体重無差別で柔道の日本一を争う全日本選手権は29日、北京五輪男子100キロ超級の日本代表最終選考会を兼ねて、東京・日本武道館で行われ、石井慧(さとし)=国士大=が決勝で、前回優勝者の鈴木桂治(平成管財)を破り、2年ぶり2回目の優勝を果たした。全日本柔道連盟は大会終了後に強化委員会を開き、北京五輪代表に21歳の石井を選んだ。柔道の五輪代表は男女とも全階級が出そろった。
3年連続で同じ顔合わせとなった決勝で、石井は序盤に大内刈りで有効を奪い、さらに抑え込み。28秒間で逃れられたが「技あり」を得て勝利につなげた。6年連続決勝進出の鈴木は、4回目の優勝を逃した。
00年シドニー五輪男子100キロ級の金メダリスト、井上康生(綜合警備保障)は、準々決勝で高井洋平(旭化成)に合わせ技で一本負けを喫した。井上は3大会連続の五輪出場を果たせず、試合後に関係者に「今後は指導者として頑張る」と現役引退の意向を表明した。近日中に正式な引退会見を開く方針で、世界選手権と全日本選手権で3連覇を達成した日本柔道の大黒柱が、畳に別れを告げた。
◇井上康生:最後まで「一本を狙った」 美学と信念貫き ◇
最後に繰り出したのは、井上康生の代名詞とも言える必殺技の内まただった。残り10秒、「一本を狙って」右足をはね上げた。だが、高井にすかされて倒されて技ありを奪われ、そのまま抑え込まれた。
「最後は自信のある技でいった。一本を取る柔道。この気持ちで戦った。悔いはない」と井上。高井が「内またすかし」を狙っていることは分かったうえで繰り出したという。試合前、父の明コーチから「『伝家の宝刀』を抜くのは、ここぞという時だけだぞ」と指示を受けており、最後のひと振りだった。
05年1月に負った右大胸筋腱(けん)断裂の影響で、1年余りは右釣り手の威力が不十分で不本意な試合が目立った。昨年12月、斉藤・全日本男子監督から一本にこだわらず、勝ちに徹する戦い方をするように勧められた。「オレはソウル五輪(88年)の時、ひざのけがで自分の柔道が出来なかった。周りから『押し相撲』と言われながら、勝ちにこだわった」。だが、井上は「先生の話はよく分かる。でも、自分がそれをやっても勝てない」と受け入れなかった。
ポイントを稼ぎ「勝つ柔道」が主流を占める世界の柔道界。その中で、井上は自分の美学と信念を貫き通した。【来住哲司】
2008年4月29日