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とがめる 非難する ニュース記事に関連したブログ

2008/06/07 19:43

 

ブロガー同士で、あなたの日記の内容は・・・

コメントの内容は・・・などと

反論、論駁をしているのを時々みかける。

最終的には相手を論破したいのであろう。しかし、そうはならないみたいに思える。

はっきりと「とがめる」ことのできる確たる「根拠」があったとしても

その「とがめる方法」がまずければ、とがめられた側はただ、かたくなになってゆく。

たとえば、実際にあったことなのだが、信号が黄色から赤になっていたけど、

わたしは急いでいたから赤信号でも自転車で直進した場合。

そのとき、右に曲がる自動車の運転手に罵倒された。

罵倒されても仕方ない。わたしが悪いんだから。

*******

村上春樹のエッセー(どのエッセーかは忘れました)に

外国で(たぶん彼の滞在していたイタリアあたりか・・・)

見かけたやりとり・・・これをふと思い出した。

路上駐車を平気でして、それも縦列。

ある男性が、空きをみつけて器用にその「空きに」

ささっと車を留めてレストランに入ってしまった。

(たぶん、村上もそのレストランに妻と居て、一部始終を窓ガラス越しにでも見ていたのであろう)

しかし、縦列はギチギチだったから、既に駐車していた女性が

たぶん食事を終えたのだろう。そのくだんの男性が停めてしまった
車のおかげで、出られなくなってしまった。

その男性食事を終えてゆうゆうと車に戻ってきた。

カンカンになっている女性はギャンギャンと噛み付くように

罵倒した。

その男性がいった「確かに僕のしたことは悪い。それは認めよう。だけど、あなたのその言い方も相当ひどいよ」と。
この女性は無理な駐車をした男性を「攻めて、非難する」
確たる理由があった。
だが、だからといって「罵倒しても」よいというわけではない。ということをこの男性はいいたかったのだろう。

女性の側の言い分、男性の側の言い分ということだろう。

なぜ、こんなことをブログにしたかというと、実は夫とケンカしたからなのですが、
夫婦げんかは昨今ボルテージが上がってしまうと「殺人」「殺人未遂」になりかねないのだなあとしみじみ思ったのです。

もちろん、今回の夫とのケンカで何か暴力ざたになった、というわけではなく、夫の側の怒りがもっとアップしてしまうと、きっとそうなってしまうのだろうな、と思ったのです。

 うちの夫婦の場合、ケンカしたらその日に必ず解決するという取り決めです。このことはまた、機会があったら話しますが。

今回のけんかは、わたしのほうに「攻めて、非難する」権利というか、つまり、夫の側にはっきりとした「非」があったわけです。

そのことを先の駐車場の女みたいにギャンギャンと罵倒したのですね。

ですが、次の日になってよくよく考えてみると

相手の尊厳を無視して「自分の正当性を」推し進めても
何もよい結果を導きだせない。ということにふと、気がついたわけで。

だから、最初にわたしが信号無視したときに罵倒したにいちゃんのいうことをわたしは素直には聞き入れることはできませんでした。

もちろん、わたしのしたことは悪いことです。信号無視なんて。

******

夫とのケンカにはなしをまた戻すと。

わたしは非難しました。だけど、わたしだって出来た妻ではないから。
夫はわたしの言い方にむっとしたのでしょう。だから、わたしの妻として「出来ていない点」を非難しはじめました。

それは、お門違いだろうが、と思ったのだが、同時に

わたしはてっきり、それを(妻として出来ていない点)あきらめて容認してもらっていとる思っていたのですが、どうやらそうではなかったらしいのです。
ただ、単に忍耐していただけで「寛容にも」許容していたわけではなかったことが分かりました。

 トイレットペーパーの「置き方」が気に食わないとか

意味不明なものでパンパンになっている冷凍庫こととか。

最初の火種である夫の「非」に関しては

感情にまかせて罵詈雑言するのではなく

おだやかに話合わなければ解決には至らないだけでなく、お門違いな事でやぶ蛇に発展すると思いました。

夫の側もわたしのいやな所に目をつむってもらっているのですから、今回の夫の「非」に関しても、わたしの側が夫と同様に

すこし大人になって目をつむることが必要だなと思いました。

次の日には冷凍庫をキレイに処理しましたけどね。つまり、捨てるものは思い切って捨てました。

買って食べてみたものの、あまりおいしくなかった冷凍マンゴーとか。結局ずっと食べず終いなんですよね。ずっと食べないであったアイスとか。冷凍クッキーの生地とか・・・。

こういうのは(理を通そうとする喧嘩)って
手術ににているかもしれません。(少々無理があるかも・・・)

外科医が書いた本の中にある患者に関して。

手術は成功したが、結局はその患者は意識を取り戻すことなくお亡くなりになった。という話。

手術は患者が意識を取り戻してそれではじめて成功したという

ことになるけれど、この外科医が若いときに立ち会った手術の例だったみたいですが。

「手術自体は何か手順がまずかったとか、そういうのはなかったようで」手術自体は成功した。ように見えたのだが、患者の体温がどんどん上昇して結局は亡くなったというものです。

今回の夫との喧嘩で「わたしの主張を通す」こと自体は成功したが(成功というよりも、言いたいことを存分に言えたという意味)
それが、夫婦仲をより良いものにした、ということはなかった。

かえって、悪態をつくハメになり、双方共に嫌な思いをしてしまった。ということになります。

追記:高山路爛(大鐘 稔彦)「鬼手仏心」より



 

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