦争遂行は考えられなかったし、実現することもできなかった 」 と語った、と伝えられています。
水俣病の原因物質となったメチル水銀化合物はアセトアルデヒド製造設備中に副生したものです。チッソは昭和7年からアセトアルデヒドの製造を開始していましたが、軍需上必要な基礎的有機化合物質確保の観点から、国家的要請に基づき増産してきたという背景もあると言われています。
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